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果報

 退院後、すぐに私は故郷である静岡に戻ってきた。

 体調は面白いほどすぐに回復した。病院にいる間、ある程度身体を調べてもらったのだが、結局はっきりとした病名は分からなかったようだ。

 医師も首を傾げていたが、最初の初見通り、過労という事で結論付けられた。退院しても暫くは安静するようにと言われた。

 しかし、勿論私にはそれが見当違いのことだとわかっていた。


 原因はあの人形だ。そしてそこに取り憑いた、祖母の意思である。


 それで私は医師の指示に従わずに、こうしてすぐさま祖母の墓へとやってきたのだ。

 先祖代々の墓に入っているのだから、幼い頃から何度も行ったことがあった。上京したせいもあって暫く行っていないとは言え、一人でも場所は手に取るようにわかる。

 この墓地の最奥にある、少し白ずんだ、古い石の墓だ。

 迷うことはなかった。

 私は足早にそこに向かった。そして――、


 そこで見た光景で、遂に確信を得た。


 玉砂利の上に、無残に散乱した墓石の欠片。墓石は、土台から倒れて、砕けていたのである。

 元々年月によって風化していたこともあるが、恐らくはあの台風の日、強風に煽られて倒壊してしまったのだろう。この寺には確か、足腰の悪い年老いた住職が一人いるばかり。とてもそれでは管理が行き届かなかったのだろう。それでこの状態のまま放置されてしまったということか。

 私はひとまず壊れた墓石を片し、業者に連絡を入れて、新しく作り直してもらうことにした。

 墓に墓石がないというのは、なんとも不恰好だ。


「おばあちゃん、ごめんなさい。私、全然気付かなくって……」


 私はこの下に眠っているであろう祖母に、胸を痛ませつつ両手を合わせた。心からの謝罪だった。


 *


 それから私はその足で、人形供養で有名な寺へと出向いた。

 バッグの中から例の日本人形を取り出し、寺の僧侶に手渡す。こちらにはあらかじめ連絡を入れておいたので、かなり本格的に丁寧な供養をしてくれた。

 お香で人形を清め、お経を読み、そのまま焚き上げまで行った。

 無論、私も最後までそれに付き合い、天に昇っていく煙を見上げながら、人形に宿っていたであろう祖母の魂に、安眠の祈りを捧げた。


 *


 それからというもの、まるで嘘のように怪奇現象は起こらなくなった。

 解決してしまえば、元に戻るのはあっという間だ。

 平穏無事な毎日を取り戻し、次第にそこに慣れていくと、これまでの出来事がまるで、すべて夢の中のことのように思われて、酷く現実味がなかった。

 次第にこの一連の事件も、時とともに風化していってしまうのだろうか。


 *


 そして数年後、私と達也は籍を入れマンションを借りて、そちらに住むことになった。彼との間には娘もでき、私は子育てに専念するため、仕事を辞めた。今の達也は会社でもかなり高い地位にいるので、それでも収入面で心配する必要はなかった。

 全てが順風満帆で、満ち足りた人生だった。

 私の中であの出来事は、今では話のタネになる、というものになっていた。もちろん、だからと言って軽視しているというわけではなく、あれから度々の墓参りを欠かしたことはない。

 今日は久し振りに小学校の時に仲の良かった同級生、波原沙希と電話をしたのだが、そこでもこの話をした。この話をすることで、出来事を風化させず、自分への戒めとして、そして話した相手にも、ご先祖様を大事にすることの大切さをわかってもらえると思っているのだ。

 私の話を信じられないとばかりに相槌を打って聞いていた沙希だったが、すべてを話し終えた私に、なんだか腑に落ちないというような口調で、


「でもさあ、なんかそれ、ちょっと酷くない?」


「え?」


 そうした反応を貰うのは初めてのことだったから、私は少し面食らった。


「だってさ、ちょっとお墓参りに行かなかったってだけで、いちいちそんな風に祟られちゃってたら堪らないじゃん」


「それは……墓石も壊れてたってこともあるし……」


 私は思わず口籠ったが、沙希の疑問はまだ尽きなかった。


「う〜ん、でも、だからってどうして数美だけそんな目に会わなきゃいけないわけ? 実家に住んでるお父さんとかに伝えればいいのにさ。わざわざ上京してる数美に伝えるなんて、ちょっと変じゃない?」


 言われてみれば、確かに妙だ。

 あの後、実家に行って父や祖父にも聞いたのだが、私のような現象は起こっていないとのことだった。


 それに、そうだ。


 台風が来たのは八月の初めだが、それよりももっと前から、視線や物が勝手に移動しているという現象には見舞われていたではないか。その上、人形が押入れから見つかったのは、七月だ。祖母が私に伝えるために、ああした怪奇現象を起こしたと考えると、そういう点も説明がつかない。

 私はなんだか妙な胸騒ぎを覚えた。


 もしかして――、


 もしかして私は、とんだ勘違いをしていたのか。


 その時、リビングから娘の千秋がよちよちとした危うい足取りでやってきた。

 お腹が空いたのだろうか。

 少しばかり長電話をしてしまった。

 とにかくその場は沙希に別れを告げて、電話を切り、千秋を抱き上げた。


「ごめんね〜。今お電話終わったからね。どうしたの? お腹空いた?」


 胸元に娘を寄せた時、違和感を覚えた。少し硬いものが、私と千秋の間を隔てている。

 怪訝に思って、千秋を少し離して見てみると、その小さな手に何かが握られていた。

 眉を顰めて凝視して、それが何であるか理解すると、私は思わず絶句した。


 見覚えのある、艶やかなさらりとした黒髪。派手な柄の赤い着物。

 無我夢中で私は、それを千秋から引き剥がした。

 泣き出す千秋。だが、私はそれに構っていられなかった。


 馬鹿な。ここにあるわけがない。

 あれは確かに供養して燃やしたのだ。


 手首を捻って、顔を拝んだ。そして、愕然とした。

 おかっぱ頭に薄化粧の施された丸顔。薄笑いを浮かべているかのような、忌々しい細い目と僅かに口角の上がった唇。そして、顔にはリアルな火傷の痕。

 紛れもない。

 これは、あの日本人形だ。


 頭がくらくらする。動悸が激しくなり、皮膚から汗が沁み出し始めた。

 泣き叫ぶ千秋の声が、どこか遠くの方で聞こえているようだった。意識が遠のきそうだ。

 廊下で立ち尽くす私の手から、人形がするりと、意思を持っているかのように抜け出し零れ落ちた。

 耳の中で、あの鐘の音が鳴り響きだした。

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