第7話 初日
日本語のわかる女性の名はクウネ、薬剤師の爺さんはゴコウという名だそうだ。
通信の最後に、日本語のわかる冒険者を派遣するから、それまでゴコウさんの家に住み込みで仕事をしてほしいと言いつけられた。簡単な雑用でいいそうだ。働きに応じて給金も出してもらえることになった。
雑用程度快く引き受けよう、ということで、
「耕すぜー。超耕すぜー」
さっそく庭の畑を拡張していた。
雑用どころか普通の肉体労働である。最も言葉が通じなくてもできるという点を考えれば簡単な雑用なのかもしれない。
適当に叫びながらテンションマックスで耕していく。あと少しで目標の半分に到達する。
「うぉおおおっしゃ!」
端まで行きついてガッツポーズ。
道具が鍬しかないから体力がガンガン削られる。
ただ、ゴコウさんから日用品を渡されており、その中に靴もあった。もとの世界の物と比べるとお世辞にもいいものとは言えないが、はだしとは比べるまでもない。
「あと半分。休憩挟んでさっさと終わらせるか」
残りのスペースを眺めていると体の中からディーゼルが出てきた。
「どうした? ディーゼル?」
ディーゼルは俺の耕した土と残りの土地を指さす。そして両手を残りの土地のほうに向ける。するとディーゼルの両手が光り、地面が泡立つように耕された。
「……ディーゼルよ。お前は土の精霊だったんだな」
あっさりと耕され、俺の仕事がなくなる。いや。
「俺の仕事よりしっかり耕されてやがる」
くそ! やり直しだ。俺のプライドが許さない。ディーゼル並みに仕上げてやるわ!
☆
ゴコウさんは俺がこんなに早く終わるとは思っていなかったのだろう。驚いた様子であった。
俺だってこんなに早く終わるとは思ってなかった。何しろ半分はディーゼルのおかげだしな。
ちなみにゴコウさんはその間家の中で薬草をすりつぶしていたようだ。まだ山のように残っている。身振りで手伝うことを示すと、奥からすり鉢をもってきた。
あまり神経質になってする必要はないらしく、品質はばらばらの様に見える。
「とにかくすりつぶしてあればいいのか」
あたりをつけ、すりつぶしていく。
ゴコウさんに数回チェックしてもらうが、ダメ出しはされない。試しに荒めにすりつぶしたものと丁寧にすりつぶしたものも見せたが、関係ないようだ。
ひたすらすりつぶす。
残りが少なくなったところで、ゴコウさんは立ち上がりどこかへ行った。その間もひたすらすりつぶす。すると今度はミントが出てきた。
ディーゼルと違って手伝えまい。などと思っていると。ゴコウさんがすりつぶした薬草に手をかざした。ディーゼルの時と違い、何が変化したかわからなかった。たぶん加護を与えたんだと思うが、見た目では全く分からない。
戻ってきたゴコウさんの顔がまた驚きに染まるが、それはすぐに何か言いたそうな表情になる。
その表情の理由は届け先に付いて行って、使用法を見た時に納得する。
「牛のエサだったかぁ。いや、薬か?」
そりゃあ雑にもなるし、加護を与えられてもどう反応したものか困るよな。
☆
夕方。
ゴコウさんは俺を連れて外へ出ていく。ひと際にぎやかな建物、看板には牛のマークがついている。中では騒がしく飯を食べている男たちが多くいた。
「酒場か。どんな酒があるんだろ?」
こちらに来てから、“出した”酒を試しに飲んだだけだった。飲んで現実逃避したかったが、酔って正しい判断ができないのは拙いと飲んではいなかった。もっとも、世間一般からザルと呼ばれるような人種なので、飲んでも問題なかったのだが。
ゴコウさんが若い女性店員に何か注文をする。店員は明るく返事をして奥に戻っていく。
……しかしまあ、異世界に来たってのを実感するなぁ。兵士やゴコウは普通の人であったが、この店のウェイトレスには大きな特徴があった。
簡単に言うと獣人。
犬とか猫とかファンタジーでよくいる獣人ではなく、牛の獣人。
……うん。すごいんだよ。牛の獣人は小柄なのにバインでボインよ。
露出が多いわけでもないのに、無防備に元気に動くせいか、いろいろ危うく、男の視線を釘づけにする。
俺? 惑わされるよ。
ゴコウさんは年を食っているせいか惑わされてねえ。すげえ。
運ばれてきたのは串に刺さった一口大に切られた肉の塊、おそらく肉。それとブロックのようなパン、そして木のカップに入った何かだ。
匂いを嗅ぐとアルコールの匂いがする。おそらく麦を発行させたエールだろう。
うまそうにゴコウさんがエールをあおる。
俺もそれに倣いエールをいただくが、
「微妙だな。俺の酒のほうがうまい」
言葉が通じないからいいものの思わず、本音が出る。いや、言葉は濁してはいる。
古今東西、あらゆる酒に手を出した、などという気はない。俺は日本からでたことがないので当然日本で手に入る酒しか飲んでいない。
だが、日本酒はもちろん焼酎、ワイン、ビール、ウィスキー等々飲んでいる。もちろんカクテルのたぐいも飲んでいる。それらと比べると今飲んだエールは正直に言ってまずい。
アルコールであればいい、といったようなこのエールを到底褒めることなどできなかった。
ゴコウさんにはいつか俺の酒を飲ましてやろうと心に決める。今はまだ酒とケーキのことは秘密にしておく。この世界に魔法はありふれているようだが、おそらく酒やケーキを出す魔法は特殊なものだとしか思えない。公にするには俺はまだこの世界のことを何も知らない。
ちなみに牛肉も塩で味付けしてあるが味が薄い。塩は貴重なのだろう。
パンは朝も食べたのだが、非常に硬く直接かぶりつくことはできない。
こちらでは硬いパンが一般的なんだろうか。
手で小さくちぎってみる。それでも現代日本人の軟弱な顎では厳しい。エールに浸してやわらかくすることでましになる。
日本の食事は非常に良いものだったと実感させられる。
なんにしてもこっちの食生活に慣れないといけないのは間違いない。流石にケーキと日本酒だけで生活していくわけにはいかないからな。
こっちの言葉がわからないため、食事中は周囲の様子をぼんやりと眺めることになる。
ここの客は大きく分けて二種類いることがわかる。バカみたいに騒ぎ、周りの迷惑を考えていない冒険者とそれ以外だ。冒険者は総じて威張り散らしているように見える。
俺をとらえたような兵士たちもいるがそちらはおとなしく飲んでいる。
冒険者は粗暴な奴が多いようにしか見えない。俺を迎えに来る奴もこういったやつらなのだろうか。
それにしても冒険者たちの行動は目に余るな。
あ、いま牛娘のケツ触った。
流石に見かねたのか、兵士の男が立ち上がった。
この人、昨日俺をとらえるときにいた中にいたな。がんばれ応援するぞ。
あ、負けた。
冒険者は兵士の肩に手を置いて腕力で兵士を上から押しつぶしてしまった。
なるほどここら辺の実力差あたりもこいつらが威張り散らす理由か。
と、思っているとゴコウが立ちあがった。しかも冒険者たちに何か言っている。明らかに喧嘩売っているな。
ゴコウさんが店の外へ出ていく。冒険者たちもそれについて行く。俺もここで一人いてもしょうがない。様子を見に行くためについて行く。
外に出たゴコウさんはさらに挑発して煽る。
リーダー格の男が切れてゴコウさんに襲い掛かる。日本の格闘家より素早い動きでゴコウさんに殴り掛かった。
そのあとの動きは俺には見えなかった。
うん、俺の動体視力じゃゴコウさんの本気の動きは到底とらえられないようだ。
地面にたたきつけられ動かない冒険者という結果だけしか、残らなかった。
呆然としているほかの冒険者たちに対してゴコウさんはさらに挑発。冒険者たちは武器を抜いた。
はたから見ていた俺から言わせてもらえば、愚行にしか思えない。
あれは武器の有無で勝敗に違いが出るレベル差ではないとしか思えない。
そして予想通り男たちは全員地に伏せることになる。しかも街中で武器を抜いてしまったからか牢屋行きのようだ。兵士たちに拘束されて引きずられていった。
ゴコウさんは普段はさえない爺さんにしか見えないが、やはりただ者じゃなかったか。
その後店に戻ると、牛娘テーブルにエールが運ばれてくる。ゴコウさんにお礼のつもりかどんどん酒を持ってくる。
ゴコウさんは酔いつぶれるまで飲んでいた。酒は好きらしいが、酔いつぶれるのはいただけない。
酒は飲んでも呑まれるな。
非常に大事な格言だよな。