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022 姉と妹と

 アイシャの名乗りを聞いたとたん、明らかに強ばっていたシェーナの表情が少し緩んだ。

 同じく表情を強ばらせていたリューネの方は、


「まさかの実姉……! 姉ポジの危機……!」


 戦慄したようになにごとか呟いているが、まあ放っておいて平気だろう。


「レウ様のお姉さまでしたか」

「レッく……レウルートからお聞きになっていませんでしたか?」

「畏まっていただかなくて結構ですよ。……レウ様は私たちに隠して楽しんでいたようなので」


 【神】に気を使うアイシャに配慮を見せながら、シェーナは僕をチクリと嫌味で刺してくる。

 事実ではあるから愛想笑いで誤魔化すことしかできない。


「お気遣いありがとうございます、シエラヘレナ様。それで、レッくん~? そちらの黒髪のお嬢様はどなたなの~?」

「……これは、素直に名乗って良いものかしらね?」

「構わないよ。アイシャには隠し事はなしでいこう」

「ならお言葉に甘えて。私の名前はリューネ。【夜の魔】リューネ『ヨミ』って言えばわかるかしら?」

「ッ!」


 アイシャを真似てか、リューネがカーテシーで挨拶をすると、リールが弾かれるように飛びすさった。いつの間にやら小脇にアイシャを抱えているのは護衛としては流石といったところだ。


「レウルート殿下……どういうおつもりですか!」

「誤解だよ、リール」

「何が誤解ですか……! 【夜の魔】リューネ『ヨミ』といえば、【魔】の中でも屈指に強大な……」

「ね、リール。おろしてちょうだい~?」


 リールのセリフを遮るようにアイシャが落ち着いた声で言う。


「な、何をおっしゃるんですか!」

「あの人は大丈夫よ~? きっと、ね~」

「あら、寛容。それとも、私を知らないの?」


 アイシャの予想外のリアクションに、訝しむように探りをいれるリューネ。

 実際、仮にアイシャがリューネを本当に知らなくとも、リールの反応からただならぬ相手であることはわかるはずなのに。


「……その様子だとお話しにはなられてないのかしら~?」

「どういうことさ?」

「十日くらい前のことよ~? ……ルミスヘレナ様が、ここにいらしたの~」

「母さまが!?」

「十日前っていうと……ちょうど僕が村を出るって言い出した辺りだ」

「だから、レッくんがどうして私のところに来たか、知ってるのよ~? ルミスヘレナ様から大筋は聞いているから~……」


 なるほど、ルミスさんからリューネの話を聞いていたということか。

 これは細かい事情の説明も不要で助かる。


「そういうことなら話は早いね。僕が王になるには君が必要だ。力を貸してほしい」

「……それは、お兄様方やケリリにアンラくんまで殺すってことなの~?」


 いきなりの核心を突く質問に、答えに窮する。

 アイシャがこう言うであろうことは僕も予想していたが、それでもなんと言うべきか決めかねていた。

 彼女に聞こえのいい嘘をついてもよかったが、そもそも十年前にアイシャが僕を助けてくれたこと自体が殺し合う兄弟を見ていられなかったからなのだ。

 その彼女に、僕が兄弟を殺す手助けをしろというのはあまりにも筋の通らない話だ。


「……あの、レウ様。横から口を挟んでしまって申し訳ないのですが」

「ん? 気にしないで。なんだい?」

「レウ様は、具体的にアイシャ様にどういった協力をお願いするつもりなんですか?」

「そういえば、言ってなかったね。僕が王都で軍に入ろうとしてるっていうのは話したよね?軍で一番偉いのは統帥権を持つ国王(アークリフ)だ。で、これはたぶんウェルサーム特有の法律なんだけど。次に偉いのは誰かわかる?」

「それは……将軍の中で一番階級が高い人ではないでしょうか。大将、ですか」


 シェーナは少し考えてからそう言ったが、彼女はもう正しい答えに気づいている。

 そこをあえて僕の話の流れに乗せてくれた。


「それが違うんだね。国王の次に偉いのは、王の血を引く王族の女性。名前は元帥補佐とかそんな感じだった気がするけど」

「特別身分元帥補佐士官。正しくはこうなります。軍は国家を守るものであるからして、第一に陛下のご意志に従うのは当然のこととして、第二には、王族の方をお守りすることが正しいあり方と考えられています。王族の男性の方は極一部の例外を除いては私兵を擁され、戦力を必要としませんが、継承位を持たない女性の王族の方が戦力を保持することはおよそ想定されておらず、その自衛のために姫様のようなご身分の方は軍の指揮権の一部を賜っておられます」


 僕の補足をリールがずいぶん詳しくやってくれた。

 彼女も一応の立場は軍属としてのアイシャの直属だ。まさしく当事者というわけだ。

 ともかく、そういうわけでアイシャは軍に多大な影響力を持つ。あまり派手にやると他の王子に感づかれるかもしれないが、僕をこっそり士官学校に放り込むくらいはわけない。


「その理屈なら、必ずしもアイシャ様である必要はないのではありませんか?」

「え?」

「先程、アイシャ様からお名前を教えていただいた時に、昔、陛下からアイシャ様のお話をお聞きしたことを思い出しました。それともう一人、ミリル様のお話も」

「あっ!」


 シェーナの言わんとすることをようやく察する。

 確かに、条件の上ならミリルでもいい。


「ミリル=ウェルサーム様。レウ様の妹君なら、アイシャ様と同じ、要件に合致するのではないでしょうか?」


 王女という立場はアイシャもミリルも同じ。不都合はない。


「……姉には真っ先に頼りにいくのに、妹にはその発想から出ないあたりは良くも悪くもレウらしいわね。ま、そういうことなら早速ここを出てその妹さんとやらに会いに行くのね?」

「いえ、その必要はありませんよ」


 え、と僕とリューネの驚きの声が重なる。

 僕らを尻目に、シェーナはなんでもないことのように続ける。


「ミリル様も、こちらにいらっしゃいますから」

「ッ……! 【神】の魔法はそんなことまでわかってしまわれるのですか……!」


 そのおののくようなアイシャの言葉に、シェーナは薄く微笑み、


「だ、そうですよ、レウ様」

「へ?」

「ですから、ミリル様もこちらにいらっしゃるようですよ」


 そこまで言われ、僕らはようやく気がついた。

 カマをかけたのだ。

 シェーナらしくはない、ずいぶん強かなやり口といえる。

 アイシャもシェーナが腹芸など仕掛けてくるとは思わなかったがゆえに、警戒もせず迂闊なセリフをこぼしてしまったのだろう。あるいは、僕らの方もシェーナがそんなことをするとは予想もしていなかったというのもアイシャが油断した一因かもしれない。シェーナが意図した訳ではなかろうが、敵を欺くなら、というやつだ。


「……私はまんまとしてやられたというわけですか」

「ま、そういうことなら、ミリルを呼んでもらおうか、アイシャ?」

「……リール。ミーちゃん呼んできて~」

「よろしいのですか?」

「バレちゃったらもう仕方ないでしょ~?」

「かしこまりました」


 リールが部屋を出ていくと、困ったようにアイシャが小さくため息をついた。


「まさか、シエラヘレナ様がこういうやり方をなさるとは思いませんでした」

「失望しましたか?」

「いえ、感服しました。貴女のような方でいらっしゃればこそ、弟をお預けできます」

「アイシャ様にそう言っていただけるのは光栄です」


 シェーナとアイシャはウマが合うらしい。気性が穏やかで相手を尊重する二人だから不思議ではないけど。

 しかし、アイシャの表情はいまいち優れない。


「……私は、シエラヘレナ様がレウルートの【神】になってくださって嬉しく思います」

「……? はい、ありがとうございます」

「ですが、その……今から来るミリルはシエラヘレナ様に失礼を言うかもしれません。どうか、ご容赦をいただきたく……」


 急にそんなことを言われ、シェーナは不安そうにしているが、これに関しては僕からはどうにも話しづらい。

 というのも……、

 ドタドタドタドタ、と。

 音が聞こえた。

 品のある静寂に包まれたこの離宮にそぐわぬそれは、部屋の外から。

 僕の思考を遮り、どんどん大きくなるこの音は、足音だ。

 その足音のままの勢いで、ドバタン、と勢いよく部屋の扉が開かれた。

 開かれた扉の先に立っているのは、足音の主と思しき一人の少女。ゆるくウェーブした金の髪は背の半ばほどまで伸ばされている。王女の気品と少女のあどけなさを両立するその美貌は、十年前からそのまま大きくなったような印象を僕に抱かせた。年のころはたしか今年で十五だったか。背丈や体つきは年の割には幼く見えるが、それがむしろ美術品のような美しさに神秘性のようなものすらも感じさせる。その魅力はアイシャと比してすら引けを取らない。

 そう、この少女こそ、僕のただ一人の妹、ミリルだ。


「あねさまっ! あにさまがいらしたって、本当ですのっ!?」

「やあ、ミリル。十年ぶり。大きくなっ……」

「あにさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うわ!」


 突進、と形容するのが正しいほどの勢いでミリルが僕の胸元に飛び込んできた。

 僕の記憶の中の彼女とはかなり背格好が違っていたが、今こそ【魔】の身体能力の発揮どころだ。なんなく妹を抱き留めた。

 にしても、再会していきなり抱きつきにくるとは、似た者姉妹といったところか。実際、ミリルの外見はアイシャにかなり似ている。胸はないけど。


「あにさまあにさまあにさまぁぁぁぁ!」

「こらこら、ミリル。まずはお客さんに挨拶だろ?」

「あにさまあにさまあにさまあにさまあにさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ……僕の呼び掛けにも応じない。完全に平静を失っている。アイシャよりひどい。

 ちらりと横目でこの子の姉に無言の助けを求めるも、軽く肩をすくめられて終わってしまった。

 すりすりすりと高速で僕の胸板にほおずりを繰り返す妹をもう一度見つめ、諦めて落ち着くのを待とうと少し強く抱きしめた。

 しばらくたって、ミリルの動きが止まった。


「えっと、落ち着いた?」

「いいえ! またあにさまにお会いできるなんて幸せ、落ち着いてなんていられませんわ!」


 ……ここらで初対面の二人も気づいたことだろうけど。

 この子は昔から僕のことが好きすぎる。

 もちろん、嬉しいことには間違いないが、困ったこともたまにはある。


「それは兄冥利に尽きるけどね。今はほら、お客さんが来てるからさ」

「お客様? ……こちらの女性は、あにさまのお知り合いですの?」

「そうそう。彼女たちは……」

「銀髪の方はシエラヘレナ=アルウェルト様ですのね」

「あ、シェーナはわかるんだ」

「わたくしもルミスヘレナ様にはお会いしたことがありますもの。……シエラヘレナ様。ウェルサーム王国第二王女、ミリル=ウェルサームと申しますわ」

「初めまして、シエラヘレナ=アルウェルトです」

「シエラヘレナ様は、あにさまの【神】でいらっしゃいますの?」


 挨拶もそこそこに、ミリルはそんなことを尋ねる。

 意図を掴めず戸惑いながらもシェーナは、はい、と肯定を返す。

 すると、返答を聞いたミリルは俯き、わなわなと震え、叫んだ。


「認めません! 絶対に認めませんわ!」

「……それは、私が未熟な【神】だからでしょうか?」

「いいえ、たとえルミスヘレナ様でもわたくしは同じように申しあげますわ!」

「……ミリル様は何がご不満なのでしょう?」

「【神】とはすなわち王子のパートナー。ですが、あにさまのパートナーは足りうるのはただ一人、わたくし以外にありえません! わたくし以外はたとえいかに強大な【神】であっても。パートナーだなんて認めは致しませんわ!」

「え、ええ、と……?」


 ミリルは冗談でも酔狂でも、ましてやシェーナへの意地悪で言っているわけでもない。本気も本気だ。

 シェーナにもそれが伝わったらしく、なんと言っていいかわからず困惑した様子を見せている。

 僕としても、決着の長引きそうな話は今は遠慮したい。


「ミリル、その話は後でもいいかな。僕はちょっと大事な話があるからさ」

「あにさまはお父様の後を継がれるのでしょう? あねさまがなんとおっしゃったかはわかりませんが、わたくしはあにさまに全面協力いたしますわ」

「……アイシャ、ミリルに話したわけ?」

「当たり前~。ミーちゃんも立派な王女よ~?」

「そうはいっても……」

「あにさま。わたくしはもう子供ではありませんわ。十年前とは違いますもの」

「ッ……!」


 十年前とは違う。

 僕にとって、その言葉の衝撃は決して小さくなかった。

 まさしくその通り、事実であるからこその衝撃。

 実際、昔から大人びていたアイシャも今や本当に成人だし、ミリルもかつてとは見違えるほど成長した。

 そして、十年前と違うのは、他ならぬこの僕もだ。

 今の僕自身に昔ほどの力はないだろう。

 だから、誰かを頼らなければいけない。

 シェーナを、リューネを、ルミスさんを、アイシャを。

 それに、ミリルを。

 ならば、僕は受け入れなくちゃならない。

 十年前とは違う僕自身を。

 十年前とは違う僕の戦い方を。


「……そうか。うん、そうだ。ありがとう、ミリル。……さて、ミリルはこう言ってくれてるけど、アイシャはどうかな? やっぱり協力してはくれない?」

「ねぇ、ミーちゃん~? レッくんに協力するっていうのはアンラくんやお兄様方を殺すことにもなりうるのよ~?」


 僕の問いかけをスルーして、アイシャはミリルに語りかける。妹相手でも言葉を濁したりはしない。

 シビアな問いに、しかしミリルは動じもしない。


「わたくし、あにさま以外のお兄様方もアンラも好きじゃありませんわ。死んでしまえとまでは思っておりませんけれど……あにさまの邪魔だというなら、致し方ありませんわね」

「ミーちゃんのそういうところ、お姉ちゃんたまに羨ましくなるわ~……。……はぁ。仕方ないわねぇ……お姉ちゃんもレッくんに協力してあげる~。何をすればいいの~?」


 心の中でガッツポーズ。

 僕の王への道、その第一歩がまさしく今開かれた。

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