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しとしとと降り続く

作者: 店員

登場人物、団体名はフィクションです、あらかじめご承知下さい。

どれくらい眠っていたのか。しとしとと降る雨音に気づきゆっくりと私は目を開けた。

だるく重たい体を持ち上げ、窓越しに見える暗い空と止む気配を見せない細く小さな雨を見つめる。

あ、と小さな声を上げ私は先程干した洗濯物の事を思い出した、今頃外側の洗濯物は濡れて再度洗わなければならない事になっているだろう。重い体を素早く起こしベランダに向かうが、そこに洗濯物は一つもなく部屋の隅に粗雑にたたんで置いてあった。背後から扉が開く音がしたので振り返ると、肩が少し濡れた母が立っていた。


「来てたんだ。……洗濯物ありがとう。」


一人暮らしの部屋に突如母が現れた事に驚きの色は隠しきれなかったが、洗濯物を取り込んでくれたのは母だという事はすぐにわかった。


「あーあこっちの部屋も散らかって。」

「ちょっと!勝手に見ないでよ!」


入ってくるなり早々、他の部屋の散策を始めた母を止めに行ったが時既に遅く、クローゼットを開けられ中に押し込んでいた季節外れの洋服、いつか使うであろうと乱雑に入れていた日用雑貨が雪崩のように出てきていた。

母はやれやれと言わんばかりに首を横に振って見せ、


「いったい誰に似たんだか。」


と呟いた。


「確実にお母さんだと思うよ。」


母も私か、と納得した顔をして笑った。


「亡くなったお父さんが見たら絶句するわよ、あの人は無類の綺麗好きだもの。あたしもよく怒られたわあ、今も散らかっていると何処からかあの人の怒った声が聞こえる気がするの。」


母はふふっと笑いながら父の自慢話を語り出した。

何度も聞いた父の話。母はまるで自分のことのように嬉しそうな顔をして、父の自慢話をしてくる。それも耳にタコが出来るくらい沢山のことを何度も何度も。でも決して嫌な思いはしたことない、寧ろ私は父の話をしている楽しそうな母を見るのが好きだ。しかしこのまま放っておくと小一時間ほど喋り続けてしまう、流石にそれは厄介だ。


「わかったって、そこでお父さんが格好良く助けてくれのでしょ?」

「まぁ佳菜美はまだまだ大人の男の魅力は理解出来ないでしょうけど。」


はいはいと母の話を流してここで終止符を打つことにした。



幼い頃私は父を亡くした。死因は事故死。近隣の山に登山に行った時の事だ。私がはしゃいで崖の上まで登り、後ろにいた両親の方を向こうと振り返った瞬間足を滑らせた。咄嗟に助けに来た父が落ちる私を抱き締め、そのまま私と一緒に崖の下まで転げ落ちた。父のお陰で私は致命傷には至らず右足骨折で済んだが、父は頭を強打、発見されたその場で死亡が確認された。話によると発見された時も父はしっかりと私を抱き締めていたそうだ。

あの日あの時私が両親の注意をしっかり聞いていれば、もっと足場に気をつけていれば父は死なずに済んだのだ、どんなに責め立てられても仕方ない。しかし母は一度も私を責める事はなく、むしろ楽しかった父の話をし続けた。まるで、私に父を忘れさせないように。


今私の部屋は異様な光景に包まれている。クローゼットに押し込んでいた物を整理しようと母が奮闘しているが、余計部屋中に物が広がっていく。元々整理整頓が苦手な母は洗濯疎か掃除すらまともに出来ない、不器用極まりない人だ。


「お母さんもういいよ……余計散らかるから。」

「おかしいわね、整理してるはずなのに。」


その上無自覚ときたもんだ、こちらとしてはもう手を出さないでくれと言うしかない。


「もういいわ、後でしましょ。それよりお腹空いたわね、何か作ろうかしら。」


この部屋が片付くのは一体いつになるのやら……。


「雨も止まないわね……。ふふっそうそう覚えてる? 佳菜美が小さい時どうしても外で食べたいって聞かなくて、出かけたはいいけど、途中で雨が降って来てコンビニで傘を慌てて買いに入ったら、そこで貴方は真っ赤な傘を指差してこれが欲しいって言い出したのよ。赤一色の傘であたしは正直どうかと思ったけど、佳菜美はその傘がえらく気に入ったみたいだから買ってあげたの。そしたら急に上機嫌になって赤い傘をクルクル回しながら歩いて、結局それで満足しちゃってご飯も食べずに帰ったの。なんの為に家を出たんだか、笑っちゃったわ。」


皮肉そうにも楽しそうに語る母。その日の事は私も少しだけ覚えている。両親には茶色や淡いピンクの服を着せられていたのもあったのか、その赤一色の派手な傘に一瞬にして目を奪われた。大切な思い出の傘、思い出す度結局食事に行かなかったことを私も笑ってしまう。


「ごめんなさいね。私達の趣味で茶色とか地味な色が多かったものね、貴方はもっと明るいのが好きだったのね。」

「いいよ。結局私は今も茶色の服ばっかり好んで買っているし、赤色の物はあの傘だけ。」


暫くの間部屋には雨音だけが響いた。その沈黙の空間はどこか心地良く、黙っている母の顔は少し寂しそうで、けれどとても嬉しそうな優しい顔をしていた。

よし。と、母は一声あげ台所に向かうと一番に冷蔵庫を開けた。ろくなものが入って無いと文句を言いながらもせっせと準備をしていく。


「今日は佳菜美の好きな焼きそばを作ってあげる。材料はギリギリだけど、2人分ならなんとかなるわね」


焼きそばの単語に思わず肩が反応してしまう。母の焼きそばは天下一品というわけでは無い、安上がりで手早く出来、家計がピンチの時に登場する料理だ。母曰くヒーロー料理と言うらしい。

台所を漁りだした母を見て、また散らかるのかと、私は軽くため息をついた。


私が1人暮しを始めたのは2年程前のこと。母のいい加減っぷりに腹が立ち家を飛び出したのがキッカケだ。1度決めたら最後までやり抜く頑固さは、きっと母親譲り何だろうと今改めて思う。

家を飛び出してから今の今まで1度も連絡を取らなかった。別に嫌いになったわけではない、だがここで連絡をすれば母や自分に負けた気がして連絡を取れずにいた。意固地と言われれば何とも反論出来ない。正直飛び出してすぐ後悔しだしたのも事実、母の雑な手料理が恋しくなったのも事実。全部分かっていた、さっさと謝って、今こんなに元気だよ、今度そっち戻るねと、言えば良かったんだ……。


いや妙だ。


私は家を飛び出してから1度も連絡を取っていないのにも関わらず、何故母はここにいるのか?どのようにしてここの住所を知ったのか?だがもっと妙なのは、今母がここにいる事は至極当然のように思える。私はいつ、どこで、どうやって、ここの住所を教えたのか。思い出せない、考えれば考える程頭が痛くなる。


思い出せない。


いや……そうか、そうだった。




その悲報は突然のことだった。

なんでもない休日に部屋の隅にある子機を見つめ、いつ向こうから連絡がくるのか、いや、いつになったら自分から連絡をするのか悩んでいた。だがここでこちらから電話してしまうと、相手の思うつぼなのではと、意味の無いことを考えてしまう。

そんな自分に呆れて、掃除でもしようかと体を動かした時、突然子機が鳴り響いた。それみろとあたしは口角をニヤリと上げ、飛びつくように子機の側まで行き手を伸ばしたが、子機を掴む寸前で手が止まった。手が動かない、何故かこの電話に出れば全てを失うような、そんな気がしてならなかった。

戸惑いながら恐る恐る子機を手に取り、


「はい……岡本です。」


と、喉から絞り出した小さな声で言った。電話の向こうは静かで、ただ男の声だけがはっきりと聞こえた。


「初めまして。私坂口建設会社の経理部の者で佐伯と言う者です。娘さんとは同じ職場で働かせて頂いてました。」


「はぁ……。」


「実はですね……岡本……娘さんの佳菜美さんが、昨日亡くなられました。」


あたしは膝から崩れ落ちた。

信じられない、信じたくない。一体何故?どうして?頭の中がグルグルと同じ問いかけを繰り返す。声が出てこない。息が出来ない。

そんなあたしの様子を察したのか、佐伯という男は先程より優しい口調で話し出した。


「昨日の夕方、車道に飛び出した子供を助けに入ったそうで、車に跳ねられて……それで……。」


男の声は今にも泣き出しそうな震えた声だった。全ての思考が停止したあたしは一つだけ尋ねた。


「佳菜美が助けた子供は……?」

「……無事です。」

「そう、ですか……」


やっと、涙が流れた。




雨は未だ降り続いている。

食事を終え、片付けに専念する。クローゼットにはまだまだ物が残っていた、一つ、一つと出していく。いったいどれだけ押し込めばこの量を入れることが出来るのか…。


「本当に誰に似たんだか。」


整理整頓が苦手なのは間違いなくあたしに似たんだと昔あの人にはよく言われたものだ。けれど佳菜美は小さい時から正義感が強く、よく近所の子供の喧嘩に割って入り仲裁しにいき、その度に喧嘩に巻き込まれて、泥まみれになって泣きじゃくりながら帰ってきた。そして、「悔しい。」とだけいつも言っていた。怪我をして泣くんじゃなく、喧嘩を止められなくて泣いてる小さな貴方を見て、いつもあたしはめいいっぱい抱き締めた。

正義感の強さは父親譲り、けどあの人が亡くなって貴方の正義感がより一層強くなった気もしていた。きっと子供ながらにも罪悪感があったのだろう、誰かが困っていれば身を挺して助けに行くあの人にそっくりだ。この事故もきっとその正義感が働いて咄嗟に助けに行ったんだと、そう思った。


「馬鹿だねえ、助けに行って自分が轢かれるなんて。そのどん臭い所は困った事にあたしに似たんだね」


はははっと笑いながら一粒、又一粒と涙が頬を伝った。あの電話からずっと泣き続けて、とうに涙も枯れてもう出ないだろうと思う程泣いたが、どうやらまだ残っていたようだ。


「ごめんね……ごめんね……。」


謝罪の言葉は宙に浮き、まるで居場所を無くしたようにしとしとと降る雨音にかき消された。

貴方は幸せだった?こんな母親で貴方は幸せだった?あたしが先に謝っていればこんな事にはならなかったのに。


「ごめんね。」


カタっと小さな音が鳴った。思わず振り返り部屋を見渡すが、勿論のこと誰もいるはずがない。広げていた物が落ちたかズレたかしたのだろう、涙を袖で拭い片付けを再開した。

クローゼットに目を向け、また物を出して行く。すると何か赤くて長い物が見えた。

手に取り引っ張りだすと、それは見覚えのある傘だった。色は少しピンクに近くなっていたが、本来の色は頭の中で鮮明に思い出された。


「これ……。」


思わず言葉が詰まる。間違いなくその傘は昔佳菜美がコンビニで欲しがったあの赤い傘に間違いなかった。

夫が亡くなった後生活が苦しくなり、小さな玩具さえも買ってあげられなかったが、あの子は一度もその事で駄々をこねたりしなかった。それでも唯一この傘は佳菜美が欲しいと言った物、何年も前のことなのに、まだあの子は持っていてくれた。

懐かしく思い傘を開くと外側に「ありがとう 大好き」と書いてあった。


「……ありがとう、佳菜美。」


また一粒最後の涙が零れた。


顔を上げ外を見るとすっかり雨は止んでいた。ベランダに出て空を見上げると分厚い雲の隙間から太陽の光が覗いている。

もう暫くは降らないだろう、なんの根拠もないが少しだけそう思った。

部屋に戻ろうとした時、ふと背中に暖かく柔らかい風が当たった。それはなんとも言えない、本当に心地の良い風だった。


いつあの傘を渡すつもりだったのか、検討はつかないが、あたしの心は届いていた、そしてあの子の心はしっかりとあたしに届いた。


しとしとと降り続いた雨は今やっと止んだのだ。

こんにちは作者の店員です。初めて小説を書きました、台本と違い登場人物の心情を多くの表現方法で出していくのは大変困難でしたが、とても楽しいかったです。

この作品はもう一度読む際に、佳菜美の「 」を飛ばして母親の部分だけ読むともっと母親の心情が見えてくるやもしれません。


初心者の拙い文章ですが、楽しんで頂ければ幸いです。

本作品はユーザー様でなくても、コメント出来るように設定しおります。どなた様でも気軽に要望、ご意見、アドバイスがございましたらご連絡ください。


最後までお読み頂き誠に恐縮です。

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― 新着の感想 ―
[一言] とりあえず、フィクションならばエッセイのジャンルに登録しているのはどうかと。
[良い点] いやあ びっくりしました まさかこのサイトでこんな素敵な お話を読めるなんて 始めて物語(ストーリー)評価に 最高点をクリックしてしまいました 過去ここで読んだ作品の中で 私の心にびたっと…
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