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夜のお仕事

扉が閉まった瞬間、部屋の空気が変わる。


寝息。


湯の匂い。


藁布団のきしみ。


そして、聖女――リュカの呼吸が、ようやく一定になった。


「……眠ったな」


声には出さない。


出せば、そこから崩れる。


俺はヴィオラのまま、侍女のまま、静かに立つ。


さっきまで、背中を拭いていた。


“お背中流します”なんて、我ながら悪い冗談だ。


だが、あれは芝居だ。


女の子扱いが自然であればあるほど、リュカは安心して“女の子”でいられる。


――男であることを隠したまま。


それが、この旅の最優先事項。


部屋の隅で、針と糸をしまう。


袖口のほつれを直し、手袋の縫い目を確かめ、髪の乱れを指先で整える。


完璧に見せるのは、見せ栄じゃない。


崩れた一ミリが噂になる。


噂が刃になる。


さっき、リュカは布団の中でやけに静かだった。


静かすぎる女の子は、たいてい疲れている。


そして、疲れている女の子は、余計なことを言う。


だから俺は、余計なことを言わせない。


「……見回り」


小さく呟いて、扉を開けた。


外の風が冷たい。


土と薪と、遠い煙。


――さっきリュカが気にしていた匂いだ。


気づかせるつもりはない。


だが、読者にだけは“粒”として残る。


廊下の角。


窓のない暗がり。


そこに影が二つ立っていた。


サムとトム。


「おせぇよ、姐さん」


サムが笑う。声を落としている。


「姐さんじゃない」


「はいはい、ヴィオラ様」


ふざけているようで、こいつは仕事の匂いを嗅ぎ分ける。


トムは無言で、床に置いた小袋を俺に差し出した。


中身は紙片と、乾いた薬草の欠片。


「……噂か」


俺が囁くと、サムが頷いた。


「徴発の話。行方不明の話。あと、“痛み止め”だ」


胸の奥が一瞬だけ冷える。


だが、顔は動かさない。


「どこから」


「二つ目の村の外れ。あの若いの、手ぇ震えてたろ。あれ、ただの不眠じゃねえ」


俺は頷いた。


「買い手は?」


「まだ尻尾だけだ。印がある。袋に小さく、二本線」


二本線。


ただの印に見える。


だが、印は印だ。


運びの合図に繋がる。


俺はトムを見る。


トムは頷き、指を二本立ててから、すっと下ろした。


――確認済み。


「トム。街道の前を押さえろ。井戸と宿、塩と灯り。補給は切らすな」


トムは無言で去る。


「サム。噂を継続して拾え。薬は全部だ。売り手の癖、運びの時間、顔。覚えろ」


「了解。……姐さん」


サムの声が一段低くなる。


「何だ」


「さっきの宿、見張りが薄い。村の連中は善いが、善いだけだ。外から来た奴らに弱い」


俺は息を吐いた。


「だから俺がいる」


“ヴィットーリオ”としては言えない。


“ヴィオラ”としてなら言える。


「この旅で、聖女様に触れる奴は全員、俺が覚える」


サムはニヤついた。


「こえぇ。惚れられてんのに?」


「惚れられてるのは、聖女様だ」


そう言い捨てて、話を切る。


――次。


ミレイユだ。


女装を“武器”に変えるのは、俺の趣味じゃない。


だが、必要ならやる。


必要な形に整える。


その整え方を知っているのは、ミレイユだ。


俺は懐から符を出し、指先で印を結んだ。


『宿、狭い。女同士の善意が重い。次の村へ来い。衣装と所作、点検が必要』


送った瞬間、返事が来る予感しかしない。


――来る。


笑いながら来る。


腹が立つ。


だから頼る。


「……くそ」


呟きは、夜に溶けた。


背後で足音。


振り向く前に、匂いで分かる。


司祭だ。


「ヴィオラ殿……」


声は小さい。


それでも、夜の廊下には響く。


「お静かに」


俺は微笑みで釘を刺す。


侍女の顔で。


司祭は喉を鳴らして、さらに声を落とした。


「……終点の村ですが。巡礼印が、届いておりません。返事も……」


「沈黙している」


俺は言葉を継いだ。


司祭は頷く。


「山賊の噂もありますが……それだけではないような」


“それだけではない”。


そうだ。


沈黙がきれいすぎる。


偶然の沈黙じゃない。


作為の沈黙だ。


「聖女様には言わないでください」


俺が言うと、司祭は怯えたように頷いた。


言うな。


言わせない。


怖がらせない。


リュカは、まだ“救い”の光を信じている。


その信じ方が眩しい。


眩しいほど、守るのが難しくなる。


俺は廊下の窓から外を見た。


闇の向こうに、街道が延びている。


そこを通れば、噂も、刃も、薬も、全部ついてくる。


「……行くぞ」


誰に言ったのか分からない。


自分にだ。


俺は扉の前で呼吸を整え、もう一度“ヴィオラ”を被り直した。


部屋に戻る。


扉を静かに閉める。


リュカは眠っている。


女の子みたいに丸まって、髪が少しだけ乱れている。


俺は近づかない。


近づけば、間違える。


代わりに、部屋の隅の影に座り、短い時間だけ目を閉じた。


明日も巡礼は続く。


表の光を守るために、裏の手順を回す。


それが俺の役目だ。

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