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010 最初の町と修羅場と

 シェーナはきらきらと目を輝かせている。珍しいことだが無理もない。彼女は今まで数えるほどしか村から出たことがないのだ。

 大した町でもないオクターヴァだが、人口でいえば百人にも満たない村に比べれば大都市とすら言える。たとえ、町の中心の通りに見えている人間が数十人足らずでも村ではありえない光景なのだ。


「すごい賑わいですね……!」

「えっ?」

「リューネ、しーっ!」

「しーっ、って言われても……。シェーナは意外と世間知らずね」


 ぐさ、と言葉の矢がシェーナの体に突き刺さる音がした。リューネに悪気はないのだろうが、シェーナには痛撃だったらしい。


「て、ていうかリューネこそ意外と世俗に通じてるよね」

「これでもそこそこ生きてるもの。最低限の常識はないと生きていけないわ」

「私の世間知らずは生きていけないレベルですか……」


 どうにか話題を逸らそうとした僕の発言だったが、結局努力の甲斐なくシェーナはずーんと落ち込む。

 やはりというか、結構気にしていたらしい。その様子を見たリューネも失言に気付いたようでフォローに回る。


「これから覚えればいいのよ。先は長いんだから。ね?」

「それはともかく、まず先に宿をとってしまおう。旅では安全な寝床の確保が他の何より優先するっていうのが僕の持論だからね」

「確かに大事なのはわかるけど、安全かどうかの判断は自信ないわよ?」

「そいつは僕に任せてくれよ。昔取った杵柄というかね」


 十年前、僕が王宮から逃げ出したときに恐れていた追っ手は大きく分けて三種類。

 第一に、軍。戦力でいえば最大。これは見つかったら抵抗はおろか逃げ切ることも不可能で、接近された時点で負け。あまり宿選びには関係ない。

 第二に、【神】。抵抗の不可能さは軍に匹敵する上に軍と違って接近に気付くのが難しいため、一番恐ろしい追っ手だ。十年前にギュルスアレサから逃げ切れたのは奇跡に近い。囮に使った傭兵団が予想以上に優秀だったのが効を奏したか。ともかく、これも宿選びにはあまり関係ない。

 第三に、暗殺者。これが宿選びには重要だ。こうした輩が襲ってくるのは人目が少ない夜が多い。ゆえに選ぶのは酒場が併設されていて夜も人気が絶えないところ。またそもそもの侵入を防ぐため、鍵の作りと管理がしっかりしているところ。通常の暗殺者ならこれに少しの警戒心と準備で十分だが、王子や力のある貴族相手だと暗殺者が【英雄】のことがある。その場合に備えると、夜警の通り道である大通りに面していること、また衛兵の詰め所が近く、助けを求められて戦える人間が常に一定数いることなども求められる。

 また単純な追っ手以外にも密告者や強盗や空き巣対策に、壁の厚みなどのいくらかの留意点を含めると、


「この町ならここかなぁ」

「でもレウ様とリューネがいれば警戒すべき相手なんてほとんどいないんじゃないですか?」

「甘いよ、シェーナ。政争ってのはすべからく慢心した人間から死ぬからね」

「でも、過ぎたるは及ばざるがごとし、とも言うわよ。特に夜に関しては私がいる限りたとえ【神】が相手でもどうにかできるわ」

「へぇ。言うねぇ。僕に注いだ分の力が回復するまでは大人しくしておいた方がいいんじゃない?」

「なんでもいいですけど、先に中に入りませんか? 今のリューネの声は他の人には聞こえてないんですから、あまり表で騒いでいると、その……」


  リューネと言い合いをしていると、見かねたシェーナに宥められた。

 言われてみれば、今の僕は端から見れば一人でぎゃあぎゃあ騒いでいる不審者だ。通行人の視線が痛い。

 そそくさと逃げるように宿に入り、チェックインをして鍵を受け取る。

 部屋は寝室一部屋にベッドが二つと小さな机があるだけの簡素なものだが、十分だろう。中に入るとすぐさま、先程姿を消した時の逆回しのようにリューネが姿を現した。


「これからどうするんですか?」

「僕はちょっと買い物に出るつもりだよ。必要なものがいくつかあるからね」

「なら私も一緒に……」

「いいよいいよ。僕一人で十分だから休んでな。もし暇だったら外に出ても構わないけど、絶対にリューネと一緒に行動するようにね。じゃ、夜までには戻るから」


 ついてこようとするシェーナを押し止め一息で言うべきことを言い切ると、僕は足早に部屋を後にした。

 宿から出て二人から大分距離をとったところで、小声で一言。


「さて、ナンパでもしに行くかな!」


  ◆◇◆◇◆


「怪しい……」


 私たちに何か言う間すら与えずに外出したレウを無言で見送った直後、シェーナがぼそりと呟いた。

 確かにいかにも疚しいことがありますと言わんばかりの様子ではあったが、


「っていってもこの状況でレウができる悪さなんてほとんどないでしょ?」

「甘い。甘いですよ、リューネ。砂糖菓子よりなお甘いです。レウ様ならたとえ生死の境でも隙さえあらば女の子にちょっかいを出しにいくに決まってます!」

「いくらレウでもそれは……。なら尾行けてみる?」

「以前ならそうしたんですけど、今はレウ様の能力がありますから……」


 なるほど。

 レウの『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』は副産物的な能力として、尾行や暗殺に非常に強いという特性がある。

 彼の能力は五感のいすれかで彼自身を捉えた相手を魔力で侵せるわけだが、当然相手がその対象に入ったことは能力の持ち主であるレウには伝わる。つまりこちらがいくら巧妙に姿を隠したとしても、五感のいすれかでレウのことを認識する限り、すなわち能力の適用対象である限り存在が向こうに筒抜けなのだ。

 やはりただ強いだけでなく汎用性も高い、いい能力だ。


「でもまあ、その程度ならどうとでもなるけど」

「本当ですか!」

「もちろん。いくら強力な能力でも所詮単一の能力。汎用性の面で私みたいな多数の魔法を操る手合いを越えようってのは無理な話よね。『探知』」


 使用するのは、探し物や探し人を見つけるための魔法。不特定の範囲を探ると魔力を大きく消耗するが、それに見合った利便性のある魔法だ。

 私の魔力が同心円状に広がり町を浚う。検索条件は『一定以上の魔力を保持するもの』。範囲内の反応は三つ。一つが私自身でもう一つは私のすぐ隣の少女。と、なれば最後に残るのは。


「……見つけた」

「どこですかっ!?」

「ここから東に250メートル、南に180メートルくらいの位置ね。そういう検索条件の設定をしなかったからどんな場所かはわからないけど」

「行きましょうすぐ行きましょう今すぐ行きましょう!」

「落ち着きなさい。レウの注意を忘れちゃだめよ。人目に触れるときはちゃんと素性は隠すこと」


 興奮しきっているシェーナと対照的に、私は冷静なものだった。落ち着いて注意を促すこともできるくらいに。

 焦りすぎともいえるシェーナの様子に半ば呆れながら『探知』で探りだした地点へ二人でと向かう。レウが女性にだらしないのは事実だとしても、流石にことここに至って女漁りなどということはないだろう。


 そう思っていた時期が私にもあった。


「この建物にレウ様が? 明らかに買い出しに来るような場所ではなさそうですね……。とりあえず入ってみて……」

「……待ちなさい、シェーナ」


 自分で言うのも傲慢なようだが、今のレウは絶世とよんでも差し支えがないほどの美少女を二人も連れているのだ。その私たちを差し置いて他の女に走られるのはもちろんいい気はしないし、そもそも女連れのくせに他の女を引っかけるなど非常識極まりない。いくらなんでもそんな最低なことはすまい、とのレウへの確かな信頼もあってこその私の落ち着きだったわけなのだが。

 まさかその信頼を裏切られるどころか予想していた最低を下回ってくるとは誰が予想できただろうか。


「ねぇ、貴女はこれがなんだかちゃんとわかっているのかしら?」

「いえ……。でも普通のお店ではありませんね。宿かなにかですか?」

「……ニアピンね。ここはね、娼館よ」

「しょうかん? っていうのは?」

「ああ……貴女はルミスヘレナに大切に育てられたのねぇ……」

「え? まあ、はい。母さまは私のことを大事にしてくれましたけど。急にどうしたんですか?」

「いいえ、別に。……もう戻りましょうか」

「でもレウ様がまだ……」

「悪いことは言わないから。戻りましょう?」

「……リューネがそこまで言うなら。ところで、『しょうかん』というのはどんなお店で……?」

「レウが帰ってきたら彼に聞きなさい」


 この館の中で行われている行為は純朴なシェーナに見せるには刺激が強すぎるだろう。

 自分の口で説明する気にもなれず話もそこそこにこの場を離れるように促した。本人は気付いていないが、このような場所の前で一人突っ立っている彼女は衆目を集めてしまっている。それは誰にとっても本意ではない。

 シェーナの娼館への疑問は残したままだが、レウの尻拭いをわざわざ私がしてやることもない。いや、本当は仮にも姉代わりを自負するものとしてある程度までは面倒をみるつもりでいたが、これは流石に対象外にしてもいいはずだ。

 個人的な憤りも込みでそう判断を下した私は、憮然とした表情でシェーナの手を引いて宿まで戻った。


  ◆◇◆◇◆


「たっだいまー! いやぁ、大変だったよ。欲しいものが中々見つからなくて…………えっと、どうかしたかな?」


 日も暮れてから大量の荷物を抱えて意気揚々と宿に戻った僕を出迎えたのは、予想していた迎えや労いの言葉ではなく、冷ややかな二対の瞳だった。

 まったく心当たりのない冷たい応対に僕がたじろいでいると、シェーナが思い出したように、おかえりなさいレウ様、と抑揚の無い声で言った。しかしリューネはそれすらもなく沈黙を守っている。


「ところで……レウ様は今までどこに行ってたんですか?」

「いくつか回ったよ。旅道具の専門店とか。あと金物屋にも行ったな」

「ふぅん……。……その前は?」


 ドキン、と心臓がはね上がる音が二人にまで聞こえたような錯覚すらも覚えた。

 が、動揺しながらも努めて表には出さない。冷静に考えてバレてるはずはない。尾行の気配はなかった。かつての町に行くたびに女の子をナンパしては一緒に行ってた男連中に告げ口されていた僕とは違うのだ。……というか、どうしてあいつらは揃いも揃ってシェーナに報告しに行くのか、まるでわからない。

 ともかく、このシェーナの問いはカマかけだと判断して、道すがら見つけた適当な店名を返す。だから、シェーナが放った次の一言は僕を大いにうろたえさせた。


「なるほど。……ところで、『しょうかん』ってなんですか?」

「うぇっ!?」


 なんか変な声が出た。

 これはカマかけなんかでは断じてない。具体的な手順はわからないが、僕の行動は把握されている。本能にも近い部分でそう分かった。

 答えを探して辺りに視線を泳がせていると、責めるようにこちらを見るリューネと目があった。彼女は娼館が何かちゃんと知っているようだ。シェーナの問いは本当に知識がないからのものだとしても、適当なデタラメでこの場を切り抜けることはできなさそうだ。かといって、馬鹿正直に言うわけにもいかない。


「えっと……その……そういうのが仕事の女の人と遊んだりしながらお酒を飲むところ、かな?」


 語義の解説としてはややマイルドに言ったが、ある意味では嘘ではない。つまり僕がしていたのがせいぜい情報収集くらいなのだ。いくら僕でもこんなに可愛い女の子を二人も連れながらコトに及ぶほど無作法ではいられない。

 誠実に訴えかけるようにそして懸命にリューネへと視線を飛ばす。そしてその懇願は通じたらしい。


≪どんな言い訳があるのか、聞くだけは聞いてあげる≫


 不貞腐れたようにベッドの端に座る少女の声が頭の中で響いた。しかしその声を捉えたのは僕の鼓膜ではなく、事実一緒に部屋の中にいるシェーナにはまるで聞こえた様子はない。

 これは念話だ。

 ルミスさんが頻繁に使っていた魔法だが、リューネも得手とするらしい。声はとても鮮明に脳裏に響く。


≪娼館に行ってたのは確かだけど、ナニもシてないんだ! 本当にお酒飲んで話してただけなんだって!≫

≪…………≫


 必死の弁明にしかし、返ってくるのは無情な沈黙だけ。

 よっぽど怒らせてしまったようだ。悪いのは僕なのだし、仕方ない甘んじて叱られよう、と諦めて覚悟を決める。

 リューネはつかつかと僕の目の前まで歩いてくると襟元をひっ掴み引き寄せて視線の高さを合わせた。しかし何を思ったのか、彼女は罵声や平手を飛ばすでもなく僕の体に顔を近づけくんくんと匂いをかぎはじめた。

 予想外のことに困惑しされるがままでいた僕と反対に、リューネはしばらくすると納得したように手を離した。


「嘘は言ってないみたいね。いいわ、今回は許してあげる。けど、次は無いわよ。たとえ必要なことでも、同行者にはせめて一言あるべきよね?」

「反省します……」


 僕の疑いは晴らされたらしく、いくぶん機嫌を持ち直した様子だ。それにしても匂いを嗅いだだけで男女の交わりの有無がわかるとは、彼女はそうとう鼻が利くのかもしれない。

 僕らのやりとりの意味がわからず不思議そうにするシェーナに適当な言い訳をしながら、僕は内心で安堵にため息をついていた。

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