024 修行と先達と
チリンチリン、とミリル様が小さなベルを鳴らす。
アイシャ様のお部屋から失礼した後、私はミリル様に連れられて彼女の部屋にお邪魔していた。
「今、人を呼びましたから少しお待ちくださいませ。呼んだのはみな信頼できる人間ですし、あにさまを知っている者もいますが、念のためシエラヘレナ様の正体はお隠しすることをおすすめいたしますわ」
指示通り、私は自分の髪に【幻影】の魔法を被せてその色を変じさせた。
【神】特有の銀髪から没個性な茶髪へと変じる。
「そちらもお素敵ですわね。ああ……、シエラヘレナ様があにさまの【神】でさえなければ……!」
本気で口惜しそうにミリル様は歯噛みする。
もともとレウ様の趣味だけで割り振られたようなメイドの役割だったが、一国の王女にこうまで言ってもらえると悪い気はしない。
「ありがとうございます。レウ様にもそう思っていただけているといいのですが」
「あにさま? あにさまは言うまでもありませんわ。シエラヘレナ様にメロメロに決まってますもの」
「そうでしょうか……?」
「ええ。腹立たしいことですけれど」
実兄への思慕と私への不満を隠そうともしないミリル様に思わず苦笑が漏れる。
しかし、それでもなおミリル様は私の頼みを聞いて、こうして世話を焼いてくれている。
こういう人相手だと、多少文句を言われても不快にもならない。
「ミリル様、私のことはシエラと呼んでいただけませんか?」
「急にどうなさいましたの?」
「ミリル様と仲良くなりたいんです。ミリル様はお嫌ですか?」
「……複雑な気持ちですわ。あにさまをお譲りするつもりはさらさらありませんけれど……でもわたくし、シエラ様のことは嫌いではありませんわ」
いろいろと前置きを置きながらも、シエラ、と私の申し出を受け入れて呼んでくれる。
と、コンコンコンコン、と部屋の扉がノックされた。
「どうぞ、入ってくださいまし」
「失礼いたします」
入ってきたのは、三人の年配の女性と一人の若い女性。
私やリール『ベリー』さんが着ているものよりは全体的に落ち着いた雰囲気のメイド服を纏っている。
彼女たちは部屋に入ってすぐ、ミリル様の横に立つ私に一瞬目線を向けたものの、それ以上何かを言うこともなく、頭を軽く垂れたまま沈黙を守っている。
「来ましたわね。貴女たちに少し頼みたいことがあって呼んだのですけれど」
「なんなりとお申し付けください、姫殿下」
他の三人より半歩前に立つ一人が代表するように答えた。
「頼みというのは他でもない、彼女のことですわ」
ミリル様の言葉と同時に、三人の視線が私に集まる。
「彼女はシルウェさんと言って、さるお方にお仕えする新米の侍女なのですけれど、仕事に不慣れだというものですから、彼女の教育をわたくしが引き受けましたの」
ミリル様に言われ、そういえば、と偽名のことを思い出す。
髪の色を変えるだけでは仕方ない。私自身が気持ちを切り替えなければいけない。
「私共はシルウェさんに侍女としての教育を施せばよいのでしょか」
「そういうことになりますわね。やれまして?」
「お任せください、殿下」
「お願いしますわ。では、シルウェさん。あとは彼女たちに聞いてくださいませ」
「私のために格別のご配慮を賜り、恐悦至極の次第にございます」
まさか正体を隠しながら先程までのように馴れ馴れしく接するわけにはいかない。
レウ様と長く一緒にいたせいでいまいち鈍感になっているが、ミリル様はれっきとした王家の一員であって、不敬が過ぎれば刑に処されてもおかしくないような方だ。
ミリル様には特に言葉遣いを気を付けて感謝を伝える。
「では、失礼いたします」
ミリル様が呼ばれた四人の侍女と一緒に私も部屋を退出する。
「さて、シルウェ。とりあえず、使用人室に案内します。詳しい話はそれからで」
「はい」
ミリル様への受け答えもしていた女性が私に言う。
おそらく、彼女が侍従の中で一番地位が高いのだろう。
彼女たちに先導されるままついていくと、一つの部屋の前で立ち止まった。
扉の上に付けられたプレートには、なるほど『使用人室』の文字がある。
先程、私と話していた彼女が扉を軽くノックし、開く。
「マリナです。入りますよ」
「あれ? メイド長? どうしてこちらに? って、げげ、エマさん、ジュディさんにミナスさんまで!? ちょ、ちょっと、本当になにごとです!?」
「貴女だけですか、ルイ? この時間の休憩は貴女とライラのはずだと思いましたが」
「あー、いまライラはお昼のまかないをもらいに厨房に……」
「こんなときにあの子は……」
「まあまあ、マリナさん。休憩時間を活用しろといつも口をすっぱくして言っているのは我々ですし。これでライラを責めるのは少々かわいそうでは?」
困ったように額に手を当て首を横に振るメイド長──マリナさん、というらしい──を宥める彼女はおそらく、いまさっきルイと呼ばれていた少女が挙げた三人の名前の誰かなのだろう。
「そうですね……。まずはなにより、彼女のことですか」
「ありゃ? ありゃりゃ? そういえば、そちらの人は初めて見る顔ですね。新入りですか?」
「当たらずとも遠からず、といったところですか。シルウェ、自己紹介を」
「はい。シルウェと申します。このたびはミリル様と御縁がありまして、少しの間こちらでお世話になることになりました。どうぞ、よろしくお願い致します」
言葉遣いが乱れないように極力気を払いながら挨拶をする。
しかし、自己紹介と言われても話せるほどのことがそう無いのは困ってしまう。
父さまや母さまのことを話せないのはもちろん、過去の経歴などもレウ様に考えがあるとしたら勝手に私が決めるわけにもいかない。
必然、情報量が少なくなってしまったが、どうやら気にされてはいなかったようだ。
「ええと、じゃあたしから? ルイって言います。殿下にお仕えしてまだ二年くらいだからあたしも新参かな。専門は掃除。よろしく!」
部屋にいたメイドが挨拶を返してくれる。
私をここまで連れてきてくれた四人がみなだいぶ歳上だったのに対して、彼女は若い。
私やアイシャ様とそう変わらないくらいだろう。
続けて、他の四人も順番に挨拶を始める。
「エマです。ミリル殿下にはお生まれになった時からお仕えしています。掃除の責任者をしています。シルウェさん、どうぞよろしく」
「ジュディ。仕事は接客の責任者。よろしく、シルウェ」
「ミナスです。担当は洗濯の責任者になるわ。貴女の教育を担当するのはまず私からだから、覚えておいてね」
「マリナです。メイド全体の統括をしています。教育中は貴女も私の監督下に成ります。理解しておくように。……他に、ミリル殿下にお仕えするメイドはあと三人、この離宮に来ていますが彼女たちの紹介は会ったときにでも。何か、質問は?」
「いえ、特には」
「なら、最後に一つ。気づいているとは思いますが、私とエマとルイは貴族の生まれです。今はここにいませんがライラというメイドもそうです。しかし、殿下にお仕えする私たちの身分を決めるのはその能力のみです。貴女には無用の忠告かもしれませんが、不必要にへりくだることもないように。わかりましたか?」
「はい」
「よろしい。では、まずミナスの指導を受けなさい。ミナス、あとは任せます」
「了解です、メイド長。さあ、ついてきなさい、シルウェ」
ミナスさんに促されるまま、彼女の後を追って着いたのは屋敷の裏の洗濯場だ。
洗濯物は大きく二つに分けられている。
片方はかなり値が張りそうな、おそらくはミリル様やアイシャ様の、もう片方は私としては見慣れた庶民的な服だ。中には私が今着ているのと同じメイド服も見える。こちらはおそらく、侍女や衛兵などこの離宮でアイシャ様とミリル様に仕えている人たちのものだろう。
「さて、それじゃあまずは小手調べといこうじゃないの。こっちの山に積まれてる服を洗濯して見せて頂戴。殿下のお使いになるものだと思って、丁寧にね」
指差されたのは、使用人用の服の山。
しかし、そう言われても私は身分の高い方の服を洗濯するやり方など知らない。
困り果てながらも、表には出さずいつもレウ様や母さまの服を洗うように、かつてタマタ婆さまから教わったやり方でやって見せる。
洗濯物の量はかなりのものだったが、さすが洗濯のためだけに作られた空間、非常に効率よく片付けることができた。
「いかがでしょうか?」
「……率直に言って、驚いたわね。スピードといいクオリティーといい新米のそれじゃないでしょ、コレ。それをずいぶん涼しい顔でやってくれちゃって。実は誰かに師事してた?」
「家事は昔近所にすんでいらしたおばあさまに教わりました。その方は貴族の方にお仕えしていたことがあるそうで」
「ふぅん……。ま、何はともあれ基礎は合格。指導もかなり上級技術を教えられそう。貴族の方の服を洗うときに一番気を付けるのは服の素材。絹と麻や綿ではまったく扱いが変わるから……」
◆◇◆◇◆
「ジュディ、私の研修は終わり。タッチ」
「終わり? もう? 早い。丸二日はしごくって息巻いてた」
「優秀よ、この子。まさか半日足らずで終わるとは私も予想外だわ。ま、よろしく頼むわ」
「わかってる。シルウェ、こっち」
ミナスさんの指導を一通り受け、連れてこられたのは接客の責任者だと言っていたジュディさんの元だった。
彼女は他の責任者の人たちがそれなりに年配なのに対してだいぶ若い。リール『ベリー』さんとおなじくらいだろうか。
ともあれ、彼女の後に従う。
「ここ、応接間。今は使ってないから、ここで練習する。入って」
促されるまま、中に入った。
「とりあえず、貴女のレベルを見る。いくつかのシチュエーションでシミュレート」
そう言われても、私は貴族の方への正しい対応なんてからきしだ。
ジュディさんが提示するシチュエーションに従いながら、母さまと一緒に王宮に行ったとき、使用人の人たちにどんな対応をされたかを思い出しながら言われるままに応対してみる。
しかし。
「……シルウェ。全然ダメ」
一通りやったところで、直球でダメ出しされた。
無表情ながら呆れているのが伝わる。
「けど……。……これは興味本意の質問。別に答えなくてもいい」
「……? はい」
「貴女、貴族?」
唐突に、淡々とそんな風に聞かれた。
王宮で【神】として応対された時のことを思い出しながら振る舞っていたからか、はたまた気づかぬうちにレウ様やタマタ婆さまの貴族的な癖でも移ってしまっていたか。
ともかく、まさか【神】だと名乗るわけにもいかない。
「私が、ですか? いえ、この仕事の前は田舎の小さな村で農民をしていました」
「……まあ、いい。本題の仕事の話。問題点が多い」
「はい」
「いろいろ細かい指摘はあるけど、一番は表情。固すぎ。もっと朗らかに。接客の基本は笑顔」
「はあ……」
確かに、私はお世辞にも感情の表現が得意とは言えないかもしれない。
しかし、ともすれば私以上に無表情なジュディさんにそれを言われてしまうのか。
「シルウェの言いたいことはわかる。少し見てて」
ジュディさんはそう言って軽く咳払いをした。
そして、
「いらっしゃいませ、お客さま~☆ わたくし、この離宮でお客さまのお世話を任されております、ジュディと申しますっ☆ ご用の際はなんなりとお申し付けくださいませ☆」
きゃるーん、と妙な効果音でも聞こえてきそうなくらい朗らかな笑顔に目元に横ピースとウィンクを添え、変なテンションで自己紹介をする彼女が先程までのジュディさんと同一人物だと言われて信じる人がいったい何人いるだろうか。
そして、それを目の前で見せられた私にポカンとする以上のリアクションがあったというなら、ぜひ教えてほしい。
「……今のはかなり誇張。実際にお客さまにやったらむしろ失礼。でも、表情と態度はこのくらい操れないとダメ。……シルウェ? 聞いてる?」
「……! あ、いえ、その、すいません」
「とにかく、貴女は笑顔。美人だからこそ笑顔は大事。笑って」
さあ、さあ、と迫るジュディさん。
言うまでもなく苦手だが、とりあえず微笑んでみる。
「……それは世の中的には笑ったうちに入らない」
が、ばっさりと容赦も躊躇もなく切り捨てられた。
「仕方ない。徹底教育。私はエマ先輩とマリナさんに報告してくる。待ってて」
ぱたん、と扉が閉じる音とともに、私は部屋に一人取り残される。
道のりは険しそうだが、凹んでばかりもいられない。
さっきのジュディさんのように、愛想を振りまく自分の姿をイメージしてみる。が、想像だけであまりに恥ずかしくて思わず身悶えしてしまう。
……やはり道のりは険しそうだ。




