102 旧知と因縁と
「え? てことは、シルウェはもう少しこの離宮にいるってこと?」
「はい。そう長い間ではありませんが、どうぞよろしくお願い致します。ルイさん」
レウ様から大雑把な今後の方針を聞かされた後もアイシャ様とレウ様はまだなにごとか相談し続けていたが、そこは私の領分ではない。
私だけ先に部屋から退出してメイドとしての仕事に戻ることにした。まずはやるべき仕事の指示を仰ぐことから、と考え、マリナメイド長の居そうな場所を聞くために訪ねたメイドたちの休憩室では、ミリル様に仕えるメイドの一人であるルイさんがちょうど休憩を取っているところだった。
「ルイでいーよ。あたしも呼び捨てにしてるから。いやー、でも良かった、シルウェがまたここに来てくれて! 教わりたいこととかも色々あったんだよねー」
「私でなくともエマさんたちに聞けばいいのでは?」
「そのエマさんがシルウェに聞けって言うもーん」
「それは……過分な評価です。能力を買っていただけるのはありがたいですが」
「そんなことないって! あたしだってまさか新米メイドに専門の掃除で遅れを取るなんて思わなかったし。シルウェはまだ専門も決まってないんでしょ?」
「そうですね。私は元々どなたかにお仕えするために学んでいた訳ではなかったので。師事した方が偶然、貴人にお仕えしたことのある人でしたからなんとかなっているだけで」
「それでなんとかなるのが凄いんだって。んー、でも、仕事のためじゃないならなんのためにそこまでの技術を?」
「それは……秘密です」
「えー。そう言われると気になるんだけどー! 教えてよー! ねぇ、ねぇ!」
「……笑いませんか?」
「笑わない笑わない! ね、だから教えて!」
「…………。その。……花嫁修行、です」
「ほぉーう! ほうほうほうほう!」
私が言った瞬間、ルイはにやにやといやらしい笑みを浮かべてにじり寄ってくる。
笑わないと言う約束はどこへ、などと文句を言うよりも先に危機感が先に立つ。まさか襲われはしないだろうが。
「う……。なんですか」
「かっわいいー! うそうそ、なにそれ! うわうわうわぁっ! お嫁さんになるためにそんなに頑張ったってこと!?」
「……だから言いたくなかったんです」
「いやいやいや、いーじゃん、可愛いって! え、ていうかそれって、恋人とか許嫁がいるってこと!?」
「知りません。私はもう仕事に行ってきます!」
話をとっとと切り上げて立ち上がる。ルイも流石にそれ以上食い下がってくることはない。
「あ、じゃあミナスさんのところにお願い! 手が足りてないって言ってたから」
「わかりました。ではまた後で、ルイ」
「ん、またね、シルウェ」
ルイの指示を受け、ミナスさんがいるであろう洗濯場を目指して歩を進める。
廊下を歩いていると何人かのメイドとすれ違う。私と面識があるのはミリル様のお側つきの数人という、離宮で働くメイド全体のうちのごく一部だけだからほとんどは知らない相手なのだが。
「あれ……?」
と、通路の先の一人の少女が目に入った。
少女……そう、少女だ。目についた髪色は灰色。貴族ではないし、【神】の銀髪とも違う。年齢は私と同じくらい、あるいは私よりも年下かもしれない。ミリル様くらいだろうか? 私はもとより、ルイやライラさんの例もある。年齢が若いからといってメイドとして働いていることがおかしいとは思わない。……思わないが、問題は彼女の服装だ。
この離宮のメイドはみな必ず同じデザインのメイド服を着せられている。仕事によって多少の差違はあるが、おおまかな仕立ては同じ。これはアイシャ様とミリル様の厳命もあり、徹底されていることだ。
が、彼女の服は明らかに私が身に付けているそれとは違う。鮮やかな色のミニワンピースの下にズボンを穿いたその服装は離宮で働くどのメイドとも一致しない。家事作業における利便性というよりは動きやすさを重視した格好に見える。
メイド以外で離宮にいる人物となると衛兵かコックだろうか?
しかし衛兵であれば鎧甲冑姿でいなければならないはずだし、彼らは姫殿下の居城たる離宮の建物のなかには滅多なことがなければ足を踏み入れられない。女性兵士であれば多少規則が緩い可能性も無くはないが、それでも制服代わりの甲冑を置いて離宮に入れるとは思えない。
コックについては違うと断言できる。以前、ミリル様の許可を得て厨房で調理をさせてもらったことがあるが、その折、彼らと少しばかり話す機会があった。女性の、しかも私と同年代の少女がコックとして働いているなどとは話の端にも上らなかった。
となれば、最も可能性が高いのは外部からのお客様である。アイシャ様とミリル様の立場上、客人自体は珍しくない。
しかしそれでも疑問は残る。
今日お客様がいらっしゃるなどと言う話を私は聞いていない。ルイが知っていれば教えてくれただろうし、彼女も知らなかったはずだ。現状、私は接客に関しては研修扱いで仕事は任されていないから知らされなかった可能性も考えたが、それは流石に杜撰にすぎる。連絡不足で私が万一お客様に粗相をしようものなら、潰れるのはアイシャ様とミリル様の面目だ。そんな不用意なことはすまい。
「こんにちは。見ない顔だね。新入りかなっ?」
そうこう考えているうちに、その少女の方から話しかけてきた。
私は立ち止まり、深く頭を下げて礼をする。使用人か客人かはわからないが、であれば客人として応対するのがやはり無難であろう。同僚に慇懃に接してしまっても笑い話で済むが、客人に非礼を働くのは洒落にならない。
……しかし、そこにはあえて考慮に入れなかった一つの懸念もあった。
「あ、そっか。あなた、レウルート殿下の配下ね?」
体が思考を超越して動いた。
後から振り返ってみれば、その言葉を言われた時の私のこの反応は自分で自分を誉めたくなるほどに迅速だったといえるだろう。
私があえて考えないようにしていた可能性とは、つまり彼女が招かれざる客──いわゆるところの侵入者である可能性だ。
この離宮でレウ様のことを知っているのはアイシャ様とミリル様、それにリール『ベリー』様といった姫殿下の【英雄】のみ。マリナメイド長など昔から姫殿下にお仕えしている一部の使用人はレウ様のことを知っているかもしれないが、そこは暗黙の了解、下手に触れていいものでないことくらい心得ているだろう。しかも、眼前の少女の年齢は十代半ば。レウ様が王宮にいた十年前から姫殿下に仕えていたとは考え難い。
そして、彼女を不審者と断じたならば、私が取るべき行動は一つ。
即ち、一瞬のうちに構築し、解き放ったのは一つの魔法。
「『凍結』」
それは、【剣の魔】ギルガースの動きをも凍りつかせた私の魔法。『凍結』と名付けたその魔法は、リューネの指導のお陰もあって、『使いこなす』と言っていいレベルまで身に付いていた。
少女の体へと放たれた魔法は、彼女の状態を現況に固定し固着させる。範囲は彼女の首から下、体全体の活動を停止させる魔法。
すると、魔法を掛けた際に魔力の反発を感じた。抵抗だ。こちらの魔力の物量で強引に押し流したが、それで彼女が【英雄】であるとわかる。
「っ、なっ、抵抗……できなっ……!? うっそ、体が、動か……」
「今、貴女の体機能のほとんどを停止させました。首から下のほぼ全て、心肺すらも停止しています。【英雄】であれば只人よりは頑丈でしょうが、このまま十分も放置すれば、おおよそ死に至るでしょう」
「ぐ、こんな、もの……!」
死の危険を含意した私の警告は、けれど彼女の心にはさしたる危機感を与えはしなかったらしい。こちらの話は耳を傾けようとする様子もなく、拘束から逃れることに腐心している。もう少し直裁な言い方の方が良いのだろうか。
わずか考え、私は魔力を体外に放出し、収束させて槍の形へと固める。『魔力の槍』。彼女が【英雄】だというならば、そう簡単には死ぬまい。唐突にレウ様の名を出したその意図を聞き出すため、多少手荒な手段も使えそうだ。
『槍』を少女のこめかみに押し付け、言葉を重ねる。
「あるいは、十分などと悠長なことは言わず、いますぐに殺しても私は構いませんが」
「っ、いや、いや! 待って、ちょっと待って! 誤解、誤解、誤解があるよっ!」
「なるほど、誤解、ですか。そう言うからには、もちろんその誤解を解くために貴女の素性も目的も何から何までお話しいただけると期待してしまいますが?」
「話す! 話すから槍で額をぐりぐりしないで! ……うぅ、まさかふざけてちょっかいを出した相手が【神】だなんて、ツイてないにもほどがある……」
その言葉を聞いて私は肩に垂れた自身の頭髪に目を向ける。その色は銀。咄嗟に『凍結』なんて高度な魔法を使ったせいで『幻影』を維持するのをすっかり忘れていたらしい。
私は自らの未熟さを恥じ入って小さくため息をつくと、一度は下ろした『槍』の穂先を再び少女の額に向ける。
「そのような余計な話をしてほしいとは頼んでいません。それとも、今のは遺言でしたか?」
「ごめんごめんごめん! わかった、わかった! 私は──」
「シエラ様? どうしましたの? 御髪の色が戻ってますけれど……って、あら? ツィン? 貴女、そんな変な格好で固まって。まさか、シエラ様に何か失礼を働いたのではありませんよね?」
不審者が何かを言おうとしたその時、通路の角からミリル様が姿を現した。
刺客かもしれない人物の前にお姫様を出していいわけがない。が、この場からすぐに離れるよう私が言うより早く、ミリル様は聞き覚えの無い名を口にした。
「あっ、ミ、ミリル殿下! 助かった! ねぇ、この【女神】様を説得してよ! 誤解で死にそうなんだけど!」
「ふぅん? ……構いませんわ、シエラ様。やってしまってくださいまし」
「殿下ぁぁぁああああああ!?」
「ミリル様、お知り合いですか?」
ぎゃあぎゃあと喚く少女──ツィンと呼ばれた彼女はミリル様の知り合いであるのだろう。ミリル様の落ち着いた様子を見る限り、侵入者のセンはほぼ消えた。けれど、彼女を害そうとする私をミリル様が止めもしないというのはどういうわけだろうか?
ミリル様は私を一瞥してから、命乞いを続けるツィンをジト目で見遣り、はあ、と大きくため息をついて答える。
「彼女は、【長久の英雄】ツィン『サルマー』。わたくしの【英雄】にして側仕えの困ったさんですわ」
「! これは、失礼を致しました」
【英雄】。そうだ、アイシャ様だけでなくミリル様も護衛として【英雄】を従えていると聞いていた。
すぐさま『凍結』を解いて槍を引っ込めると、ミリル様に頭を下げる。
「いいえ、むしろわたくしのツィンが失礼を致しました。配下の非礼は主の責。どうか頭をあげてくださいませ」
「ちょいちょいちょいちょい! 殿下ってば、現場を見てた訳でもないくせに、私が悪いって決めつけないでよね!」
「あら、ではシエラ様がいきなり何もしていない貴女に襲い掛かったとでも言いますの?」
「う……い、いや、私はただその【女神】様に挨拶しただけだもん! 悪いことなんてなにもしてないし!」
「挨拶? それはどのように?」
「…………。えっと」
「ど、の、よ、う、に!?」
「……あなた、レウルート殿下の配下? って」
「はああぁぁぁぁぁぁ。貴女、今のあにさまとシエラ様がどういう状況かわかって……いえ、違いますわね。貴女はわかっていて、その上で言ったのでしょう? あにさまの配下であるシエラ様の前であにさまの名前を出せば絶対に無視はできない、と」
つい、とツィン『サルマー』が気まずげに目をそらす。
自己弁護じみた言い方になるが、得体の知れない人物にレウ様のことなど問われたら私としてはああ動くしかない。『レウ様の敵かもしれない』。私が誰かの命を奪おうとするのには、その疑いだけで十分すぎた。
それをわかっていてああ言ったというなら、それはいささか悪戯が過ぎると思わないではない。
「あれ、シェーナ。どうしたの、『幻影』が解けて……げっ……! ツィン……!?」
と、ちょうどそこにレウ様が現れた。リューネとアイシャ様も一緒だ。
しかし、現れた彼はツィン『サルマー』の顔を見るや否や、その端整な顔を心底嫌そうに歪めた。
反面、ツィン『サルマー』の方は楽しそうに口角を吊り上げた。……そこにほんのわずかに悪意らしきものが滲んでいるように感じられるのは気のせいだと思いたい。
「まあ、レウルート殿下! お久しぶりですぅ! ご機嫌いかがですかぁ?」
「はっ。年を考えろよ。似合わない愛想を振り撒くな、老婆」
わざとらしいほどに愛嬌を前面に出したツィン『サルマー』のご機嫌伺いに、レウ様は吐き捨てるようにそんな悪罵で応えた。こんな態度は珍しいことであった。私個人的にはどうかと思うことでもあるが、レウ様は敵ではない女性には基本的に優しいからだ。
そして、言われたツィン『サルマー』の方は額に青筋を立て、それどころかさっきまでの少女らしい口調も脱ぎ捨てて、態度を豹変させた。
「あぁ? 今なんと言った……!?」
「クソババアって言ったんだよ。年を弁えろ。今年で百二歳だっけ?」
「っ、縊り殺すぞ、童ァ……!」
「やってみろ。僕が十年前と同じだと思ったら大間違いだ」
「ツィン!」
「レッくん!」
ヒートアップし、今にも本気の殺し合いを始めそうな二人の間に割り入ってミリル様とアイシャ様がたしなめる。
主に咎められたツィン『サルマー』は無言で鼻を鳴らして踵を返した。
ミリル様がその背中に叫ぶ。
「待ちなさい、ツィン! 失礼させていただきます、あにさま!」
早足で去っていくツィン『サルマー』をとてとてとミリル様が追いかけていく。
二人が消えた後、残された私たちの間にはなんとなく気まずい空気が漂うのだった。
申し訳ないのですが、作者都合につき次の投稿は9月の中ごろになります。
ご容赦ください。