5-1
寂しすぎる。
大輝はとぼとぼと歩いた。今日は朝方雨が降り、自転車ではなく、徒歩と電車だ。
いつも通り星羅を送り届けるには都合がいいかもしれないと思っていた。自転車で帰るには駅方面にあるカフェは遠回りになる。
しかし、何の意味もなくなってしまった。駅への道を一人で歩くのは寂しい。
駅には人が多い。たまに電車で通学することもあるのだが、いつも以上に気が滅入ってしまう。
はぁ、と溜息を吐く。その瞬間、手を掴まれた。何事かと顔を上げれば青年が立っている。全く面識はない。
「すみません! 手相の勉強してるんです! お時間とらせませんから見させてください! お願いします!」
懇願だった。もうこの手を離さないとばかりに両手でギュッと握られている。切実な様子だった。
「手相……」
「お兄さん、浮かない顔してるから、俺が幸せになる方法探します!」
ニカッと青年が笑う。片手を放して胸を叩いて「俺に任せてください!」と言う。
そこで大輝はふと思い出した。星羅の兄は駅で手当たり次第に手を握っているという。もしかしたら、この男なのではないか。
「あ、あの、いつもこういうことしてるんですか?」
「ん?」
「駅で色々な人の手を握って」
「うん、そうだよ。俺、勉強中だから色んな人見ないと! もちろん、お代はいただきません!」
その顔もよく見れば、星羅と似た部分があるような気がする。
大輝は邪魔にならないように端の方へ青年を促す。
「あ、あの、もしかして、徒花って名字だったりしませんか?」
「んん?」
青年が首を傾げる。そもそも、徒花などという名字がそうそうあるはずもない。名字らしい名字でもない。
大輝は更に続けた。
「徒花星羅さんのお兄さんとか……」
「うわあぁぁぁぁぁぁ!」
核心に触れた瞬間、青年は急に叫びながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「え、ちょ、ちょっと、大丈夫ですか!?」
なぜ、急にこんなことになってしまうのか大輝にはわからない。当たりしても想定外の反応だった。
青年はしゃがみ込んだまま、どこか苦しげにしている。
「い、息ができない……」
か細い声が言う。涙目で青年が見上げてくる。
「ど、どうしたらいいですか? 薬ですか? 救急車ですか? えっと、どなたかお医者様はーとかですかね!? ど、どうしよう……!」
大輝も完全に取り乱していた。最早、自分でも何を言っているかわからない。パニックである。
「あ、飴ちゃん……」
青年が自分のポケットをぽんぽんと触っている。
「れ、レモンのキャンディー……な、な、な、ない!」
本当に青年は苦しそうで手を口で押さえ、今にも吐きそうな顔をしている。頼りにしている薬がないような、絶望的な表情だ。
そこで大輝は思い出して、今度は自分のポケットを漁る。レモンのキャンディーと言えば貰ったばかりだ。
「これ、どうぞ」
星羅から貰ったレモンの飴を差し出す。必要な時に使えと言われたが、それは間違いなく今だろう。
青年はそれを受け取ると慌てて口に放り込み、それから暫く沈黙が流れた。
「た、助かったー。君、いい子だね。レモンの飴はいいんだよ。効果覿面なんだよ。まずい薬より全然効くんだよ。偉い偉い」
何事もなかったかのように青年は立ち上がり、笑った。本当にけろりとしている。だが、演技などではなかったのだろう。
「星羅さんも言ってました。彼女からもらったんです」
大輝はこの男が星羅の兄であると確信していた。駅で手を握っているということ、そして、レモンのキャンディーが繋ぎ合わせる。
「そっか……さっきは取り乱しちゃってごめんね。俺は徒花睦月。星羅ちゃんのお兄ちゃんです。ツッキーって呼んでね!」
取り乱したかと思えば、今度は平然と兄だと言う。
「俺は灰岡大輝です。徒花さんの先輩で、一応、訳ありなんですけど、お付き合いしてることになってます」
「わお! 星羅ちゃんのカレシ君! イケメンさーん! ワーオッ!」
飴を舐めるだけで死にそうな状態からこうも復活できるものなのだろうか。すっかり睦月のテンションは上がっている。
「いや、俺、婚約者的なものがいる身で……」
星羅の兄と発覚した今、それを言うのは辛い。
「星羅ちゃんのこと、利用してんのね」
「す、すいません……本当に申し訳ないと思っています」
深々と大輝は頭を下げる。言葉通りの気持ちでいっぱいだった。
普通ならば、ここで殴られても不思議ではないし、大輝も受ける覚悟はあるのだが、睦月はなぜか横揺れしている。ゆらゆらと左右に振れているのだが、どういう意味のある動作なのか当然大輝にはさっぱりわからない。
「あ、そういうのやめて。俺、別に責めてないから。星羅ちゃんが選んだことには何も言いませーん。そんな権限俺にはありませーん」
「は、はぁ……」
尚も揺れながら睦月は笑った。よくわからない男である。性格的な面では、とてもあの星羅の兄とは思えない。
そもそも、なぜ、揺れるのか。大輝は聞いてみたいが、できなかった。
「とりあえず、どっか行く? 行っちゃう? 喫茶店とかでじっくり見ちゃうよ? 将来の弟よ」
ふはははは、と睦月は笑っている。当初の目的を忘れていないのか、しっかりと手を握られ、連れて行かれる。
男に手を握られ、大輝は周囲の目が気になるが、睦月はまるで気にしていないようだった。彼にとっては、いつもやっていることに過ぎないのだろう。
将来の弟ということについて言いたいことがあるのに、彼は聞いてくれそうもない。彼もやはりマイペースだ。