新米ヘルパ―
新米ヘルパ―
最初の研修
味噌汁を作るだけだった。
「それでも難しい。」
「こんなことじゃヘルパ―になれねぇや。」
「掃除ならできるんだけど。」
T教S教会で掃除は、きたえられていた。
勤務地まで往復、徒歩。
帰ってきたら、教会の台所の掃除
「ピカピカにしてやる。」
休む時間は、9時から5時。
「一人の時間がないよ。つれぇ。」朝、起きると
「もう、朝か。なんなんだよ。一体。」
「住み込みは、つれぇ。肩身がせまい。(泣)」
「たいした人間でもないのに、宗教に入って修行なんて、俺には無理だよ。」ストレスがたまっていった。 朝の掃除を終え、朝食を少量食べ、歩いて勤務地まで30分。
「ああ、こんなこと、続くわけねぇじゃん。」 周りは、女性ばっかり、
「しかもレベルたけぇ。」
「そうじゃなきゃ教えてもらえないか。」
「なんかバカにされてるみたいだ。」
「謙虚にならなきゃ。」俺は、女性とはいえ、素直で謙虚になった。
シ―ツ交換の研修
「うっ。できない。全くわからない。」女性ヘルパ―だから親切に細かく教えてくれる。
「有難い。」負けず嫌いの俺は
「一分以内にシ―ツ交換してやる。」でも、できなかった。
「俺に介護なんてできるのか。」
ある時、利用者さんができ、先生と三人で行くことになった。音楽好きでハ―モニカや、見たこともない楽器を見せてもらった。先生が色々と話し相手になっていた。
「結構、介護って楽しいなあ。」
帰りに
「楽しかったです。また、来ますね。」(笑顔)
先生
「いい声かけですよ。」
「おっ、褒められた。」
「俺にも介護できるかも。」単純な精神構造だ。でも、褒められて嬉しかった。自信がついた。
「なかなか、先生、教育上手だな。」でも、その褒められた一言で俺は変わった。
「絶対にプロのヘルパ―になってやる。」それからは、気合いを入れてチャレンジ精神旺盛になった。しかし、また、難関。
調理の研修
「頼むから作り方を手取り足取り教えてくれ。先生。」必死だった。だってプロのヘルパ―になってやると決めたんだ。質問しまくり、手取り足取り、調味料の量や、野菜の切り方など教わった。ほとんど、自分でしてないが、完成した。先生が
「教会に持って帰って、はじめて作った料理を食べてもらい。」
「自分でほとんど作ってないんだけど、自分で作ったのと一緒。」教会に持って帰って
「今日、研修で作ったんですよ。食べてもらえませんか。」娘さんが、一口食べた。
「おいしいよ。」自分で作ったわけじゃないので嬉しくなかった。
「でも、少しは手伝ったから、まあ、いいか。」
それから、たくさんの利用者さんのお宅へ派遣されるようになった。
会社の社長だったNさん。阪神ファン、TVで阪神戦を見ながら、
「Nさん、一緒に歌いましょう。」
「六甲おろしに颯爽とー。」
「Nさん、ノリがええなあ。」毎回、訪問する度に六甲おろしを歌った。
ある時、事務所にいると、電話で主任から
「Nさんが倒れてる。すぐに来てください。」
「わかりました。」行ってみると、駐車場のところでこけていた。
「Nさん。大丈夫ですか。立てますか。」電柱に捕まり立たれた。救急車が来た。僕は、
「大袈裟になっては、いけない。」と、判断し、
「Nさん、家に帰れますね。」
「うん。帰る。」救急車は、帰っていった。Nさんの歩行介助をして、マンションの上まで連れて帰った。
「Nさん、問題が大きくならなくてよかったですねぇ。」Nさんは、ベッドに座って黙っている。しばらくして、
「大袈裟にならなくてよかった。」僕は、
「うん。これでよかったんだ。」 一件落着。
Fさんのお宅では、一時間の掃除。僕の得意分野だ。でも、まだ、未熟な僕は、四角四面の掃除をしていた。今になれば几帳面過ぎて、きれいにするのはいいけど、ヘルパ―の掃除としては未熟だったと思う。そのうち、1日、5件行くようになり、月、13万、稼げるようになった。
再発
しかし、とうとう、統合失調症が再発した。教会に帰った夜、
「あんた、冷蔵庫漁ったやろ。」その瞬間
バ―ン
食卓を正面に倒した。
「漁ってへんわ。」向かっていった。
「冷蔵庫なんか漁ってへんわ。」そのまま、TVの部屋のテ―ブルを
バ―ン
暴れまくった。ストレスが限界にきていたのだ。わめいていた。
「警察や。」
「僕が電話してやる。」受話器を上げて110番を押そうとした瞬間切られた。急いでコンビニの前の公衆電話にテレフォンカ―ドを入れ、警察に電話した。そして、教会に戻ってきて、割れていた皿を拾い、炊事場で洗っていると、背後に気配を感じ、包丁を持ち、バッと振り返り包丁をつきつけ、
「出て行け。」
警察が来た。僕は、急いで玄関に行き、両手首を合わせ、
「刑務所に放り込んでくれ。」警察官は、
「まあ、まあ。」
「ちょっと、おいで。」とパトカーの中に連れて行った。警察官に
「教会には帰らない。」
「じゃあ、どこに行くの。」黙っていた。そして、警察署に連れて行かれ、長椅子に座っていると、父親が来た。そして、通院していた病院に車で連れて行った。
「先生、おられますか。」
「この時間は、受け付けておりません。」
「親父がたのんどんのやろがい。」
「黙っとけ。」
受付の人は、状況に気付き、Dr.に連絡し、Dr.が外来に来た。診察室に入り、教会での様子を話すとDr.は
「これは、あの病棟やな。」そして、看護師に連れて行かれた。病棟に着くと
「一人になりたいから保護室に入れてください。」一晩、保護室で寝た。朝、起きると
「寂しいから出ます。」
「寂しいから。」そして、病棟のベッドへ行った。
二回目の入院
ロッカーに袋に入れたエコ―を40個。いくらかお金を持っていた。友達ができ、毎日、午後一時半に二人でお菓子を飲み食いした。ストレスが抜けていなかった僕は、ある日、別の部屋のオジサンに腹を立てカンの灰皿を取って来て、目の前でカンの裏側を
「なめとんのかい。」と殴り潰した。
ある日、一台のベッドの掃除をした。ヘルパ―のプライドが高い僕は、必死で分解を手伝い、雑巾できれいに拭きまくった。きれいになったベッドを見て自己満足に浸った。
そして、エコ―40個をどんどん人にやった。僕は、タバコがなくなった。Yさんが
「N君、コ―ヒ―とタバコを自由にのんでいいからな。」神様の御守護に感謝した。
「いい人と同部屋なってよかった。」Yさんは、非常に面倒見がよく仲良くしてくれた。隣のベッドのオジサンは、夕食になると、オカズを分けてくれた。
「N君、あげるわ。」
「ありがとうございます。」とても至れり尽くせりの有難い部屋だった。お蔭で、体力が回復していき、背中の疲れも取れ、元気になってきた。
詰所で毎日来るケ―スワ―カ―に相談を何度もした。そして、主治医が、援護寮を紹介してくれ、援護寮のKさんが来られた。そして、色々、話したが、内容は、覚えていない。
「K施設長は、僕にどういう印象を持ったんだろう。」ある日、病棟診察
「君は、就労だけが問題やからねぇ。」
「そうなのか。確かに、一人暮らしもしたし。ただ、薬をのんでなかっただけだ。」希望が見えた。そして、ある日、
「そろそろ退院しようか。」
「はい。」外来に父親が来た。二人とケ―スワ―カ―と援護寮へ行った。個室へ案内され、
「きれいな所やなあ。」ベッドと布団があり、電話もあった。
「ホテルみたいだ。」そして、退院し、入寮した。
「集団生活が続くなあ。」別に嫌ではなかったが、寂しがりの僕には、助かる。
仕事に復帰し、最初は、週1件から始めた。あとは、デイ・ケアというリハビリに行った。
援護寮に
「尾崎豊」の好きなAさんがいた。Aさんは、隣同士の部屋だった。毎晩、ホ―ルでAさんと
「十七歳の地図」を聞いていた。
ある日、施設長のKさんから
「精神障害者ホ―ムヘルパ―の講師をしないか。」と誘われた。なんとお金がもらえるらしい。リハ―サルをせず、ぶっつけ本番で40分の体験談を4回程こなした。はじめての経験だったが、自分の勉強になった。
また、
「Iさんもヘルパ―の資格を取りに行ってるから、友達になってあげて。」と言われ、Iさんに話しかけ、すぐに友達になった。
デイ・ケアに行くとお金を払わなければならないので、働いた方が、小遣いになると欲が出て、仕事をどんどん増やしてもらい、月、八万稼げるところまでいった。診察でDr.が
「生活費の2/3を稼げるようになったから、そろそろ一人暮らしを考えようか。」と言ってくれた。K施設長に
「不動産屋に行って来なさい。」と言われ街の不動産屋に
「月、四万位の家賃の所で風呂付きはないですか。」と聞いた。ヘルパ―をしているので、清潔にしなければ、と思い、風呂付きは、絶対条件だった。そして、車で四件回り、一件決めた。風呂付きで、月、四万五千だった。父親が、援護寮に来て、その話をし、援助してもらいながら一人暮らしをすることになった。