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13/16

お泊り会

夕方の空は、薄い橙に溶けていた。


二つ目の村を出て、次の村へ向かう途中で日が傾き、巡礼の一行は「今夜はここで」と小さな宿に押し込まれた。


押し込まれた、という表現がいちばん正しいと思う。


宿は狭い。


通された廊下は細く、扉は低く、天井は梁がむき出しで、背の高い者は頭を打つ。


村の人たちが、できる限りの善意で迎えてくれているのは分かる。


だからこそ――断れない。


「聖女様はこちら。侍女様も、こちらでよろしいですか?」


宿屋の女将が、当たり前の顔でそう言った。


そして、当たり前のように同じ部屋の扉を開けた。


「……え?」


私の喉が、変な音を出した。


隣でヴィオラが微笑む。いつもの顔。いつもの落ち着き。


「問題ありません」


問題あるよ!!!


心の中の私が全力で叫ぶ。


でも、口に出るのは別の私だ。


「……は、はい。大丈夫です」


大丈夫じゃない。


大丈夫じゃないのに、私は“聖女様”で、“私”で、頷いてしまう。


部屋に入ると、ベッド……ではなく、藁を詰めた敷物が二つ。


一応、二つ。


一応、だ。


間隔が近い。


近すぎる。


「……あの、女将さん。これ、もう少し……」


私が言いかけた瞬間、ヴィオラがすっと間に入った。


「ありがとうございます。十分です」


柔らかい声。丁寧な言葉。なのに、会話が終わる圧がある。


女将は「でしょう?」と笑って、扉を閉めた。


――閉まった。


私はその音だけで、心臓が跳ねた。


「……ヴィオラ」


「はい」


返事が近い。


近いだけで、私の頭の中が散らかる。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け……!)


男の娘の危うさ。


というか、これは危うさじゃない。


普通に、危険だ。


私の理性が、ただの紙みたいに薄いことがバレる危険。


ヴィオラは、そんな私の内心なんて知らない顔で、淡々と部屋を見回した。


窓。鍵。隙間風の入り方。外から見える死角。


手袋の指先で、梁の釘を軽く触れる。


……護衛。


そうだ、護衛なんだ。


落ち着け、私。相手は護衛。侍女。綺麗で頼りになる護衛侍女。


「ここは安全です。……今夜は休んでください」


言い方が、優しい。


優しいのに、命令みたいに逃げ道がない。


私は頷き――頷いてから、はっと気づいた。


「え、でも……ヴィオラは?」


「見回りをします。あなたが眠るまで、起きています」


(や、優しい……!)


優しい、と同時に。


(起きてるの!? 同じ部屋で!?)


私の心臓が二回くらい追加で鳴った。


---


しばらくして、女将が桶を二つ抱えて戻ってきた。


湯気がふわっと広がり、湯の匂いが部屋を満たす。


「湯浴みは裏の小屋ですけど、寒いでしょう? ここで足だけでも温めて」


ありがたい。


ありがたいのに。


「……え、ここで……?」


私が目を泳がせると、女将はにこにこしながら続けた。


「聖女様も侍女様も、女同士ですもの。気にしないで」


気にするよ!!!


女同士じゃないよ!!!


私は笑顔を貼り付けて、ひゅ、と息を吸った。


「……そう、ですね。ありがとうございます」


――聖女様の笑顔。


便利な仮面。


こんなときにこそ、役に立つ。


女将が出ていく。


扉が閉まる。


湯気が残る。


私はゆっくりヴィオラを見る。


ヴィオラは、湯を覗き込んでから、私を見て、少しだけ眉を寄せた。


「……熱すぎませんか」


「え?」


「無理をしないで。足だけでいいです」


女の子を気遣うみたいに、当たり前の顔で言う。


その“当たり前”が、私には一番刺さる。


「……う、うん。足だけ……」


私は桶の前に座って、そっと足を入れた。


あったかい。


それだけで、胸の奥までほどける。


「……ふぅ」


あったかさが胸までほどけて、思わず息が漏れた。


(今の……だ、大丈夫? 変じゃなかった?)


私が勝手に怯える間にも、ヴィオラは目を逸らさない。


逸らさないのに、いやらしくない。


ただ、護衛として“そこにいる”。


「楽になりますか」


あくまで、女の子に聞くみたいな声。


「う、うん……ありがとう」


私は笑顔を作って、桶の湯気の向こうに視線を逃がした。


この距離で平然としていられるヴィオラが、ずるい。


私は黙って足を温めた。


湯気が頬に触れて、恥ずかしさが増える。


同室で、湯浴みで、足だけでも見られてる感じがして、勝手にドキドキする。


そのとき、ヴィオラが布を一枚、湯で湿らせた。


「お背中、流します」


「えっ!?」


私は思わず桶の縁を掴んだ。


背中。


背中は、だめ。


いや、だめじゃないはずなんだけど――だめ。


「だ、大丈夫! 自分でできるから……!」


必死に笑顔を作る。


作りながら、脳内は真っ白。


ヴィオラは困ったように首を傾げた。


「遠慮しないで。冷えます」


遠慮じゃない。


違う。


違うけど言えない。


「ほんとに……っ」


私が逃げようと身をよじった瞬間、ヴィオラの手が、肩にそっと触れた。


女の子を扱うみたいに、力は強くない。


なのに、逃げられない。


「動くと、こぼれます」


優しい声。


優しいのに、逃げ道がない。


濡れた布が背中に当たった。


熱くも冷たくもなくて、ただ、ぞくっとした。


(だめだめだめ……!)


私は息を止めた。


止めたせいで余計に変な音が出そうになって、慌てて息を吐く。


ヴィオラは淡々と、丁寧に背中を拭く。


まるで、当然の仕事みたいに。


「……終わりました」


言われた時、私はようやく肩の力が抜けていることに気づいた。


「……ありがと」


声が裏返りそうになって、私は咳払いで誤魔化した。


ヴィオラは何も言わず、湯で布をすすいで、また“侍女の顔”に戻った。


――女の子扱い。


上手すぎる。


私の方が先に、崩れそうになる。


(なんで私、こんな……)


私は聖女だ。


救いを届ける役目がある。


それなのに、私は今、ただの思春期みたいに心が忙しい。


……恥ずかしい。


「聖女様」


「は、はいっ」


反射で返事が跳ねた。


ヴィオラが目を細める。


「……深呼吸」


「う……」


私は素直に深呼吸した。


そういうところが、ずるい。


従ってしまう。


---


足が温まった頃、廊下の向こうから笑い声が聞こえた。


修道女たちが、私の話をしている。


「今日の聖女様、本当に尊くて……」


「侍女様も綺麗よねぇ。あの人がいると安心する」


――やめて。


褒められると、嬉しい。


嬉しいのに、苦しい。


私は布団の方へ移動して、背中を丸めた。


花束を思い出して、胸が熱くなる。


あの青年のまっすぐな目。


「綺麗で」って言葉。


(……私、聖女様なんだ)


その重さが、今夜はいつもより肩にのしかかる。


ヴィオラは、壁際に座って、短い針と糸で何かを直し始めた。


衣装のほつれ。


手袋の縫い目。


完璧に見えるのに、完璧に“維持”している。


「……ヴィオラは、疲れないの?」


私が聞くと、ヴィオラは針を止めずに言った。


「疲れます」


即答。


私は少しだけ笑ってしまった。


「……じゃあ、少し休んでよ」


「あなたが眠ったら」


やっぱり逃げ道がない。


(優しい……)


(優しいけど……近い……)


私は布団に潜り込み、目を閉じる。


眠れるはずがない。


背中の向こうに、気配がある。


布を擦る音。針のかすかな金属音。


呼吸が、落ち着いている。


私は、勝手に想像する。


ヴィオラが髪をほどいたらどうなるんだろう。


手袋を外したら、どんな指なんだろう。


制服の襟をほどいたら、どんな香りがするんだろう――


(だめだめだめだめ!!!)


私は布団の中で、拳を握った。


そのとき、ヴィオラの気配が立った。


布が揺れる。


扉が、静かに開く。


「……見回り」


小さく言って、ヴィオラは外へ出た。


ほんの一瞬。


本当に一瞬。


でも。


(今……抜けた?)


私は布団の中で目を開けた。


胸の奥が、妙にざわつく。


“見回り”。


それは護衛として普通のこと。


だけど、さっきまで疲れてると言っていた人が、夜に、たった一人で。


(……危ないのかな)


そう思った瞬間、私は自分の浅さに気づく。


さっきまでドキドキしてたくせに、今は心配してる。


心って、忙しい。


ヴィオラはすぐに戻ってきた。


戻ってきたのに、外の匂いを少しだけ連れている。


冷たい風と、土と、どこか遠い煙の匂い。


「異常はありません」


それだけ。


それだけなのに、私は胸の奥がふっとほどけた。


「……そっか」


私は小さく呟いて、目を閉じた。


“同室”は怖い。


“湯浴み”は危ない。


でも。


ヴィオラがいる。


その事実が、今日の重さを少しだけ軽くする。


明日も巡礼は続く。


次の村へ。


次の救いへ。


私は聖女で、私は――私で。


布団の中で、ようやく眠りが落ちてきた。


その直前、ヴィオラの声が静かに落ちる。


「……眠れ」


短くて、優しい命令。


私は、はい、と返事をした気がする。


言葉にならないまま、私は暗い天井を見上げた。


そして、眠った。

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