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祈りを繋ぐもの  作者: 和穂ゆう
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オロチ平定記2 - 狐火と慈悲の物語

第四章 キク・ミチ ~狐火に舞う幻惑~


九州の地から風に乗って伝えられる不吉な知らせが、都に緊張をもたらしていた。

三人の兄弟を頭目とする新たなオロチの一団が、

遥か南の地から這い上がるように近畿地方へと侵入してきたのである。


彼らが拠点として選んだのは、ハナヤマ(京都市山科区花山)であった。

山間の静寂が破られ、暗い影がその地に根を下ろそうとしていた。


アマテルカミの表情に深い憂いが刻まれた。

眉間に寄る皺は、国を思う重責の証であった。

「カタマロよ、状況を確かめてもらいたい。しかし、十分に注意せよ」

その声には、信頼する臣下への心配と、事態の深刻さを察した緊張が滲んでいた。


カタマロは主君の言葉を胸に刻み、一路ハナヤマへと向かった。

山道を進むにつれ、空気が重く淀んでいくのを肌で感じた。

鳥の鳴き声が次第に遠ざかり、代わりに不気味な静寂が辺りを包み始める。


そして、ハナヤマの麓に辿り着いたカタマロが目にしたのは、

まさに地獄絵図とも言うべき光景であった。


青白い火の玉が宙を舞い踊り、まるで死者の魂が彷徨っているかのようだった。

煙が立ち込める中を、蛍のような光が狂ったように乱れ飛ぶ。

視界は僅か五メートルほどしか利かず、その向こうは濃い霧に包まれている。


若い女性たちが、異様な踊りに興じていた。

その動きは人のものとは思えず、まるで何かに憑かれたようであった。

彼女たちの瞳には、理性の光が宿っていない。


「ケケケケ...」

「アハハハハ...」


あざけりの笑い声が四方八方から響き、カタマロの耳に鋭く突き刺さる。

その音は、まるで地の底から湧き上がってくるようで、背筋に悪寒が走った。


「何事だ!」


カタマロは気を引き締め、煙の中を進もうとした。

しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、青い火の玉が彼の前に立ち塞がった。


オロチのキクミチが現れたのである。

その顔は人のものでありながら、どこか獣じみた狡猾さを宿していた。

口元から青い火の玉が吐き出され、カタマロの行く手を阻む。


「フッ...フッ...」

キクミチの息は熱く、硫黄のような臭いを放っていた。


カタマロは己の限界を悟った。

この異様な術の前では、一人では太刀打ちできない。

冷静さを保ちながら、一旦退却を決断する。


都への帰路、カタマロの心は重かった。

アマテルカミにどう報告すべきか、言葉を選びながら馬を走らせた。


「アマテルカミ、申し上げます」

カタマロの報告を聞くアマテルカミの表情は、次第に深刻さを増していった。

眉根を寄せ、しばらく沈思黙考された。


やがて、アマテルカミの口元にかすかな微笑みが浮かんだ。

それは、謎を解いた者の確信に満ちた表情であった。


「このオロチは、狐ですね」

その断言には、長年の経験と深い洞察が込められていた。


「狐は鼠を大好物とします。

鼠を油で揚げて、捕り物の道具に使うとよいでしょう」


カタマロは主君の知恵に感嘆した。


「また」アマテルカミは続けた。

「狐は人を化かします。反省したふりをして、

懲りずに何度でも騙そうとするでしょう。

なぜなら、彼らには驕りの炎を宿した尻尾があるからです。

その尻尾の驕りの炎を消し、尻尾を巻いて降参させるには、

生姜やみょうがの煙でいぶすとよいでしょう」


カタマロの胸に希望の光が差した。

主君の英知があれば、必ずやこの災いも鎮めることができる。


再びハナヤマへと向かうカタマロの足取りには、今度は迷いがなかった。

味方の兵士たちにアマテルカミの教えを伝えると、皆の表情に安堵と決意が宿った。


ハナヤマの戦場に再び足を踏み入れると、相変わらず青い火の玉が乱舞していた。

キクツネの三兄弟に群がる大勢のオロチたちが、威嚇するように火を吹いている。


しかし、今度は違った。

カタマロは懐から鼠の油揚げを取り出し、オロチたちの間に投げ入れた。


その瞬間、戦場の空気が一変した。


「あっ!」

「うまそうだ!」


オロチたちの目の色が変わった。

先ほどまでの威嚇的な態度は影を潜め、

まるで飢えた獣のように油揚げに群がり始める。

戦うことなど忘れ、我先にと食らいつく様は、まさに狐そのものであった。


カタマロと兵士たちは、その隙を見逃さなかった。

手際よく包囲網を敷き、一人また一人と縄で縛り上げていく。

千人ほどのオロチが、あっけないほど簡単に捕らえられた。


「人々を驚かして暴れまわることは不届き千万」

カタマロの声は威厳に満ちていた。

「性根が治らないのであれば、根絶させて生まれ変わらせる」


死刑の宣告を聞いた途端、オロチたちの顔は青ざめた。

先ほどまでの傲慢さは消え失せ、皆一様に震え上がった。

「お許しください!」「私どもは、深く反省しております!」

「これからは、正しい行いをして人々の役に立ってまいります!」

涙ながらの命乞いが響く。

しかし、カタマロはアマテルカミの教えを思い出していた。


狐は何度でも人を騙そうとする。油断は禁物である。

「それならば」とカタマロは言った。

「しかし、本当に改心しているか確かめさせてもらう」

用意していた生姜とみょうがを火にくべ、煙でオロチたちをいぶした。

すると、案の定であった。


「ケホッ、ケホッ!」

煙にむせるオロチたちの後ろから、ふさふさとした尻尾が現れた。

驕りに満ちた狐の尻尾である。


「まだ騙そうとするのか」

カタマロの声は厳しかった。


「観念して改心せよ」

オロチたちは再び降参の姿勢を見せた。

しかし、再度いぶしてみると、やはり尻尾が現れる。


それを何度も繰り返すうちに、つ

いにキクツネの三兄弟が完全に尻尾を巻いて降参した。


その後、三兄弟を囮として大きな網を野に張り巡らせると、

仲間を助けようと集まってきたオロチたちを一網打尽にすることができた。

数えてみると、その数は三万三千人にも及んだ。


キクツネの三兄弟を牢に収容し、カタマロたちは首都イサワへと凱旋した。

しかし、カタマロの心には、まだ見ぬ脅威への警戒心が燻り続けていた。



第五章 イソラ・ミチ ~慈悲の光と裁きの剣~


五番目のオロチ、ハルナが起こした混乱は、これまでにない規模であった。

北は東北から東は関東・東海地方にまで、その災いは広がっていた。


連日、アマテルカミの出先機関には窮状を訴える使者が詰めかけた。

農民たちの絶望的な表情、商人たちの恐怖に震える声、

子を抱いた母親たちの涙—それらすべてが、事態の深刻さを物語っていた。


「もはや、私自らが出陣するしかありません」

アマテルカミの決断は重く、しかし揺るぎないものであった。


出陣の準備が整った時、その陣容は壮観であった。

アマテルカミの御輿には、正皇后セオリツヒメ(ホノコ)が同乗された。

西のスケキサキのハヤアキツヒメ(アキコ)も美しい装いで供に連なった。

両脇を固めるイフキヌシ(ツキヨミの子)と

クマノクスヒ(アマテルカミとトヨヒメの皇子)の凛々しい姿。

白馬に跨る諸臣たちの勇ましい様子。

首都イサワから北へ向かう行軍は、民衆に希望を与えるものであった。

街道に立ち並ぶ人々の顔には、安堵の表情が浮かんでいる。


やがて一行はヤマタ(伊勢市北部)に到着した。

斥候が派遣され、程なくして戦慄すべき報告がもたらされた。


「アマテルカミ、恐るべき光景にございます」

偵察隊のキキスの顔は青ざめていた。


「オロチのハルナが展開している妖術は、これまでにないものです。

野原一面から遠くの山まで、すべてが暗雲に包まれております」

その暗雲の中で、オロチたちは業火を吹き上げ、

棘のある矢を雨のように降らせているという。


アマテルカミは静かに目を閉じられた。深い瞑想の後、御口を開かれる。

「皆、歌を歌いなさい」

そして、サツサのウタ(鎮めの歌)をウタミ(札)に記し、

オロチの群れの中へと投げ入れさせた。


やがて、アマテルカミの声が戦場に響いた。

「オロチも鎮圧されてきて、

そろそろ国民の間で"鎮めの歌"が流行っている頃でしょうか。

皆も歌って彼らに知らしめてください」


そして、荘厳な調べが戦場に流れ始めた。


「さすらても はたれもはなけ

 みつたらす かかんなすがも

 てたてつき かれのんてんも

 あにきかす ひつきとわれは

 あわもてらすさ」

(逆らっても天意に背けば滅ぶ。

わたしは日の神と共にある。

争うな、調和の中に帰れ)


歌声は美しく、しかし力強く響いた。

それは、慈悲と威厳を併せ持つ、神々しいまでの調べであった。


しかし、ハルナの怒りは頂点に達した。

矢の雨を更に激しく降らせ、業火を吹き上げる。

だが、アマテルカミから授かった防具に守られた味方には、

一本の矢も刺さることはなかった。


焦りを感じたハルナが更に激しく火を吹くと、

アマテルカミが用意していた大量の水桶が一斉にハルナに向けて投げかけられた。

ジュウジュウと湯気を立てて炎が消え、ハルナの術は封じられた。


「このままでは...」

ハルナの心に、初めて恐怖が芽生えた。

己の術が全く通用しないことへの焦燥感が、全身を駆け巡る。


遂に、ハルナは逃走を図った。

しかし、タチカラヲが素早く追撃し、その身を捕らえた。

群がり集まっていた配下のオロチたちも、次々と縄で縛られていく。


裁きの刻


アマテルカミの御輿の前に、ハルナが引き出された。

御簾が上がると、アマテルカミの御手にはヤサカニのマカルタマが握られていた。

それは、命を賭ける覚悟の象徴—「トのヲシテ」を立てる決意の現れであった。

東側にはウチミヤのセオリツヒメがマフツのカガミを、

西側にはアキツヒメがクサナギのヤヱ・ツルギを持って控えている。

その威容は、まさに神威そのものであった。


イフキトヌシが厳かに詰問した。

「朝廷に反逆を起こす、その理由は一体何か?」


ハルナは観念したように、すべてを白状した。

「ネの国司だったシラヒトの策略でございます。

『あなたの協力でクーデターが成功したら、国司の地位を保証しましょう』

と言われました」


その告白は続いた。

シラヒトがソサノヲの名を騙って説得してきたこと、

それに心を動かされてしまったこと—すべてが明らかになった。


「マフツのカガミ」にハルナを映してみると、翼の影が浮かび上がった。

イフキトヌシの判定は厳しいものであった。


「このオロチには災いを起こす鳥が憑りついています。

化けて国民をたぶらかすその遣り口は許せません。

オロチごと斬ってしまうのが適切でしょう」


その時であった。

お側に控えていたクマノクスヒ(北のスケキサキのトヨヒメの皇子)の表情に、

深い慈悲の光が宿った。

「那智のワカミコ」と呼ばれる彼は、誰よりも慈悲深い心の持ち主であった。


オロチの中にも、救うべき者がいるのではないか—

そんな想いが、彼の言葉として周囲に伝わる。


クマノクスヒのその言葉を聞き、何人かのオロチの心に変化が起こった。


「もう二度と反逆はいたしません」

血を以っての誓いを立てる者が現れ始めたのである。


海水での禊ぎの後、再びマフツのカガミに映してみると、

驚くべきことに翼の影は消えていた。

オロチの心からの脱却が成し遂げられたのである。


このようにして解放された者は、六千人に及んだ。

彼らは一般国民として復帰することが許された。


フタミカタでの大審判


フタミカタ(二見ヶ浦)に、

これまでに捕らえられた多くのオロチたちが集められた。

牢に入れられていた五人の首謀者、

ハルナに従った副頭目級の五百人、

国預けになっていた四百人—すべてが一箇所に集結した。

ここでも血判の誓いと禊ぎが行われ、マフツのカガミでの審判が下された。


キクツネの三兄弟には、すぐに狐の影が現れた。

「ミツキツネ」と名付けられた彼らと、

その配下の三万三千人にも同様の狐の影が強く映し出された。


処断の決定が下されようとした時、カタのカミが必死の助命嘆願を行った。

「彼らに、どうかお慈悲を!私が教え導きます!」


しかし、他の諸臣たちの反応は冷たかった。

「どうせ生きている間は、心を入れ替えることは無理だろう」


カタのカミは諦めなかった。あちらこちらの諸臣に嘆願を続けた。

一回、二回、三回...七回目の嘆願の時、

ついにアマテルカミの詔が下された。


「三兄弟の『ミキツネ』のこと。それと、集まり来たった者たちは、

カタのカミの助命嘆願があった故の命である。

その恩義に報いるため、カタのカミを護り、学び従うべし。

もしも再び悪さをするようなことがあれば、

速やかに処断として絶命を実行する。

この条件にて、カタのカミの従属として付き添いなさい」

慈悲の詔であった。

ミツキツネの処分は決まり、三兄弟はそれぞれ別の場所に配置された。

長兄はフタミカタに、

二番目はヤマシロのハナヤマに、

三番目は東のアスカノに。

配下の群衆も三分割され、田畑の鳥を追い払う役目を与えられた。


最後の慈悲


次に、シムミチ、イソラ、イツナの処分が検討された。

血判の誓いと禊ぎの後、マフツのカガミに映すと、

それぞれに「猿」「蛇」「水蛇」の影が現れた。

何度繰り返しても、影の消えない百三十人が残った。

処断が決まりかけた時、アマテルカミが最後の慈悲を示された。


『単に斬ってしまったら、その者のために良くないかもしれません。

生まれ変わった後に、自らの行いを後悔して、悩まされることになるでしょう。

自分の行いを反省できるように命は助けておけば、

その事を教訓として学び、転生して人になれれば、

指導者にも成り得るかもしれません。

里から離して置けば人々に害することもないでしょう』


こうして、オロチの首領級九百人と、雲集した九千人が、

タカノ(高野山)に預けられ、

タマカワ(玉川)に埋められた誓いの血判状と共に、

新たな人生を歩むこととなった。



エピローグ ~想いの交錯する宿命~


 一連のオロチ騒動が終息に向かう中、

放浪の身となったソサノヲ(サスラヲ)は、ひとり荒野を歩き続けていた。

風に乱れる髪、旅路の塵に汚れた衣—

しかし、その瞳には一筋の希望の光が宿っていた。

出雲の地へ向かう足取りには、迷いがない。


「モチコ様...ハヤコ様...」

ソサノヲは二人の名を呟きながら、遠い山々を見つめた。

きっと出雲にいるはずだ。二人に会えれば、すべてを説明できる。

誤解を解き、再び共に歩むことができる—そんな淡い期待が、彼の心を支えていた。


だが、ソサノヲはまだ知らない。

愛する二人の女性が、もはや人の姿を保ってはいないことを。

オロチと化した哀れな姿に身を堕としてしまったことを。



遥か彼方の山間で、二つの影が蠢いていた。

かつてモチコとハヤコと呼ばれた、今はオロチと化した二人である。

「アマテルカミ様...」

「ソサノヲ様...」

人ならぬ姿となりながらも、二人の心の奥底では、

まだ二人の皇子への想いが燻り続けていた。

愛憎入り混じった複雑な感情が、彼女たちの魂を引き裂いている。

憎しみに駆られてオロチとなったはずなのに、なぜか胸の奥が痛む。

復讐を誓ったはずなのに、なぜか涙が溢れてくる。

もはや人の心を失ったはずなのに、まだ愛の記憶が消えない。


「私たちは...一体何を...」


モチコの声は嗄れ、もはや美しい響きは失われていた。

しかし、その奥底にある悲しみは、まぎれもなく人間のものであった。


一方、首都イサワに戻ったアマテルカミは、深い憂いに沈んでいた。

政務の合間に見上げる空は、どこまでも重く暗い。


オロチの騒乱は一応の終息を見せたが、

それは序章に過ぎないことを、彼は知っていた。


モチコとハヤコがオロチと化したという報告は既に届いている。

しかし、二人がどこに潜んでいるのか、その手がかりすら掴めずにいた。


「弟よ...まだ何も知らずに...」


アマテルカミの胸に、深い痛みが走った。

ソサノヲがまだ真実を知らずに、

希望を抱いて出雲への道を辿っていることは察しがついた。


やがて彼が真実と向き合う時が来る。

愛する二人がもはや人でなくなってしまったという、残酷な現実と。

その時、弟の心は如何ほど傷つくことか。


「せめて...苦しみを和らげることができれば...」

アマテルカミの祈りにも似た呟きが、静寂な宮殿に響いた。


夕闇が迫る中、三つの想いが交錯していた。


出雲への道を急ぐソサノヲの切ない希望。


オロチとなりながらも愛に苦悩する二人の元キサキの葛藤。


そして、すべてを知りながら為す術もないアマテルカミの深い憂愁。


運命の糸は既に絡み合い、やがて来る邂逅の時へと向かっている。

それが救済となるのか、それとも更なる悲劇となるのか—


風が不吉に唸り、雲が空を覆い隠していく。嵐の前の静けさが、大地を支配していた。間もなく、宿命の刻が訪れようとしている...

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