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灰岡大輝、十六歳、高校二年生。
容姿は、よく格好いいと言われるが、大方取り入るためのお世辞だと思っている。誰も本当の意味で自分を見ていないと常々感じている。
自己評価は普通、悪くはないだろうという程度だ。それを悲観することはない。体型にも特にコンプレックスがあるわけでもなく、卑屈になる理由が思い当たらない。
運動は特別できるというわけではないが、勉強では努力によって何とか常に上位を保てている。努力のない結果などありえなかった。
悩みなんてないだろう、と誰もが言う。何もかも恵まれていて不自由がなさそうで羨ましいと笑う。
だから、誰にも理解されない大きな、大きすぎる悩みがある。それはとても厄介なものでまず解決は不可能だという代物だった。
諦めるべきだとわかってはいるが、諦め切れない。諦めたら心が死んでしまうような気がする。大袈裟だが、この先の全てを支配する悩みなのだ。
はぁ、と溜息を吐けば背中をバシッと叩かれる。
「何だよ何だよ、いい男が溜息吐きやがって」
カラカラと隣で笑うのは親友の羽佐間拓臣だ。
いつも彼は明るい。それが大輝には羨ましかった。こうなれたら……と憧れすら抱いている。
浅黒いのは元々らしいが、いかにも体育会系で、精悍な顔立ちをした彼は自分よりずっと格好いいと思っていた。
「溜息吐いた数だけいい男じゃなくならないかな……」
「よし、じゃあ、俺にかけろ! 代わりに俺がめちゃくちゃいい男になってやる! って、違うだろ!」
拓臣はまるで寺で煙を頭にかけるように、手を動かしてみせる。
「お前は十分にいい男だよ。これ以上なる必要ない」
「そうだった」
思い出したように言うその嫌みのなさが大輝は好きだ。
しかしながら、それによって悩みがどこかへ飛んで消えてくれるわけではない。切り離せないものだとわかっている。
「で、何だよ?」
「……女子が、うざい」
さすがにはっきりとは言いにくくて、小声になる。いくらここが屋上で、他に誰も聞く人間がいないとしても。
そして、今までに何度も言ってきたことでもあるが、拓臣が大袈裟な反応を示す。その内芸人を目指したりするのではないかと大輝は思う。
「うっわ、言いやがったよ。モテる男は辛いよ発言! 毎度毎度、それを聞かされる俺の身にもなれよなー」
拓臣もモテるのだが、彼に言わせれば『モテ方が違う!』ということらしい。
尤も、大輝にはよくわからないし、彼のその反応もノリであって、本気ではない。彼の本気は見えにくいところにある。
「だから、代わってくれって言ってるだろ? 全部引き受けてくれよ、マジで」
拓臣に寄り付く女子はまともだと大輝は思っている。拓臣が言うには「女なんて大して変わりない」だが、絶対違うと思っている。
自分のところに来る女子は恐ろしくて仕方がないのだ。
「そりゃあ、三年のマドンナと名高いミドリ先輩まで来た時には心底代わってほしいと思ったけどなぁ……代われるわけねぇんだよ!」
最早、全ての男子を敵に回してしまったような気分ではあるが、拓臣だけは味方でいてくれる。
「俺、もう、やだ。この生活」
こんな弱音を吐ける相手も拓臣だけだった。彼には何でも言える。数ヶ月の差とは言っても既に一つ年上で、そのせいか昔から兄のように思うことがあった。大輝は一人っ子で、拓臣が三兄弟の長男であることも関係しているのかもしれない。
「そうやって、もう一年はやり過ごしたじゃねぇか。大丈夫だって。このまま、あと二年いけるいける!」
「大丈夫じゃない。もうやだもうやだ!」
大輝は膝を抱えた。子供っぽいとは自分でも思う。それでも、自分に降り懸かった運命から目を逸らしたかった。
「大っ体、お前は真面目すぎんだよ。いい男ってのは、ちょいちょいつまみ食いをしてだな、青春を謳歌して……」
「嫌なんだ! どうせ、好きな子ができて付き合って将来結婚する約束したってな、大いなる力で引き裂かれるんだぞ!? 夏休みなんか既に悲惨な予定が決まってて、楽しみにする要素がないんだぞ!? 別荘なんて爆発すればいいんだ……うぅっ、俺の青春はどこに行ったんだ……」
親身になってくれるとは言っても、所詮他人事でしかない。それを楽しんでいる部分があることを彼も否定できないだろう。
それに拓臣は恐ろしく要領がよく、楽観的であり、それは真似できそうもない。
「大袈裟な……親が決めた結婚相手がいるってだけじゃねぇか」
「……それが大問題だってわかってるだろ?」
拓臣はさらりと言うが、大輝にとっては認めたくない事実だった。できることならば、全力で消去したい。
「世の中の男共は全力でお前を呪い殺そうとするんじゃねぇかな? 顔はまあまあイケメン、金があって、将来結婚を誓い合った超美人がいて、将来薔薇色だって、みんな言ってるぜ? 何を悩むんだって」
「顔は生まれつきだし、金は俺のじゃねぇし、俺が誓ったわけじゃねぇし、彼女は……俺の中では超美人じゃない。はっきり言って好みじゃない」
そんなことを言って自分でも罰が当たるとは思う。けれど、それならば、婚約が破談になるというものであってほしい。それも、親には何の迷惑もかからないという自分に都合のいい形で。そんなことはあり得ないとわかってはいるのだが。
「この贅沢野郎っ! 清女の市原茉希って言ったら、この辺で知らねぇ奴はいねぇっていうお嬢だぞ! 今年のミス清麗は間違いなしとまで言われてる」
清女――清麗女学園、男子ならば誰もが憧れる女子校であり、その制服の可愛さから入学を熱望する女子も多い。その男女ともが憧憬を抱く学校において一番の有名人であるのが市原茉希である。
「お前が言うなよ。寒くなる」
そのミス清麗も一生疑惑が付き纏い、それでいて誰も暴けないだろうと思えばぞっとして、思わず自分の腕を撫でる。
拓臣もまた彼女を他と同じようには見ていないことを大輝は知っている。
その昔、同じ学校に通っていたと言うのだ。大輝と出会うよりも前、幼い頃のことだと言うが、家族の付き合いは未だ切れないらしい。
つまり、彼もまたそれなりのお坊っちゃんということになるのである。
だが、昔と変わりないという彼女のことを拓臣が褒めることはない。
「俺は他の男子の気持ちを代弁してやってるだけだ。清女だぞ? どんだけの男子がお近付きになりたいと思ってると……」
「だから、お前が言うなよ。本当に白々しいから」
市原茉希に関係なく、彼は皆が憧れる清女の生徒との合コンをセッティングできるのだ。皆が『女のことなら羽佐間に聞け』と言うほどである。
真にルックスが良くて何一つ不自由していないのは拓臣の方ではないかと大輝は思わずにいられない。
「そりゃあ、お前が憂鬱になるのはわかってるけどよ……俺からは気の毒としか言えねぇ。他の言葉はねぇよ」
協力できるものならしたい、と何度も彼は言った。そこに偽りがあるとは思わない。どうにもできないのが現実なのだ。
神頼みをしても状況は全く改善されない。より悪い方向へ着々と進んでいるようにしか思えない。