第5話 たびのおとも
結界を抜けるとそこは森だった。結界の内側の川沿いには草原が広がっていたので、ずいぶん景色が変わっていることになる。
ただし、この森を出たところの足元には水が湧いており、ここから川が出来ているようだ。
結界内から続く川を下っていくつもりだったので、一瞬川がなくなって焦ったが、湧水が流れていて安心した。念のために一升瓶に水を入れてきているので水の心配はそこまでしていなかった。それよりも川があるというなら、その付近に人が住んでいる可能性が高いと思っていたのだから、その川がなくなったので焦ったのだ。湧水が流れ、川が出来ているのであれば、精霊の結界から流れ出ている川でなくても目的は達成できるので問題ない。
ふと、ケーキを出す能力はあそこでなければだめ可能性が頭に浮かんだ。
「セーフ。これで出せなかったら、野垂れ死に確定だったな」
出せることに安堵する。ついでに酒も出た。
さてこれから川に沿って歩いて、人のいる場所を探すとしよう。
☆
……疲れた。
安全性が確保されていないうえ、足元が岩や草、木々で安定しない。昼間で歩いたがほとんど距離は稼げていないだろう。せめて靴があればと願ってみるが、出て気はしない。
とはいえ、歩いている結果は出ているはずだ。ごつごつした岩が少しではあるが丸みを帯びて小さくなってきている。
大きめの岩の上に腰掛けケーキを食べることにする。獣が来たらパイ投げの要領で撃退しよう。うまくいけばケーキに夢中になって逃げられるかもしれない。最悪、深くなった川に飛び込んで流れて逃げよう。
一人でケーキを食べているとさみしさがこみあげてくる。精霊たちが一緒に食べてくれたあの時間はかけがえのないものだったようだ。やはり食事は一人より 誰かと食べるのがおいしいのだと実感した。
情けないことに早くもあの場所が恋しくなる。我ながらメンタル面が弱い。
いや、当然か。慣れない野宿、しかも壁も屋根もない場所で暮らしていたのだ。弱っているのは当然だ。だが、あのタイミングであの場所を出たことは間違いではないはずだ。
今くらいは落ち込んでもいいだろう。周囲を警戒した後なら少し下を向くくらい許されるはずだ。
数十秒悲しみに暮れる。
それだけの時間で、少しだけだが切り替えることができた。
「食べないと力でないよな。もう少し食べとくか」
改めてケーキを食べることにする。
イチゴを避けてケーキをつかむと、そこにイチゴを載せてくれた。
おう、ありがとう。
「ってなんでいるんだよ!」
おいてきたはずの精霊がそこにいた。
つかんだケーキにイチゴを載せてきた水色の精霊以外の三匹も何食わぬ顔でケーキを食っている。
俺のほうを向いて、にやりと笑う。してやったりと。
言葉は通じずとも、はっきりとわかった。
こいつらなりの意趣返しなのだろう。
「それにしてもどうやってついてきたんだ?」
俺は歩きながらも時折後ろの確認もしてきた。後ろからガブリとならないよう、けっこう頻繁に周囲を気にしていた。当然振り向いてもいた。それなのにどうしてと思っていると、その答えを水色の精霊が教えてくれた。
俺の手に近づき、触れたかと思うとそのまま体の中に入っていく。すっぽりと体がすべて消えた後、再び姿を現した。どうやら結界の中で体当たりをしてきたときに体の中に入っていたらしい。
「おまえら、これからもついてくるつもりか?」
すでに半日分も歩いたところで姿を現したということは、戻る気はないのだろう。まあ、戻る気があるのならばケーキを食べ終えた後にでも戻るのだろう。
そしてケーキを食べ終えた後に精霊たちは俺の中に入ってきた。予想通り俺についてくるつもりなのだ。
しょうがない。俺は責任をもってこいつらと一緒にいこう。精霊に対してペットの様に責任を持つというのは失礼なような気もするが、そういった心構えでいこうと決める。
「じゃあ、まず名前を付けようか」
ここ数日一緒にいたが、名前を付けることはためらっていた。俺と精霊との関係がどうなるかわからなかったため、不便であってもこれまでは名前を付けていなかった。
これから一緒に旅をするというのならば名前が必要だろう。
「なんにするべきか、考えていくか」
先は見えないものの楽しみが一つ増えた。
かわいい名前を付けることができればいいのだが。
……オスとメスとの区別がつかないことはどうしたもんか。
名付けは難航したものの完了した。性別はあまり考えないことにした。精霊の性別なんて判断できん。
好奇心旺盛な水色の精霊をパナシェ。
よく眠る濃い緑色の精霊をミント。
攻撃的で髪の毛を引っ張る薄い緑色をシャンディー。
スポンジをおいしそうに食ってくれる茶色をディーゼル。
最初はありがちな四精霊的な名前を付けようかと思ったが、緑が二人で赤色がいないのでやめた。
名前の由来は一応あるが、引用するには少しばかり問題のあるところなので、秘密にしておく。
一匹ずつ、名前を何度も呼んで少しずつ定着させていく。最初呼び始めたパナシェは疑問符を浮かべてばかりだったが、ほかの精霊たちに名前を呼んでいくと、自分のことを呼んでいたのとわかったようで、二巡目には理解したのか呼ぶときちんと反応してくれるようになった。ほかの言葉はなかなか通じないが、名前を呼べるというだけでもうれしくなる。
そして同時に自分の名前も教えていく。
「城樹。シ、ロ、キな」
自分を指さし伝えるとこれも理解できたようでシロキといえば俺のほうを指さすことができた。
しかしまあ、よい暇つぶしができた。目的地がどこにあるかわからずひたすら歩くというのはなかなかにしんどい。
名前を考えるだけでほぼ半日つぶすことができたのは大きい。その分周囲への警戒を怠ったような気もするが、精神的にずいぶん楽だった。
「にしても日が暮れてきた。また野宿か……」
またといっても今回は身を守る結界もない。完全に野宿である。
「もう少し頑張ろう」
暗くなってきたが、足元が見えないわけではない。
そしてその判断は良い方向に向かった。
「声?」
川の流れる音にまじってわずかに聞こえたそれは音ではなく、声に聞こえた。
人の声か動物の声かまで判断できない。音をたてないようにゆっくりと近づく。まず見えたのは川沿いの橋だ。木々に隠されていたためずいぶん近づくまで見つからなかったが明らかに人の手で作られていた。
そのことに安堵する。少なくとも橋を作るだけの技術を持った生き物が近くにいることは間違いない。
さらに声の主に近づくと、それが見えてきた。
車輪の着いたおおきな箱。おそらくは馬車だろう。もっとも馬はいなかった。
そこで俺は一度足を止めた。ここから先に足を踏み込むのは覚悟がいる。すでに嗅覚が警告を鳴らしている。やばいと。
深呼吸を五回ほど繰り返す。余計に気分が悪くなった。覚悟など決まらなかったが、何度繰り返してもこれ以上の覚悟はできないだろう。
いつまでも覚悟を決めることができないのであれば、今進むしかない。
足を踏み出す。
そして目の前に予想されていた光景が広がる。
血の海。
ドラマなどで死体は何度か見たことがあるが、本物の死体など数えるほどしか見たことがない。出血死しているものなど初めて見た。嗅覚への刺激もあって、すさまじい吐き気が襲う。
俺はその場を離れ、胃の中の物をすべて吐いた。ケーキだけでなく胃液まで吐き出したところで、馬車に近づく。
近づきたくもないが、声の主のためにもそうはいかない。
できるだけ視線を上にあげ、死体を見ないようにして馬車に近づく。
馬車の扉を開けると声の主がいた。
「お前は見逃されたのか?」
答えは返ってこない。
言葉が通じないということはわかっていた。泣いて叫ぶことくらいしかできない赤ん坊なのだから。見たところまだ二、三か月程度の子供だ。
改めて、外の遺体を見る。
男が10人以上。女性が一人。男の遺体は損傷が激しく、頭に矢が刺さっているものや腕がないものもいる。逆に女性には一太刀のもとに切り捨てられている。男たちは身なりの良い者たちと悪い者たちが半々くらいで転がっている。
偏見かもしれないが、身なりの良いほうが護衛をしていて、悪いほうが盗賊か何かで襲ってきたのだろうと予想できた。
一人の男のそばに金属が転がっていた。折れた刃物、ロングソードとでもいうようなものだ。激しい戦闘があったのだろう。死体に切り傷などあるのに武器が落ちていないところを考えると、使える剣や金目のものをとっていったのだろう。
赤子を殺さなかったのは良心が咎めたのか、それともわざわざ口封じをする必要がないと判断したのか。
理由はどうであれ、俺がこうしてここに着いたことでこの子の未来は変わったのだろう。
状況を確認するため、遺体に触れる。おそらくこの子の母親だろう女性の手を取る。冷たくなっているものの、持ち上がらないほど硬くなっていない。素人判断ではあるが、殺されてまだ間もないのだろう。
暗くなってきているが、根性を出して町まで行くことにしよう。
俺の予想が正しければ、町は近い。
この現場がなければ俺はどちらに行くべきか迷っただろうが、状況が俺にどちらに行ったほうがいいか教えてくれた。
まだまだ小さな赤ん坊を連れて長旅や野宿はしないだろうと予想がつく。ならばこの馬車の道程は長くないだろう。そして、死後硬直が始まっていないことを考えると、この遺体は夕暮れ近くに殺されている。朝に出発して夕刻までに着く予定。そう考えれば馬車の行く先に町があると考えられるのだ。
「根性入れないといかんな」
一升瓶はあきらめよう。赤ん坊を抱きながら一升瓶は持っていけない。茂みの中に突っ込んでおく。数少ないこちらに持ってこれたもので、少なからず愛着もある。機会があればとりにこよう。
赤ん坊を包んでいる布ごと丁寧に抱き上げ、馬車の向かっている方角へ歩き出す。
できる限り休憩を入れずに一気に行こう。暗くなりきる前に、いや暗くなっても歩いていく必要がある。
赤ん坊の体力などそんなにないだろうから、俺が無理しなければならない。
道をひたすら歩く。暗くなって道が見えなくなってくる。
蹴躓きかけ、パナシェたちに声をかけ、ろうそくを持ってもらって足元を照らしてもらうことにする。もっとも持ってくれたのはディーゼルとシャンディー二匹でパナシェとミントは火が付くと放り投げてしまった。
薄っすらとした二つの光を頼りに再び歩く。
そして森を抜けたところで遠くに明かりが見えた。いくつも見える明かりは遠くにあるものの、ろうそくの光より力を放っていた。
「あそこまで頑張るぞ」
何度も赤ん坊を下し、ろうそくを取り換えながら、光のある方角を目指す。
ようやく町のざわめきが聞こえてたと思うとディーゼルとシャンディーがろうそくを下ろし、俺の体に入ってきた。
「どうかしたのか?」
疑問に答えは返ってこないが、正面を見ると光が近づいてくる。松明の光を持った男たちだ。規格化されているのか同じ鎧を着ているのでどこかの兵なのだろう。
どうやらこちらのろうそくの光に気づいたらしい。
男たちは俺の前で止まり話しかけてきた。が、全く言葉が分からない。
「この子を頼みます」
とにかく俺は赤ん坊を渡す。言葉は通じなくとも意図するところはわかったようで、ひと際年を取っている隊長と思われる兵が若い男性に支持を出した。その若い男性は俺から赤ん坊を受け取り一足先に町に向かった。
俺はというと兵たちに囲まれる。
一触即発な雰囲気が流れているような気がするが、俺に何かする意思はないし、そもそも何もできない。
兵たちの間で話がなされた後、隊長についてこいと身振りで示さた。
当然俺はついていくことにする。
どうやらそれなりに察してくれているようだ。そうでなければ俺はひっ捕らえられているはずだ。手錠のような道具を持っている兵もいたのだ。
拘束されなかった以上、犯罪者とまではみなされていないはずだ。ただし周囲にいる兵士たちは剣を何時でも抜けるようにしていたので、無警戒というわけでもないのだろう。
町に着く。木でできた柵で三重にも囲まれた町だった。いや、町というには規模が小さいので村なのだろう。
木でできた柵が、これからも村を拡張していく気概を見せているようにも思われる。
柵の最も内側に入ったところで先ほどの赤ん坊を抱いた男性がいた。
無事に親の元の帰ることができたようだ。思わず笑みがこぼれる。根性を出してここまで歩いた意味があった。母親を亡くしてこれから大変だろうが、そこはもうどうしようもない。
男性が俺のことに気づいた。赤ん坊を近くにいた年を取った女性に渡し、俺のほうに近づいてきた。
あれ? 怒ってね?
しかも走ってきた。
そして俺の顎に腰の入った右ストレートをくらわした。
なぜに?!