021 アイシャとレウルートと
新年明けましておめでとうございます。
一年の計は元旦にあり、とも言うことですし、投稿をば。
「ねぇ、どうしましょうか」
「何がですか?」
早朝。
レウはいつものようにすやすやと眠っている。
今この場にいるのは、夜はあまり眠らない私と、早起きのシェーナだけだ。
「何って、今日私たちが訪ねるっていう貴族の女のことよ。レウの昔の女かもしれないのに」
「まだ、女性と決まったわけでは……」
「昨日、レウが言ってたでしょ。『彼女たち』って」
「そういえば言ってたような気もしますが……。よく聞いていますね」
朝食の準備片手に、シェーナは私に答える。
「当たり前じゃない。というか、貴女テンション低いわね。いいの? レウ取られても」
「良くはないですけど。……ただ、レウ様は王になられるかもしれない方ですから」
「ええ、まあ。それが?」
「その女性が、レウ様に相応しい方だったら、仕方ないって諦めるしかないと思います」
「闘争心低すぎよ……。優しいのは貴女の美点だとは思うけれど……」
「ありがとうございます。それより、そろそろレウ様を起こしてもらえますか? 今ちょっと手が離せないので」
私の不満をさらりと受け流し、言ってくる。
こういう風に頼まれごとをされてしまうと仮にも姉を自称する身としては、断るわけにはいかない。
うまく話の腰を折られてしまった気もするが、仕方ない。頼まれた通りにレウを起こしに向かう。
平和そうに寝息をたてるこの王子さまは、私やシェーナの気苦労とはまるで無縁の場所に居るみたいだ。
理不尽な苛立ちを感じて、いつもより少し乱暴にレウの布団を剥ぎ取る。
「う、さむ……。……あ、リューネ? おはよ……」
「ええ、おはよう。シェーナが呼んでるわ。早く起きてね」
ぼーっとした様子は、もはや見慣れた毎朝のレウだ。
放っておくと二度寝を始めるため、ある程度ちゃんと覚醒するまで見ててあげなければいけない。
「……あー…………朝?」
「そうよ。二度寝しないで、着替えて出てきなさい」
「わかった……」
ぼんやりとしながらも、返答は明瞭。ここまでくれば大丈夫だ。
「じゃ、待ってるわね」
ここにいては着替えの邪魔だろうと部屋から出ていった。
◆◇◆◇◆
「おはよう、シェーナ、リューネ。お待たせ」
爽やかな笑顔とともに部屋から出てくりレウ。
改めて、寝起きの彼とは別人のようだ。
「前々から言ってはあったけど、今日は僕の支援者になってくれるかもしれない人のところに行く」
「それって、貴族?」
「貴族……まあ貴族と言えば貴族かな。正確ではないけど」
「つまり、どういうことよ?」
「んー、それは実際に会ってのお楽しみってことで」
詳細を聞こうとするとはぐらかされた。
気になるは気になるし、ここで無理に聞き出しても別にいいが、それはそれでなんだか負けな気もする。
「……いいわ。そういうことなら楽しみにしといてあげる」
「ま、すぐ会えるさ。彼女たちは王都から少し外れたところにある屋敷に住んでるはずだから。エクトケからならせいぜい三時間もあれば着くからね」
「でしたら、今朝はゆっくり目に出られますか?」
「いや、いつも通り朝食後すぐに出るつもりだよ。時間は節約するに越したことはないからね」
もう少し観光したかったのか、シェーナは少し名残惜しそうにしていたが、遊んでばかりもいられない。
彼の方針通り、すぐさま出発することになった。
◆◇◆◇◆
「ところで、レウ?」
「なんだい?」
「貴方、婚約者とかいる?」
「どうしたのさ、藪から棒に」
「いいじゃない。雑談よ」
その貴族の女に会いに行く道中、御者台のレウに前々から気になっていたことを聞いてみた。
「いたよ、そういうのも。懐かしいなぁ。あんまり会ったことないけどね」
今から訪ねる女がてっきりその婚約者か何かだと疑っていたが、彼の何の気もない反応からみると早とちりだったかもしれない。
……それはそれとして、追及はするが。
「へぇ。貴族よね?」
「そりゃ仮にも王子の婚約者だからね。たしかどこぞの大公のお嬢さんだったような気がするなぁ。ま、今となってはそれも破談だろうけど。ただでさえ、十年も行方不明みたいな状態だったのに、僕、こないだアークリフに会ったときに継承位を放棄するみたいこと言ったし。向こうに婚約を維持するメリットが無いよね」
「陛下にそんなこと言ってしまって大丈夫なんですか?」
「他の継承位を持つ人間がみんな居なくなれば必然僕にお鉢が回ってくるさ」
それはすなわち、血を分けた兄弟を自ら皆殺しにするということだ。結構エグいことをさらっと言う。
しかし、その程度の覚悟はできているということでもある。
「あ、二人とも、右手側見てみなよ」
レウが唐突に言う。
言われるままに、馬車から少し身を乗り出して右手側を見てみると、遠くに外壁に覆われた巨大な都市が見えた。
その中心にはこの距離からでも見上げるほど巨大な尖塔が見える。
「あれが王都だ。僕らの目指すものがある場所だよ」
つまり、あの巨大な塔は王城の一部ということか。
改めてこうして見せられると王を擁立するということの重大さがわかる。
「シェーナも外から見るのは初めてじゃない?」
「そうですね。何度か母さまに連れてきていただいたこともありますが、いつも魔法で直接お城にお邪魔していたので」
「こうして見て、どうだい?」
「……すごいです、としか。語彙が貧困ですけど」
「いいや、十分さ。場合によってはあれが敵に回るんだ」
もちろんそうならないように立ち回るのが僕の仕事だけどね、と笑顔で補足するレウ。
シェーナは圧倒されたような様子だが、私は違った。
恐ろしさもないではないが、それ以上に強大な敵を打ち倒さんとすることに興奮も覚える。
私は自分を悪人だとは思っていなかったが、これでも人間の敵たる【魔】のはしくれだということかもしれない。
「で、そろそろ本命の方も見えてきたかな」
再び、レウが言う。
その目線は、正面。
目線を追った先に、たしかに何やら大きな建造物のようなものが見える。
(でも、あれは貴族の屋敷ってよりは……)
私の違和感は正しかった。
それに近づくにつれ、全容が見えてくる。
「ねぇ、レウ? 一応聞きたいんだけど、あれが私たちの目的地なのよね?」
その建造物を指差して、尋ねる。
「そうだよ」
彼の返答は単純明快。
私の言いたいことを引き継いで、シェーナが言う。
「レウ様、目的地は貴族の方の屋敷っておっしゃいましたよね?」
「そうだっけ? まあ、言ったかも」
「…………あれじゃあ、屋敷というより砦じゃないですか……!」
平然としたレウと呆然としたシェーナの対比が鮮やかに写る。
そう、レウが馬車を向かわせているそこは、屋敷というより砦とか要塞とか言った方が相応しいような、巨大な軍事施設だった。
「あはは、砦か。いいね、それ。確かにその通りだ」
「なによ、その言い方。あれが砦じゃないみたいじゃない」
「扱い的には離宮になってるはずだよ。アークリフのやつは滅多に来ないけどね」
「……この際、細かい説明不足は置いておいてあげるわ。今私が聞きたいことは一つよ」
「なんだい?」
「あれ、どうやって中に入って目当ての人物に会うのよ? どうみてもガチガチに警備されてるじゃない!」
「流石にそのくらいは考えてあるさ。っと、馬車は一旦ここに置いて行こうか。目立つし」
そう言って、レウは馬を止め、馬車から降りる。
私とシェーナも後に続いた。
「で、どうするの?」
「抜け道があるんだよ。本来的には脱出用の隠し通路ってやつなんだけど、この際だ、使わせてもらおう」
レウが案内したのは砦から少し離れたところにある林の中の洞窟だった。彼によると、ここが砦へ入れる地下道の入り口らしい。
警護の兵や人影は見当たらない。
「さて、見た目は誰もいないみたいに見えるけど……どう?」
「一人、僕らを見てるやつがいるね。会話は……聞かれてないみたいだ」
レウの固有魔法は応用すれば自らを五感のいずれかで知覚する者を暴く探知のように使うことができる。今回もそれが発揮された。
流石、あのルミスヘレナをしてベタ誉めだったレウの能力といったところか。単純な戦闘に限らない汎用性の高さには感心するところしきりだ。
「なら少し様子を見て……って、ちょっと、レウ!?」
「じっとしてても事態は進まないさ。もう僕らは見つかってるんだから」
せっかくの情報にもかかわらず、レウは平然と歩いていく。
呼び掛けても止まる様子はない。仕方なく私とシェーナも慌てて後を追う。
と、その時。
「止まれ。こちらから貴様らの姿は見えている。これは警告だ。従わなければ最悪命を落とすことになると思え」
声が響く。
若い女の声だ。
レウの言っていた、私たちを見ているという相手か。
声自体は聞こえるのに、辺りの木々で反響しているせいか出所はつかめない。
今が昼であるといえど、【魔】である私に気配を悟らせないということは、向こうも人間ではない。【神】の気配も感じないから、おそらく【英雄】だ。
「……ラッキー。知り合いだ」
レウは小さく呟いた。
「よし、そのまま動くなよ。貴様らの正体と目的、洗いざらい吐いてもら……」
「やあやあ! 久しぶりだねぇ! ……【花の英雄】リール『ベリー』!」
こちらを尋問しようとする相手の言葉を遮るように、レウが叫んだ。
私には判断できないが、彼が呼んだ名前は恐らく的中していたのだろう。
動揺のままに【花の英雄】とやらも叫び返してくる。
「ッ! ……貴様、名を名乗れッ!」
「悲しいなぁ。忘れちゃったのかい? 僕だよ、僕」
「……貴様のような知り合いは私にはいない」
「君が今思い出してる人たちより十年くらい過去に遡ってみてくれない?」
「十年……? ……ま、まさか……!」
次の瞬間、目の前の木の陰から一人の人間が姿を表した。予想通り、年若い女だ。実用と華美さを半々くらいにおりまぜたメイド服を纏っている。おそらく二十代の半ばほどか。
それに、ただの女でもないのも予想通り。彼女が隠れていたその木には、人間が一人隠れられるほどの太さはない。
何らかの魔法を使っていたのは明白だ。
「思い出してくれたみたいだね、リール」
「……御名を、お聞かせ願えますでしょうか」
「レウルート=スィン=ウェルサーム。僕の口からだと、レウルート=オーギュストって名乗りの方が聞き慣れてるよね」
「お久しぶりです、レウルート殿下。先ほどは、失礼を致しました」
「気にしないで。君にはアイシャを守るっていう大事な仕事があるんだからさ。改めて、久しぶり。十年前から君は綺麗だったけど、またいっそう美人になったね。【花の英雄】の称号に相応しいよ」
「……殿下におかれましては、以前とお変わりないようで」
息をするように口説き文句が口から飛び出すレウを見て、【花の英雄】も呆れている。
シェーナから話を聞く限り、彼女が初めて会った頃からレウはこうだったようだし、王宮にいたころの知り合いでも馴れたものなのかもしれない。
「さて、今日ここにきたのは他でもない、アイシャに会いに来たんだけど。いるよね?」
「はい。お通し致しますが、そちらのお二人の女性は殿下のお連れの方でしょうか?」
「そうだよ。けど、紹介は後でもいいかな?」
「かしこまりました。ご案内させて頂きます。どうぞ、こちらへ」
先頭に【花の英雄】、次にレウ、シェーナと続き、最後に私の順で洞窟を進んでいく。
中は複雑に入り組んでいて、脱出用通路といっても常日頃から内部を把握していないと迷ってしまいそうだ。
歩くこと十分ほど、天然の洞窟の天井にぽっかりと大きな穴が空いており、そこからは梯子のような小さな階段が降りてきていた。
先導されるままに階段を上がると、そこは貴族の屋敷には不似合いな質素な小部屋だ。
唯一ある扉の先には貴族らしい部屋が広がっているのだろうか。
「この先が姫様のお部屋になります」
【花の英雄】はいったんそこで言葉を区切ると、扉を軽く叩いて奥の主へと呼び掛ける。
「姫様、リールです。お客様がいらっしゃいました」
「リール? お客様の予定なんて、あったかしら~?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、鈴を転がすような可憐な美声。なんとなく、朗らかで気品のある貴族のお姫様をイメージする。
「いえ、私が独断でお連れ致しました」
「貴女が~? 珍しい~……。ええ、どうぞ~、入っていただいて~」
この【英雄】はずいぶんと主に信頼されているようだ。
意外そうな声こそ出したものの、疑うことなく私たちを通すように指示した。
【花の英雄】がゆっくりと扉を開く。
こちらを向いてたおやかに椅子に腰かける女は、イメージのとおり上品な笑みを浮かべていた。
ものすごい美人だ。
シェーナやルミスヘレナのまさしく【神】の域の美貌を見慣れているし、私自身、内心では外見に多少の自信もあったが、その私でも気後れするような美しさだ。
単純な貌の造りだけではない。
貴族特有の金に輝く髪と滲み出る高貴で大人びた雰囲気が絶妙にマッチし、侵しがたいような気持ちにさせる。
年齢はおそらくレウと【花の英雄】のちょうど間くらいか。仕立てのいいドレスに引き立てられたメリハリのあるスタイルは、意外にというか、今までレウの周りにはいなかったタイプだ。
しかしレウは、気後れする風もなく気安く声をかける。
「や、久しぶり、アイシャ」
「レッ、くん? レッくんだぁ~!」
レウの姿を認めた彼女は一転、いままでの落ち着いた雰囲気と打って代わって、子供のように嬉しそうな表情を浮かべ、レウに抱きついた。
彼女の豊満な肢体を惜しげもなくレウに押し付けるその様子は本当に子供のようだが、それはまったく彼女の魅力を減じさせない。そういう意味では、彼女の魅力はレウのそれに少し似ているかもしれない。
「アイシャ。感動の再会もいいけどさ、ほら、挨拶」
一方のレウはやや困ったような表情でちょいちょいと私たちの方を指差した。
彼女──アイシャははっとしたようにこちらに向き直ると、シェーナを視界におさめ、ふたたびはっと何かに気づいたような仕草をした。
「シエラヘレナ=アルウェルト様でいらっしゃいますか?」
急に、先程までの間延びした喋りは鳴りを潜め、丁寧な敬語でシェーナに接する。
シェーナのアイコンタクトに、ここでは隠さなくていいよ、とレウが言う。
返答を受け、彼女は髪に施していた『幻影』を解き、返事を返した。
「はい、シエラヘレナです。すみません、お会いしたことがありましたか?」
「いいえ、お初にお目にかかります。シエラヘレナ様は父から聞いていたとおり、ルミスヘレナ様にそっくりでいらっしゃいますね」
「母さまのお知り合いの方ですか?」
シェーナの質問に、アイシャは微笑むと、ドレスのスカートを小さくつまんで持ち上げ、柔らかく腰を折る。
「申し遅れました。わたくしはウェルサーム王国第一王女、アイシャ=ウェルサームと申します。いつもレウルートが──わたくしの愚弟がお世話になっております」
「「へっ?」」
私とシェーナの間抜けな声が同時に部屋に響いた。




