黄昏の山と暁の海 ~時代を繋ぐ物語(上)~
長いので物語を上・下で分けています。
### 第一章 ホホテミの治世への準備
九州の大地には、久しぶりに明るい陽光が差し込んでいた。長い兄弟の争いが終わり、人々の心にも平穏が戻りつつある。
ウツキネ(山幸彦)、後にホホテミと呼ばれることになるこの青年は、兄弟の和解が成った後、再びツクシ・アマキミの重責を担うことになった。彼は10代アマキミであるニニギへの忠誠心が厚く、その人柄は多くの人々から慕われていた。
仲介の労を終えたハテツミが、世継ぎのトヨツミヒコ、美しいトヨタマヒメ、そしてタケスミヒコ、オトタマヒメを伴ってウツキネのもとを訪れた時、ウツキネの心は新たな決意に満ちていた。
九州各地から集まった人々を前に、ウツキネは晴れやかな表情で宣言した。
「わが妻を定めたい」
その声は、春風のように爽やかで、聞く者の心を温かくした。
ホタカミは深く頭を下げて答えた。
「先に、あなた様の来臨を願った際には、ツクシ・ヲキミの称号が付与されました。すなわち、ここ九州にてはアマツカミとしてお思い下されて宜しいのではないでしょうか。どうぞ支度はお任せ下さい。その昔、あなた様の母上はニニギ様に一夜の契りを交わされてから、後にウチミヤに召されました。あなた様の思し召しによって、お決めになられるのがよろしいのではないでしょうか。」
### 第二章 カコシマミヤでの新たな門出
こうして、一行はカコシマミヤ(現在の霧島市、鹿児島神宮)へと向かった。そこには、運命の女性が待っていた。
若水を汲みに行く途中で青年ウツキネに一目惚れをした美しいトヨタマヒメが、キサキとしてお入りになったのである。彼女の瞳は清らかな湖のように澄んでおり、その笑顔は桜の花のように美しかった。
さらに、スケキサキ、ウチキサキ、シモメの三段階のキサキを二人ずつ、計六局のムツホネも整えられた。宮中は華やかな装いに包まれ、人々の心も躍った。
翌朝、トヨタマヒメの兄であるトヨスミヒコが、色とりどりのタマカサ(婚礼の時に被る笠)を揃え、美しく飾り付けられたタママリ(水汲みの用具)を六人のツホネに持たせた。
彼女たちがウツキネに水を奉げながら声を合わせて歌う様子は、まるで天の音楽のようであった。
*「モモヒナギ まくはいのちの*
*みかのひの かわみつあひて*
*ウヒチニの かみからしもゑ*
*はなむこにみつ*
*まいらせふ まいらせふ」*
九州各地から集まった三十二人のカミ(地方指導者)も、多くの民衆も、この美しい歌声に合わせて歌い、踊り、心から祝福した。
### 第三章 九州全土の発展
ホホテミ(ウツキネ)は、九州の指導者として人々から厚い信頼を得ると、精力的に新田開発に取り組んだ。
父のニニギ(ワケイカツチのアマキミ)が各地にイセキ(井関)を築いた偉業を更に発展させ、新田開発を九州三十二地方の全土に展開していったのである。
カコシマミヤに居を構えるホホテミのもとには、九州各地から豊かになったという喜びの知らせが次々と届いた。人々の笑顔が、彼の心を温かくした。
そこで彼は、春のサヒラキの祭りをウサ(宇佐市)で盛大に催すことにした。田植えの際に秋の豊作を願うこの祭りは、五月の満月の日に餅を作り、シダのウラジロを敷き飾って長寿を祈り、ユツリハも飾る美しい行事であった。
このニニギ所縁のホツマ(東国地方)の風習を取り入れたミツホウタは、まずトヨのクニ(ウサ地方)で人気を博し、やがて九州全土に広まっていった。後に新年の祝いとして門松やシダのウラジロ、ユツリハを飾る習慣の起源となったのである。
### 第四章 各地への巡幸と農業改革
長い間カコシマミヤで九州の政治を司っていたホホテミであったが、アソクニ(阿蘇地方)がまだ十分な豊かさを得られていないことを知った。
彼は迷うことなくアソクニにミヤを建てて移り、農業改良に全力で取り組んだ。問題の根本が土壌改良にあることを見抜いた彼は、カソミネ(北海道)沖で豊富に獲れるカソウオ(ニシン)を魚肥として活用することを思いついた。
この革新的な手法により、ヒのコエクニのタケイワタツは、不毛の地だった土地を豊かな農作地へと変貌させることに成功した。感謝したタケイワタツは、美しい娘のアソヒメを湯女として奉り、ホホテミはアソヒメをウチキサキとして迎えた。
こうしてホホテミは、アソの地でも長い間土地改良事業に尽力した。後にタケイワタツは阿蘇神社に、アソヒメは阿蘇比咩神社に祀られることとなった。
さらに、北部九州のシガのカミからも支援の要請が届いた。ホホテミはツクシのミヤ(福岡県筑紫野市、筑紫神社)に移り、この地の土壌には油粕の肥料が有効であることを発見した。油粕を耕作地に施すことで豊かな実りが実現し、この功績からカスヤ(糟屋)という地名が生まれた。
九州各地からホホテミの来臨を求める声が続々と寄せられ、彼は休むことなく巡幸を重ね、農業改良に献身的に取り組み続けた。
しかし、そのような忙しい毎日の中で、長年を経てもツホネはあっても、お子さんの誕生はなかった。この状況に気づいたホホテミの心には、深い思慮が宿った。
そして彼は、トヨタマヒメただ一人だけを伴い、ウト(鵜戸神宮)に籠ることを決意した。それは、遅い新婚旅行のような、静かで穏やかな時間を求めての決断であった。
### 第五章 ウトでの静寂な日々
ウト(鵜戸神宮)の静寂な環境で、ホホテミとトヨタマヒメは久しぶりに二人だけの時間を過ごしていた。
近くにいるからとハテカミがカコシマミヤへの招待状を送っても、ホホテミは穏やかに断り続けた。トヨタマヒメが手紙で「帰郷は暫くいたしません」と伝えると、心配したハテカミは娘に問いかけた。
「キミ(ホホテミ)はご不興なのか?」
トヨタマヒメの返書は優しさに満ちていた。
「ご不興だなんて、そんなことではございません」
この時、ハテカミはようやくホホテミの真意を理解した。忙しすぎる日々が子宝に恵まれない原因であったこと、そして娘一人を連れてのウトでの静養が、いかに有り難いことであるかを悟ったのである。
「それもこれも、ツクシのタミの幸せを強く願ってくださいますホホテミ様には、深く感謝を申し上げるばかりです」
ハテカミの心は、深い感謝の念で満たされていた。
### 第六章 ニニギの譲位宣言
その頃、都では重大な決断が下されようとしていた。
ワケイカツチのアマキミ(ニニギ)は、人々をミヤコに集めるよう召集をかけた。長年の統治を経て、譲位の時が来たことを悟ったからである。
集まったモロトミ(諸臣)を前に、ニニギは威厳に満ちた声で語り始めた。
「もう昔のことになりました。ニハリのミヤを建てて微高地の新田開発に取り組みました。それは、用水の確保が大きなテーマでした。低湿地では農業用水の確保は容易いですが、大雨の時には一年の成果がすべて流されてしまいます。微高地での田園経営では、水害の恐れは低いですが農業用水の確保が困難です。」
ニニギの瞳には、長年の統治への誇りと、そして一抹の寂しさが宿っていた。
「究極の用水確保はハラミヤマ(富士山)の保水量の活用に行き着いたと思います。多くの田圃の新開拓が成し遂げられ、国民が豊かになり得たのでした。すべての人々をあまねく豊かにし得る、シハカミ(シワカミ)のホツマのクニと尊ばれる国情になりました。」
そして、ついに核心を告げた。
「長い年数を治めてきて、私は年老いました。そこで今、譲位をしようと決めました。アのヒツキ(み位)は、ウツキネ(ホオテミ)に譲ることにします」
### 第七章 急ぎの帰京と海上の試練
ヲシカ(勅使)がこの知らせを九州に届けると、人々はホホテミを慕って帰京を残念がったが、ミコトノリによる次期アマキミへの即位が定まったのだから、心からお祝いするほかなかった。
帰京の船について相談が始まった。シガのカミが船の選定について尋ねると、ワニヒコが答えた。
「オオカメフネでしたら、ミヤコまでひと月を越しましょう。カモフネでしたら、ひと月ぐらいで到着しましょう。オオワニフネでしたら、もっと早くに着きましょう」
ホホテミは迷わず決断した。
「父上のお召しは、お急ぎの事でありましょう。私は急いでミヤコに戻りたいと思います。それで、オオワニフネでの帰京をします。トヨタマヒメは身重でもあるのでカモフネにてゆっくりと、ミヤコに向かってください」
臨月が近づいているトヨタマヒメへの、夫としての深い配慮であった。
シガのウラからの船出で、急ぎのオオワニフネはひと月にもならないうちにキタのツ(敦賀)に到着した。ホホテミは松原に産屋を建てる手配をし、イササワケ(気比神宮)のミヤから、ミツホのミヤへと急いだ。
祖父のニニギは、トヨタマヒメのことを聞いて大層喜び、優しく告げた。
「そういう目出度い世継ぎ子にも係る状況であれば、そちらを優先していてください。出産のことが落ち着いたら、また、上京してくるように」
### 第八章 嵐の海での奇跡
手筈通りに産屋の建築が進んでいたその時、思いがけない災難が襲った。
トヨタマヒメを乗せたカモフネが、海上で海難事故に遭遇したのである。しかし、この絶望的な状況の中で、トヨタマヒメは驚くべき力を発揮した。
深い海に投げ出された時、トヨタマヒメの心にはホホテミの顔と、お腹の中の子のことが浮かんだ。その瞬間、生きるための強い力が湧き起こり、必死に泳いで岸辺まで辿り着いたのである。
母子共に無事であったが、このため養生が必要となり、屋根を葺く前にトヨタマヒメは産屋に到着してしまった。そして、屋根を葺き合わせる間もなく、男の子が生まれた。
カツテ(ヤスヒコ)が産医として付き添い、妊婦の指導と御湯での出産の手助けをした。しかし、出産後、赤子の皮膚に痒みを伴った吹き出物ができ、本当に死にそうになるほどの重体となった。
絶望的な状況の中、スセリミヤ(サクラギ)が処方してくれた薬により、病を癒すことができた。こうして、ウガヤフキアハセス(後のタケウガヤフキアハセス)は元気に成長することができたのである。
### 第九章 産後の静養と心の葛藤
産医のカツテは、ホホテミに厳しく告げた。
「ヒメ様にお会いになりたいでしょうけれど、今は、ご静養が大切です。ヒメ様は、お身体も殊の他にお疲れですから、伝統的な七十五日間のご静養をお取りになられるべきです。七十五日の間は、産屋にお寄りにならないようにしてください」
ホホテミは素直に承諾した。
「もちろん、ヒメの身体こそ大切ですから、七十五日間そのようにいたします」
ミコ(皇子)誕生の産屋では、毎日産湯が沸かされた。カナサキ(スミヨシ)の子孫であるホタカミが臍の緒を竹の刀で切り、オオモノヌシ五代目のフキネが桑の弓を鳴らした。コヤネカミ(アマノコヤネ)がイミナ(実名)を考え、「カモヒト」と名づけた。
一方、トヨタマヒメからは呼び名がもたらされた。「なきさ・たけ・うかや・ふきあはせす」という長い名前であった。これには、出産時の出来事すべてが込められていた。
海難事故の中で生きようとしたトヨタマヒメの想いと、渚まで泳ぎ着いた強い心を、皇子の名前に刻み込みたいという母の願いがあったのである。
### 第十章 覗き見と羞恥心
キミのホホテミは、長い長い待つ日々を送っていた。キタノツ(敦賀)のミヤ(気比神宮)にいても、松原に建てられている産屋のことが気になって仕方がない。
ある夏の日、松原に涼みに行くと、産屋の戸が少し開いていた。つい覗いてしまったホホテミの目に映ったのは、腹這いで化粧もしていないリラックスした様子でお昼寝をしているトヨタマヒメの姿であった。
その様子を見て安心し、そっと戸を閉めて戻って行ったが、トヨタマヒメは戸を引く小さな音で目を覚ましてしまった。
みっともない姿を見られたという羞恥心が、トヨタマヒメの心を深く傷つけた。もう、ホホテミと顔を合わせることさえ憚られると感じるほどに。




