105 不安と合流と
ここ数日多忙で投稿が遅れてしまいました。ご容赦ください。
「なあ、バークラフト。今どの辺りだ?」
「今? 行程通り進んでればちょうどウェルサームとクリルファシートの国境辺りのはずだが」
クリルファシートとの戦争に向け、クントラ中佐はその勢力下にある平民閥の兵士のほぼ全軍を動員した。
その数、戦闘要員だけで四千八百余り、そこに支援要員の千七百を加えればしめて六千五百にもなる。文句なしの大軍勢だ。
その中核を為す第二連隊を構成する五つの大隊のうちの一つ、第二大隊の指揮官となったバークラフトと、彼の直属の部下となる中隊長の立場を任された俺は、同じく中隊長の地位を与えられた仲間達と共に全隊の中ほどを行軍していた。
その最中に発せられたダヴィドの問いに、バークラフトは手元の地図と辺りの地形を照らし合わせながら答えた。
「あああ……とうとうそんな近くまで来ちまったか……」
「戦線は押し込んでるからもう少し先だけどな」
「でももう目と鼻の先だろ!」
「そこまでにしとけ、ダヴィド。ビビるなとは言えんが、表には出さないでおけよ。兵の士気にも関わる」
ハーレルがやんわりと恐怖に声を荒げるダヴィドをたしなめた。これから死地に赴くことを思えば、恐れを表すことすら許さないのはいささか酷な言いようにも思えるが、言っていることはなるほど正論ではある。
それに、そう言うハーレルにも恐怖はあるはずだ。いや、ハーレルだけじゃない。バークラフトも、フリッツも、そして俺も。それでもみんなその恐怖を必死に押し隠しているのだ。
「……そう、だな。すまん」
「謝ることはない。気持ちはわかる。傷の舐めあいなら後でいくらでも付き合ってやるさ」
ハーレルのなんとも後ろ向きな言い様にダヴィドも力なく笑った。
と、前方から騎乗した人物が近づいてきて声をかけてきた。
「おい、バークラフト大尉!」
「キュリオ少佐! なにかありましたか?」
「何ってこともないが。伝令だ。今日の進軍はここまで。夜営準備に入れ。ま、ここまでくりゃあ明日には最前線のウェルサーム軍に合流できるだろうよ」
「は! しかし、少佐自ら伝令の役目をされるとは……」
「ま、暇だったんでな。中佐とエヴィルとガルド大尉への伝令はちゃんと部下に行かせたんだから、少しくらいいいだろい? で、アルフはどこだ?」
「アルフ大尉は麾下の第三大隊と共にいらっしゃると思いますが……」
「そうか。ならアルフへの伝令はお前らに頼もう。本来はこういうのは連隊長から大隊長へ指示を下ろす決まりだが……まあ構わんだろ。第三大隊にはお前らから話を通す方が早そうだ」
「はぁ……。少佐がそれでよろしいのであれば」
確かに、アルフ大尉率いる第三大隊は俺たちと同じ、元平民科三組の連中が多数配属されている隊だ。彼らはについて言うに及ばず、大隊長のアルフ大尉もいろいろな意味で俺たちとは縁深い。連携も密に取れており、命令の伝言くらいはお安いご用、といったところではある。
が、しかし、軍の規則としては決して誉められたやり方ではないのも事実だった。
「ま、今はまだな。気楽な遠征気分でいられる時間ももうそう長くない。今夜が最後の平穏な夜かもしれねぇとなれば、軍規できつく縛り過ぎるのも考えものだろうよ」
「…………」
「ああ、すまん。脅かすつもりじゃあなかったんだが。あー……アルフへの伝言、頼んだぞ」
つい漏らした失言のせいで妙に暗い雰囲気になってしまった、と気まずげな表情でそそくさとキュリオ少佐は去っていった。
……大丈夫だ。たとえ本当に刃を交えることになったとしても、俺たちは絶対に死なない。俺が死なせない。
「……さて。んじゃ、夜営準備だ。マサキ、アルフ大尉のとこ、頼んでもいいか?」
「はいよ」
バークラフトの指示。
キュリオ少佐に頼まれた、命令の言伝だ。
伝令くらい指揮官ではなく兵卒にやらせれば、とは思わない。バークラフトがわざわざ俺に命令を出した、その意図するところを汲み取れないような付き合いの俺たちじゃない。アルフ大尉とは伝令以外にもしておくべき話がある。
「中隊長! バークラフト大隊長とのお話は……」
「おう、アーロン。今日の行軍はここまでだ。第一中隊夜営準備……は、悪いんだけど、お前がやらせといてくれ」
アルフ大尉に会うため歩いていたその途中、自分の指揮する隊の真横を通りすぎた折、部下に見つかった。
俺がアーロン、と呼んだ彼は、ついこの間までラーネ=ハウリー伯爵の砦で一緒に働いていた兵士の一人だ。この場に生きて立っていることからもわかるように彼は平民閥の支持者であり、今回の出征においては俺の副官に採用した人物だった。
「は! 中隊長はどちらに?」
「使いっぱだよ。アルフ大尉の所に、ちょっとな」
「了解いたしました。では、マサキ中隊長がお戻りになられるまでに済ませておきます」
「任せた、副隊長」
砦にいた頃から平民閥の士官として下にも置かない扱いをされてはいたが、俺が【英雄】に──【剣の英雄】になって一層、彼らからの尊敬や期待は大きくなったように感じられる。もちろん悪い気はしないし、力を持つ者として負うべき責任の一つだとも思うが、息苦しさや堅苦しさを感じることもある。良くないとは思いつつも、ついつい対等に話してくれる仲間とばかりつるんでしまいがちにもなる。
(あいつも……アークのやつも、ヤリアじゃこんな風に感じてたのかね)
ヤリアでのアークももしかしたら、唯一の【英雄】として同じような重みを感じていたのかもしれない。
そうだとすればきっと、あのときのあいつにとって俺やバークラフトやダヴィドや……一緒に戦っていた仲間達は対等なそれではなかったのだろう。アークにとっては守ってやらなくちゃいけない、そんなか弱い存在だったのだろう。
あの戦場であいつにとって対等に肩を並べられる仲間は、シエラさんだけだったのかもしれない。
それは……、
「は、情けねー……」
マグマのような熱量と勢いで湧き上がる様々な感情を、俺は自嘲気味に笑って誤魔化した。
そんな考えに意識を割いているうちにすでに目的地に着いていたらしく。
「おや、マサキ大尉。どうしましたか?」
「! アルフ大尉。あ……ああ、すいません。少し考え事をしていて、ぼうっとしていたようです。キュリオ少佐からの伝言で。今日の進軍はここまで。夜営の準備を開始しろ、と」
「ええ、了解しました。わざわざどうも、マサキ大尉。……少し、話していきますか?」
「……ええ、ではお邪魔させていただきます」
「では、少し場所を移しましょう。エイヴ少尉、あとはお願いしても?」
「任せてください、大尉!」
「おっ、ちゃんと仕事してんじゃん、エイヴ」
アルフ大尉に命じられた男は、元士官学校平民科五組のメンバー。あのヤリアの地獄のような戦場を生き抜き、アークに仕えると決めた仲間の一人だった。
「うっせ! お前はとっとと大尉とのお話終わらせて自分の仕事に戻れよ!」
「おいおい、今はもう俺だって大尉だぜ? しかもほら、【英雄】だし!」
「ばーか。ナマ言うのは仕事してからにしとけ」
「ふふふふふ、悪いがこれも大尉の特権と言うやつだよ。君はキリキリ働きたまえ、エイヴ少尉」
「おう、上等だ。戦場じゃせいぜい背中からの矢に気を付けるんだな!」
「はは、おっかねー。じゃ、話の方はとっとと終わらせますかね」
「そうしとけそうしとけ。内容はあとで大尉から共有されとくから」
俺とアルフ大尉の話の中身が軍務に関わるものじゃないことは、こいつにも察しがついているようだ。
第三大隊の他の中隊長たちと共に作業に当たるエイヴから離れ、人気のない辺りまで俺とアルフ大尉はやってきた。
「仲がいいですね」
「えっ?」
「貴方とエイヴ少尉が。……いえ、貴殿方全員が、でしょうか」
「そうですか? 士官学校の同期ですし、こんなもんじゃ?」
「階級や立場の違いにも関わらずあれだけの冗談が言い合えればかなりのものだと思いますよ。いえ、ですが、それより今は本題に入りましょう。周囲は?」
「……大丈夫です。人の気配はありません」
「結構。では、まず……彼からの連絡は未だ?」
「はい。音沙汰も」
彼──わざわざ大尉がぼかすように示した人物。言うまでも無い。アーク……レウルート=スィン=ウェルサーム、すなわち俺たちが仕える主のことだ。
「参りましたね……。……これは念のためですが、彼がもう死んでしまっている可能性は?」
「それは俺たちの間でも何度も考えました。けど、あのリューネ『ヨミ』と【神】の戦いを見た人間として感想を言わせてもらえば、それはないと思います。あの【魔】は本当に、王子レベルの権力者が全力を傾けて初めて討伐できる、本当に規格外の存在です。【神】ですら足りない。【神】に加えて、軍勢と呼ぶべき大きさの兵力が要るはずです。けど……」
「セリファルス王子をはじめ、王子が大きな戦力を動かした気配はない。ええ、これは間違いないでしょう。フレッド隊長……失礼、フレッド少尉と彼がかつて手ずから育て上げた諜報部隊の調べですから」
「いやぁ、その件はありがとうございました。本当にありがたかったです。教官を動かしてもらえて」
「それも貴殿方が居たからですよ。私がただ、王子が手勢を動かさないか調べてほしい、などと頼んでも無意味だったでしょう。彼は政治はもうこりごりに思っているでしょうから。あのヤリアの……フレッドの教え子が何人も死地に追いやられたあの戦場が政治によるものだったかもしれない、という話があったからこそ、彼も重い腰を上げたのです」
そう、俺たちはアークからの連絡を受けられなかった間、苦心の末にフレッド教官を仲間に引き入れていた。とは言っても、教官に全てを話したわけじゃない。というか、ほとんど話していない。アークが生きてることも、その正体が王子であることも、俺たちがあいつの配下であることも、何も話していない。ヤリアの背景についてだってクントラ中佐の予測だと言って説明したし、セリファルスをはじめとする王子が絡んでくるのもあくまで軍の権力争い絡み、と話した。
軍の権力争いから王族に話が飛ぶその突飛さに教官が何も思わなかった訳ではないだろうが、それでも彼は俺たちの頼みを聞き入れてかつての同僚や部下、すなわち王都警邏隊の支配的な主流派閥であるフレッド派と連絡を取ってまで俺たちに協力してくれた。それは偏に、俺たち教え子を想ってのことだ。
……そんな教官を騙して利用していることに対する罪悪感も勿論ある。それでも今の俺たちにはこれが最善手だった。
「そう気に病むものではありません。フレッドを利用すべきだと言い出したのは私で、実際にそのように動いたのも私です」
「……いえ、大尉。あなただけに責を押し付けるつもりはありません」
「そうですか。考え方は自由で結構ですが、いずれにしても気にしすぎていいことはありません。戦場であれば尚更に。フレッド隊長への謝罪や償いのことは後で考えるべきです」
「……ええ。ありがとうございます、アルフ大尉」
「はい。では、話を進めましょう。彼が生きているのならば、なぜ彼からの連絡は来ないのか、どうしたら彼との連絡が取れるのか、次に考えるべきはその点で──」
「いいや。それはもう考えなくていい。それと……ごめんね。ずいぶんと君たちには心配をかけたようだ。アルフ、マサキ」
アルフ大尉のセリフを遮って響いたのは、傲慢なまでの自信に溢れた声色だった。知らない声じゃない。むしろそれは、ずっと待ち望んでいた男の声。
俺と大尉の名を呼んだ声の源を探り、真上を見上げる。
そこには、ああ、そうだ。
貴種性の証たる燦然と輝く金髪。人を惹き付ける不思議な笑顔。王者の如き貫禄に溢れた所作。どれも見覚えのあるあいつのものだ。
「アーク!」
「や、こないだぶり、マサキ。さあ、時は満ちた。王子を討つぞ」
そう言って、レウルート=スィン=ウェルサームはまた笑った。