107 問答と戦略と
「なるほど……。クントラ中佐を。いえ、想像以上に妥当な所だと思います。文句はありません」
「オーケー。みんなはどうだい? ここまでの話に、質問や反論はある?」
皆を見渡し問いかける。ここに集うのは命を預け合う仲間だ。疑問も不満も早いうちに解決すべきであるのは言うまでもない。
おずおずと、やや遠慮がちに一本の手が上がった。
「エドウィン。質問? 反論?」
「……どっち、かね。どちらでもない、ただの文句かもしれない」
「いいよ。聞こう。聞かせてくれ」
「レウルート。お前は言ったな。勢力を伸ばすためにクラシス王子の支援者を吸収する、って。それはつまり、貴族と手を組むってことか? 俺は……それは嫌だ」
「おい、エドウィン、そりゃあ……」
「ああ、そうだ。これは俺の個人的な事情だ。国のためでも、仲間のためでもない。大義なんて欠片もない、俺の我が儘だ」
いや。彼のその言葉を、僕は我が儘だとは思わない。
彼らの……平民の中には、貴族との重大な確執の経験がある者も少なくない。その深刻さの如何は事情を知らぬ他人からは計れぬものだ。実際に、そういった確執の存在が僕に与する動機になっている仲間もいるはずだ。没落王子を王にして奴等の鼻を明かしてやろう、という訳である。
それに、大義云々については僕に他人のことを言えた義理はまったくない。僕がしようとしているのは、ただ自らのために国の政を専横することだ。大義とはほど遠い。
ゆっくりと、言葉を選びながら彼の意見に応える。
「……エドウィン。もし君がどうしても僕の作戦を受け入れられないのなら……ごめん。今回ばかりは僕の我を通させてくれ。セリファルスごときに君たちに殺させるわけにはいかないからだ。君たちは僕が守らなくちゃいけない」
「守らなくちゃいけない、とはずいぶん傲慢な言い様だな」
「……ごめん」
「……いや、すまん。嫌味を言った。お前が俺たちを大切に思ってくれてるのはわかってるし、ありがたいとも思ってる。だが、それでも俺は貴族とは……」
「ああ、エドウィン。どうしても相容れないとなれば、君はもう降りてもいい。今すぐ、とはいかないけれど、どうにかして君は逃がしてみせるから」
僕の言葉に、エドウィンがきゅうと歯噛みする。
そうだ。彼だって、こんなところで放り出すのが本意であるはずがないのだ。
死んでいった仲間たちへの借りがあるだろう。生きている仲間たちへの義理があるだろう。あるいは、自らの栄光を望む欲もあるかもしれない。そこにもし、僕への義理や想いもあるならば、ちょっと嬉しい。
「……ただ、その前に一つだけ、君の誤解は解いておきたい」
「誤解……?」
「ああ。君はさっき、貴族と手を組むのか、って聞いたね。それは違う。手を組むんじゃない。僕らは奴らを従えるんだ。そこには明確な序列がある! つまり、奴らが下。君たちが上だ」
「! 本気か……?」
「当たり前だ。約束しただろ、君たちを栄達させるって。この国の全ての身分差を取り払うっていうのは流石に厳しいけど、ここにいる君たちを取り立てるくらいなら簡単だ。軍の要職でも、王族近衛でも、僕が王になれたなら好きなようにできるさ。そこらの貴族じゃ歯向かうことも出来ないような地位を与えられる」
エドウィンは、黙って瞑目する。僕の言葉を噛み砕いている。
彼と僕に皆の視線が集中する。
すぅ、とエドウィンが目を開いた。
「レウルート。もう一度聞きたい。お前は本当に、貴族たちのためじゃなく、俺たちのために王になるつもりなのか?」
「僕が王になるのは僕のためだ。僕が、僕の大切な人たちを守るためだ。けれど、ああ。僕にとって貴族連中なんかはどうだっていい。必要があるなら貶めも殺しもする。わずかも躊躇わないと思う。でも、君たちのことは大切な仲間だと思ってるよ。絶対に失いたくない。そう思ってる」
「…………そうか。わかった。今はお前の言葉を信じることにする」
ほぅ、と小さく息をつく。
とりあえずの信頼でも今はいい。
だって、僕はずっと正体を隠して、目的を秘めて、彼らの横で素知らぬ顔して笑っていたのだ。何も知らぬ彼らを巻き込むことになる可能性があることをわかっていながら、へらへらと笑っていたのだ。真相を聞いたとき、僕に裏切られたように感じた仲間だっているに違いない。
その僕を、あのヤリアの戦場で背中を預けあった、というただ一事で以て無条件に信じてくれるなんていうのは、およそ期待していいことじゃない。
……けれども、エドウィンは一応の信頼をくれた。それだけで、僕にとっては大満足だ。
「他には、誰か? 何かある?」
挙がる手はない。
皆の内心まではわからないが、少なくとも今正面切って疑問や不満をぶつける気のある者はいないようだ。
「言いたいことがあったら今じゃなくてもいいから、みんな躊躇わずいつでも言ってきて欲しい。じゃあ、話を元に戻そうか。……ええと、何の話だったっけ?」
「クラシス王子を討つためにクントラ中佐を味方に引き入れなきゃいけないって話だろ。で? 算段はあるのか?」
「タイミングはどうする? 今すぐにかかるか?」
「待て待て、王子を討つのはいいが、目の前の戦争はどうするんだ? まさかほっぽってくわけにもいかんだろ」
「ていうか、私まずクリルファシートの連中ぶっ殺したいんだけど」
話が戻った途端、わあわあと誰も彼もがいっせいに騒ぎ出す。
生憎だけど、ヒトから逸脱した【魔】でもなんでも一度に答えられる質問は一つだけだ。僕に口は一つしかついてない。
「待った待った、いっぺんに聞かないでよ。順番に答えるからさ。まずは、算段ね。うーんと、これは残念だけどぶっちゃけ無いに等しい。君たちを誘ったときみたいに地位を餌にすることはできる。あるいは金とか、場合によっては貴族位とかも。一般的な報奨に当たるものなら、およそなんでも用意はできる」
「ま、王様になろうってんだから、そうだろうな。それじゃダメなのか?」
「これにはちょっとした問題がある。クントラ中佐がそういう俗っぽい褒美で釣れる人なのか、ってのがわからない。この辺は仲間内じゃ一番中佐と付き合いの長いアルフに聞こうと思ったんだけど」
「中佐の人となり、ですか。さて、どうでしょう。私もさほど深い付き合いをしていたわけではないので。しかし……そうですね。彼の目的なら知っています」
「中佐の目的?」
僕の疑問に答えたのはアルフではなくバークラフトだ。
「貴族と平民の権力の均衡化だ。一定程度の分権、とか言ってたかな。前に大尉と一緒に呼び出された時に聞かされた」
「ふぅん……。ってそれ、結構大事なこと言われてない?」
「そうだな。中佐からしたら、貴族から政治権力を奪い取る相談ってかなり大事だろうな」
「……もしかして、君たち案外彼に信頼されてる?」
「信用というよりは、彼ら新米士官を引き込む他に手がないのでしょう。【英雄】のマサキ大尉は言うまでもなく、今の平民閥には士官自体がまるで足りていませんからね。もうあまり余裕がない中佐には、それしかない」
「……ヤリアの敗戦の影響か」
「はい。あれは彼の経歴に小さくない瑕をつけました。そうでなくとも彼を疎ましく思っている者は多いというのに」
「なら、クントラ中佐は今回の戦で何かしらのアクションを起こすかもしれないな」
今のクントラ中佐にとって喉から手が出るほど欲しいのが実績だ。ヤリアの失態を払拭するほどの実績。それには、戦で手柄を挙げるのが一番手っ取り早い。恐らく彼は、そのための機会を自らの手で作り出そうとするだろう。
そのことが必ずしも僕らにとってプラスに働くかはわからない。
「お前もそう思うか。なら、中佐が余計なことを始める前に説得に入るか?」
「……いや。最初はそのつもりだったけど、タイミングは後にずらそう。中佐に余裕がないってことならこっちは彼が行動を起こすギリギリを狙いたい。考える時間を奪った上で選択を迫る方が上手くいきそうだ。てことで、監視が必要だね。ツトロウス」
「はいはいっと」
「中佐の動向を常に把握しておきたい。常時の監視と会話の盗聴、できるか?」
「おまかせあれ」
ツトロウス『メイ』は慇懃に深々と僕に礼をとった。
「私とバークラフト大尉は中佐との接触を増やしておきましょう。彼がことを起こすとなれば、我々には話を通されるでしょうからね」
「頼む、アルフ。後はキュリオ少佐とエヴィル少佐もだね。彼らも中佐の腹心だろう」
「キュリオ少佐はまあウチの連隊長だから話す機会もあるとは思うが、エヴィル少佐はどうかな……」
「無理ならいいさ。怪しまれても良くないからね。てわけで、クリルファシートにどう対処するかは中佐の動き次第になる。ま、万一向こうから仕掛けてきたとしても大きな問題は無いよ。こっちには【英雄】五人分、十分すぎる戦力があるから。さて、これで話は……っと、そうだ、最後にひとつ」
「なんだ?」
「セリファルスのスパイがすでにこの軍の中にも紛れ込んでいる。気をつけて」
「マジかよ……。面子は?」
「もう割れてる。そこは安心していい。けど、奴らに僕のことがバレたら最後、セリファルス本人が全戦力をもって僕を殺しに来るだろうね」
「キツいな……」
「そいつらを殺すと足がつくからまだ放置だ。ま、【英雄】は一人もいなかったから大した敵じゃあない。外では言動に気を付けてってくらいかな。それより、問題なのはこのあとだ」
「これから俺たちが合流する、貴族閥の本隊……!」
「そう。むしろセリファルスが影響力を強く発揮できるのはそっちの方だ。あいつの手が及んでないって考える方が不自然さ。それにきっと、そっちには【英雄】もいる。何人動員してきてるかはわからないけどね」
「つまり……俺たちはその何人いるかもわからない【英雄】を躱し」
「クントラ中佐を籠絡して味方につけ」
「クリルファシートとの戦いを生き抜いて」
「その上で、クラシス王子を討ち取らなくちゃいけない……ってことか?」
マサキ、ハーレル、ダヴィドと言葉を継いで、バークラフトが締めて状況を纏めてくれる。
僕は、にこやかに笑って頷く。
「うん、そうなるね!」
「無茶苦茶言うなお前……」
「あはは。でもやれなきゃ死ぬ。それに、僕は君たちならやれるって信じてるよ」
「安いおだてだなコノヤロー。……いいぜ。やってやる。お前を王にするって決めたときから、こんくらいの困難は覚悟の上だ!」
これが、僕らの新たな戦いの始まりだった。
◆◇◆◇◆
「いやぁ、バークラフトが寝床を用意してくれて助かった! 危うく夜空の下で一晩明かす羽目になるところだったね!」
「迂闊でした……。なまじ全員が高速で移動できたばかりに、旅支度を忘れるなんて……」
「ま、いいじゃない。こうしてなんとかなったのだし」
バークラフトが融通してくれた天幕を僕らは素知らぬ顔で他の兵員のそれの隣に並べ、今夜の宿を手に入れていた。これだけの兵士の数、士官用の天幕だけでも数十は立っている。一つ二つ増えたところでどうってことはないだろう。僕やシェーナと面識のあるキュリオ少佐たちにさえ気を付けていれば問題はない。
その中で腰を下ろし、とりあえず一息つく。クントラ中佐がどういう行動に出るにせよ、それは本隊と合流して敵と対峙してからのことだろう。それまでは束の間の休息だ。
「お疲れみたいね?」
「ん……。いや、平気。それより、ごめん。リューネ、シェーナ。二人ともちょっと席をはずしてもらっていいかな?」
「「?」」
疑問符を浮かべる二人に説明するより、彼らを呼んだ方が早いだろう。
呼びかけるのは、天幕の外。
「そんなところに居ないで入ってきなよ」
僕がそう誘えば、外から決まり悪げに数人の男たちが天幕の中へと入ってくる。
もちろん知らない相手じゃない。
「気づいていたのか」
「やあ、ヤコブ。アガート。ジョゼフ。ロイク。四人も揃って、僕に何か話かな?」
「っ……。……ああ、そうだ、レウル。俺たちは、お前と話をしにきた。お前と……ケリをつけにきたんだ!」
ヤコブは吼えるようにそう言って僕を睨み付けた。