002 夢と危機と
0908 タイトルにミスがあったので修正しました。
レウ様が王宮に行く、という衝撃の──少なくとも私には──ニュースを聞いたその日の夜。
私はまた夢を見た。
それは、ある意味では昨日の夢の続き。
レウとシェーナ。
この名前を共有する、もう一人の大切な友達。
彼女も、今となっては会うことは叶わない人だけれど。
この夢は、その彼女に私とレウ様が初めて会った時の記憶。
たしか、これは昨晩の夢の時から二年ほどたった頃。今から数えれば、八年ほど昔。
私とレウ様は、暗い暗い森の中を歩いていた。
ここは私たちの家がある村からそう遠くないところにあるとても深い森。近隣を治める【女神】である母さまの名前をとって、『ルミスヘレナの森』と村の人々には呼ばれている森だった。
「レ、レウ様。もう戻りませんか?」
「大丈夫だよ! まだ何も見つけてないしさ、もうちょっとだけ冒険しようよ!」
この頃になると、レウ様はもう年相応に子供っぽかった。
少なくとも初めて会った時のような恐ろしい目を見せることはなくなっていたし、私を連れ出して冒険と称した探検ごっこをすることもあった。この日もそうだった。
「で、でも母さまがここには入っちゃいけないって……」
「だから行くんじゃないか! 【女神】のルミスヘレナさんがわざわざ隠すなんて、きっと凄いお宝が……」
「それに! ……それに、なんだかすごく、嫌な感じがするんです!」
言い知れない不安に突き動かされて、私はレウ様に叫んだ。
普段は子ガモのように自分の後ろについてくる一つと少し年下の少女の珍しい反抗に、レウ様も思うところがあったのか、
「……そっか。シェーナがそこまで言うならそろそろ戻ろう。帰り道はちゃんと目印をつけてあるから、安心して」
こういう辺り、レウ様は抜け目がない。どうやら迷うことがないように来た道にあった木々に小刀で目印を付けてきていたらしい。
それに従って、レウ様と私は来た道をそのまま戻る。
しかし、私の抱く妙な不安は治まるどころかいや増す一方だった。
「そろそろ、半分だよ。……シェーナ、大丈夫?」
「だ、大丈夫、です。それより早く……」
何かに怯えるように終止辺りを伺いながら歩いている私がよほど異常に見えたのか、心配げに声をかけてきたレウ様に答えた矢先。
ぞわり、と。
突然に、抱えていた不安感が爆発的に増大した。
その根源は目の前数メートル先、深い森が生み出す闇の中。
「シェーナ!? シェーナ! どうした! 大丈夫か!?」
がたがたと震えだした私の肩を掴んで呼び掛けるレウ様。
「そっちは……」
「え?」
「そっちは、だめです。はやくもど、もどらないと!」
目の前の暗黒を指差して言う。
しかし、それはもう手遅れだった。
「あは。ずいぶん可愛らしいお客さん。レウとシェーナ、でいいのかしら?」
まさしくその闇の中から。
声が響いた。
レウ様もびくりと体を震わせたが、唇を強く噛むとポケットに手を入れ、私を庇うように半歩前に進み出た。
「だ、誰だ! 出てこい!」
震えながら、精一杯の虚勢で声を放ったレウ様の勇気を称えるかのように、眼前の闇が薄く晴れていく。
現れたのは、そのころの私たちと同じか一つ二つほど年が上であろう少女だった。服装は質素な黒いワンピースだ。特筆するような装飾品を身に付けているわけでもない。
しかし、明らかにただの子供ではなかった。陰と艷の中にありながら燦然と輝く貴さをも含む不思議な美貌。夜の闇を人間の形に落とし込んだらちょうどこんな姿をとるのかもしれない。その美しさは【神】である母さまと比べても遜色ないほどだった。
長い黒髪を森を通るそよ風にはためかせながら、少女は不気味に薄く笑う。
「シェーナに……シェーナ何をした!」
「シェーナって、その子よね? なら、別に何も」
「嘘だ! そんなわけ……」
「本当よ。その子、女神の娘でしょ? なぜか『神性』は封印されてるみたいだけど……その部分が私の存在に過剰反応してるのね。あなたが宥めて落ち着かせてあげなさい。大分マシになるはずよ」
レウ様はその少女の指示に従うか僅かに逡巡したものの、嘘はついてないと判断したのか、あるいは他に手はないと諦めたのか、変わらず震えの止まらない私の肩を抱きすくめると、
「シェーナ、落ち着いて。大丈夫だよ。あんなやつ、大したことない。絶対に僕が君を守ってやるから。だから安心して、ゆっくり心を落ち着けて」
ゆったりと、片手で私の背中をぽんぽんと叩きながら、ぐずる赤ん坊を寝かしつけるように柔らかく穏やかな声で諭すように宥めすかす。
不思議なことに、ふっと溶けるように不安がなくなってしまった。同時に体の震えも止まる。
「大丈夫? シェーナ」
「あ、ありがとうございます、レウ様。もう大丈夫だと思います」
「さ、落ち着いたかしら? それじゃあレウはそのポケットの中の物騒なのから手を離してくれるとありがたいのだけど?」
ポケット? とレウ様を見ると、確かに右手をずっとズボンの右ポケットに入れている。
「……わかった」
「あら素直。でもちょっと不用心よ? 私、心配になっちゃうわ」
少女の言うままに、ポケットから手を出したレウ様に、少し驚いたようでからかうような声音でそんなことを言ってきた。
「君は、シェーナを助けてくれたから」
「助けたのは私じゃなくて貴方だけれど……ま、信用してくれたならいいわ」
「あの、あなたは誰なんですか?」
大分治まったとはいえ、未だチリチリと種火のように不安は私の心中で燻っている。
その源が目の前の少女であることは疑いなく、その正体を誰何する。
「貴方たち、私がナニか……この森にナニが居るのか、知らないで来たの? それこそ不用心ね。でもまあ、この場合責められるべきは貴方たちじゃなく、ルミスヘレナ=アルウェルトの方かしら」
少女の口から母さまの名前が出たことで、一つの予想が出来上がる。
そう言えば、さっきも彼女は言っていた。私の中の【神】の部分、つまりは母さまから受け継いだ部分が彼女に反応したがゆえの、この不安感なのだと。
そうなると、彼女の正体も予想がついてくる。
それは、【神】の敵。
なんらかの奇跡と運命の悪戯の果てに、【神】を殺すに至った人間の末路。
人間を超越した三つの存在のうちのひとつ。
「私は【魔】。【夜の魔】リューネ『ヨミ』。人間と【神】の敵よ」
しかし、【魔】になる方法は二つある。
一つは前述した【神】を殺す方法。
もう一つは【魔】にその身を侵される方法。
あらゆる【魔】は他の生き物を自らの力で穢すことで眷属と呼ばれる小さな【魔】を作ることができる。小さな、と言っても普通の人間じゃまるで及ばないバケモノだけど、この方法で無理矢理【魔】にされたならそれは【魔】の被害者も同然で、【神】の敵にはなり得ない。
「期待してる顔ね、レウ。でも残念。私は純正の【魔】よ。神殺しの果てに至った、ね」
「そんなはず……! だって、【魔】は成ったその時から肉体の変化が止まるんだろう!? それじゃあ、僕と年齢のそう変わらない容姿の君は、かつてその年で『神殺し』を成したってことになるじゃないか!」
「その通りよ。『神殺し』なんて奇跡と偶然の産物だもの。大人でも失敗するし、子供でも成功するわ。実際、そうね、今貴方がポケットの中のそれで私を殺せば貴方はその年で立派な【英雄】よ」
「そ、れは……」
「ね? ありうるのよ、その程度。だから、私は貴方たちの敵で……」
「違います」
固く遮るように断言する。
ついさっきまで恐怖に体を震わせていた私の豹変にレウ様は戸惑いの声を出す。
「シ、シェーナ?」
「違いますよ、リューネ。問題にするべきは、あなたが【魔】に成った方法なんかじゃありません」
すらすらと、淀みなく言葉が流れ出る。
このときの私はきっと、リューネ『ヨミ』という強大な【魔】にアテられて、【神】の部分がひどく活性になっていたのだと思う。
「あなたが私たちの敵かどうかはただひとつ、あなた個人の意思が私たちの敵であるかに依るんです。他のことなんて、どうでもいい」
「そうだ……そうだよ、リューネ! 君は僕たちを傷つけたり、殺したりするのかい!?」
「……リューネリューネ、ってずいぶん馴れ馴れしいわね。私、これでも多少は名の知れた【魔】なのよ?」
「馴れ馴れしいのはお互い様だよ。レウもシェーナも本当は僕ら二人だけのあだ名なんだから」
「そんなの私は知らな……」
「知らなかった、っていうのはナシだよ。僕はともかく、ルミスヘレナさんのことを知っていてシェーナの本名を知らないわけないんだから」
「……二人だけのあだ名っていうのは本当に知らなかったわ」
「なら、君が僕らの敵じゃなくなればいい! そうしたら、この呼び名を君にも許してあげる!」
「…………彼女はとっても不服そうだけど?」
レウ様の背後でリスのようにぷっくりと頬を膨らませて怒りをアピールしている私をリューネは指した。
振り返ってそれに気がついたレウ様はあわあわと慌てる。
「シ、シェーナ? その……」
「……レウ様が二人だけって言ったのに」
「う! そ、そりゃあ言い出しっぺは僕なんだけど……」
「……別に、いいです。ウワキモノのレウ様は新しい女にひょいひょいついていっちゃうんですもんね」
頬を膨らませたまま、ぷい、と顔を背けて言う私。
それにしても、昔の私ながら大胆な物言いだ。これでは私とレウ様が恋人みたいに聞こえる。
「ゆ、許してよ、シェーナ」
それこそ浮気がバレたかのように慌てるレウ様に、つーんととりつくしまのないの私。
それを見ていたリューネはくすりと笑うと、
「私はね、とっても悪い【魔】なのよ。どのくらい悪いかというと……この修羅場に油を注ぐために貴方たちの仲間になっちゃうくらい。……ってなぁに? その面倒くさそうな顔。私が敵じゃなくてよかったでしょう?」
「……リューネ、君はなんだかとっても面倒くさい性格をしてるね」
「あら、ひねりのない言いぐさだこと。でもいいわ。許してあげる。私は貴方たちの仲間だものね。そういうことだから、レウ、シェーナ、仲良くしましょう?」
そんなわけで、彼女は私たちの新しい仲間になった。
しかし、この初対面での偽悪的なセリフと裏腹に、彼女は本当にいい人、もといいい【魔】だった。
この日から毎日のように遊びに来る私たちをいつも笑顔で迎え、一緒に遊んでくれた。きっと彼女からすると、私たちなんかほんの小さい子供に過ぎないだろうに、いやな顔ひとつせず相手をしてくれたのだ。
私たちのすることを正しく誉め、正しく叱ってくれた。私とレウ様にとって、彼女は姉のような存在だった。
タマタ婆さまが亡くなった時も、リューネは親身に私たちを慰めてくれた。あの時私以上に取り乱していたレウ様が立ち直れたのは、きっと母代わりになった母さまと、姉代わりのリューネのおかげだ。
けれど、その幸せな日々も丸四年と少しが経った頃、終わりを告げる。
いつものように、森へ遊びに行ったレウ様と私。
しかし、いつもは森に入ればすぐ現れるリューネが、今日に限ってはなかなか姿を見せない。
私とレウ様は困惑したものの、とりあえずリューネと初めて会った辺りまで、森の深くへ入ってみることにした。
その道半ばのあたり。
私の第六感が彼女を捉えた。
彼女は出会って以来見ていなかった、深い闇を纏っていた。
あの時と変わらず本能的な恐怖のようなものはあったけれど、あの時と違って中身がリューネであることを知っていた。
いつもとは違うことだらけでどうかしたのかと、リューネに駆け寄ろうとする私とレウ様だったが、しかしなぜだか体が微動だにしない。
体を動かそうともがいていると、リューネの声がした。
「残念だけど、さようならよ。シェーナ、レウ」
どうして、と私やレウ様が叫ぶより先に。
「雑魚を下手につつく必要もないと思って放っておいたけど……まさかこんな大物だとは思わなかったわ。ねえ、【夜の魔】リューネ『ヨミ』」
聞き覚えのある声。
いや、そんなものではない。
ある意味、私にとっては最も安心できる声のはず、だった。
「か、母、さま?」
そこに立っていたのは【光輝の女神】ルミスヘレナ=アルウェルトその人だった。
しかしその表情はかつて私たちに見せたことがないほど険しい。
きっとこれは、母としての顔ではなく【神】としての顔なんだ、と四年前の私が思う。
「待って、待ってください、ルミスさん! リューネは悪い【魔】じゃない! リューネは……」
「黙りなさい、レウ。そういう問題じゃないのよ」
レウ様の必死の弁明を遮ったのは、庇われている側のリューネだった。
母さまはレウ様の言うことには耳も貸さず、私たちを守るように数歩前に出る。
「理解があって助かるわ、リューネ『ヨミ』。今から私は貴方を殺す」
「そう。……ねぇ、ルミスヘレナ=アルウェルト。二つだけ、お願いがあるの。いいかしら?」
「……聞くだけは、聞いてあげる」
「ありがとう。まず一つ目。その子たちをあまり叱らないであげて頂戴。初めの一回以外は、私がお願いして来てもらってたのよ。その一回目だって、元はと言えば貴女が二人に私のことを教えなかったせいでしょう?」
嘘だ。
私たちはいつも勝手にここに来ていた。
なのにリューネはこう言う。
私たちが何度も来なければきっと母さまにも見つからなかったのに、リューネはこう言うのだ。
「……二つ目は?」
「私が死ぬところ、その子たちには見せないであげてほしいのよ」
「……それだけ? 命乞いはしないの?」
「したら助けてくれるのかしら?」
「……いいえ」
「だと思った。ならやっぱり、その二つで十分」
「……そう。『転移』」
母さまがそう言った瞬間、景色が一変した。
森の中にいたはずの私とレウ様は、いつの間にか見慣れた我が家の居間に座り込んでいた。
その日、陽が落ちて暫く後に母さまは家に帰ってきた。
私たちを見て、リューネ『ヨミ』は殺した、と一言だけ。
また、もう絶対あそこには行くな、とそう厳しく言い含めたきり、あとは何も言わなかった。
私は、泣いた。
大声をあげて泣いた。
タマタ婆さまで初めて『死』を知った私にとって、一年足らずのうちに同じ形で大切な友達を喪うのは耐えられなかった。
なぜ殺したのかと。殺す必要なんてなかったのにと。
何度も何度も叫んだ。
やっぱり母さまは何も言わなかった。
思い付く限りの言葉で母さまを罵倒する私を止めたのは、レウ様だった。
レウ様も私と同じように泣いていたけれど、それでもレウ様は私を止めた。
あれから四年、私は【神】や【魔】について、とても調べた。
結局いくら調べても、あの時の母さまの振る舞いは正しかったとしか、結論は出せなかった。
【神】と【魔】とはそういうものなのだ。
本能よりさらに深い部分で決められた、敵。
お互いに深く理解しあっていれば、あるいは理性でそれを抑え込めたのかもしれないけれど、あの時の母さまにそれを求めるのは酷というものだった。
母さまは得体の知れない強大な【魔】から私とレウ様を守ろうとしたのだ。
それに、母さまはリューネの最期の望みを二つとも叶えた。
それは【神】失格とも言えるほどに、生温いやり方だった。
だから、今の私はあの結末に文句がないとは言わないけれど、少なくとも母さまへの恨みはまったくなかった。あの時のレウ様もそれを知っていたから、母さまを罵る私を止めたのだろう。
◆◇◆◇◆
目が、覚めた。
自分が泣いているのに気がついて、慌てて目元を拭う。
「……最悪の、気分です」
昨日と同じ、過去を異常にリアルに再現した夢のせいで、昨日は懐かしさで心が暖かくなったというのに、今日はあの時の悲しみや恨みを鮮烈に思い出してしまい、酷い気分だった。
もう一つ、昨日の朝と違うことには、家の中に人の気配がなかった。
窓から見上げた太陽から察するに、どうやら私は二日連続で寝坊してしまったらしい。しかも昨日以上の大寝坊だ。
一階の居間に、書き置きが残っていた。
『シエラちゃんが珍しく二日連続のお寝坊さんでとっても可愛かったので起こさないでいきます お母さんより
P.S ルミスさんから離れないようにするので心配しないで レウルートより』
相変わらず母さまの論理関係は意味不明だったが、そういうことなら自分の朝食でも用意するか、と思った矢先、さらに一つ昨日の朝と違う点に気が付く。
なんだか、外が騒がしい。
少し悩んで、朝食の前にそっちの様子を確かめようと外に出る支度をする間にも、喧騒はどんどん大きくなる。
本格的に心配になってきて、急いで外に出てみると、こちらに向かって走ってくる村の男性が一人見えた。
「あの、一体何が……」
「シエラヘレナ、様っ! 出てきては、いけませんっ……! すぐに家に隠れ……いや、森の方から、逃げ、て……」
男性の様子は明らかにおかしい。いくら走ってきたにしても、息の乱れ方が変だ。
不審に思ってよくよく男性を見ると。
背中に、矢が刺さっている。
悲鳴をあげかけ、そんな場合でないと呑み込む。
しかし、私に医療の心得があるわけでもない。
矢を抜き、服の袖を破いて作った布で傷口を強く圧迫するが、重要な臓器を傷付けたのか、血はまるで止まらない。
「わ、私は、もう、助かりません。早く、はやくにげて……」
「一体、何が!」
「賊、が、あなたを、ねらっ、て……はやく、にげて、くだ、さい……」
「っ! わかりました! もう喋らなくていいですから!」
「きゃあああああああ!」
今度は村の端の方から悲鳴が聞こえた。
迷ってる暇はない。
隣家に走り、扉を叩いた。
「私です、シエラヘレナです! 開けてください!」
「シエラヘレナ様……。っきゃあ!」
血をだくだくと流す男性を見て短く悲鳴をあげる隣人。
「この人を、お願いします」
「は、はい……。あの、何が起こってるんですか?」
「大丈夫。すぐに静かになります」
にこり、とできるだけ安心させられるように、笑いかけた。
男性を隣人に預け、村の端へ走る。
数分とかからず、元凶の元へたどり着いた。
「おいおい、まだ見つかんねぇのかよ!」
居た。きっとあれだ。
村では見覚えのない男たちが一、二……六人。
全員が手に武器を持っていて、辺りには血を流して倒れている村人が何人も居た。
その中で、最も私に近い位置にいた賊の男が座り込んだ若い村の人に剣を突きつけていた。
その男は体つきこそ頑強だが、凶悪の賊にはとても見えないくらい瞳には理性の光が見えた。しかし私は、それほど理性的な精神を持ちながら平然と他人に刃を向ける、という矛盾した人格に恐れを抱かずにはいられなかった。
「なあ、言えよ。シエラヘレナ=アルウェルトはどこにいるわけ?」
「けっ、お前ら、なんかに、教えるわけ、ねぇだろ」
「……はぁ。バカだなぁ、オマエ。もういいや、死ねよ」
よく見ると、顔中に殴られた跡があるその若い村人に向かって、賊の男は突きつけていた剣を振り上げた。
「っ、や、やめてください!」
大声で、叫ぶ。
男たちと村人、全員の注目が私に集まる。
私が誰かを知っている村人は表情を強張らせたが、誰も私の名前を口にはしない。
「あぁ? なんだ、オマエ」
「シエラヘレナ=アルウェルトに、よ、用が、あるんでしょう?」
「あぁん? ……!? ああ、まさか、おいおい! そういうことかよ!」
「だ、ダメだ、ダメです、そんな!」
「オメーは黙ってろ、よ!」
自ら名乗り出ようとする私を止めようとしたのか、先程の若い男性が賊の男に足蹴にされる。
「やめてください! 私がシエラヘレナ=アルウェルトです!」
「ははは、やっぱりか! ターゲットの特徴は『一目でわかる絶世の美少女』だとか、ずいぶんフザケた命令書だと思ったもんだが、こいつなら納得だ!」
「あなたたちに従います! だからすぐに村の人への暴力をやめてください!」
「しかも、イイコちゃん、ってなぁ! ま、仕事が楽でいいけどよ。おい、おめぇら! 目標が見付かった! さっさとずらかんぞ! おい、オマエはさっさと乗れ」
男は近くの馬車を指差す。
かなり大きい。十人以上はゆうに乗れるだろう。ということは、賊はここから見える人数の二、三倍はいるということだ。
もちろん、逆らわずに促されるまま馬車に乗る。これ以上村の人を傷つけさせるわけにはいかない。
「シエラヘレナ様……! そんな、俺たちのせいで……」
違う。逆だ。私のせいであなたたちを傷つけた。
「私は、大丈夫ですから。怪我をした人の手当てをしてあげてください」
安心させようと無理矢理笑顔を作って言う。
あとは逆らわないように、と大人しく馬車に乗った。
これでいい。これで村の人は助かるのだから。
馬車が動き出してからずっと、私は自分に言い聞かせるようにそれだけを心の中で繰り返していた。