5-3
睦月と別れて大輝はまたとぼとぼと歩いた。いつもは自転車で行く道を歩くのがこれほど寂しいとは思わなかった。
敢えて言うならば、いつもは満たされていたのかもしれない。星羅と話せないことが胸に隙間を作るなどとは考えてもいなかった。
下を向いて歩いていて、前方からの気配に顔を上げると男が二人立っている。スーツを着込んだ綺麗な身なりの男達である。
彼はぴたりと足を止め、大輝が避けていこうとするのを制した。
嫌な予感に大輝はビクリと肩を跳ね上げた。
「灰岡大輝君だね?」
問いかけられて、大輝は嫌な予感は当たったのだと確信する。
思わず後退るが、許されなかった。背後にももう一人いる。大輝の退路を塞ごうとしている。
一体、何なんだ。大輝の体は緊張で強張る。
「君のお友達の徒花星羅さんのことでお話聞かせてくれないかな?」
学校の周りで何事かを聞き回っているというのはこの男達のことなのだろか。それも星羅のことを聞いてくるとは悪い予感しかない。
生憎、この通りには人気がなく、助けを求められそうにない。
「知りません」
毅然と大輝は答える。彼らに星羅のことを教えるつもりはない。
「最近の高校生は嘘吐きだな」
背後の男が笑う。
嘘と言われても仕方がないかもしれないが、大輝は星羅のことをほとんど知らない。それが事実だ。
「我々は既に君達の関係を知っているのだよ」
「話すことは何もありません」
彼らに何がわかると言うのだろうか。恋人ではなく『お友達』と言った。偽装カップルであることを見抜かれたか、それとも子供だと思っているのか。
どちらにしても不愉快だ。彼女のことならば大輝の方が知りたいぐらいであった。今最も知りたいことだ。
「敵ではない。私達は彼女の味方だ」
自分が彼女の敵だと言われている気がして大輝はムカムカしてくる。今、彼女を面倒なことに巻き込んでいるのは自分自身だとわかっているからこそ苛立つのだ。自分が彼女の味方などではないことを思い知らされるからこそ不愉快なのだ。
「我々はサイキック……彼女のような特殊な能力を持った人間を保護しようと考えているのだ」
大輝にはその言葉がピンとこなかった。星羅を超能力者や霊能力者などと思ったことはないからだ。彼女は《魔女》であって、それ以外ではない。
「彼女がそれを望むとでも?」
「なら、君は望まないのか?」
「望む必要がありますか?」
彼女を得体の知れない男達に渡したくない。それだけだった。
星羅にとって自分が利用者でしかないとしても取られたくないと思ってしまう。彼女に望んでほしくなかった。
「この世の中は彼女には生き難いと考えたことはないのか?」
「思いますよ。けれど、あなた方が彼女にとって生きやすい社会を実現できるとも思いませんから」
たとえば、一樹ならできるだろう。いずれ、彼女はそうするつもりなのかもしれない。星羅が大輝から離れた時には。
だが、今日会ったばかりのこの男達を信じられるはずがない。
「君とは是非ゆっくり話し合いたいものだね」
話すことは何もない。けれど、腕を掴まれてどうしたらいいかわからなくなる。
「離してください!」
振り払おうとしても、大人の男にはかなわない。それに相手は三人がかりだ。
誰か助けてくれ、そう強く思った瞬間だった。
「喝!」
鋭く放たれた声と共に、何かが飛んでくる。
「いてっ!」
「うぐっ!」
「ぐはっ!」
男達が三人とも額や後頭部を押さえる。
地面に落ちたのは十円玉大の白い固まりだった。落ちた衝撃か、一部粉となって崩れている。
「あたしの店の前で嗅ぎ回るなんていい度胸してるじゃないの」
ぐいっと腕を引かれ、気付けば目の前には着物姿、仁王立ちしているように思える。
「あたしが話を聞いてあげようじゃないの。いいえ、それは、元々あたしに聞くこと、効く相手を間違えたわね」
女物の着物を纏う後ろ姿は綺麗だが、声は太い。妙な予感が大輝の中を駆け巡る。
「さあ、誰からお話しましょうか」
大輝からその人物の表情は見えないが、男達が怯えている。そして、そのまま逃げるように去って行く。
「大丈夫? 坊や」
くるりとその人が振り返る。綺麗な人だと大輝は思う。
背が高く、細身だが、広い肩幅がわかる。その声も声の低い女性だと言うには少し無理がある。
「まったく、嫌になっちゃうわ。お塩投げたくらいで懲りてくれるとも思えないから尚更だわ」
その人は大仰に肩を竦め、地面に落ちている塊を一つ踏み付けて引きずった。ガリガリと削れたそれはタブレット状の塩らしかった。
呆けていた大輝ははっとする。それから頭を下げる。
「あ、あの、ありがとうございました」
「あら、やだ、礼儀正しい坊や、ちょっと飲んでく?」
その人が指す先に店がある。バー〈エトワール〉、外観は落ち着いていて、いかがわしい店には見えない。
つまり、この人はママというものなのだろう。
そして、大輝は思い出す。睦月から聞いたことを。彼に会った後でまさかとは思うが、この人にも面影があるのだ。その言動も振り返れば一つの可能性を示している。
「あの、も、もしかして、徒花さんの、お、お父さん……ですか?」
迷った結果、お母さんと言うのは語弊がある気がした。
ビクビクする大輝を見て、その人は目を細める。般若の顔になるわけでもなく、穏やかな笑みが浮かべられている。
「そうよ。あたしは徒花皐、正真正銘星羅ちゃんのパパよ。今はママなんだけどねー。おほほほほ!」
大輝はどういう反応をすればいいのか、わからなかった。けれど、皐は気にした風はない。
「嫌になっちゃうわよね、最近ああいう輩が増えてきてるのよ。保護なんてしてもらえるとは思えないし、望んでもいないってのに」
星羅もそうなのだろうか。
「星羅ちゃんを頼んだわよ、坊や」
「灰岡大輝です」
坊やと言われるのは何だかくすぐったくて名乗るが、皐は微笑む。
妖艶な笑みに大輝は戸惑う。この人は男だ。星羅の父親だとわかっているのに、妙なドキドキが治まらない。
「知っているわ。でもね、まだ認めてあげない」
ニィッと吊り上がる唇に動悸が激しくなっていく。
見透かされていると思った。
「うちの娘、泣かせたら、ただじゃおかないから。さあ、あんたもお行き!」
覚悟してなさいよ、と皐が帯の中から塩のタブレットを取り出し、手の上で軽く投げてみせる。
そうなると大輝はあの男達と同じように逃げるように去るしかなかった。