第6話 薬剤師の男
気が付いたら俺は牢屋の中にいた。
うん、何が起こったかよくわかっていない。
しかもいつの間にか朝になってるし。
「パナシェ、ミント、シャンディー、ディーゼル」
呼ぶと順に手から頭を出していることを伝えてくれた。
何が起こったのか教えてくれと言いたい所だが、こいつらに言葉は通じない。
何か手がかりがないかと周りを見る。
俺が寝ているのは地べたではなかった。一応布が敷かれており、掛布団まであった。ほかの牢屋には地べたで寝ている人たちがいるので、俺の待遇がいいのがうかがわれる。
殴られたところから記憶がない。疲労がたまっていた俺はそのまま気絶してしまったのだろう。
赤ん坊を連れてきた、というプラスの面と言葉が通じない怪しいやつというマイナスの面で、このような待遇になったのだろう、とあたりを付ける。
兵士が持って来た食事も明らかにほかの牢屋の人たちより良いものだったため、やはりそこら辺は考慮されているのだろう。
ただ、出てきたのは固いパンだったが。まあ、牢屋でいい飯を食べれるなどと思うほうが間違っているのだが。
食事が終わると、兵士に牢を出るように言われる。ついていくと、机のある部屋に羽ペンとインク、そして紙があった。流石に紙は日本の用紙よりも悪い、動物の皮、おそらく羊皮紙と思われるものであったが、何かを書くには問題のないようなものだった。
文字でも絵でもなんでもいいから意思疎通をしたいと思っているのだろう。
とりあえず、護衛っぽかった人達を五人分書き、六人目は分かりやすいようにスカートを描いた。
ここまで通じているのか兵隊の顔を見る。うなずいたので続きを書く。
記憶の限り、人型に線を描いていく。腕に首に、体に。さらに矢を一本書き、人型に点を描いていく。
俺の意図したことに十分に兵は気づいてくれたのだろう。うなずいてくれる。
俺としてはこれ以上伝えられることはなく、ペンを置く。精霊のことは今伝えることではない。あの現場の状況だけ書けば十分のはずだ。
兵は俺が伝えたいことが十分に伝えたと分かったのか、次の部屋に案内する。小部屋で兵は外から扉を閉めた。トイレだった。
ありがたい、ちょうどしたかったんだ。
用を足して。外に出る。
兵が再び俺を牢屋に案内する。ほかの囚人たちを確認すると、足かせか手かせがついており、俺への待遇が違うことが違うことがうかがえる。
良すぎるような気もするので油断はしないようにしよう。油断しようがしまいが、変わらないような気もするが。
とりあえず、精霊たちには悪いが、ケーキや酒は出さない方針で行こう。最も人がいるこの状況では隠れて出てこないようだからそれで文句もないだろう。
牢屋の中で待っていると先ほどの兵が、再び俺を牢屋から出す。やはりついてこいと身振り手振りで伝えるので、ついていく。
行先は先ほどの机のある部屋だった。黒ローブに身を包んだ先客が一人。ひげを伸ばした爺さんだ。俺よりだいぶ年上だろう。怪しいというか胡散臭いという印象の人物だ。
爺さんが俺に話しかけてくるが、やはり爺さんの言葉もわからない。爺さんのほうも言葉が通じないことをわかっているのか、たいして気にした様子もなく懐から何かを取り出した。
見覚えのある葉、俺がミントにもらった葉っぱだった。
パーカーのポケットを確認すると葉っぱは二枚しかない。理由はわからないようだが一枚は爺さんが持っていたようだ。
葉っぱは返してくれたのでポケットにしまいなおす。
爺さんは兵に何か言ったあと、俺についてこいとやはり身振りで示す。
あっさりと外に連れ出された。なんの拘束もされていない。今のところ昨晩ぶん殴られたこと以外は好待遇なのでとにかく信頼してついていく。というか、それ以外の行動をしたらあとが怖い。
しばらく歩いた後、村の中心から離れていく。一度建物が途切れる。その先に畑に囲まれた小さな建物があった。中に入るとその場所がどのようなものか視覚より先に嗅覚が教えてくれた。
濃い草のにおいが、漢方を思わせ、爽やかな清涼感のあるにおいがハッカにつながる。
その答えとばかりにその建物の中には棚が敷き詰められその中にはビンが並んでいる。
ビンの中には乾燥させたり、すりつぶされたりした草が入っている。中にはポーションのような液体の物もある。
爺さんは薬剤師ようだ。
そんな爺さんがなぜ、俺みたいな不審人物を引き取ったんだろうか?
疑問に思うが、爺さんは棚の奥から何やら引きずりだしてきた。四角い板のようなもので宝石の原石のようなものが一つ埋め込まれている。それをどうするのかと思ったら、いきなり机にたたきつけていた。遠慮なくガンガンとたたきつけている。
すると、何やら声が聞こえてきた。爺さんの声ではなく、若い女性の声だ。どうやら四角い板は通信機の役割を持っているようだ。
しばらく俺のことを放置して爺さんはその女性と会話をしたのだが、こちらを向き直った。
『あーあー、君は日本語が通じるかな?』
しっかりとした日本語が通信機から響いた。
「はい。通じます」
『ああ、よかった。この爺さんが日本語を喋れるかどうか、確認してないとか一番最後にほざくから通じなかったらどうしようかと思ったよ』
「こちらとしては、日本語が通じるのが驚きですけどね」
『まあ、そこら辺は置いておいて、今はそちらの状況を説明しよう。この通信魔法は燃費が悪くてね。あまり長いこと話してられないから、さっさと本題に入ろう』
なぜ日本語が通じるのかは気になるが、通じる人がいるという事実があるだけで今は十分だ。それよりも現状を確認出来るということがありがたい。
『まず、君が連れてきた赤ん坊だが、そこの村の貴族のご息女でね。実家で産み育てていて、ようやく父親のもとに、ということだったらしい』
「そこを盗賊に襲われたようですね。俺がその場に行った時にはすでに護衛と思われる五人と母親が殺されていました。赤ん坊がなんで生かされたのかはわからないですが」
『実は君が着く前に貴族のところに手紙が届いていてね。娘は預かった。金をよこせと』
身代金目的で馬車を襲ったわけか。
『手紙の詳細は省くがそんなわけで、騒ぎになっていたところに君が村に着いたわけだ。村の兵たちはその話を聞いていたから、すぐにその赤ん坊が誘拐されたとされる子供だと悟ったわけだ。普通は君が盗賊の一味だという可能性を疑うんだが、村に真正面から現れる盗賊もいないだろうということで、簡単に拘束して連れていくことにしたわけだ。そして村に入ると親が君をみて盗賊の一味をとらえたと勘違いをして一発食らわしたというわけだ』
「まあ、気持ちはわかりますが話くらい聞いてほしかったですね。通じないですけど」
『しょうがないだろう。君に血がついていて酒の匂いが漂っていたんだから、ろくでもないやつと判断したんだろ』
「あー、確かに膝のところに血がついてますね。気づかなかった」
たぶん死後硬直を確認したときについたものだ。酒臭いのはしょうがない。何しろ酒を出しまくってたんだから匂って当然だ。
「にしてもそんなやつをあっさり出しましたね」
『ああ、その通り。普通なら一週間以上は拘束されるはずだった。でもそうはならなかった理由がわかるかい?』
「全く、いえ……。心当たりはあるんですが。あの葉っぱですよね?」
ローブの老人にわざわざ渡されたことから何らかの意味があったのだろうと予測していた。
『なかなか鋭いな。君の懐から出てきたリリエの葉は、その村のシンボルなんだよ』
『もともとそこには村も道もない場所だった。そこに一人の魔女と呼ばれる薬剤師が住んでいた。その魔女はあらゆる病を治すことができたという。魔女が使う薬の主成分がリリエの葉だったそうだ』
「よくそんな貴重な葉っぱをみんなが知っていますね」
貴重な葉っぱなのによく魔女は原材料を公表したものだ。
『いや、リリエの葉事態は珍しくもない。酔狂な貴族が庭木に植えることもある程度のものだ』
「じゃあなんで?」
『魔力あふれる地で樹齢を重ねなければ効能の強いリリエの葉は育たないらしい。しかも、効能のある葉もその地から離れるとあっという間にどこにでもあるリリエの葉に戻ってしまうという』
面倒な葉っぱだな。
『そんな葉を新鮮なまま持っていたことが君への信頼につながった。リリエの効能を保つ方法は二つ。一つは加工すること。これで多少日持ちするようになる。もう一つは精霊に加護を与えてもらうということ』
精霊。という単語に俺は息を飲み込む。
『精霊はふつう加護を与えた葉など渡さない。悪人などもってのほかだ。そういった行為をする相手は相当に信頼されているといっていいだろう』
「つまり俺は精霊に信頼されているので信頼ができるかもしれないと?」
『ついでに君の前、いや横か? 大穴で後ろにいる薬剤師の爺さんが間違いなく精霊の加護を与えられたリリエの葉だと断言したことで、君の安全は確保されたよ。そこの爺さんは腕を認められた薬剤師だから信頼度は高かっただろうね』
「普通に真正面にいますよ。……例えばそのリリエの葉は俺が盗んだものだとしたら?」
『だとしたら、精霊の加護は解けているね。仕組みはわからないが、本来の持ち主から奪った場合、自然と解けるものだそうだ。兵士が持って行った時も、その爺さんが受け取ったときも奪うつもりがなかったから加護は解けなかったんだろ。そこら辺は専門家じゃないからわからんが』
「まあ、俺が無罪だと保証してくれるなら何でもいいんですけどね。しかしリリエの葉がなかったら牢屋から出られないは、正直危ないところだったのか」
『いや、一応ほかにも釈放された理由はあるらしい』
ほかにも? さすがに思い当たることはない。
『……まあ、教えても問題ないか。赤ん坊を助けたろ?』
「あ、はい」
『その子に、母親が加護をかけていたのさ』
「こっちも加護ですか」
『もともと襲われた母親のほうは結界の魔法を使えたらしい。最後の最後で赤ん坊に命をとして結界の加護をかけたんだろうな。たとえそこの爺でも解除できんほど強力な加護だよ。解除する気もないだろうがね』
この爺さんの実力は俺には今一つわかっていないが、口ぶりからすると相当なものなのだろう。
『その加護の効果は、悪意を寄せ付けないといったところか。だからこそ盗賊は手出しができなかったわけだ。近づくことすらできない代物だったそうだから』
「あー、その加護に俺が引っかからなかったから」
『無罪放免。というわけだ。ちなみにその魔法は間違いなく、母親がかけたものだと領主自身がはっきりと断言したから君への疑いはきれいさっぱりなくなったね。ただ……』
ただ?
「貴族やら領主やらはややっこしくてね。それだけで本人だと言えないんじゃないかという声も周りで上がっているらしい」
「面倒ですね」
「面倒だな。そんなごたごたが裏であるらしくってな。詫びに来ることもできないらしい」
「わざわざ詫びに来てもらおうなんて思ってないんで大丈夫です」
赤ん坊は助けたが、お礼がほしくてやったもんでもないし、貴族の面倒事に首を突っ込みたくないので、詫びも礼もいらない。
ただ、無一文なんだよな。しかも言葉も通じないのはどうしたもんか。
『これで大体君を取り巻く状況を理解できたかな?』
「大体わかりました。取り敢えず一つ聞いていいですか?」
これまで聞き損ねていた大事なことを聞く。
「あなたの名前とこの男性の名前教えてもらっていいですか?」