011 魔法と固有能力と
「ところで、二人はどうして僕の行動がわかったの? 尾行されてるとは思えなかったんだけど」
「魔法よ。相手の行動を捕捉できる魔法があるの。魔力が通ったの、気付かなかった?」
「あー……面目ない」
「そうね……いい機会だから魔力の扱いとか魔法とか、二人に教えてあげる」
「わ、私もですか?」
「もちろん。今すぐにとはいかなくてもいずれ使えるようになりたいんでしょう? なら早めに慣れておく方がいいわ」
もちろん僕に否やはない。
シェーナも期待に満ちた瞳でこくりと頷いた。僕以上にやる気に満ち溢れている。
「シェーナは基礎の基礎、自分の魔力を感じるところからね。レウはもうそれはできるから練習あるのみよ。さ、魔力を流しなさい」
やはり親愛の情のある相手にこの能力を使うことはまだ躊躇われるが、そこはどうにか割り切る。リューネの厚意を無駄にするのも申し訳ない。
現在繋がっている感覚は視覚と聴覚の二つ。リューネに触れたり体を近づければ触覚や嗅覚も繋げるだろうが、そうなればコントロールはさらに難しくなってしまう。とりあえずは二感で侵す。
僕の体の中の魔力をラインを通じてリューネへ流し込む。流石と言うべきか陽が落ちたあとのリューネの力は凄まじく、ルミスさん以上の精度で抵抗された。しかし例のごとく魔力が空間にダダ漏れだ。
「最初よりはマシ程度ね。ほとんど使ってないからしょうがないけど……まあ数をこなすのが上達への近道よ」
「あの、私は……」
「んー、そうねぇ……。じゃあ、今から魔力を貴女にぶつけるわ。……ああ、多少の衝撃みたいなのはあるかもしれないけど痛かったりはしないから安心して」
そう言って、リューネはシェーナの胸に手を添えた。
すると、雷に打たれたかのようにシェーナは体をびくんとはねさせた。
リューネの口振りからすると、魔力を純粋な状態のまま流し込んだのだろう。僕にはまったく魔力の気配を感じ取れなかったが、正直に言っても彼女に呆れられるだけだ。黙ってこの不甲斐ない現状から脱却するための訓練に腐心する。
「中心は丹田のあたりに、そこから全身に隈無く巡る魔力の流れ。それを揺らしてみたのだけど、どうかしら?揺らぎ、感じられた?」
「は、はい。たぶん……」
「ならとりあえず次に行ってみましょうか。次は今の体内魔力を操ることよ。そうね……なら、指先にしましょ。魔力を集めてみてちょうだい。こんな感じに」
「指先……。……こう、ですか?」
「! 流石はルミスヘレナの娘ってとこかしら。ええ、それでオッケー。次は難しいわよ。今集めた魔力を体外で同じようにコントロールするの。人差し指から三センチくらいのところに集めたのと同量の魔力を維持しなさい」
「そのくらいならたぶん……。んんっ……ふぅー……すぅー……やっ!」
「……驚いたわね。まさかこれまで一発なんて。本当に才能あるわ」
どうやらシェーナは魔力の扱いに関して天性のものがあるらしい。
彼女がやったことの模倣はおろか、リューネが示したお手本の魔力すらも感じることができなかった僕と、それをしっかり理解してあっさり再現してみせたシェーナではまさしく天と地ほどの開きがある。
ヘコむ僕と反対に、リューネに誉められたシェーナは恥ずかしそうにはにかむ。
「そ、そうですか……?」
「ええ。この時点でもうレウより優秀だもの」
「うぐっ……!」
事実ゆえに反論はできない。甘んじて受け入れる。むしろそれを起爆剤に自らを奮い立たせる。
魔法の才能はないと断じられてしまった僕だが、固有の能力を操るのにも魔力制御の心得は大きな部分を果たす。疎かにはできない。
シェーナと同じレベルを求めるのは無理にしても、彼女が最初の魔法を習得するまでに僕は固有の能力を満足に制御することをこっそり内心で目標にした。
「それじゃ、最後で最大の難関。実際に魔法を使ってみましょ。その体外で操作してる魔力を他のエネルギーや物質に変換するの。初めてだから簡単なのでいきましょうか。よく見てて。『点火』」
ぽわ、と小さな灯火がリューネの指先数センチの位置に突如表れる。まぎれもない魔法だ。
僕のポンコツな魔力感知能力は、実際に魔法が行使されてようやく働くらしい。今までの明確な存在を持たない魔力と違って、小さな炎の形をとった今度ばかりは、流石にしっかりと魔力の気配を捉えることができた。とはいえ、どんな風に変換したのかがまるでわからない辺り、我ながら本当に才能がないのだと辟易してしまう。
「形の無い魔力に現実の形を与えて呼び出すのはかなりコツがいるから、これは一筋縄ではいかないでしょうけど、慌てなくていいわよ。何度も挑戦と失敗を繰り返して――」
「んー……『点火』」
ぽわ、と小さな灯火がシェーナの指先数センチの位置に突如表れる。まぎれもない魔法だ。
…………僕は正直ちょっと心が折れそうだった。
数十回の試行を経て、半分ほどだった漏れ出し魔力をようやく四割ほどまで抑え込めて歓喜に浸っていた僕を嘲笑うかのように、あっさりと、本当にあっさりと魔法を使ってみせたシェーナ。僕が黙りこくってしまったのも無理はないはずだ。
その驚きは僕だけでなくリューネにも共通だったようで、彼女もポカンとしている。今なら僕の能力で支配できてしまうんじゃないかというくらい隙だらけだった。
「あ、あの……? ええと……私は上手くできたと思ったんですけど……。何か失敗してましたか?」
「……レウ、貴方もうシェーナから教わりなさいよ」
「それはいくらなんでも僕のプライドが許さないかなぁ……」
まるで検討違いの憶測に不安そうにするシェーナをわざわざ宥めるのも馬鹿らしくなったのか、あるいはあまりに出来に差がある二人の教え子を見て劣る方に皮肉の一つでも言いたくなったのかはわからないが、リューネは投げやりにそんなことを口走る。
しかし、王子である僕の目標はあくまでシェーナを【神】として従えることであって、断じて彼女に師事したいわけではない。というか、僕より魔力制御の訓練を遅く始めた幼馴染みの少女に教えを乞うのはなんとも情けなくて遠慮したいところだった。
「冗談よ。一般の魔法の魔力制御と固有の能力の魔力制御じゃ多少なりとも勝手が違うもの。私はどちらかといえば固有の能力は苦手な方だけど、流石に【神】としての覚醒もまだのシェーナよりは教えられることもあるわ」
「固有の能力……私もいずれは使えるようになるんですよね?」
「そうね。でもレウみたいなのは期待しない方がいいわよ。こんなに強いのはかなり異例だから」
「どんな能力になるんでしょうか?」
「細かいことはわからないけれど、大雑把に言えばルミスヘレナとアルウェルト『シルウェル』の性質の折衷のような形になるはずね」
「母さまと父さまの? ……性質の、折衷?」
「レウを例に引いてみましょうか。レウに【魔】としての力を授けたのは私、【夜の魔】リューネ『ヨミ』。二人には昔、話したと思うけれど、私の【夜の魔】としての本来の能力は日中の弱体化と日没後の強化。昼の私はレウにも太刀打ちできない程度の弱小な【魔】だけれど、夜の私ならルミスヘレナにだって勝ちうるわ」
リューネが自身を『固有の能力は苦手』と評したのもこの辺りに原因がある。ぶっちゃけ言って、リューネの能力は弱い。
固有能力だけが肥大した僕のような場合は例外にしても、ルミスさんの光に質量を与えて操る能力や、ギュルスアレサの視界内の自由発火と燃焼速度の操作の能力、アルウェルト『シルウェル』の触れた相手に致死、麻痺、誘眠など多様な効能の毒を自在に流し込む能力、僕が見知った能力の中で最も強大だと感じた【世界の神】ゴルドゼイスのこの世界と他の世界を隔てる境界そのものに干渉する能力など、様々な能力が溢れるなかでデメリット含みのリューネの能力は明らかに劣る。
一応フォローを入れるなら、夜の力の上昇には目を張るものがある。最上級神であるだけでなく相性で不利がつくルミスさん相手にも五分以上の勝機を見出だす夜リューネの力はとてつもなく、タイマンなら王子の従える全ての【神】を一蹴できる。
ちなみに、ゴルドゼイスの能力は最早僕にもどういった力なのかよくわからないが、幸いなことにはアレは王子ではなく王に仕える【神】であるために僕とぶつかる可能性が低い。せめてもの安心材料か。
閑話休題。
「だけど、それとは別に私はかつて【王の魔】ヨミを倒して力を奪ったために彼女の能力も扱えるの。……つまり、注いだ力以上の力を持つ眷属を生み出す能力と、眷属への絶対支配。…………今まで黙っていてごめんなさい。貴方を眷属にするときに話さなかったのは本当に不誠実だったと思うわ。でも、私はレウにこの力を使うつもりは……」
「ああ、いいよ、別に。知ってたし」
「絶対に無…………え?」
「シェーナも知ってたでしょ?」
「はい。その辺りの話は済んでるものだとばかり」
「ど、どうして……」
「リューネはともかく、【王の魔】ヨミは有名だからね。君がルミスさんに封印されたあと、ちょっと調べれば能力まで出てきたよ。リューネの名乗りの時点でヨミを喰らったのはわかってたし」
「そうじゃない!ならどうして、貴方は私の眷属になんか……」
「身も蓋もないことを言っちゃえばシェーナを助けるために唯一の手段だったからなんだけど。でもまあ、リューネを信頼してたからっていうのも本当だよ」
実際のところ、厳密に言えば唯一でもなかったわけだし。
例えば、ルミスさんと『シルウェルの顎』の助力を得てリューネを殺して、僕が【英雄】としてシェーナを救う手もあった。
にもかかわらず、僕がその手を取らなかった理由は、単にリューネへの親愛によるものだ。いや、僕だけじゃない。シェーナ自身やルミスさんさえも。あの局面でなお、リューネの屍の上にシェーナを救い出すことは望んでいなかった。そういう意味ではやはりあれが『唯一の手段』という言い方も間違いではない。
仮にあの森にいたのがリューネ以外の【魔】──例えば【王の魔】ヨミ──だったなら迷わず僕はそいつを殺して【英雄】になっていた。それが僕への絶対支配なんて物騒な能力を持つ相手ならなおさら。しかし、その危険性の判断にリューネへの親愛が勝ったからこその今の結果なのだった。結果論的に言えば万々歳だ。
「だから、そうだね。なぜ僕が君の眷属になったかと言えば、つまるところ君を愛していたからだよ」
「……ふぇっ!?」
「リューネ、レウ様の語る愛を真に受けてはいけませんよ。この人、息するみたいに女性を口説く人ですから」
リューネがかつて聞いたこともないような可愛らしい声をあげたのと対照的に、シェーナは落ち着き払ったというか最早冷淡ともいえるほどの対応だった。しかもさりげなく酷いことを言われた。まるで僕が色狂いかなにかのような言い草だ。
リューネはあられもない声を出したのを取り繕うかのようにコホン、と咳払いをひとつすると、
「ちょっと話が逸れたわね。元の話に戻るわ」
「なんの話でしたっけ?」
「固有能力がいかに決まるか、よ。レウを例に引いたとき、第一に力を注いだ主たる私の因子がある。それは私本来の【夜の魔】としてのものだけでなく、【王の魔】としてのものも含めてね。それに加えて、レウにはアルウェルト『シルウェル』の『加護』がついている」
「ふむふむ……って、待った待った! どういうこと!?」
リューネは今、さらっととんでもないことを言った。
『加護』というのは【英雄】が使う魔法の一種で、効力としては【魔】が力を注いで眷属を作るのに似ている。すなわち、究極的にはその【英雄】の力のほとんどを注ぎ込まれた『英雄の遺物』──まさしく今もシェーナが首から下げている『シルウェルの顎』のような──に、もっと小規模にはほんの少しの気休め程度のものとして、鉄火場に臨む【英雄】が戦友や家族といった親しい人に施すものだ。話としてはよく語られるものだし、【英雄】が珍しくなかった王宮では【英雄】の『加護』もまた珍しくはなかった。
だから、それは構わない。王宮にいた頃でもそこまで彼らと深く縁を結んだ覚えはないが、当時関わりがあった相手から実は施されていたという話なら納得もできよう。
けれど、リューネが挙げた名前。アルウェルト『シルウェル』。
それは、ありえなかった。
シェーナの父親である彼は、確かにある意味では僕と十分に縁は深い。それだけなら『加護』くらいもらっていてもおかしくはないかもしれない。
だが、問題はもっと根本的だ。アルウェルト『シルウェル』は十二年も前に死んでいる。すなわち、僕とシェーナが出会うよりも前に。
「ま、疑問に思うのもわかるけど、今そこに道草食うとさらに話が脱線するからまた今度ね。で、今までの話を総括すると、レウの中には【夜の魔】リューネ、【王の魔】ヨミ、【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』の三つの因子がある。って言っても、私の因子はかなり薄いみたいだけど。眷属は主の不足を補うものだから主の得手は現れにくいと聞くけど、そういうことなのかしらね」
「あ……だから、レウ様の能力は『毒のような魔力で相手を支配する』ものになった……? それが、『性質の折衷』ですか」
「そういうこと。レウの発現はちょっと素直すぎるけどね」
「私の場合はもっと複雑になるんでしょうか?」
「複雑というより抽象的、かしら。貴女の場合というより一般論としてね」
「母さまは【光輝の女神】で父さまは【毒蛇の英雄】……。折衷……」
そんな素直に考えてもドツボにハマるだけよー、とリューネは楽しそうに笑いながら言う。難しい顔をしてうんうん唸るシェーナが物珍しくて僕もつい吹き出してしまう。
二人して彼女を見て笑うものだから、彼女は気分を害したように僕らをにらみつける。が、すぐに彼女もつられたように笑い出した。
シエラヘレナ=アルウェルトが一体どんな【神】になるのか、この時はまだ誰も知らなかった。