轟実(一)
私は興味関心事好奇心が非常に乏しく、精神が未発達なまま大人になりました。堕ちる所まで堕ちて、ようやっと気付いたのです。私の居場所は湿った部屋の片隅にあるということに。
私は幼い頃から陰気臭く、活発であったり暴力沙汰には縁が有りませんでしたし、勉強も出来ずに居ました。手先はほんの少し人よりも器用だったのか、よく折紙や葉っぱで玩具を作って独りで遊んでいました。そんなものが出来たところで何の取り柄にもならず、可哀想な私を見て他人様はお節介なのか優しさなのか、話を掛けてはくれましたが、返答の出来無い面白味のない私にはその内誰も話かけなくなりました。
ですが、これと言って不便を感じることもなく、黙々と日々は通り過ぎていきました。私のその動作によりかえって何をどうしたいのかと問い詰められる事が多々ありましたが、何も答えられずに唯、下を向いていました。時には、そんな私に腹を立てた他人様も居たらしく、石を投げられた事もありましたが、他人の私が何故苛立たれなくてはいけないのか全く理解できずに居ました。私はというと、彼らになんの関心も抱くことが出来ずに、言い返す事もせず、誰がやったのかも忘れていきました。面倒は掛けていない筈なのに、向こうは勝手に、私に興味を抱き笑ったり馬鹿にしたりするのです。その感情を理解するのは不可能に近かったのです。今考えてみれば多分、私が存在することが彼らにすれば、大いに笑い事だったのです。
私の両親は田舎で小さな「轟屋」という温泉旅館を営んでいました。特に盛っていた訳ではなく、これといった料理も湯も景色も有りませんでしたが、順調には行っていたようです。彼らは確かな奉仕精神に恵まれ、深々と御辞儀をしたり、他人様の荷物を運んだり、癖の悪い御客様にビール瓶を投げつけられても笑顔を絶やす事はありませんでした。私は其れを見て怒る事はありませんでしたが、多分足の小指の爪ほどの惨めさを感じていました。そうして仲居と御客様の足音が響く屋敷の部屋の中で、毎晩床に就く前に母は言って聞かせるのです。
「御客様は神様であります。私達がこうして行き長らえているのも、神仏のお陰では御座いません。神仏など居ても居なくとも良いものよりも、ずっと素晴らしいものなのです。貴方は神仏に逢ったことがありますか。御客様ほど私達に恵みをくださる方はこの世に存在せず、又、私達など御客様を無くしては存在する意味がありません。あまりにもちっぽけな存在なのです。」
その後に続く言葉があった筈なのですが、到底思い出せないのです。思うに、その毎晩の習い事から逃れるべく瞼を閉じれば眠ることの出来る能力を身に付けていたせいです。
母は仕事の合間を見、着物のまま枕元に正座をし、この経の様なものを聞かせてくれました。それは私が独りで眠る事が出来るようになるまで続き、始めは真剣だった私も、余りにも母が訴え続けたせいか、私は御客様が嫌いになって仕舞いました。そして、小さな頃から御客様や他人様と口を聞くのが嫌いな私は良く叱られたものです。お前は猿以下だと。
雪がちらつき始めた日、蛇の目をさして学校から帰ってきた時の事、家の玄関先で、手がかじかんでしまい錆び付いた蛇の目が上手くたためずに焦っていました。そこへ御客様が現れ、そっと蛇の目を閉じて下さったのです。御客様はこう言いました。
「轟屋の坊っちゃん、寒い中大変だったなぁ。大きくなって、何年生になったんだい?」
私は下を向き考えました。この人は御客様なのだろうか、そうしたら両親の神仏よりも大切なものなのだ。どうすれば良いのか。何故こんな話をするのか。じっと考えていると私の様子を不思議に感じ、顔を覗きこんできました。私は怖くなり、つい逃げ出してしまったのです。
六時半頃、母が私の部屋にやってきました。扉を叩く音の後、開かれた扉の向こうの母の目は静かな怒りに満ち、無言で畳の上を音も無く歩いてきました。右手に蛇の目を持っていました。私はもうその時にはその事を忘れかけていたので、母が怒っているいる理由を蛇の目を見て思い出しました。座っている私の向かいに母も座り、蛇の目を自分の横にそっと置きました。母は物を乱雑に扱う事は決してしませんでした。帯紐を直し、指先を正座した膝の先に合わせ、背筋を伸ばし、口を開きます。
「何故、御客様にお声を掛けたりせず、掛けられたのに返事もしないのですか?」
「分かりません」
「分かる必要はありません。応答すれば良いのです。」
「御客様は知ってどうするのですか?」
「お前が考える事ではありません。」
「答えたくないのです。」
「お前にそんな事をいう権利は塵一つ分もありません。御客様より立場が下なのだから、お声を掛けていただいたり、質問をされたのなら、頭を下げ丁寧に且つ笑ってお答えすべきなのです。それが出来ないのならば、猿以下です。」
下を向きだんまりな私に、母はため息を一つ吐いてこう続けました。
「全く、御客様へ礼の一つも言えずにお前という子は。猿ですら教えれば芸をするのですよ、実。」
母は私を上から見つめ返答を待ちました。言わなければ押入れが待ち受けて
いるので、空腹でしたし、いつも通りの言葉を発しました。
「申し訳ありませんでした。努力します。」
これを聞き、母は来たときと同様に無言で音もなく部屋を出ていきました。
今話した言葉の意味を理解するには、本当に努力をしなければいけない事と感じていましたが、置かれた蛇の目を見て、何か猿のように蛇の目で毬でも回した方が良いのではないかと考えしまい、結局、言動に関し努力をするという言葉は空中で千切り千切りになって、燃えてなくなってしまったのです。