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祈りを繋ぐもの  作者: 和穂ゆう
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神武天皇前史 〜父帝ウカヤフキアハセスの治世〜

前編:世継ぎ問題と新たな出会い



天皇の悩み


大嘗祭を終えた12代天皇ウカヤフキアハセスは、タタスの森(現在の京都下鴨、糺の森)の宮殿を居住地として、豊かで平和な治世を続けていました。人々は彼を「ミヲヤカミ」と慕い、親のような愛情深い政治を称賛していました。

しかし、一つだけ大きな心配事がありました。長年の間、世継ぎとなる子供が生まれなかったのです。

アマノコヤネが天皇に進言しました。

「陛下の治世は素晴らしいものです。しかし、世継ぎのお子様がいらっしゃらないことだけが心配です。アマテルカミに由来する11人の妃様がおられますが、新たに12番目の妃様をお迎えになってはいかがでしょうか」

ウカヤフキアハセスは深くうなずきました。

「私も同じ思いです。長年子供に恵まれず、既に妃たちも年を重ねています」


占いによる新妃選び


3代目オオモノヌシのコモリが提案しました。

「古くから『ヨツギフミ』という文献が伝わっています。これを試されてはいかがでしょうか」

天皇はみことのりを出し、アマノコヤネの後継者オシクモに「世継ぎ社」を建てさせ、世継ぎを祈らせました。オシクモの勧めで名前占いを行い、アマノコヤネが太占を執り行った結果、ヤセヒメが新しい妃にふさわしいとの結果が出ました。

コモリがその結果を吟味し、「ヤセヒメこそ新たな妃様にふさわしい」と承認しました。若葉のように美しいヤセヒメを、他の11人の妃たちも大歓迎で迎え入れました。


皇子誕生と悲劇


オシクモが「世継ぎ社」に祈ったところ神託を得ることができ、15か月後、ヤセヒメは待望の男の皇子を産みました。皇子はヰツセのミコと名付けられました。

しかし喜びも束の間、ヤセヒメは皇居に戻ろうとした時に亡くなってしまいました。生まれたばかりのヰツセのミコには母乳が必要でしたが、乳母を探さなければなりませんでした。


タマヨリヒメとの出会い


調査の結果、ワケツチ(上賀茂神社)近くのタカノのモリ(御陰神社)に、とても良い母乳が出る女性がいることがわかりました。その名はタマヨリヒメでした。

タマヨリヒメは高貴な生まれでした。父はカモのタケツミ(九州のハテカミの子)、母は3代目オオモノヌシ・コモリの娘イソヨリヒメで、かつて11代天皇ホオテミの妃でしたが降嫁してタケツミの妻となっていました。

長い間子供に恵まれなかった両親は、ワケツチカミ(上賀茂神社)に祈願し、その夜に子を授かる夢を見て、実際に玉のように美しい女の子を授かりました。それがタマヨリヒメでした。




中編:タマヨリヒメの神秘体験と皇后への道



不思議な体験


両親が亡くなり、一人残されたタマヨリヒメは、ワケツチカミ(上賀茂神社)に参拝していました。すると、自然神ウツロイが現れて彼女に問いかけました。

「身なりの良い姫が一人で参拝するのはなぜですか。神に仕える為ですか」

タマヨリヒメは「そうではありません」と答えました。

「では、世捨て人なのですか」

タマヨリヒメは毅然と答えました。

「あなたはどなたですか。そのような質問を受ける心当たりはありません。私は祀られているニニギノミコトに縁を持つ子孫です」

すると、ウツロイは雲間に雷を響かせて去っていきました。


白羽の矢の奇跡


その後、タマヨリヒメが再びワケツチカミに参拝し禊ぎをしていると、軒に白羽の矢が刺さっているのが見つかりました。その後、タマヨリヒメは妊娠していることがわかり、男の子を産みました。

この子が3歳になった時、軒の矢を指して「父上」と言った瞬間、矢は空高く飛び上がり、どこからともなく「ワケイカツチのカミであるぞ」という声が響き渡りました。

この不思議な出来事が噂となり、近隣の人々から求婚されましたが、タマヨリヒメはどこにも嫁ぐ気持ちはありませんでした。タカノのモリに隠れ住み、ワケツチノカミの社を建てて祀り続けていました。


宮中への招請


ヤセヒメの早逝でヰツセミコの乳母を急いで探す必要があり、タマヨリヒメのことが推挙されました。

「比叡山の麓に立派な姫がおられます。母乳が良く、虚弱な子もこの姫の母乳で元気を取り戻すそうです」

この話を聞いたウカヤフキアハセスは使者を出しましたが、タマヨリヒメは都に上る気配を見せませんでした。様々な人を使者に立てても、有力者が直接招きに行ってもだめでした。

ワカヤマクイが推論を述べました。

「勅使の招請も受けずに都に上らないのは、世俗を超えた強烈な理由があるためでしょう。それは、ワケツチカミの祭祀が絶えてしまう心配のためだと思います」

そこで、ヤマクイを勅使に立て、ワケツチカミへの祭祀を後々も実行することを約束すると、ようやくタマヨリヒメは都へ上る決心をしました。


皇后となる


都に参上したタマヨリヒメに、ウカヤフキアハセスは子供の父親について問いました。タマヨリヒメは答えました。

「この子には父がありません。敢えて言うなれば、白羽の矢が来て身籠りましたのでワケツチカミの子となりましょう。父が無いので本名は付けていません。近くの人はイツモのミコと呼んでいます」

タマヨリヒメの言葉は美しく明晰で透き通るようで、その姿も名前の通り玉のように輝いていました。ウカヤフキアハセスはタマヨリヒメを妃としました。

タマヨリヒメは母乳のなかったヰツセのミコを育て、また自らもミケイリヒコとイナイイキミの二人の皇子を産みました。さらに、正皇后となったタマヨリヒメに、後の神武天皇となるタケヒトが生まれました。タケヒトという名前を奉ったのは、アマノコヤネの孫にあたる優れた人物アメタネコでした。




後編:九州巡幸と皇位継承への道



オオモノヌシ家の系譜


タケヒトの誕生前後、オオモノヌシの系譜に重要な変化がありました。3代目オオモノヌシ・コモリの子孫たちの配置換えが行われ、アマノコヤネの世継ぎ子オシクモが都に召し戻されました。

西と東の宮を往復して指導を続けていたツミハ(ヤヱ・コトシロヌシ)は、その途中のミシマでミソクヰの娘タマクシヒメを妻に迎えました。船中でタマクシヒメが産んだ男の子はワニヒコ(後のクシミカタマ)と名付けられました。

4代目オオモノヌシを継いだフキネは、世継ぎ子がいないことが問題となっていました。そこに海原から光が現れ、オホナムチのサキミタマ(分霊)が語りかけました。

「フキネに世継ぎの子が無いことで世の乱れの元になっています。ツミハの子クシミカタマを養子に迎えてください。彼こそオオモノヌシの世継ぎにふさわしい人物です」

この神託により、クシミカタマがフキネの養子となりました。フキネの死の際、カミヨからの伝来であるムラクモのツルギがクシミカタマに託され、「このムラクモのツルギは、皇子タケヒトの誕生のお祝いに捧げよ」との遺言が残されました。


九州への行幸


九州では柱となる人物が抜けて困窮していました。九州の人々は陛下に御下りを願い、ウカヤフキアハセスは九州下向を決めました。ヰツセのミコが都での天皇代理に任命され、左大臣オシクモ、右大臣クシミカタマがこれを補佐しました。5歳のタケヒトの守り役はアメタネコが努めました。

ウカヤフキアハセスはムロツから大型船でツクシの鵜戸に至り、カコシマミヤ(鹿児島神宮)に向かいました。九州各地から32人の首長が集まり、自国地方の巡幸を願いました。

10年にわたって九州各地を巡り、農業施設の修復を推進しました。過去の10代天皇ニニギやその子ホオテミが構築した灌漑新田の跡があったため、急速に農業生産力を取り戻すことができました。特にワケイカツチのアマキミ(ニニギ)の功績は大きなものでした。

10年で一般国民の生活も賑わいを見せ、ミヤサキのミヤ(宮崎神宮)では大喝采の万歳が催されました。


最期の教えと崩御


老齢となったウカヤフキアハセスは「トヨケノリ」を決意しました。これは生きながらにして山中の洞窟に入って崩御し、死後も人々を守ろうとする方法でした。

急使を都に遣わし、15歳になったタケヒトが後見のアメタネコと共に九州に駆けつけました。ミヤサキミヤでウカヤフキアハセスはタケヒトとタネコに遺勅を語りました。

「豊かさによる弊害で、国民の寿命が短くなる傾向が見られます。アマテルカミ様も天にお帰りになられ、アのミチを守る人物もいなくなりました。タケヒトが将来天皇を継ぐべき人です。

今すぐ譲位しない真意には深い意図があります。ミヤコに預けたミクサタカラ(八咫鏡と八重垣の剣)を、タマヨリヒメが受け取ってワケツチミヤ(上賀茂神社)に納めてください。

これらがタケヒトの許に集まって次代の天皇となることが『ホツマ』としての成り行きです。これを実現することこそ大事なのです」

ウカヤフキアハセスは遺勅を語り終えると、山深いミヤサキヤマ(鹿児島県鹿屋市吾平町)にお入りになりました。

タケヒトが喪主を努めて48日間過ごし、九州全土から32の首長が集まって喪を弔いました。献上された讃え名は「ツクシスヘラギ」でした。ツクシに生を享け、ツクシに尽くしてくださった天皇への深い感謝を込めた名前でした。

都にも崩御の知らせが届き、ヒウガのカミとして祭られました。アヒラツヤマにはミヲヤカミとして祭られ、吾平のご陵として今も鹿児島県鹿屋市吾平に祭られています。

後に正后タマヨリヒメも亡くなり、カアヒ(下鴨神社、境内の河合神社)に祭られました。タマヨリヒメは、ニニギの正后コノハナサクヤヒメからのアオイ・カツラのメヲの教えを受けたメヲのカミとしても呼ばれるようになりました。

こうして、世継ぎ問題に始まったウカヤフキアハセスの治世は、タケヒト(後の神武天皇)への道筋を築いて幕を閉じたのでした。

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