Crash the Party
街の商売は、息をしている。
売れない日が続けば咳き込み、金が回らなければ血が止まる。
俺は今、その“呼吸”を止めに来ている。
*
「A班、サム。市場と路地。売り場を潰す」
地図の上で指を走らせる。
露店の位置、路地の入口、見張りの立つ角。
「B班、トム。金。回収袋と帳面を押さえろ。回収を止めろ」
トムは頷くだけだ。
返事が短いほど、仕事が早い。
「C班――俺。仕入れの荷。運び屋と倉庫を追う」
サムが口笛を吹きかけて、やめた。
「若頭、これ……戦争っすか?」
「戦争はしない」
俺は即答した。
「競合に殴り込めば、派手に燃える。聖女の周りに火の粉が飛ぶ」
それは避ける。
避けつつ、殺す。
「相手が“損しかしない”状態にする。商売を殺して、撤退させる」
トムが机の上に小さな袋を置いた。
端に刻印。見覚えがあるようで、ない。
競合の“名刺”だ。
「触るな」
俺が言うと、サムが肩をすくめた。
「燃える、っすね」
「燃える」
燃えた火は、誰のものでもなくなる。
そして一番困るのは、現場じゃなく“表”だ。
俺は椅子から立ち上がった。
「やることは単純だ。売れない、回らない、届かない。――それだけ」
*
市場はいつも通り、うるさい。
だが“うるさい”だけで、金の匂いが薄い。
サムは露店の間を軽やかに歩き、昨日までの常連に声をかけて回る。
「今日はやめときな。買っても、次が来ないっすよ」
言い方は軽い。だが伝える中身は重い。
“次が来ない”という噂は、商売の肺を潰す。
露店の女将が眉をひそめる。
「どういうことさ」
「上がね、怒ってるらしいっす。……俺も詳しくは知らないっすけど」
サムはわざと曖昧に言う。
曖昧は勝手に膨らむ。
膨らんだ噂は、勝手に売り手を萎縮させる。
路地の入口には、見張りのガキが立っていた。
小銭を握りしめ、目だけは妙に乾いている。
サムが笑いかける。
「よ。今日は学校休みか?」
「……うるせえ」
「そうか。じゃあ、これやる」
サムはパンの端を渡した。
「代わりにさ。“変な匂い”の袋、今日は受け取るなよ。吐くぞ」
ガキが眉をひそめる。
「吐く?」
「吐く。咳も出る。……施療院行きになったら、聖女様がまた削れる」
ガキの目が泳いだ。
聖女。
その単語は、街の空気を変える。
ガキは舌打ちして、目を逸らした。
「……知らねえ」
それでいい。
“知らねえ”は、逃げ道だ。
逃げ道があれば、人は引く。
サムは立ち去り際に、俺へ合図を送った。
合図役――一人、特定。
結果はすぐ出る。
見張りのガキが“受け取らない”だけで、路地の小売りは客を失う。
客が減れば、日銭が減る。
日銭が減れば、回収役に払う分が足りない。
足りなければ、借りる。
――その借り口を、次で潰す。
*
トムの班は音がしない。
やることは単純で、残酷だ。
現場の金は、売り子の手から“回収役”へ渡り、回収役の袋の中で上へ吸い上げられる。
袋が止まれば、金も止まる。
偽の薬の“買い直し”も防げる。
貸し主が締めた。
現場は今日中に“回収”で帳尻を合わせるしかない。
トムは回収ルートの角で、回収役を待った。
男は帳面を抱え、布袋を提げて歩いてくる。
歩幅が雑で、目だけが忙しい。
追い詰められた現場の匂いだ。
物陰から出たのは二人。
一人が道を塞ぎ、もう一人が背中を取る。
逃げ道は最初からなかった。
「……誰だ」
回収役が強がろうとした瞬間、トムが“音”を一度だけ出した。
腕を捻り、壁に押さえつける。骨が鳴る寸前で止める。
声は低い。
「帳面と袋。置け」
男の喉が鳴る。
迷えば折れる。
迷わなくても折れる。
結局、置く。
布袋が地面に触れた瞬間、金の流れが途切れた。
トムは袋の口を開かない。
中身の確認は、後でいい。
今いるのは“ここ”で、必要なのは“止める”ことだけだ。
次に帳面。
ページの端に、馴染んだ印があった。
競合の“名刺”。
回収役は唾を飲み、目を逸らす。
「……護衛は?」
トムが聞く。
返事がないのが、返事だった。
後ろ盾が消えた。
だから現場は、袋一つで折れる。
トムは回収役の襟を掴み直し、耳元で言った。
「今日で終わりだ。もう回収には来るな」
脅しじゃない。
通告だ。
トムの手が離れた瞬間、回収役は崩れ落ちた。
立てない。
歩けない。
少なくとも、“回収”はできない。
これで再発は、線から外れる。
トムは無言で回収袋を拾い、帳面も掴んで消えた。
金の流れだけを殺す。
現場の手足も、今日だけは殺す。
*
俺は倉庫街へ出た。
荷車の音。
縄の擦れる音。
香草の匂いに紛れた、嫌な甘さ。
(……来たな)
運び屋は二人。
片方は目が泳ぐ。片方は慣れている。
慣れている方が、危ない。
俺は影の中から声をかける。
「荷が遅い」
二人が跳ねた。
末端は派手な敵より、“名のある声”の方を怖がる。
「な、なんだよ」
「急げと言ってる」
俺は姿を見せない。
見せる必要がない。
姿より先に、話が回る。
慣れた方が、舌打ちをした。
それでも足が止まった。
視線が倉庫の扉へ吸い寄せられる。
鍵は新しい。
錠前の縁に、削れたばかりの金属粉。
扉の前には見張りが増えている――増え方が“現場の増員”じゃない。
道を塞ぐ立ち位置。
逃げ道を切る角度。
合図がなくても同時に動ける距離。
運び屋はそこで、ようやく負けを悟った。
倉庫と荷は、もう俺に押さえられている。
「……上が怒るぞ」
「上に届けられない」
それだけ言う。
言外は簡単だ。
この荷は、今日から“受け取り拒否”になる。
届け先が閉じれば、運び屋は賃金も保険も失う。
残るのは、上の怒りだけ。
運び屋は黙った。
黙るということは、理解したということだ。
俺は倉庫の扉に目を向ける。
鍵は新しい。見張りも増やしている。
競合が“火消し”を動かし始めた。
……正確には、“動かそうとしている”痕跡だ。
倉庫の中へは入れない。
荷も動かせない。
それでも外側の線だけは、切りに来る。
ローカルの現場を切り捨てる準備。
つまり俺たちの締め付けが効いている。
仕入れが遅れ、売り場が萎み、金が詰まった。
詰まりを解消するために、競合は“痕跡ごと”現場を捨てる。
売り場が死ぬ。
回収が止まる。
仕入れが詰まる。
――この鎖が切れた時点で、現場は終わりだ。
火消しは、倉庫を消すんじゃない。
人を消す。
帳面を消す。
そして線を、別の場所へ引き直す。
(……厄介だが、読みやすい)
俺はトムへ、遠い合図を送った。
無言の回収袋。
“名刺”を拾って、燃やさずに持ち帰れ。
*
表の空気は、別の意味で詰まっている。
施療院。
白い壁。
祈り。
同じ時間帯に、同じように咳き込む患者が数人。
司祭が青い顔で走り回り、リュカ――聖女は、淡々と手を翳す。
浄化。
光。
称賛。
だが、その光の下に、薄い濁りが残る。
浄化でいったんは収まる。
翌日、同じ顔がまた来る。
同じ時間に、同じ咳。
同じ家族が、同じ銅貨を握って並ぶ。
――払ったはずの“代替品”が効かない。
効かないから、また買う。
また買うから、金が抜かれていく。
抜かれた金は、施療院の外へ流れる。
(……甘い濁り)
俺は廊下の端で、空気を嗅いだ。
吐き気を誘う甘さ。
断定はしない。
だが線は引く。
(麻薬だけは、例外にしない)
*
市場では、聖女の顔が“町のもの”になり始めていた。
あいつが歩くだけで、方々から声がかかる。
距離が詰まる。
善意の群衆。
――あれが一番危ない。
触れられたら終わりだ。
袖を引かれたら、終わりだ。
視線が増えれば、終わりだ。
だから今日は、ヴィオラを出す。
白い手袋。
金の髪。
柔らかい声。
外側だけなら、完璧だ。
「聖女様はお忙しいのです」
俺は丁寧に笑い、丁寧に刺す。
唇の端だけで、甘く。
目だけは、冷たく。
ミレイユの刷り込みは、こういう時に最悪だ。
上品に。
艶っぽく。
そして、逃げ道を残さない。
男が距離を詰めた瞬間、俺は半歩だけ前へ出た。
香の匂いがふわりと揺れて、男の鼻先を掠める。
聖女の前に、白い手袋を“壁”として差し入れる。
触れさせない。
――触れさせないが、見せつける。
細い指先で手首を軽く押さえ、導くように下へ落とす。
押す力は小さい。
なのに男の体が、みっともなく一歩だけ後ろへ滑った。
周囲が息を呑む。
ざわめきが止まり、視線が集まる。
逃げ場のない“舞台”ができる。
俺は首を傾げた。
ただそれだけで、群衆の男どもが勝手に色めき立つ。
……女装って、便利だな。
「では、お名前と所属とご用件を。ここで」
俺は語尾を上げない。
確認じゃない。
公開の点呼だ。
聞こえるように言う。
遠くの露店にも、子どもの耳にも届くくらい。
男の頬が赤くなる。
恥なのか、期待なのか、どっちでもいい。
「ちょ、ちょっとくらい――」
男がにやつく。
視線が胸元へ落ちる。
最悪だ。
俺は笑みを深くした。
「“ちょっと”で済むなら、最初から距離を詰めません」
丁寧に、言い切る。
やわらかい声で、喉を締める。
男の言い訳を真っ白に洗って捨てる。
俺は笑ったまま、視線だけを下げた。
腰の辺り。
膨らみ。
隠したもの。
断定はしない。
だが疑いを置けば、群衆が勝手に想像する。
俺の睫毛が一度だけ落ちる。
それを合図にしたみたいに、周囲の目が“怪しい”に変わった。
「所属。名。用件。順番に」
男が言い淀む。
言い淀んだ瞬間、もう終わりだ。
俺は追い討ちをやめない。
やめる理由がない。
「言えないなら、聖女様へ近づく資格はありません」
相手のメンツを潰す。
潰すが、血は出さない。
血を出さずに、二度と近寄れない形にする。
男が唇を噛み、逃げるように下がった。
その背中に、俺は微笑みを貼り付けたまま見送って――
内側だけで舌打ちする。
(……今のはやりすぎた。ミレイユのせいだ)
サムが俺の横で、口を押さえて笑いを堪えている。
「姐さん、刺さりすぎっす」
肘で小突く。
「口を閉じろ」
「痛っ。……任務っすもんね」
「そうだ。任務だ」
線を越えない。
越えそうになったら、任務で戻す。
*
ヒヤリは、いつも最悪な形で来る。
群衆の中で、俺は咄嗟にトムへ指示を飛ばした。
「触るな。燃える」
いつもの口癖。
いつもの仕事の言い方。
その瞬間、リュカの目が一瞬だけ凍った。
(……しまった)
だが事故は、神のように都合よく割り込む。
別方向で子どもが倒れ、咳き込み、周囲がどよめいた。
リュカは反射でそちらへ向き、俺の言葉は流れた。
助かった。
(……いや、助けられたのは俺だ)
俺は笑顔を崩さず、背中だけで息を吐いた。
*
夕方。
倉庫街の端で、小さな騒ぎが起きた。
ローカルの現場が焦っている。
金が詰まり、売り場が死に、仕入れが止まった。
そこへ競合の“火消し”が入る。
派手な制圧はない。
ただ、こちらにだけ分かる“印”が残る。
血のついた硬貨。
たった一言。
『ここまで』
サムが拾い上げかける。
「若頭、これ――」
「触るな」
俺は言った。
「燃える」
トムが無言で回収袋を出し、硬貨を入れる。
火消しは、こちらを見ない。
見ないまま、去る。
――この現場は捨てる。
だが線は見ている。
そう言われた気がした。
俺は受け取らない。
だが理解はした。
*
夜。
サムが報告をまとめる。
「やつら、干上がってます。
でも、上から命令が降りたようですね。
施療院で……“事件”起こせって」
俺の中で、音がした。
尻尾切り。
競合は、現場を燃やしてでも撤退する。
そして燃えた火を、こちらへ投げる。
(次は、表が燃える)
俺は立ち上がった。
「施療院を守る」
声に出すと、言葉が重い。
重いからこそ、線になる。
「聖女の負担を減らす。
原因は裏で断つ。
……任務だ」
サムが頷く。
トムも頷く。
外は静かだ。
静かすぎる。
嵐の前の静けさは、いつも“白い壁”の中から始まる。




