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短編

『純白の魔女』


今一度この場で企画に参加させていただいたことに感謝します!

本当にありがとうございます!


―0―


 真っ白な花が一面に咲き誇る。

 春の優しい風に揺られたその花は、青く澄み切った青空と新緑に彩られた山々と合わさり、非常に現実離れした光景を作り出していた。

 その景色は、まるで地獄のように美しかった。


「準備が出来ましたよ。ズィーベン」


 後ろから聞きなれた暖かい声が、私を呼ぶ。

「ああ、分かった」

 振り向かず返事をする。


 これは罰なのだろうか。


 はたまた罪なのだろうか。


 答えの無い、誰も答えてくれない問いを、私は青色に染まる空を見上げて思う。


 それは相手への?


 それとも自分への?


 またしても答えの無い問いを自分へと向ける。

「あなたの選択は間違ってはいないわ。少なくとも私はそう思います」

 肯定の言葉が、今は何よりも嬉しい。

 私ははじめて声のほうへ振り向き、笑顔を見せる。

「それじゃあ、はじめようか」


 湧きあがる感情は、後悔か。


 それとも、憎悪か。


 はたまた哀愁か。


 どれも当てはまらない気がする。


 そう。言うならこの感情は、きっと。


 ――情愛と、劣情。




 ―1―


 季節が過ぎるのは思っているより早いと思ったのは、食事のときの話題でのことだった。

「南の国境戦で『神隠し』が発生したみたいですよ」

 出された豚肉を細々と切り分けながら、相方のヒルシュホルンはポツリと口にする。

 少ない時は数人程度で、多い時は小さな町一つ分のヒトが消える現象。それが『神隠し』という現象だ。

「毎年この時期になると発生する『怪異』みたいなものなので、昔ほど噂にはなっていないようですが、しかしこう毎年律儀にヒトが消えていると、私達『魔女殺しの一族』としては『魔女』の関与を疑わずにはいられないです」

 『魔女殺しの一族』。

 事あるごとに自分のことをそう言うヒルシュホルンだが、しかし私は彼女と出会ってからこれまでどこにでもいる普通の少女、という印象しかない。彼女が誰かを殺したり、誰かと殺し合いしたりする光景が、私には想像できない。というか想像したくも無い。彼女は綺麗に生きていくべきヒトだ。

 私のように汚れ、穢れ、冒され、醜く狂ったように生きるのでは無く。

 清く、真っ当で、穢れることの無い人生を歩むべきだ。


 例えそれが、どれだけ辛く苦しい人生だろうと。


「ちょっと、聞いてますか? ズィーベン」

 少しばかり非難の色を含んだ声をかけるヒルシュホルンは、私の態度から話を聞いてなかったことを察して、ため息を漏らす。

「最初から説明しますね。これまで私達は同じ目的で戦場を渡り歩いてきました。しかし目ぼしい成果を挙げることが出来ないまま、かれこれ数年が経ちます。そして私達にはもう打つ手がありません。そこで私は最後の手段として『姉』に頼ることにしました」

「姉?」

 これまでちょくちょく話には出てきていたヒルシュホルンの姉妹だが、一体何人姉妹がいるのだろう。聞いてみたくはあるが、しかしどうしてか訊いてはいけないような気がして今まで質問することは無かった。

 それはきっと、私の理解の外にあるもので、さらに言えば理解してはいけないのだろう。

 そんな私の思いを知ってか、ヒルシュホルンもまた、私が探す姉のことを深くは追求してこなかった。

 いやきっとヒルシュホルンは訊かなくても全てを知っているのだ。

 訊かずとも、私に関わる全てを。私と姉の全てを、理解しているのだ。

「そうです。中央でひっそりと暮らしている『姉』は訊けば全てのことに回答をくれるので、出来損ないの私にとってはすごく重宝する『姉』なのです。まぁ生来の話好きという性格には私を含めた全ての『姉妹』が困ってますが」

「私としては、君も結構話好きな印象だけど」

「私以上に話好きですよ。困ったことに博識でどんな話題を出しても途切れることなく会話が続くので、気付けば朝日が窓から差していたなんてことは常ですからね。私達『姉妹』としてはあの『姉』は最後の手段として会いに行くくらいです」

「へぇ、少しだけ興味があるな。私にも今度紹介してほしい」

「止めておいたほうがいいですよ。きっと後悔します」

 それはそれは。と気のない返事をしつつ、私は一口大に切っておいた豚肉を口に放る。

「で、その姉とやらに今から会いに行くのかい」

「いえ、『姉』には昨日会ってきました。ですから私は今絶賛寝不足です。ということでズィーベンにはもっと私を労ってほしいですね」

 例えばこの食事の代金を全額払ってくれるとか。と付け足してヒルシュホルンはやっと豚肉を全て切り終え、細かくなったそれを頬張る。

 そうか、だから昨日あんなに暗い顔してたのか。

「で、成果は得られたの?」

 と言ったが答えは分かっている。ヒルシュホルンというヒトは、行動すれば必ず成果を持ってくるのだ。今回も例に漏れず姉から『魔女』に関する情報を得てきているはずだ。

「私が動いて成果なし、なんて今までありましたっけ?」

「成果なし、っていう成果なら聞かされたことあるけど?」

 前言撤回。こと『魔女』と言われる存在に関して言えば例外である。

「あれは仕方ありません。何せ『魔女』という存在そのものが一般の人にとってはもう想像上のものですから。成果なんて挙げられるはずありませんよ」

 私もきっと姉のことが無ければ、『魔女』という存在を『北の白竜』と同じような位置づけで見ていただろう。存在しない架空のものを信仰し、不可思議なこと、都合の悪いことは全てそれのせいにするための、いわば逃げ口上の一つとして。

 しかし、私はそれを否定しない。否定できない。

 だってそれは――


『君が想うのは、誰のため?』

 何かが私に問いかけてくる。

『私の為だよ。決まりきっていることを一々訊かないでよ』

『本当に? 本当に私のため?』

 幼い少女が問いかけてくる。

『そう、私の為。他の誰でもない私だけの為に私は想うの』

『誰を? 私の為だけに誰を想うの?』

 真紅に輝く女性が問いかけてくる。

『それは……』

 それは――



「と、いうことで、今日はアリティミリティア大教会図書館に向かいたいと思います」

 私は一段階声のトーンを上げた彼女の言葉で、意識を現実へと引き戻される。

「また聞いてませんでしたね。全く困った”ヒト”です」

 本日二度目のため息をもらい、私は少しだけ悪いことをしたと思った。まぁ思っただけで改善はしたいとは微塵も思わないが。私とヒルシュホルンの関係はこれくらい淡白でいいのだ。

 どうせ、最後は独りでやらなければいけないのだから。

「ごめんごめん。で、どうして大教会図書館へ行くんだ?」

 私は平謝りしながらヒルシュホルンに説明を求める。

 しかしヒルシュホルンから発せられた次の発言で、私は珍しく感情を表に出す。


「大教会図書館の奥にいるとされる人外の一つ、『智』に会いに行きたいと思います」




 ―2―


「アリティミリティア大教会図書館はここ中央のみならず、この国最大の蔵書量を誇る、いわばこの国の知恵が集約する場です。宗教本や聖書はもちろんのこと、戯曲や伝記、地方の民族に関する書籍なども置いていると聞きます。しかし今回私達がここを訪れたのは宗教への造詣を深めたり、今夜の演目内容の予習をしようというわけではありません。この大教会図書館の奥に存在するとされる人外、正確に言えばヒトの領域を超えたヒトの一つ、世界の真理に最も近いとされる『智』に会うためです」

 アリティミリティア大教会図書館に向かうまでの間、ヒルシュホルンは教会図書館、修道図書館の成り立ちや通称『管理戦争』と言われる戦争時代を経て、図書館の役割の変化や宗教の存在意義などを語っていた。あまり聞いていなかったけれど。

「しかしだ、どうして『魔女』のことを訊きにいったのに、人外を紹介されたんだ?」

「『姉』も『魔女』に関してはほとんど情報を持っていませんでした。しかし人外であれば何か知っていてもおかしくは無い。と言われたので知識の人外であり、かつ中央に一番近い場所にいる『智』を紹介されたと、さっき言わなかったでしたっけ?」

 笑顔だが声で怒っていることがわかる。

「人外なら、ねぇ」

 というか、人外がヒトの話をまともに聞くかどうかが問題だろう。

 好き好んでヒトを止め、喜んで悪魔に魂を売るような奴らだ。話が噛み合わなくて何を言っているか解らないのがおちではないだろうか。

 と、そんな私の不安や疑問を察してか、ヒルシュホルンは「大丈夫です」と笑顔で言った。

「私の『姉』と話が通じるのですから、『姉妹』である私の話が通じないということはないでしょう。それに昨日の内に『姉』が『智』に話を通してくれているそうなので、最悪私達の話が通じなくとも『姉』の名前を出せば勝手に話してくれますよ」

 なんという楽観的思考。それでは本当に一か八かではないだろうか。私は途端に不安が膨れ上がるのを感じた。

「それにしてもこの図書館、やけに派手だよね」

 これ以上不安を膨らませないように話題を変える。

「派手、ですか。これでも簡素で質素な建築なのですけどね」

 話題を逸らされてさらに怒るかと思ったが、どうやら元からあまり怒っていなかったらしい。長い間私と旅をしてきたせいか、私の扱いはもう慣れたのだろう。

「元々この建築法はあまりいい評価を得ていませんでした。ゴシック建築という言い方自体が蔑称みたいなものですからね。今では受け入れられ、評価されているものでも、昔は蔑まれ、理解されないものもあるといういい例ですね」

 そこまでの回答は期待していなかった。とは言い出せず、ひたすら聞きに徹する。いやいつも聞きに徹しているか。

 書架を通り過ぎ、図書館の奥へとひたすら向かう私達だが、しかしこの書架の列はいつまで続くのだろうか。先ほどからずっと歩いているが、しかし終りが見えない。どれだけ膨大な蔵書量だとしても、これだけの書籍が一体どこから流れここに収められているのだろうか。もしかしたら遥か太古の時代からある書籍や果てにあるとされる伝説の国の書籍まであるのではないかと思うほど、この場所には書籍が敷き詰められている。

「これ、ちゃんと進んでるよね?」

 私は尋ねずにはいられなかった。延々と続くかと思われるほど長い通路に、流石のヒルシュホルンも不安になってきたのか、いつもより自信のない口調で答えてくる。

「進んでいます。進んでるはずです。進んでいると、思いましょう。進んで、いますよきっと」

 徐々に自信のなくなる言い方をすると、こちらもさらに不安になるから止めてほしい。

 しかし私の不安はその後すぐに拭われる。


 唐突に終りが訪れたのだ。


 そこには一枚の扉があった。いつ私たちの前に現れたのか分からなかったが、しかしここが今私たちが目指した人外の住処だというのは理解できた。

「……ここか」

「……ここみたいですね」

 私とヒルシュホルンは唐突な通路の終りと、一枚の扉を前に、ただただ呆然とする他なかった。いや、そんなことよりもまず扉の前に来てから感じる強烈な重圧と『自我』で押しつぶされそうだ。

 頑丈な扉一枚隔てても伝わるほどのオーラ。流石は人外なだけはある。しっかりと自身という個を保たなければ掻き消され、この世から消滅してしまいそうだ。

「心の準備は、出来ていますか?」

 ドアノブに手をかけたヒルシュホルンが私に問いかける。口を開くのにも大変な労力を費やすので、私は小さく頷いて視線で返答する。

 嫌な汗が背中に流れるのを感じた。

 金属がこすれる音が小さく響き、扉が開いていく。

「……まるで深淵に繋がっているようですね」

 扉の先はすぐ階段になっていて、その先は灯りがなく暗闇に支配されていた。

 私は扉の横に備え付けられていた燭台を手に取り、階段を一歩ずつ確かめるように下りていく。一歩、また一歩と下りていく度に感じる強烈な自我と自身が薄れていく感覚に、私は息が段々と浅くなっていく。

 指先から、つま先から体を、精神を蝕まれていく。

「大丈夫です」

 いつの間にかヒルシュホルンの手が、私の肩に置かれていた。

「大丈夫です。私が付いています。私があなたをちゃんと見ています」

 繰り返し大丈夫、と呟くその瞳は私を映しているようで、どこか全く別のものを見ているようで。


 それはきっと、”私”ではなく……


「また扉、ですね」

 いつの間にか階段を下りきっていた私達の前には、先ほどと同じような扉があった。ずっと感じていた自我や消失感はなくなっていたが、変わりに何か粘りつくような視線を全身に感じる。

「今から会う『智』は比較的話が通じる相手だとは言われましたが、しかし比較的というだけであって、彼らはヒトを嫌い、ヒトに対して殺意すら抱いています」

 念を押すようにヒルシュホルンは私に「もう一度言います。準備はいいですか?」と問いかける。

「ああ、大丈夫。問題ない」

 私はそう言うと扉に手をかけ、ゆっくりと開いていく。

 そこは決して広いとは言えない空間に所狭しと書物が積まれていて、家具と言えば中央に置かれた机と椅子くらいだった。光源は私の持つ小さな蝋燭ひとつで中の様子はほとんど分からなかったが、それでもそこにはヒトの想像の更に上をいく存在がいることは理解できた。


「やぁ、待っていたよ。お二人さん」


「あなたは、誰ですか?」

 ヒルシュホルンが問いかける。

 私はそこで疑問に思う。

 どうしてヒルシュホルンは「あなたが『智』の人外ですか?」ではなく「あなたは、誰ですか?」と訊いたのか。私達はここに人外がいると聞いてきたのだから、ここにいるのは人外だけだ。

 ならどうして。

 理解している。しているつもりだ。けれどもし本当にそうなら、一体どうしてここに私達が、いや私が来るのを知っていたのだろうか。

「私? 私はね『純白の魔女』と呼ばれているわ」

 薄暗くはっきりとは見えないが『純白の魔女』と名乗ったそれはとても幼く、まだ齢十にも満たないのではないかと思うくらいだった。しかしその容姿とは裏腹に黒く重い気を放ち、そして何よりもその手に持っている鉄の塊のような剣に付着した赤い液体。

 あれは、もしかして。

「それで、何から訊きたい? どうしてここに来るのが分かったか? 本来ここにいるはずの人外はどうしたのか? 私は、誰か?」

 薄く笑みを浮かべながら問いかける『魔女』は、徐々に私達との距離を詰める。

「たまにはこうして外に出かけないと健康に悪いからね。散歩がてら邪魔な子を殺して回ってたところなんだ。ここで……確か三人目かな。邪魔な子はあと四人いるけど、今日は”あなた”に会えたからここいらでお家に帰るとするよ」

「――えた」

 思わず私は言葉をこぼす。


 やっと、会えた。


 そう、言わずにはいられなかった。

 まるであの頃から変わることなく、ずっとずっと変わらない笑顔。

 愛してやまなかった。ずっとずっと想って、一時も忘れたことのない、その声と姿。

 私のその表情ひとつで全てを察したのか、『魔女』は微笑を浮かべた。

「そう。まぁそうだろうね。だって私は、君が愛して、愛し続けて、愛しきると決めた、姉なのだから」

 無垢な笑顔。柔らかな肢体。輝く白髪。『魔女』を、”姉”を構成する全てが愛おしくて。

 愛おしくて。愛おしいから。

 だから、私はあなたを。


「殺してあげる」


「やれるものなら」


 私が背から剣を引き抜くのと同時に『魔女』も剣を振り上げる。

 空気を振るわせる金属音と、飛び散る火花。

「私が殺す! 私が殺してあげる! 私が、私が殺さないと! 殺さないと!!」

 『魔女』の剣を弾き、その勢いのまま薙いで振り下ろし振り上げ穿ち叩き潰す。

 詰まれていた書物は倒れ、机は木片になり、椅子は綺麗に二つに割れる。

 狭い部屋の中、私は全力で剣を振るい『魔女』を斃そうと試みるが、しかし『魔女』は顔色ひとつ変えず私のでたらめな剣筋を読み紙一重でよけ続ける。

「ズィーベン落ち着いて! ここでの戦闘は不利です! 一旦引いて体制を整えましょう!」

 後ろからヒルシュホルンが何か叫んでいる。足に木片が刺さって血が大量に流れる。いつの間にか身体中に切り傷が出来ていて、私を血色に染める。赤くて綺麗な私の命が、少しずつ私から流れ出ていく感覚が心地よくて、視界の端から闇に覆われる。

「殺してあげないと……私が。私が私が私が私が私が!」

「久々に会えて嬉しいけど、今日はこれでおしまい」

 鉄の塊が、私の腹部に打ち込まれ、耐えられずにひざをつく。

「じゃあ、また今度ね。ズィーベン」

 そう言うと『魔女』は私の右目に指を突き立て、貫く。


 ――その直後、私の意識は深く落ちていった。




 ―3―


「ズィーベン。大丈夫だから。私はどこにも行かないわ。少し町に下りて買い物をしにいくだけよ」

 私より少しだけ背が高く、艶々とした白髪が目を引く、私に似た少女。

 優しい雰囲気が部屋に溢れ、私を包み込む。

 暖かな記憶。

 いつの記憶だろうか。

「ほんとうに?」

 記憶の中の私が問いかける。

「本当よ。私があなたを残してどこかに行くわけないでしょ」

「ほんとうに? ちゃんとすぐ帰ってくる?」

 私に似た少女の服の袖を掴み、泣きそうな表情になりながらしつこく問いかける私。

 ゆっくりと流れる時に、私は寂しさを感じてしまう。

 こんなにも優しくて暖かくて純粋な記憶なのに、私は喜びよりも寂しさを感じている。

 どうしてだろう。

「大丈夫。ちゃんと帰ってくるわ。だからズィーベンも大人しく待っているのよ」

 頭をなでられる。私の髪は白ではなく赤みがかった黒髪で、あんまり好きではなかった。

 どうせならはっきりとした黒髪か、輝く白髪が良かった。

 そう思ったことを覚えている。

 今ではこの髪色もいいかなと思っている。

 赤く輝く髪が、まるで私の命の色のようでとても美しいと思えるから。

「それじゃあ、行ってくるね」

「いってらっしゃい」


 それから一日経っても一週間経っても、その家には誰も帰ってくることはなかった。


 独り寂しく帰りを待った私は、もうこの家には誰も帰ってくることはないと悟ると、父の遺した錆だらけの剣と一握りの硬貨を持ち、生きていくために国中を歩き回った。


 寂しかったのだろう。


 誰か私を知っている人を探していたのだろう。


 私というヒトを理解してくれるヒトを見つけたかったのだろう。


 私を、私自身を愛してくれるヒトが、欲しかったのだろう。


 それ以上に、私が愛したヒトを、探していたのかもしれない。


 ずっと。ずっと。




 ―4―


 目が覚めると、夕焼けが雪の積もるレンガ造りの街を優しく包み込んだ景色が窓から見える。

 なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。息が荒れていて汗も酷かったので、良い夢ではなかったことは分かるが、どんな夢を見ていたと訊かれると残念ながら思い出せない。

 頭が冴えてくると、動くたび全身に痛みを覚える。よく見れば体のあらゆる箇所に包帯を巻かれていて、更に右側の視界が黒く塗りつぶされていることに気付く。

「やっと目が覚めたんですね。ズィーベン」

 部屋の入り口に立つ少女、ヒルシュホルンはどういうわけか服を着ていなかった。

「ああ、ごめんなさい。さっきまで水浴びをしていたので」

 私の驚いた表情で自分がどんな格好なのかに気付き、説明するズィーベン。

「私は、どれくらいの時間眠っていたんだ?」

 確か大教会図書館に行ったのは春先のこと。

 しかし今は雪が積もっている。

 どれだけ長い時間自分が眠りについていたのか、少なく見積もっても半年は眠っていただろう。

「二年ですよ。ズィーベンが意識を失ってから、もう二年も経っているのです」

 耳を疑わずにはいられなかった。

 私の姉、『魔女』との遭遇からもう二年も経っているなんて。

「私としてはズィーベンを置いて『魔女』を追いたかったのですが、きっとあそこで危険を冒してまで追わなくても、また会えると確信してましたので、ズィーベンが目を覚ますのを待っていたのですよ」

 ズィーベンが、『魔女』への近道なのですから。と言葉を締めくくり、ヒルシュホルンは部屋から出て行ってしまう。

「私が、近道?」

 『魔女』は私の姉であることはもう紛れもない事実だが、しかし私と行動を共にしていれば『魔女』に会えるとは言い切れないだろう。

 いや、言い切れるのか?

 私の記憶が確かなら『魔女』は最後にこう言っていた。


『じゃあ、また今度ね。ズィーベン』


 そう。『魔女』は「また今度」と言ったのだ。

 あの言葉が本当なら、私に接触する機会を窺っているのかもしれない。さらに言えば、今は冬。

 そう、冬になってしまった。

 嫌な季節だ。

「けれど、私はどうしてこんなにも姉を追いかけているのだろうか」

 さっきまでの自分は明確にその答えを持っていたと思う。けれど、目が覚めて、現実へと戻ってきてしまった私にはその答えがわからなくなってしまった。捉えたと思えば空虚で、届いたと前を見れば遥か前方にある漠然とした概念であるそれは、はっきりとした形を持たず、しかしやけに鋭く私達に突きつけられる。何もかもを包み込んでくれるが、その外側は鋭利な刃物で出来ている。更に言えばそれは誰しもが持っているが故に誰しもが持て余し、そして一番残酷ですこぶる凶悪な感情の一種。

「……愛、かぁ」

 小さくぼやきながら窓の外の冬景色を眺めていると、部屋の入り口には服を着たヒルシュホルンがいた。

「さて、ズィーベンが目を覚ましたことですし、早速『魔女』探しを再開したいところですが、ひとつだけ質問をいいでしょうか?」

 改めて訊いてくるヒルシュホルンに私は怪訝な顔をしながらも沈黙をもって相手への返事とした。こんなときはランチもディナーも捗らないこと請負だ。つまるところ嫌なことを訊いてくるのだろう。大体その醸し出す雰囲気で分かる。

「どうして、姉を殺したいんですか?」

「どうしてだろうな。私は何年も前に色んなものを失ってきて、きっとこれからも失うと思うけれど、姉という特別な存在を、ひいては私の失ってきた者や物達にも、まだまだ希望があると信じたいんじゃないのかな。例えそれが、全てを殺す毒になると分かっていても」

「希望は、毒ですか」

「毒さ。でなければただの水だ。なんの意味を成さない流れるだけの、流されるだけのどこにでもある水と同格だ」

「では、姉を殺すということは、あなたにとって希望なのですか?」

 その問いに答えを上手く導き出せず私は逡巡する。

 そもそも姉というある種の特別な立場のヒトに、妹という付属品の私が何かを思うこと自体少ない。だからこそ私はひとつ明確な答えを持つことで、あらゆる問いに対しひとつの方向性を持たすことが出来ていた。

 だからこそ今私は悩んでいるのだと思う。

 この眠っていた二年の間に、私は何かを失ってしまった気がする。思い出さなくてもいいことを、余計なことを思い出してしまったのだろう。私の中にあった小さな光が、今は遥か遠くで微かに輝いているだけだった。

 迷っているんだろうか。

 姉を殺すことに疑問を抱いてしまったのだろうか。はたまた実力の差がありすぎて私程度では斃すことができないと思ってしまったのだろうか。無理もない。相手は姉という以前に『魔女』だ。私程度のヒトが一人立ち向かったところで、結果は明白だ。

「あなたの姉が、もし仮に毒だとしたら。あなたはどうなりたいのですか?」

 遺された選択肢は、薬か、水か。

 今の私はきっと水だろう。流れ流され、自分では止まることも出来ない。

「薬は、ヒルシュホルン。君だろう」

 私は抑揚なく言うと、ヒルシュホルンに向き直る。

「だから、私は水だ」

 毒も、薬も、全てを流し込む絶対の水だ。

「姉が希望だなんて、そんな風には思わない。けれどそう思う反面私は姉に希望を抱いているのだと思う。私を何者かにしてくれることを信じているのだと思う」

 私の視線を受け、私の言葉を受け、ヒルシュホルンはただ目を閉じて何かを考えている。

「……私が薬、か」

 その呟きは何かを覚悟したように言った気がした。

「ならば、そうですね。毒に一番効くのは、きっと薬ではなく、薬を毒まで運ぶ水なのでしょう。水は、流されるだけではありません。全てをどこかに流すことが出来るのです。全てを答えに導いてくれるのです」

 どうしてだろう。ヒルシュホルンの言葉に、私は明確な答えを見つけてしまった。

「……今、『魔女』はどこにいるのか分かる?」

 私がそれだけ簡潔に言うと、何かを察したようにヒルシュホルンは笑みを浮かべる。

「あなたが眠っていた二年間、私は暇で暇でしょうがなかったですからね。『魔女』程度の居場所ならもう調べはついてますよ。というか『魔女』のあの後姿を隠すこと自体が少なくなりましたから、自然と住処のほうは特定できました」

 その言葉を受け私はベッドから這い出し、自分の足で地面に立つ。

「それじゃあ、『魔女』からの接触を待たずに、こっちから出向いてやろうか」

 私の想いに、決着をつけるべく。

「そうですね。もう二年も待ちましたし、いい加減待ちくたびれました」

 私とヒルシュホルンは互いを見つめ、笑う。


 その先に、残酷な運命が待っていることを、理解しながら。




 ―5―


 疑問に思うことがある。

 あの時、あの場所で、どうして私を殺さずに、私とヒルシュホルンを殺さず。さらにその後二年間もの間私達を放置していたのだろうか。

 これは私の個人的な見解であり、また非常に希望的観測であるが、しかし当たらずとも遠からずという仮定だが、『魔女』は死を望んでいるのではないだろうかと私は最初考えた。

 不死とは、絶望だ。

 ヒトは、死ねるからこそ美しく生きれる。死ぬと分かっているから必死になれる。死を理解している分生を実感できる。死を身近に感じることで、生きていることが奇跡だと思える。

 なら、不死となったヒトはどうなのだろうか。

 美しく生きれないのだろうか。必死になれないのだろうか。生を実感できないのだろうか。生きていることが奇跡だと思えないのだろうか。

 いや違う。

 美しく生きたからこそ死を求める。死という経験をするために必死になれる。死ぬことが出来ないから尚更生がどういうものかを実感する。ヒトの死を見ることで、生がどれだけの奇跡の上で成り立っているのかを理解する。

 ならば、『魔女』が本当に望んでいることは何であろうか。

 ならばきっと『魔女』が望むことはひとつしかない。

 それは――


「そろそろですよ」

 前を歩くヒルシュホルンの緊張を帯びた声で、私は思考の海から一旦抜け出す。

「それにしても、すごい雪だな」

 『魔女』の住処があるウェヌス雪原を目指してから一週間が経ち、私達は雪原に入る前最後の町であるイレイネに到着していた。

「今日はここで宿をとって、明日早朝に出発してウェヌス雪原に入りましょう」

「じゃあ、この町で準備を万端にしておかないとな」

「そうですね。宿を見つけた後まずは武具一式を整えてから消耗品等の準備ですね。その後は自由行動としましょう」

「そういえば、『魔女』はウェヌス雪原のどこにいるんだ?」

 この国の最北端に位置するウェヌス雪原は広大で、しっかりと地理を把握していないと遭難してあっという間に凍え死んでしまう。

「『北の白竜』がいるとされている夢の洞窟前の要塞です」

「随分遠いな」

「明日出発して、到着するのは明後日か明々後日ですかね。だから準備を怠ると途中で死にますよ」

 笑顔で怖いこと言うなよ。

 けれどそんなことはもう分かっていることだ。

 何か一歩間違えればヒトなんて簡単に死ぬんだ。だから皆毎日準備を欠かさない。死を意識してしまえば死が寄ってくる。だからなるべく死を意識せずに生きている。

 だからきっと私は今一番死に近い。

 恋焦がれるように、盲目的に惹かれるように、私は死を望んでいるのだ。ほかの誰でもない、私自身が死を望んでいたのだ。

 よくよく考えれば滑稽な話だ。

 私が死にたいがために、相手にも死を望むなんて。

「宿に着きましたよ」

 いつの間にか宿屋の前に着いていた私達は、その重そうな扉を開いて中に入る。

 何か不安な感情を掻き立てる夕闇が、辺りを満たしていくのを感じながら。




 ―6―


 深夜。

 全ての準備を終えた私達は、ゆっくりと体を休ませるために早めに就寝したのだが、この町に着いてから感じる胸騒ぎのせいでよく眠れず、夜の街を独り歩くことにした。

「あれがイレイネ城塞か……」

 私は町のどこからでも見ることの出来る巨大な城塞を見上げながら、ゆっくりと雪道を歩く。目的もなくただ歩くというのは、意外にも気分転換になるのを今更ながらに実感する。

 昼間は結構なヒトがこの道を行き来していたが、今は私以外誰一人見つけることが出来ない。まるで私一人この世界に取り残されてしまったよう。軽く跳ねながら歩いたり、踊るように舞うように歩いてみたり、傍から見られれば恥ずかしいことこの上ない行為をしてみたり。なぜかこの時私の気分は高揚していた。何かがあると確信していたのだろうか。ふと見ると城塞が先ほどよりも大きく感じる。気のせいだろう。

 いや、気のせいではない。

 静まり返ってただ深々と雪が降る中、私は自分が無意識に城塞へと向かっていることに気付いた。

「……引かれ者の小唄、ってところかな」

 私は先ほどまでの行為を思い、そう独り呟いた。

 果たして、引かれ者は私なのだろうか。それとも――


「私のことを言ってるのかな」


 それは、まるでそこにいるのが当たり前のようにそこに存在していた。

 無垢な笑顔。柔らかな肢体。輝く白髪。それを構成する全てが美しく、また死を連想させる。

「『純白の魔女』」

 私は恋人に語りかけるかのように甘く艶やかな声で呼びかける。

「一体どちらが罪人で、どちらが罰を与えるのだろうね」

「そんなこと、分かりきっていることじゃないか」

 考えるまでもない。

「そうだね。そうだった。そんなこと、訊かずとも確認せずとも分かりきっているし、それは永遠に変わることはない。本当に、考えるまでもない」

「許されないのは……」

 私なのだから。

「何もかも忘れて、全てなかったことにして平凡で退屈で、だからこそ奇跡に近い日常という人生を歩めばよかったのに。どうして一番辛くて苦しくて不幸な道を歩くの? 忘れて良かったんだ。誰も君を責めたりは出来ないさ。なかったことにして良かったんだ。辛いことは、苦しいことは避けてもどこからも文句は言われないよ。自分の人生を生きれば良かったんだ。君は、君が思っている以上に愛されていたのだから」

 哀しそうな、苦しそうな表情で語る『魔女』に、私はどこか後ろめたさを感じた。

 求めたが故に離れ、愛しいが故に傷つけた少女が、今は自分を求め、殺そうとしている。私が普通に生きてさえいればもう二度と会うこともなかったのに。私が、何事もなくただ平凡に暮らしてさえいれば、もう交わることのない人生だったのに。

「でも、私はそんなこと出来なかった。全部忘れて生きるなんて無理だった。私にとって姉さんは世界の全てだった」

「なら」

 それまで流れていた優しい空気が、突然重く冷たいものになる。

「なら、あなたは私を殺すことで、自分自身を殺そうと言うの?」

 それはあえて無感情を貫いたような声色だった。

 分かっていたことだ。

 私は姉を殺し、自分も殺す。けれど、姉は私を遠ざけ、生かそうとしている。存在だけを私に知覚させ、生きる目標とさせている。

 結局私達は最後まで理解し合えなかった。姉妹なのに。いや姉妹だからこそ理解出来ないのかも知れない。近すぎるから、遠ざけようとして理解を拒む。

 私の沈黙の意味を汲み取ったのか、『魔女』は薄く微笑む。

「そう、それならもう選択肢は一つしかないね」

「私は最初から一つだったけどね」

 微笑みあう私達。


「それじゃ、殺し合いを始めようか」


 どちらからともなくそう言うと互いに剣を抜き、相手へと叩き付ける。

 まるで踊るように、しかし力でねじ伏せるように、なにより相手を拒絶するように。私達は剣を振るう。

 足元の雪が舞い、俯瞰してみればきっと幻想的な風景なのだろう。

 しかし、剣は届かない。

 どれだけ速く剣を振ろうとも、どれだけ的確に振ろうとも、相手に届かない。

「どうして……」

 私は思わず口に出してしまう。しかし思わぬところからその独り言の返事が返ってくる。

「相手は『魔女』ですよ。今更なに言ってるんですか」

 私の後方から聞こえたその声はやけに聞きなれた優しい声だった。

「はぁ、一人で勝手に行動しないでくださいよ。こっちにも準備があるんですから」

「ヒルシュホルン……」

「……」

 ヒルシュホルンを認めると『魔女』は一旦後退する。

「『純白の魔女』の能力は主に”光”が関係しているとされています」

 そうなのか。と私は相対する姉を見て思う。しかし今のところそんな能力を使用している姿は見られなかった。

「しかし最も警戒しないといけないのは、光の屈折による幻視です」

 私はその一言で全て理解する。

 どれだけ剣を振ろうとも、どれだけ的確に相手を捉えようとも、それが本物でなければ傷付けることさえ出来ない。

「ヒトは現象を見たいようにしか見ない。ならば、見せたいように見せることも出来る」

「……それが例え、自分自身であろうとも」

 ヒルシュホルンの言葉に、姉が反応する。

 自分自身であろうとも。

 その言葉が妙に引っかかる。


 自分を騙しているのは、一体誰?


「そもそも『魔女』という存在が秘匿されるべきものだ。『魔女』の持つ能力は絶対であり、絶大です。そんな情報を親族であっても公開するようなことは『魔女殺しの一族』がするはずもない。ならなぜズィーベン、君には公開したと思う?」

 そうだ。私だって姉がいなければ『魔女』なんて存在信じなかった。ならなぜ、最初からヒルシュホルンは何もかもを知っているような言い方で、私と私の姉を知っているような言い方で、全てを語ってくれたのだろう。


 自分を騙しているのは、誰?


 再びその言葉が、私を見つめる。

 見たいようにしか見ない。見せたいように見せる。

 私は、誰にどう見せたくて、何をどう見たいのか。

 答えは既に、目の前に出ていた。

「……きっとずっと分かってたんだ。このまま平穏に暮らすことなんてできないって。私は、弱いから。いつだってお姉ちゃんの影を追って生きてきたから。不安だったんだ。苦痛だったんだ。誰からも理解されない日常が、誰にも愛されない生活が。ずっと求めて、だけど手に入らなくて。だから……だから」

 だから、今こうして大切なヒトに、大好きだったお姉ちゃんの腕の中に、抱かれていることは、私の一番求めていたもので、私が死ぬ理由なんだ。

「もう、何も心配要らない。ズィーベンはもう何も不安に思うことはないんだよ。私がいるから。私がずっとそばにいるから」

 ひたすら私を抱きしめてくれるお姉ちゃんのその腕の中で、私は何時振りかの涙を流す。

 いなくなってしまった時も、大怪我をした時も、どんなことがあっても決して涙を流さなかったけれど、この時ようやく私は涙を流すことができた。それが嬉しくて嬉しくて。


「……でも、退屈」


 姉の暖かな腕の感触が、突然消える。

 私は、どこからともなく降り注ぐ赤い命の色に身を染める。

「退屈なのよ。この結末も、貴方たちヒトの思いも」

 深々と降り続く雪と、姉から流れる血の色が交わってとても綺麗な景色が目の前に広がる。

 それが、”私”の最後の記憶。




 ―7―


「あーあ、折角普段味わうことができない”ヒト”としての生活を満喫してたっていうのに、どうして貴方たち『魔女殺しの一族』は私を排除しようとするのかしらね。私は無闇にヒトを殺すこともしなければ、この数年間、実に大人しく過ごしていたじゃない。それでも貴方たちは私を殺そうとするの?」

 私はこの体の本来の人格である”ズィーベン”の姉であるプリムラから噴き出す血液を落とすように腕を振り、髪をかき上げる。

「当たり前じゃない。貴方は自分の存在がどれだけ危険か分かっていない。貴方という存在は秘匿されるべきものであり、秘匿され続けるべきものだ」

 ヒルシュホルンは苦々しい表情で私を見てから、その真下に倒れているプリムラを見て暗い表情になる。本当であればこの二人で力を合わせて私を斃し、ズィーベンというごく普通のヒトを取り戻そうとしていたのかもしれない。

 そんなこと、不可能なのに。

「私は、この”ズィーベン”という一人のヒトは、もう目的を達成することができたじゃないか。それまでずっと我慢してたんだから、今度は私の願いを聞いてくれてもいいと思わないかい?」

「思わない。もしも貴方が目覚めてしまった時のために、私が常にそばにいたことを忘れたとは言わせませんよ。これは、旅をする際に『魔女』である貴方と、ズィーベンと私で決めたことです。約束はきっちり守ってもらって、貴方にはここで死んでもらいます」

 静かに、けれど煮え立つような殺意を剣先と共に私へ向けるヒルシュホルンは、今何を考えているのだろう。『魔女』という私を殺すことだけを考えているのだろうか。それともまだズィーベンを取り戻そうと策を練っているのだろうか。

 まぁ、もうそんなこと、どうでもいい。

 どうせこいつは、ここで死ぬのだから。

「何を言ってもどうせ殺されるんだろう。いいさ。だったらヒルシュホルン、君を殺せば私は自由だ」

 ありったけの光を集め、それを槍へと変化させる。

「さようなら、ヒルシュホルン」

 その言葉と共に私たちは刃を交える。

 何度も何度も相手を切りつけては切り返され、鮮血が互いを赤く染め上げる。互角以上の戦いは、徐々にヒルシュホルンの劣勢へと変わり、ついには力尽きて倒れこんでしまった。

「……これで、本当に最後だね」

 私はヒルシュホルンの首元へと刃を向けると、少しの間見つめあってからその首をはねる。しかしヒルシュホルンはただ黙っては殺されなかった。

 最後の最後、私の胸に剣を突き立て絶命した。

 私はその剣をあえて避けはしなかった。きっと私も”ズィーベン”も死に対して憧れを持っていたのだ。だから、その剣は避けることができなかった。

「これで……私も」


 死ぬことができる。


 冷たい雪の中に、私は倒れこむ。

 私の胸からは、命が溢れ出てきて、やがて雪景色の一角に綺麗な花を咲かせる。

「……やっぱり、そうなんだね」

 殺したところで、死ねなかった。

 私は一人、死ぬことができなかった。

 プリムラも、ヒルシュホルンも、皆死んだ。なのに、なのに私一人、いや私と”ズィーベン”は死ぬことができなかった。

「私はこれからどう生きていけばいいの?」

 美しく咲いた赤い花々の中起き上がると、私は夜空を見上げる。そこには笑っているように欠けた月があった。あの日もこんな夜だった。

 私が、『魔女』になった日。

 ズィーベンと一緒に、幸福で満たされた日常を過ごそうと決意した日。

 その日と同じ月が、私を見て笑っていた。

「ねぇ、私は――」

 私は。

 その後が声に出せず、私は戸惑う。

「あっ、がっ、な」

 上手く言葉を紡げない。

「見せたいように見せて、見たいように見る。結局は自分で自分を殺すことになるなんて、本当に貴方は死にたかったんでしょうね」

 聞きなれた、暖かな声。

「大丈夫。貴方がもし死ねなくても、死ぬまで殺してあげるから」

 懐かしい、柔らかな声。

 そっか。私は二人を殺す幻視を見ていたのか。殺したくても、殺せなかった。愛おしくて、殺せなかった。だからせめて、夢の中だけは理想を視ていたかった。

 それで私自身が死ぬと、分かっていても。

「大丈夫、何も心配要らない」

 プリムラの声がやけに遠く感じる。


「私がずっと、そばにいるから」


 視界が闇に包まれ、次第に意識が遠ざかる。

 けれどその感覚は心地よくて、どこか安心できた。




 ―8―


 柔らかな日差しの中、私は広大な草原にぽつんと咲く花々を目にすると興奮してしまいつい駆け寄ってしまう。

「おいおい危ないだろ。そんなに走らなくても花は逃げないさ」

 後ろから姉であるプリムラが声をかけてきたが、私はそれよりもこの美しい景色に目を輝かせる。

「こんなに美しい場所が近くにあっただなんて、知らなかった」

「それは、ズィーベンがつい最近まで寝たきりで外に行けなかったし、知らなくて当然だろ」

「でも、窓からはこんな場所、見えなかったわ」

 私は踊るようにあたり一面を見渡す。そしてそのまま花の中に倒れこみ、青空を見上げる。その横に姉も座ると、同じように青空を見上げ、薄く微笑む。

「……ねぇお姉ちゃん。私ね、たまに思うことがあるの」

「どうした」

「私ね、生まれてから最近までの記憶がないけれど、多分きっと生まれてからずっとこういう風に満たされた日常を夢見てたのだと思うの。ずっとずっと近くに感じながらも決して手にできなかった幸福という毎日を手に入れたかったんだと、最近そう思うの」

「……」

「ねぇお姉ちゃん、お姉ちゃんは私の半生を知っているのでしょう。なら教えてほしいの。私はどう生きて、何を思い、どんなことをしてきたのか。私の中にあるこの”不思議な感覚”は、”超常的な能力”が一体なんなのか。全部全部、教えてほしいの」

 私の言葉を受け、姉は深くため息をつくと、やがて渋々といった風で話してくれた。

「……随分と長い話になる。だから少しずつゆっくりと話すとするよ。だから今日はもう帰ろう。あまり外にいると体に悪いからね」

 そう言って私の手をとり、立ち上がらせると姉は手を握ったまま歩き出す。

「これからまだまだ時間はあるのだから、ゆっくりと”自分”を取り戻そう」

 姉は暖かい笑顔でそう言うと、力強く手を握ってくる。

 そして私もとびっきりの輝かしい笑顔で答える。

 その笑顔が、どれだけ罪深いかも知らずに。


「はい。お姉ちゃん」





書きたいものを書くということと、書かなければいけないものを書くというのは意外にも相容れないものだと、この作品で痛いほど痛感しました。

書きたいものと面白いものは、必ずしも同じというわけではないのですね。

けれどやっぱり書いていて楽しかったです!

最後まで読んでいただきありがとうございました!


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