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別離

 電車を動かしてもらい、ホーム下から救出された私は、駅の事務室に連れてこられた。

 目立った外傷もなく、意識もはっきりとしているから、病院に行くほどではないだろうということ。しかし、もし少しでも異変があれば、すぐに病院に行くこと。

 やってきた救急隊員が私にそうアドバイスしてくれた。


 治療を終えた私に、柔和そうな老齢の駅員が教え諭すような口調で、話し始めた。


「――私はお嬢さんのことをよく知らないから、どうしてこんなことをしたのかわからないけれど、こんなこと言うのも何だけどね、お嬢さん、まだ若いじゃないか。そりゃ失敗することだってあるだろうけど、いくらでもやり直しが効くよ。そんなに思い詰めることなんてないですよ。だからね、もうこんなことはしてほしくないんですわ」


 まるで私が自殺でもしようとしていたみたいな言い草だったので、私は瞬間きょとんとしてしまった。次いで、慌てて訂正に入る。


「いや、違いますよ! 私、別に自殺しようとしたわけじゃないんです。並んでたら、後ろから誰かにこう……どっと突き飛ばされて」


 両手で押すジェスチャーも加えて駅員に説明する。しかし、隣で聞いていた、私を助けてくれた、例の若い駅員が不可解そうに訝しんだ顔になった。


「しかしですね、私は実際、ホームからあなたが落ちる瞬間を見てましたけど、誰かが押したようには見えませんでしたよ?」


「でも、確かに誰かに……」


 若い駅員と言い合っていると、その隙に防犯カメラの映像を確認したようで、老齢の駅員が画面を指で指し示した。困惑した表情である。


「ううむ……。しかし、防犯カメラには、彼の言う通り、お嬢さんがひとりでに落ちていく映像しか映っていませんけどねえ」


 *


「ホームで誰かに突き飛ばされた!?」


 店内で大声を上げた達也は、またも隣の席から咳払いされて萎縮し、トーンを落として続けた。


「そういえば、朝のニュースでどこかの路線が事故で遅れてるとかやってたな。

 ……それで、大丈夫なのか? 怪我とかはしてない?」


「してたら会社になんて来てる場合じゃないでしょう」


「それはそうか」


「それよりも、おかしいことがあるのよ」


 私は駅員の証言と自分の感覚との相違を、彼に話した。


「――で、自殺だと思われたって?」


「そう。でも、おかしいのよ。絶対後ろから押されたし、思い違いとか、そういうのじゃないし。

 ……ひょっとしたら、これももしかして例の――」


 そこまで言った時、達也の顔が曇った。


「人形か?」


 私は静かに頷いた。

 ホームであの女を見たのだ。これまで悪夢の中でしか出会うことのなかった、あの女を。そしてその手には、あの人形があった。

 私には、もうそうとしか思えなかった。

 しかし、達也はさらに顔を顰めた。うんざりしたような表情だ。

 そして、溜息をひとつ。


「あのさあ、もうやめてくれないか? そういうので俺は騙されないからな」


「え?」


「大方、オカルトを信じてない俺を騙して、笑いものにしようって魂胆だろう」


「違う! 私はそんな――」


「どうだろうな。飛び降りだって、いかにもニュース見て自分がその場にいた、みたいな風で嘯いているのかもしれないし」


 聞き捨てならなかった。構って欲しさにそんな嘘まで吐こうなんて思わない。

 私はテーブルを叩いて立ち上がった。


「どうして信じてくれないの? 私、本当にもう少しで死にそうだったんだよ? それなのにそんなこと言うなんて……」


 しかし、達也は相変わらず素っ気ない。肩を竦めると、私から目を逸らして、コーヒーに口をつける。

 目頭がかあっと熱くなったが、必死で堪えた。


「……そうよね。どうせ、達也にとって、私なんか遊びでしかないものね。本気で付き合う気なんてないから、だから私を信用することもないし、深く関わろうなんて思ってない。そうなんでしょ?」


「おい、どうしてそうなるんだよ。俺はそんなつもりじゃ――」


「だって、いつまで経っても私のことは家族に説明しないし、面倒事は全部後回しじゃない! もういいわよ、あなたなんかに助けてもらおうとしてた私が馬鹿だった」


「おい、ちょっと待てって」


 達也が腕を掴もうとしたが、その制止を振り切って、私は彼を見向きもせずに喫茶店を飛び出した。

 いつの間にか、外ではにわか雨が降りしきっていた。傘を持ってきていなかった私は、店に戻ろうかと一瞬躊躇したが、達也と顔を合わせたくなくて、そのまま雨の中に足を踏み入れた。

 店を後にした瞬間から、我慢していた涙がぼろぼろと溢れてきた。

 言ったそばから、どうしてあんな酷いことを言ってしまったのかという激しい後悔。それでも、一向に私を信じてくれない達也への怒りもあった。そして、これまでに溜まってきていた一切合切の感情が、大量の涙となって、雨滴とともに頬を伝ってきた。

 涙腺が壊れてしまったのではないかと思うほどに、止めようと思っても、更に零れてくるばかり。手で拭うと、一拭きで掌がびっしょり濡れた。化粧まで剥がれている。

 道行く人が怪訝な目で私を見てくるが、声を掛けようとする人はいない。

 私は慌ててコンビニに駆け込み、傘を買うついでにトイレを借りた。


 *


 残業を終えて家に帰ると、すぐにシャワーを浴びた。

 温かいシャワーが、雨に濡れて冷たくなった身も心も、すっきりさせてくれる。そうすると平静になった頭で、また昼間のことを思い出してしまい、酷く後悔の念に駆られる。

 あれから、達也から連絡は来なかった。

 もしかしたらもう、彼との関係は完全にご破産かもしれない。

 そう思うと、走馬灯のように、彼との思い出が脳内でフラッシュバックして、やりきれない気持ちにさせられた。

 結局、また余計に辛くなり、私は慌てて風呂場から出た。

 一人だけの空間にいると、どうしても傷心的になってしまう。

 タオルで身体を拭きながら、鏡で自分の姿を見た。

 目が真っ赤に充血して、瞼も腫れている。


 酷いものだ。


 自分で自分を哀れみながら、背中を拭おうとした時、違和感に気付いた。

 不自然な凹凸。

 しかし、触れても痛みはない。首を強引に捩じり、鏡を介してその異物がなんであるか確かめると、私は慄然とした。


 掌の形の痣。


 怨みのこもった、皺だらけの手のそれに、私は確信した。

 やはり、今朝の出来事は私の錯覚などではない。

 間違いなく、この手に押されたのだ。

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