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4 岐路

 六年後も、ツィンユンは同じような美しい朝を迎えた。ファランが後宮の誰よりも早く起きるのも、相変わらずだ。

 窓を開けると清々しい空気が部屋を満たす。子猫からすっかり成長した白瑛が、物音に目覚めたばかりか欠伸をしている。しかし今日ばかりは小鳥たちの(かまびす)しい噂話にものんびりと耳を貸してはいられない。人生の節目となる、大切な日なのだ。

 十六になったファランは、再びきらやかな礼装と幾許(いくばく)の不安を纏っていた。背はあまり高くなく、線の細い体つきをしている。成長期に特有の声変わりもしていない。勉学ばかりして狩にあまり行かないからと翔豪によく笑われてばかりだ。この頃は沐浴は既に一人で済ませ、普段の朝の支度に女官を呼ぶことはやめていた。


「ファラン」


 と声をかけたのは白瑛だ。 「誰か来るよ」

 耳を澄ませると確かに足音が近づいてきている。忍ばせているつもりらしい。足音はファランの部屋の前で止まった。


「ラン兄様! 起きてるでしょう? 開けてちょうだい」


 聞き覚えのある囁き声に、正直少し面食らいながら戸を開ける。長い黒髪を(なび)かせ入って来たのは、寝着姿の少女だった。翔豪の妹、そしてファランには従妹の美鈴(メイリン)である。


「もう着替えたの? 相変わらず早起きね」

「美鈴! どうしてここに…? 君は今日の主役だろう?」

「だって、まだ女官たちが来るまでにもう少し時間があるでしょ。ラン兄様がどんな衣装なのか見てみたかったの。それに…ラン兄様だって主役なのよ? 今日は、私たちの結婚式なんだもの」


 そう、ファランの今日の衣装は婚礼用のそれだった。成人を迎えるこの日、同時に美鈴を(めと)る日でもある。王族の血統を絶やさぬため、イムハンでは近親結婚が当たり前なのだった。


「だからだよ、美鈴。こんな時間に未婚の女性が部屋から出てはダメなんだよ、君は既に成人式を挙げてるんだから」


 嗜める声が聞こえていないのか、美鈴はファランの姿を上から下まで眺め、ほうっと大きく息を漏らした。


「ラン兄様、美しいわ…」

「え?」

「今日のお着物に、兄様の翡翠色の瞳がよく映えてるの。なんだか私、負けちゃいそう」

「何を言ってるの」


 ファランは苦笑した。確かに皇族の婚礼時にしか許されない緋色の衣装は、瞳の色と鮮やかな対照を成していた。


「三年前の蒼武様の婚礼でしか見られないはずの緋色をラン兄様は着られるのよ。伯父さま…陛下がどれだけこの日を待っていらっしゃったか、あなたを大切にしてらっしゃるかがわかるわ。光の御子だもの」

「そんなこと言って、美鈴はかわいいし、これからもっと美人になれるよ」

「ううん、だって、淑陽様や太子妃様に比べたら、私は神々しさや品格に欠けるんだって、翔兄様に言われたわ」


 もがく白瑛を少し不貞腐(ふてくさ)れて抱き上げているまだ十二歳の美鈴は、ファランの目から見ても将来は美女になるだろう容姿だった。翔豪と同じ意志の強そうな口元と、光を湛えた鳶色の大きな瞳をしている。淑陽が可憐な小さい花ならば、伸びやかな手足を持つ美鈴はさしずめ背の高い大輪の花を咲かせるだろう。とはいえ、この妹のような少女と結婚することになろうとは、幼い頃には思いも寄らなかった。


「あっ、でもね」 美鈴が慌てて言った。「私、別に太子妃になりたかったわけじゃないのよ」

「何、そんなことを考えていたの?」

「違うったら」


 本来イムハンでは帝位継承権は女性にあり、男は皇帝の娘(多くは自分の姉か妹)と結婚することによって皇帝になる。美鈴が皇帝の弟の娘であるということは、本来皇帝の息子(蒼武とファラン)と同程度に継承位が高いことを示す。うち嫡子ではない第二皇子ファランとの結婚は、将来帝位にはつけずとも安定した地位を約束される。うまく婚礼の相手が見つからない場合は位を棄てて尼僧になる姫たちもいたほどである。


「僕だって、まさか君と結婚することになるとは思ってなかったよ」

「何ですって?」


 白瑛が美鈴の腕をすり抜けた。戸の前に行って鳴いている。


「いや、だから、君が気にするようなことは何もないんだよ」


 突然、部屋の外で咳払いが聞こえた。


「翔豪?」

「兄様?」


 ファランが戸を開けると、果たして咳払いの主は今度は欠伸をしながら入ってきた。


「お前たち、もう夫婦喧嘩か?先が思い遣られるなあ」

「どうしたんだ翔豪、もしかして起こした?」

「ああ、ピイピイにぎやかな小鳥たちがいるんでな」


 翔豪は肩をすくめている美鈴を見て、


「花嫁の支度に女官たちが向かってるぞ、こんな恰好でうろうろしてるのが見つかると大変なことになる」


 とまだ何か言いたそうにしている姫を部屋の外に追い出した。


「すまんな、あんな跳ねっ返りを貰ってもらうとは」


 思いっきりの膨れっ面をしながら美鈴が後宮の廊下を渡って行くのを見届けてから、翔豪は小さく溜息をついた。


「そんなことないよ、美鈴ほど素直で明るい子はイムハンにいない」

「そう言ってもらえると俺も面目が立つよ。親父が死んでから後ろ盾も無くなったしな」

「...僕は、美鈴じゃなくて君の方が先に結婚するのかと思ってたよ」


 翔豪は少し表情を曇らせて黙っていたが、口を開いた。


「いや、だからこそ美鈴が先に嫁ぐんだ。俺がもし結婚していたらお前をさしおいて継承者になってしまうからな。物には順序ってもんがある。 俺は、お前が…お前と美鈴が幸せになってくれればそれでいいんだ」


 翔豪にしては珍しく気弱な言葉だった。

 翔豪と美鈴の父、即ちファランの叔父が病死したのは一年前、ちょうど蒼武が皇太子として腹違いの姉姫を娶る直前だった。その頃から鳳皇后の配下が着実に勢力を増しており、翔豪の家はまるで入れ替わるように父親の死によって没落していった。

 鳳皇后の生んだ嫡子は蒼武一人なので、翔豪たちの父親は生きていればいつ帝位についてもおかしくない立場だった。再興の頼みである妹を娶ることで翔豪に力をつけさせすぎぬよう、美鈴を先に結婚させたのも恐らくは鳳皇后の計らいだったのだろう。


「まあ、美鈴には寺院は似合わないしね」

「そうそう、あいつなら追い出されかねない」


 ファランの他愛ない冗談に笑って、翔豪はいつも通りに戻った。


「それに、今俺にもちょうど釣り合う相手がいないんだ。 ここ最近では美鈴以外の姫は年上過ぎてみんな寺に行ってしまったし、遠戚の隣国は男ばかりで先日やっと一人姫が生まれたばかりだ。いくら何でも赤ん坊と結婚する気にもならないしな。 まあ継承争いから外れたところで、将軍でも任せてもらえれば御の字だ」


 白瑛が再び鳴くと、やがて女官たちの足音が聞こえた。


「お、女と違って男の準備は簡単ってことなんだな。俺も部屋に戻るか」


  翔豪は窓を開けるとひらりと向こう側へ飛び移った。 「じゃ、美鈴をこれからもよろしく頼む」


「うん、もちろんだよ」


 翔豪が外から腕を差し出した。ファランも窓から身を乗り出した。

 二人は固く握手を交わした。それから二人が再び言葉を交わすのは、しばらく後の事となる。

イムハンの継承権制度は古代エジプト王朝のものを参考にしています。

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