発見
それは――、物置の奥から転がり出てきた。
*
連日のうだるような猛暑に、じっとりと毛穴から体内に染み込んでくるような湿気。それらのおかげで、すっかり私の身体は疲弊していた。冷房など機能していないに等しい、蒸し風呂のような満員電車で人権を失い、毎朝詰め込まれて会社に出荷されていくというのも、その大きな要因の一つであろう。
そして今年の七月の気候は、遂に私から全てのやる気を奪った。
そういうわけで、今日一日は何の予定も入れずにいた。
私にとって、こういう休日は久し振りだった。殆ど毎日残業で会社には遅くまでいる羽目になっているし、休日出勤もざらにある。たまの休みも大体は大学時代の友人と、所謂女子会と言われるような集まりで、日がな一日のんびり過ごすことはあまりない。
そんなせいもあってか、この何もかもから解放されたような一日をどうやって過ごしたら良いのか、全くわからなくなっていた。
昼前までは寝ているつもりだったが、あまりの暑さに耐え切れず、すっかり覚醒してしまった。それからずっと横になってテレビを見続けていた。
しかし、いくら休日と言えど、ただ何もせずにだらだらと無益に時間を浪費してばかりでは、何だか妙に罪悪感に襲われる。そこで、普段は開かずの間と化している、押入れの整理をすることにしたのである。
意味の分からない謎の代物や、買った覚えのない洋服。かと思えば、失くしたと思っていたアクセサリーやら小物やらが、奥の方から出てくる出てくる。まるでタイムカプセルだ。この押し入れの中では、様々な時間が、そのまま切り取られて滞留している。
そうしたごたごたを粗方日光の許に晒し終えると、とうとう最後の大物の出番となった。
上京してこの安アパートに引っ越して以来、一度も使ったことも、ましてや出したこともない客人用の布団を、禍々しい妖気たっぷりの押入れの奥から、グッと引っ張りだした。
その時にあれが、隙間から転がり出てきたのだ。
刹那、私は転がってうつ伏せになっていたそれを、こんな季節のせいもあって、例の黒光りする素早い害虫と錯覚し、思わず悲鳴をあげそうになったが、寸前でそれが人形であることに気付いた。
艶やかな黒は、長く伸びた髪だった。そしてよくよく見てみれば、柄のついた派手な赤い着物を身に纏っている。
日本人形だ。
私はそれを拾い上げ、手首をくるりと回して顔を拝んだ。
綺麗に真一文字に揃えられた前髪。薄化粧の施された丸顔。薄笑いを浮かべているかのような、細い目と僅かに口角の上がった唇。
しかし、最も私の目を惹いたのは、その滑らかな顔に刻まれた、酷く不似合いな火傷の痕だった。作り物とは思えないような、皮膚が引き攣れているような、妙に生々しい焦げ茶色の傷跡。
これは――。
その傷には、見覚えがあった。
あれは、確か東京に出てくる遙か昔のこと。私がまだ小学生の頃のことだ。
あの時は、父と母と、父方の祖父母と一緒に一つ屋根の下で暮らしていた。両親は共働きで、私が家にいる間の遊び相手といえば、殆どがその祖父母だった。
その日も、こんなじめじめした湿気に溢れた、暑い夏の日だった気がする。
私はいつものように、学校から帰ると祖父母の部屋に向かったのだが、その時はたまたま誰もいなかった。それで暇潰しに、押入れの中を開けてみた。祖母は勝手に開けてはいけないと言っていたから、中に何が入っているのか、とても気になっていたのだ。
お菓子でも隠しているのか、あるいは何かお宝でも隠しているのか。
当時の私はそんな風に思っていて、心を躍らせながらそろりそろりと襖を開けたのだが、中を見れば拍子抜け。押入れは殆ど空っぽで、下の段にただぽつねんと、小さな人形が置かれているだけだったのだ。
私はその人形を手に取り、まじまじと見つめた。
そしてその人形には、今まさに私の持っているそれと同じく、顔に生々しい火傷の痕があったのだ。
幼心に、その日本人形の放つ不気味で陰気な雰囲気を感じ取り、慌ててそれを元に戻した。何か、見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分にさせられて、私は何事もなかったかのように襖を閉めようとした時、
「おや――、そこで何しているんかえ?」
声が背後から聞こえて、身を竦ませて振り返ると、そこにはいつもと変わらず皺を湛えた顔を綻ばせている祖母の姿があった。ひとまず気付かれていないようなので、適当にその場は誤魔化したのだ。それで別段、何も言われることはなかった。
祖母はそれから歳を重ねる毎に、段々妙な言動や徘徊が増えていった。それまで押入れの奥にしまわれていたあの人形も、次第に祖母は肌身離さずに連れ添うようになった。他の誰かが触れようとしようものなら、まるで命でも取られてしまうかの如くに怒り、大層執着していた風だった。主治医が言っていたが、こうした行為は認知症の進行のせい、とのことだ。
その認知症で、祖母は去年の暮れに亡くなってしまった。私はその時既に上京していたので、あまり詳しくは知らないのだが、晩年の祖母の様子はそれは酷いものだったらしく、幻覚を見たり暴力的になったり、支離滅裂な言葉を譫言の様に吐き続けていたそうだ。
そうなってさえも、片時も離さなかったのが、この人形である。
その人形がここにあるということは、祖母の葬儀で帰郷した時に、はずみで私の荷物の中に紛れ込んだのかもしれない。
時たまテレビでやっていた安っぽい幽霊番組にさえ震え上がって、夜には一人でトイレにさえ行けなかった子供の頃は、不気味だとしか思えなかった人形だが、よくよく見てみれば掌大ほどの小ささで、味わいもあってなかなかに可愛らしいではないか。傷だけはちょっと気持ち悪いが。
それに今となっては、祖母の形見でもあるのだ。
私はなんだか懐かしさに駆られて、祖母と過ごした思い出の数々を頭に思い描いて、センチメンタルな気分に陥った。
そんなものだから、私は残りの押入れの整理を適当にやり終えて、取り敢えず人形をリビングの棚の上に置き、故郷の父に電話を掛けたのである。
「あ、お父さん?」
「数美か? 久しぶりだなあ、元気でやってるか? ちゃんと食ってるか?」
懐かしい声が受話器から漏れてきた。暫く会っていないが、快活そうな声である。
「そんなに心配しなくたって大丈夫だって。もう子供じゃないんだから」
「何言ってるんだ。俺にとっちゃあずっと子供だよ。最近は全然連絡もくれないから、ちょっと心配してたんだぞ? 仕事が辛けりゃさっさと止めてこっちに戻ってきてもいいんだからな? なに、東京と静岡だ。すぐ戻ってこれるだろう」
父の冗談にクスッと笑う。
今でこそ、こんな風に仲良く会話などしているが、反抗期真っただ中の高校生の頃は、一緒に服を洗濯されたり、お風呂に先に入られたりと言った些細なことに私が悪態を吐いて、大喧嘩に発展したものだ。
「それより、おばあちゃんの持ってた人形、知ってるでしょ?」
「ん? ああ、それがどうした?」
「今日掃除してたらさ、押入れの中からそれが見つかって。何だか急に懐かしくなっちゃってさ」
「そうかそうか。……そう言えば、あれからもう半年になるのか。早いものだな。お母さんの時は、なんだか随分時間が過ぎるのが遅く感じたものだが……。俺も歳を取ったってことかな」
父の声が、急に弱々しくなった。
母は私が中学生の時、不運にも交通事故で還らぬ人となってしまった。突然のことに、あの時は私もずっと泣き続けていたし、気持ちの整理がつかず、体調を崩したり情緒不安定になったりしていた。
それは父も然りだ。魂が抜けてしまったように呆然とすることが多くなって、とても居た堪れなかった。
期せずしてその時のことを思い出させてしまったようで、私はなんとなく申し訳なくなった。
しかし、先に謝ったのは父のほうだった。
「あ、悪い悪い。なんか辛気臭くなっちまって。……でもおかしいな。確かその人形、葬儀の時に……」
「え、何?」
語尾のほうがぼそぼそしていてハッキリ聞きとれず、訊き返したのだが、
「いや、何でもないよ。俺の思い違いだ。気にしないでくれ」
そう言うので、それ以上追及することはなかった。
それからも、お互いの近況報告をしたり、他愛もない馬鹿話で盛り上がり、ついつい長電話をしてしまっていた。
気付けばもう夜だ。明日も朝から仕事がある。
私は名残惜し気に電話を切って、明日に備えて早く床に就くことにしたのであった。