侍女セットアップ
工房の扉を開けた瞬間、鼻の奥がくすぐったい。
香油と粉、金属と布。化粧台の匂い。
「おかえりなさい。今日も綺麗」
ミレイユが笑う。
女の笑い方だ。相手の逃げ道だけを、丁寧に塞ぐ。
「……仕事だ」
俺は短く返した。
ここで余計な反応を返すと、遊ばれる。
ミレイユは両手を広げた。
「うんうん。任務、任務。じゃ、立って。見せて」
見せて、って言い方が嫌だ。
俺は黙って、外套を外した。
鏡の前に立つ。
金の髪。
白い手袋。
侍女服の線が、無駄に整っている。
――ヴィオラ。
中身は俺だ。
だが外側は、ミレイユの“理想の女”に寄っていく。
「ほらね。昨日より歩幅が広い」
ミレイユが指先で、俺の膝あたりを軽く叩いた。
「男の歩き方。ここ」
「……」
「女はね、“正しく勝つ”より“綺麗に勝つ”の」
またそれか。
「仕事で勝てればいい」
「それがダメ」
ミレイユは即答した。
「あなたが“綺麗に勝つ”と、周りが勝手に納得して、勝手に引く。血が減る。噂も減る」
噂。
それは聖女の地雷だ。
俺は舌打ちしそうになって、飲み込んだ。
「で?」
「で、上品に刺す練習」
ミレイユが笑い、指を鳴らす。
「え、またっすか」
工房の隅で、サムが情けない声を上げた。
薄い笑い方、軽い口調。
だがこいつは耳がいい。目もいい。
市場の噂と顔を、ちゃんと覚えてくる。
トムは無言で立っている。
いつもの通り、必要な物だけを持ってきて、必要な場所に置く。
今日は布の端切れと、小さな印の入った袋を机に置いた。
ミレイユが言う。
「はい、サム。立って」
「俺、なんか悪いことしました?」
「口が軽い」
「それ仕事っす!」
「じゃあ仕事で泣いて」
ミレイユは俺を鏡の正面に立たせた。
「いい? 丁寧に言えばだいたい刺さる。上品にね」
俺はため息をついた。
「……サム」
「はい!」
「お前は今から、聖女様の側で無礼を働く男だ」
「えっ、俺が!?」
「演技だ」
サムが身振りを大きくして、わざとらしく胸を張った。
「へへ。聖女様ぁ、俺と――」
「失礼いたします」
俺は柔らかい声を出した。
この声は、ミレイユが作った。
「聖女様はお忙しいのです。
あなたのお相手は――“次の生まれ変わり”でお願いします」
サムが固まった。
「え?」
「今世では、無理です」
「えっ、俺、殺される感じっすか?」
ミレイユが肩を震わせた。
「ほら、刺さった」
トムは無言で頷いた。
サムは膝から崩れた。
「痛い……言葉が痛い……!」
俺は内心で、ため息を吐く。
(……あーあ、やっちゃったよ)
いや、これは“やらされた”。
ミレイユが俺の顎を軽く持ち上げる。
「いい。今の目線。丁寧なのに、逃がさない。
それを“笑顔”でやるの」
「任務だ」
「そうそう。任務」
ミレイユは楽しそうに言った。
「今日も綺麗。で、何人片付けた?」
「片付けてない」
「嘘。目が“片付けた目”」
俺は無視して、机の上の袋を見る。
トムが置いた現物。
「報告」
トムが無言で、紙片を差し出した。
サムも、泣きながら口を開く。
「市場の路地、小売りが“上が怒る”って言ってました。
上……資金の方っすね。
あと、両替屋の名前が出ました」
両替屋。
金が動く場所。
ミレイユが指を鳴らした。
「そこ。施療院のあたりで根を張ってる家の小売りは“前線”。本体じゃない」
「分かってる」
俺は紙片を読む。
地名、合図、時間。
「ローカル組織は独立した組織のようだが、金と仕入れの口は、競合の影響下」
ミレイユが頷く。
「あんたたちの競合は直接売らない。『貸し』『換金』『護衛』で首根っこ掴む。
逃げたくても逃げられないようにね」
サムが顔を上げた。
「じゃ、殴り込みっすか?」
「違う」
俺は即答した。
「逮捕ごっこもしない。
“売れない・回らない”状態にする」
トムが無言で、もう一つ袋を置いた。
小さな刻印。
競合の“名刺”だ。
「資金の流れを断つ」
俺は続ける。
「両替屋、貸し主、護衛元。
小さな家は金が詰まれば自壊する」
ミレイユが嬉しそうに笑った。
「ほら。そういう顔。
最初からそう言えばいいのに」
「言わない」
「言わないねえ」
俺は工房の窓を見る。
外は明るい。
だが、施療院の中は違う。
「聖女は?」
サムが少し真面目になった。
「今日も浄化してました。
でも、昨日救った奴がまた来てる。
……戻りが早いっす」
偽薬。
依存。
俺の中で、音がした。
地雷の音じゃない。
だが、近い。
「……麻薬の線は?」
サムは肩をすくめた。
「まだ断定はできないっす。
でも、匂いは……」
「断定できるまで口にするな」
「了解」
ミレイユが化粧筆を指で回しながら言った。
「聖女様は、“噂”に弱い。
男だってバレたら、教会は燃える。
あなたの護衛は、殺しより先に“視線”を殺すべき」
分かっている。
だから俺は、立ち位置で守る。
距離で守る。
「……次は施療院だ」
* * *
施療院。
白い壁の中で、空気が湿っている。
俺はヴィオラの顔で、リュカの一歩前に立った。
患者の列。
祈り。
熱。
そして――戻ってくる。
昨日、浄化した顔。
リュカが、指先を震わせた。
「……昨日、楽になったって……」
俺は余計なことを言わない。
言えば、崩れる。
リュカが浄化を施す。
一度は落ち着く。
だが、患者の瞳の奥の渇きが消えない。
(根が深い)
リュカの顔が、焦りに傾く。
「私の力が……足りない?」
俺は切る。
「今は救うだけ」
それだけで、リュカは息を吸い直した。
周囲の視線が集まる。
俺は立ち位置を変える。
手の甲の聖痕が目立つ角度。
誰かが“証拠”を探す前に、導線を切る。
そのとき。
ミレイユが、見舞い袋を抱えて入ってきた。
笑顔で、祈るふりをする。
「まあ。聖女様。
今日もお美しいこと」
リュカが、困ったように笑った。
ミレイユの視線は俺へ。
「……あなたも」
一瞬、言い方が“俺”に寄った。
「侍女様も、お綺麗」
ミレイユがわざと、俺が嫌う言い回しを投げる。
リュカの眉が、ほんの少し動いた。
(今の言い方……)
気づくな。
俺は笑顔を崩さず、距離を一歩開けた。
「失礼いたします。聖女様はお忙しいので」
ミレイユは肩をすくめて引いた。
だが目が言っている。
――火消しが動く。
帰り際、トムが無言で近づいてきた。
小さな紙片。
『競合の使い走りが動き出した』
サムが小声で言う。
「向こう、火消し入れてきます。
次、締め付け合戦っす」
俺は頷いた。
「やることは変わらない」
救いは表で。
原因は裏で。
俺が汚れる。
聖女は救うだけでいい。
……それだけだ。




