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祈りを繋ぐもの  作者: 和穂ゆう
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神と人の祈り草 ~後編~

前回の続きです。

第四章『祟りと鎮め 〜忘れられたものの声〜』


かつてこの地に、名も持たず、社もなく、ただ人々の傍らに在りつづけた神がいた。

それは大地の傍らに宿り、風に溶け、里の営みを静かに見守っていた。


だが人々はやがて祈りを忘れ、神の存在に気づかなくなった。

ただそこに在ることに甘え、恵みを受け取ることを当然とし、やがてその存在さえ思い出す者はいなくなった。


そして、ある年のこと。

その里に不思議な災いが続けて起こった。畑は荒れ、家屋は崩れ、子らは夜毎にうなされる。

誰ともなく「祟りでは」とささやく声が広がり、人々は恐れを抱きはじめた。


ニニギノミコトがその地を訪れたのは、ちょうどその折だった。

地元の者たちは最初こそ天津神の訪れを喜んだが、次第に「見られてはならぬもの」を隠すように目をそらし、言葉を濁した。


「この地には、“名もなき神”が祀られておったのだ」

そう語ったのは、老練なる神・オモイカネであった。


「かつて人々と共にあったものが、祈りを失い、忘れ去られた。

名を与えられず、形をもたぬその存在は、やがて己を見失い、今なおこの地にとどまっておるのだろう」


オモイカネの言葉に、ニニギは深く頷いた。

やがて彼は一人、風の向かう方へと歩き出す。森の奥深く、時の止まったような小さな祠へと辿り着いた。


その場には、人の手による痕跡も、名を記した札もなかった。

だが確かに、そこには“誰か”がいた。


「ここに在る神よ」

ニニギは静かに語りかけた。


「祀りを忘れた人々のために、貴方は怒りを抱いたのではない。

名を失っても、ここに在りつづけたこと――それが、どれほどのものか。

私には、ほんのわずかでも、その重みが見える気がする」


風が一陣、祠を包んだ。木の葉がざわめき、小さな鈴の音がどこからか響いた。


ニニギは地にひざまずき、丁重に礼をした。


「今この地に、祀りが戻ろうとしている。

その始まりのために、どうか、もう一度――人々の傍に」


しばしの沈黙ののち、微かに、風が和らいだ。


そして、忘れられた神は微かにうなずき、ふたたび風となって、祠の奥へと還っていった。



その後、ニニギは村の広場にて、人々に語りかけた。


「……災いが起きたとき、ただ“祟り”と恐れ、見ぬふりをするだけでは、何も変わらぬ。

それは時に、忘れられた存在が、声を届けようとしているのかもしれぬ。

冷静に見よ。振り返れ。そして、起こったことを正面から受け止めよ。

どうしても人の手に余る時には――己の信じる神々に、祈りを捧げればよい」


老いた村人が震える声で尋ねた。


「……それで、神は、許してくれるのですか? 我らのような、忘れた民を」


ニニギは、はっきりと頷いた。


「名も祈りも失った神ですら、祀りの灯を、受け入れてくれた。

神々は、裁くためにあるのではない。

共に在るために、今もなお、この世に寄り添っておられる」


その言葉に、村人の中からそっと祠へと向かう者が現れ、

やがて次々と頭を垂れ、小さな列となって、祠に新たな祈りの風が吹き込まれた。


空を仰げば、白き鳥がひとすじの光をまとい、ゆるやかな弧を描いて翔んでゆく。


それは、風に乗って神々の想いを運ぶ、導きの鳥――。


ニニギとその一行は、鳥の去ったその方角へと、次なる地を目指して歩み出した。




【間章】声なき祈りの先に


忘れられた神が風となって祠へ還った後、人々は静かに手を合わせるようになった。祟りを恐れるだけでなく、その意味を見つめ、自らの在り方を省みるようになったのだ。


それを見守るニニギに、側近のオモイカネが問う。


「名も祀りも、時に忘れられます。されど、神は在り続ける。

ならば名とは、いかなる意味を持つのでしょうな」


ニニギは答える。

「名は、つなぐためのものだ。忘れられても、呼びかければ応える。

ならば、もう一度、名を交わそう」


そのとき、白き鳥が空を翔けた。

次に向かう地では、神々の名と祀りをめぐる争いが起きているという。


名とは――誰のためにあるのか。




【第五章】名を交わす神々 〜祀りと分断〜


霧深き山のふもとに、静かな集落があった。

その村にはふたつの祠があり、片や「山の神」を祀り、片や「祖霊」を祀っていた。

どちらも、古くからこの地を護ると語られてきた神々である。だがある年、干ばつと疫が続き、村人の間にささやきが広がった。


「隣の祠の神が祟っているのではないか――」


互いに自分の祠こそが正しく、他が穢れていると語り、やがて、子どもたちの遊ぶ場すら分かたれるようになった。


それを聞いたニニギは、静かに祠を巡った。

そこにいたのは、怒れる神々ではなかった。ただ、祈られぬまま、名を語られずに沈黙する者たちだった。


「……祀られているはずの神が、なぜ声を上げぬのか」

ニニギの問いに、老神オモイカネが応える。


「声はあれど、届かぬのです。

人々が祈る先が“他を拒む名”である時、神は“祈りそのもの”ではなく、名によって裁かれてしまう」


ニニギは村に戻り、双方の祠に詣で、言葉を捧げた。

「ここに祀られている神々よ。汝らは名によって争わんとするものか。

それとも、名の奥にある“想い”を、人に伝えんとするものか」


その夜、夢の中で風が囁いた。

「我らは名によって形を得る。しかし、名は時に、姿を縛る。

人々が名を用いて争うとき、祈りは分断の器と化すのだ」


数日後、ニニギは神々を集めた会合の場を設けた。

霧の奥、神も人も未だ定めぬ場所。そこに、天津神と国津神が肩を並べた。


「我らは争っておらぬ」

と、オオヤマツミが低く語る。

「だが、我の名を掲げる民が隣人の祠を穢れと呼ぶならば……それは、神の望む祀りとは違う」


「信仰とは、本来、心のよりどころ」

クシミカタマは続ける。

「だが、名が独り歩きすれば、祈りは“我こそ正しい”と叫び出す。

神は形なき想いから生まれた。名はそれを結ぶ印であって、刃ではなかったはずだ」


「では……」と、ニニギが進み出る。

「――その名を交わし、祈りを繋ぐ橋としよう。

互いの名を否定せず、一つの神が千の名を持つことを受け入れよう。

名が違えども、根にあるのは“人の祈り”である限り」


沈黙の後、オオナムチが言った。

「よいだろう。我らは、時に川となり、時に風となる。

名はそれを結ぶもの――ならば、祈る者の手に委ねよう。

その祈りが傲りを持たぬ限り、我はそれを拒まぬ」


その後、ニニギは各地の村に赴き、かつて名を争った神々の祠を、共に祀る場として整えていった。

時にそれは一柱の神に二つの名を記し、時に隣り合う神の祠を橋で結ぶものだった。

すぐに争いが消えるわけではなかった。

だが祀りの形が変わり始めると、人々の目にも少しずつ変化が映り始めた。


村のある老婆は、かつて忌避していた隣の祠に手を合わせた。

「……同じ水を汲み、同じ稲を育ててきたんだものね」

その声に、名を得た神々が、音もなく風を揺らした。


ある日、ニニギが一人の若者に問われた。


「神とは、本当に、名を必要とするものなのですか?」


ニニギはしばし空を見上げ、鶴が舞う姿を追いながら応えた。

「名は、形を与える。形は、祈りの的となる。

だが……名だけで祈るならば、ただの言の葉にすぎぬ。

祈りとは、想いと行いが結び合うとき、はじめて神に届くのだ」


その言葉を聞いた若者は、黙って手を合わせた。

祠の前で、神の名ではなく、今ここにある“日々”に感謝するように。


【章末・次章導入】


それは、分断を超えて名を交わす試みだった。

一柱の神に千の名があるように、一人の人にも千の祈りがある。

大切なのは、何を名乗るかより、何を祈るか――


オモイカネはそっと呟いた。

「さて、次はその祈りの先。

神と人が、互いに願いを託し合い、“約束”を交わすときですな」


その言葉に頷き、ニニギは歩を進める。

いよいよ、祈りを繋ぐ最果ての地へ――




【終章】祈りを繋ぐもの 〜神と人の約束〜


空は晴れわたり、風は高天原と葦原中つ国とを、ひとつに結ぶように吹いていた。

季節は巡り、時は満ちていた。


ニニギは、かつて天より託された「道」を、ついに歩ききった。

森に入り、川と語らい、獣と向き合い、祟る声と向き合い、名を交わし――

今、その歩みの先に見えているのは、神と人とがともに在る未来だった。


その地は、もはや天津神でも国津神でもなく、名もない人々が暮らす野に過ぎなかった。

けれど、そこには確かに、神が息づいていた。


かつて、天の会議において、命とは何か、祈りとは何かを問うた神がいた。

永遠を司る神は「命は不変のもの」と言い、

刹那を司る神は「命は一瞬に燃えるもの」と言った。


ニニギは、そのふたつの想いを受け取り、

「ならば、我はその“想い”を人に繋ぐ」と誓ったのだ。


そして今、彼の前には、ただ名もなく、けれど確かに生きる人々がいた。

種を蒔き、水を引き、風に耳を澄ませる人々。

神の姿はない――けれど、人々は朝に手を合わせ、夜に感謝を捧げていた。


「これが……神と人との“契り”か」

と、傍らの老神オモイカネが、空を見上げて呟いた。

「祈りとは、神を喚ぶ声ではない。

想いを重ね、行いに映す、静かな営みですな。

名は風に溶けても、祈りは残る――」


ニニギは頷いた。

「だからこそ、我らは名を残すのではなく、行いを残そう。

花を咲かせることより、土を耕す手を尊べ」


そのとき、ひとりの子どもが走ってきた。

泥だらけの手で、草花を束ね、ニニギに差し出す。


「神さま、これ、見て! 咲いたんだよ!」

そう言って笑う顔には、名も地位もなかった。ただ、まっすぐな祈りがあった。


ニニギはそっとその花を受け取り、答えた。

「――そうか。ならば、その祈りを、いつか誰かに渡してくれ」

「え? どうして?」

「祈りは、繋ぐものだからだ」


その夜、星が降るように瞬いていた。

神々は帰りゆく。

誰に祀られるでもなく、誰に讃えられるでもなく、ただ“そこにあるもの”として。


ニニギもまた、名を棄てようとしていた。

「我が名は天にありしもの――

けれど、地に残すべきは名ではない。想いだ」


その後――


彼がいた場所に、ひとつの祠が建てられた。

名もなき祠。けれど、訪れる人々は、皆口々にこう言った。


「ここには、祈りがある」


そして、祠の傍に咲いた花は、季節ごとに姿を変えながら、

なぜか、いつも、人の心に寄り添うように咲いたという。


誰がその花を植えたのかは、今も語られぬ。

けれど、人々は今も手を合わせ、祈るのだ。


「どうか、祈りが繋がりますように」


【物語の終わりに】


すべての神が語り終え、すべての祈りが、ひとつの地に根づいたとき、

それは始まりとなった。


永劫を託された神は、静かに微笑み、

刹那に生きる神は、風のように舞い、

そして、“繋ぐもの”は、人の中に生き続ける。


物語は終わらない。

なぜなら、祈りは今も、誰かの手の中で、咲こうとしているから――

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