四方の国治め ~統治体制の確立と皇統継承~
各地の統治体制や変遷も含めた全体史となります。
第一章 皇后の帰還と安定政権の確立
首都に春の風が吹いていました。長い外遊から帰ってきた皇后トヨタマヒメが、ついに都に戻ってきたのです。都の人々も、全国の国民も、この知らせに心からほっと安心しました。
都の門をくぐるトヨタマヒメの美しい笑顔を再び見た11代天皇ホオテミは、心から喜びに満たされていました。彼は改めて理解したのです——男性君主の強いリーダーシップと、女性の包容力ある統治が合わさってこそ、この国をうまく導くことができるのだと。
そして、政治の中枢には信頼できる補佐官がいました。左大臣アマノコヤネと右大臣コモリ(3代目内務大臣)が、11代天皇ホオテミを支えているのです。左右両翼から補佐し、確実に政治を導いていく体制が整っていました。全国に配置された3,000人の治安維持部隊(現代の警察・自衛隊に相当)が、800の行政区画に平和をもたらしていました。
第二章 地方統治システムの確立
四国地方の統治
四国地方の24県の統治は、地方長官ツミハと副長官タケフツの二人体制で行われることになりました。二人はイフキのミヤ(愛媛県の伊予神社)で就任の儀式を行いました。
東日本の統治
関東・東北地方の統治には、カシマ、オシクモ、ヒタカヒコ、ミシマミソクイの4人がチームを組んで当たりました。地方政府庁舎に各県の治安責任者が集まって、100余りの県を豊かに治めていました。
九州への新総督派遣
九州地方は、ホオテミが天皇に即位して都に戻ったため、リーダー不在の状態になっていました。現地から優秀な総督の派遣を求める声が高まり、勅任総督の派遣要請が来ました。
そこで11代天皇ホオテミは、カンタチを派遣することに決めました。カンタチは4代目内務大臣に任命されて九州に派遣されることになりました。現地の副総督ハテツミと協力して、九州地方32県を治めることとなったのです。
カンタチの九州派遣に伴い、ツミハを奈良の飛鳥宮の補佐官に昇進させました。
第三章 政略結婚による政治的結束
旧暦7月7日頃、天皇から結婚斡旋の勅令が出されました。これは九州から来ていた高官カモ・タケツミの身の上を心配してのことでした。
ホオテミは「希望通りに、適切な妻を与えるべきだ」との意向を示しました。タケツミは恐縮しながらも答えました。
「陛下のお心のままに」
それを見ていた宮内庁長官ミホツヒメがタケツミにアドバイスしました。
「宮中の12の女官部屋の中に、私の孫にあたる正妃候補と、副妃候補のイソヨリがいますが、妹のイソヨリは遠慮したい気持ちがあるようです」
そこでイソヨリヒメの父である右大臣コモリに相談したところ、コモリも同意しました。こうしてイソヨリヒメはカモ・タケツミに嫁ぐことになりました。二人はカアヒのタチ(下鴨神社境内の河合神社)で新婚生活を始めることになりました。後に、タマヨリヒメという女の子が生まれ、この子が神武天皇の母となるのです。
その他の政略結婚
ホオテミの兄スセリミヤ(海幸彦)は、ウカワのミヤ(高島市、白髭神社)でスセリヒメと結婚して暮らしました。スセリヒメはイソヨリヒメの妹です。スセリヒメが産んだ男の子はウツヒコといいました。
これより前に、イソヨリヒメの姉タマネヒメは、皇族ムメヒト(ホオテミの兄)の妃になっていました。そしてクニテルとタケテルの二人を産みました。出産の際には、縁起の良い幸菱模様の産着が献上されました。
第四章 皇室継承問題の解決
この頃、飛鳥宮の10代天皇ホノアカリが亡くなりました。ホノアカリは弟のニニキネと共に二重政府を運営していました。父である9代天皇オシホミミの崩御後、母のチチヒメは伊勢で先代の偉大な上皇であるアマテルカミに仕えていました。
チチヒメは舅のアマテルカミに嘆きました。
「長男ホノアカリの宮廷に後継者がいないまま途絶えてしまうのは悲しいです」
そこでアマテルカミは答えました。
「それでは、皇族ムメヒトの息子クニテルを養子に迎えて、飛鳥宮を継がせよう。クニテルはニギハヤヒの称号を名乗りなさい」
こうしてクニテルはニギハヤヒの称号を名乗って飛鳥宮に入りました。そして葬儀の喪主を務め、奈良県白庭にお墓を造って埋葬しました。この後、アマテルカミ伝来の十種神宝(重要な皇室の宝物)が、ニギハヤヒに譲られました。一周忌には、ホノアカリを神として祀る祭りを行い、喪に服しました。
飛鳥宮の後継者問題の背景
飛鳥宮に後継者がいなかった事情には、複雑な経緯がありました。カクヤマヲキミ(ホノアカリ)は側妃アメミチヒメを迎えていました。そこで兄の息子タクラマロを養子としました。ところが正妃ハセヒメは、「タクラマロは皇族ではなく臣下だ」として、宮廷から追放させました。
これにカクヤマヲキミは怒り、逆にハセヒメを離縁して実家に帰しました。そしてタクラマロとアメミチヒメを呼び戻しました。しかしタクラマロは宮廷に戻らない道を選択しました。タクラマロは重臣フトタマの孫娘ミカシヤと結婚して別に暮らしました。タクラマロとミカシヤの間にウマシマチが生まれます。ウマシマチは別名ナガスネとも呼ばれ、重要な家臣として仕えることになりました。
第五章 平和な治世と生前退位の決断
首都の宮殿では、11代天皇ホオテミと皇后トヨタマヒメの幸せな生活が続いていました。九州と首都での治世は、平和に長く続いていました。
ここに来て、ホオテミは、天皇位を皇太子ウカヤフキアハセスに譲る決断をしました。そして皇太子ウカヤフキアハセスを呼び寄せました。
ウカヤフキアハセスは、母タマヨリヒメの家出に伴って、ヲニフの地(福井県小浜市の若狭彦神社)で育てられていました。成人になった皇太子ウカヤフキアハセスは、そこから首都の宮殿にやって来ました。
長い間会わないうちに立派になったものだと、ホオテミは思いました。そして天皇位を譲ることにしました。
第六章 皇位継承の儀式
皇位継承において、ウカヤフキアハセスは中央に立ち、左右を左大臣アマノコヤネと右大臣コモリが支えました。そして上皇ホオテミは、『ミハタのフミ』を、自ら新天皇ウカヤフキアハセスに手渡しました。
皇后トヨタマヒメは八咫鏡を捧げ持って、左大臣アマノコヤネに授けました。第二皇后オトタマヒメは八重垣の剣を捧げ持って、右大臣コモリに授けました。新天皇ウカヤフキアハセス、左大臣アマノコヤネ、右大臣コモリは慎重に受け取りました。
第七章 先帝夫妻の最期
退位した上皇ホオテミは首都を離れました。琵琶湖南岸のシノミヤ(大津市天孫神社)に皇后たちと共に移りました。ここはホオテミが初めて得た思い出深い宮殿でした。
この離宮で暮らしているうちに、ホオテミは亡くなりました。時は旧暦8月4日のことでした。
12代天皇ウカヤフキアハセスが葬儀の責任者を務めました。ホオテミの遺志により、遺体は敦賀市の気比神宮に埋葬されました。そして「ケヒのカミ」として祀られました。これは、兄との争いで宮殿を飛び出したホオテミに衣食住を提供してくれた人々に恩返しした逸話に由来しています。
皇后トヨタマヒメの遺体は、京都の貴船神社に埋葬されました。これは昔、九州の海で海難事故に遭った時、龍の力で泳いで助かった伝説に由来します。龍は水を司り農業用水にも関わるものです。そして船の安全を守る神として、トヨタマヒメは海の神として祀られることになりました。貴船神社奥宮がトヨタマヒメを祀る神社です。
第八章 新天皇の政治改革
12代天皇ウカヤフキアハセスは、首都の全面改築を企画しました。それは多賀大社への遷都でした。多賀大社は、7代天皇イサナギ・イサナミが初めて開いた宮殿でした。12代天皇の時代には荒れ果てていました。そこで旧首都の宮殿を移築して新首都に定めたのです。イサナギ・イサナミ天皇・皇后の功績を重んじてのことでした。
旧首都の移築と多賀大社の大規模再建はトカクシに委ねられました。そして多賀の新宮殿の改築が完成して、12代天皇ウカヤフキアハセスが即位しました。
その時のウカヤフキアハセスの装いは、美しい錦の衣装を着て、宝石の飾りを身に付けました。冠、袴、靴もすべて美しく飾りました。これは先代天皇ニニキネの即位式の前例に合わせた伝統的な作法です。また即位式の翌朝には国民に披露しました。これも伝統的な作法に従ってのことです。
第九章 上皇からの政治哲学
その夏、皇位が安定したことを伊勢のアマテルカミ(上皇)に報告しました。アマテルカミは言いました。
「トカクシに命じての首都建設は良いことでした。トカクシの祖先は知恵の神オモイカネですから。昔、オモイカネには宮殿建設を任せたことがありました。そして今、天皇ゆかりの多賀の古い宮殿を造り替えて首都を遷した我が子孫は、7代天皇の後を継ぐ者として相応しいでしょう。
また、私が昔、政治の深い道理を理解できたのは、『カクのフミ』を読み学んだおかげでした。『カクのフミ』は始祖クニトコタチを始め多くの優れた先祖方の教えを百篇にまとめた書物です。この故に、ミヲヤアマキミの称号を授けます。
慈愛深い親の精神を体現するように心掛けて政治を行えば、先祖の霊も降りてきて敬うことでしょう。神もミヲヤともなり得ます。こうした心得で国を治めれば、百人の大臣たちも道を慕うことでしょう。この意味においても慈愛深い親と称して良いわけです。
慈愛深い親の子、そのまた末々の子である国民を我が子のように愛して恵めば、その思いは朝廷への敬慕となって返ってきます。一般国民の親であるとの心構えは、『カクのフミ』に記されているところです。
文様も複雑過ぎると、かえって分かりにくくなる場合が多いものです。複雑さによる分かりにくさを防ぐためには、縦糸と横糸に分けて美しい錦の布を織るように整理していくと良いです。
こうすれば、世の中の様々な出来事が明るく照らし出されていくのです。左大臣アマノコヤネと右大臣コモリがこの意味を理解するなら、天皇位が栄えることは天地と共に永遠に続くことになるでしょう」
第十章 大嘗祭の実施
12代天皇ウカヤフキアハセスは、アマテルカミの使者が帰った後、大嘗祭を行う詔勅を出しました。冬至の日に大嘗祭の大祭を行う。これは古代天皇から脈々と続く伝統であり、さらに自然界に平安で静かな年月が長く続くことを祈る祭りです。そして国民の幸せの実現を祈るのでした。
こうして新たな治世が始まり、古き良き伝統は受け継がれながら、新しい時代の扉が静かに開かれていくのでした。




