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祈りを繋ぐもの  作者: 和穂ゆう
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新訳「山幸彦と海幸彦」

昔話で有名な「山幸彦と海幸彦」をそれぞれの視点から見直してみました。

## 第一章 兄弟の心の影


キタのツ(敦賀)の海岸に、朝霧が静かに立ち込めていた。美しい松原の向こうに敦賀三山がそびえ立ち、天然の良港として知られるこの地を、ニニギの次男サクラギと三男ウツキネが共に治めていた。


しかし、二人の心には重い影が宿っていた。


サクラギは自分の居室で、窓の外を眺めながら深いため息をついていた。かつて患った疱瘡の跡が、鏡に映る自分の顔にまだ残っている。サルタヒコの薬によって命は救われ、ウカワのミヤを賜ることもできたが、病の余波で体は弱いままだった。


「兄上のムメヒトのように、何でも卒なくこなせればいいのに」


サクラギは拳を握りしめた。人と話すとすぐに癇癪を起こしてしまう自分が情けなかった。病気の苦しみを民の苦しみに寄り添う心に昇華したいと願いながら、現実は卑屈な感情に支配されることが多い。


「私には、ウツキネのような人懐っこさもない。みんなが話しかけやすいような器量の良さもない...」


一方、別の部屋ではウツキネが頭を抱えていた。父ニニギの前で、つい甘えてウカワのミヤへの希望を口にしてしまったことを後悔していた。


「サクラギ兄さんは、僕に気を遣って譲ろうとしてくれたのに...」


あの時、自分がはっきりと意見を言わずに黙ってしまったために、二人の関係がぎくしゃくしてしまった。ウツキネの心は自責の念で重くなっていた。


「ムメヒト兄さんのように、理路整然と物事を伝えることができれば。サクラギ兄さんのように、薬学のような特化した知識があれば...」


二人は互いを思いやりながらも、心の距離を感じずにはいられなかった。


## 第二章 歩み寄りの試み


数日後、サクラギが意を決してウツキネのもとを訪れた。廊下を歩く足音さえ、緊張で震えているようだった。


「ウツキネ、少し話をしないか」


声をかけると、ウツキネは驚いたような顔を見せながらも、すぐに明るい表情を作った。


「もちろんです、兄さん」


サクラギは心の中で言葉を探しながら、ゆっくりと口を開いた。


「その...趣味を通じて、お互いを理解し合えるのではないかと思うんだ。私の釣りを、君にやってみてもらえないだろうか」


ウツキネの目が輝いた。兄が歩み寄ろうとしてくれている。その気持ちが何より嬉しかった。


「それなら、僕の狩りも兄さんにやってみてもらえませんか?お互いの世界を知ることができそうです」


初日、二人はそれぞれ自分の道具を持参して挑戦した。しかし、慣れない分野での成果は芳しくなかった。サクラギは獲物の気配を感じ取ることができず、ウツキネは魚の習性を理解できずにいた。


「やはり、そう簡単にはいかないものですね」


ウツキネが苦笑いを浮かべると、サクラギも頷いた。


「だが、諦めるのは早い。明日は道具を交換してみよう」


二日目、ウツキネは自分の愛用の弓を差し出した。


「この弓は長年使い込んでいるので、きっと兄さんにも使いやすいはずです」


サクラギも、大切にしていた釣り竿を手渡した。


「これは私が改良を重ねたものだ。きっと君の役に立つ」


互いの道具に込められた思いを感じながら、二人は再び挑戦した。しかし、結果は前日と変わらなかった。それでも、互いの情熱を理解し合えたことで、心の距離は少し縮まったような気がした。


## 第三章 失われた宝物


三日目の朝、集合場所にはうなだれたウツキネの姿があった。サクラギは弟の表情を見て、嫌な予感を感じた。


「やあ、道具を替えても難しいものだな。今日はどうしてみようか?」


できるだけ明るく声をかけたが、ウツキネの表情は晴れなかった。


「兄さん、本当に申し訳ありません...借りていた釣り竿の糸が切れてしまって...」


サクラギの心臓が一瞬止まったような気がした。だが、努めて冷静を装った。


「糸が切れることはよくあることだ。釣り針はどうなった?」


「獲物にかかったまま、持っていかれてしまったんです。本当にすみません」


ウツキネの声は震えていた。サクラギの顔から血の気が引いた。


「そうか...あれは、獲物がかかりやすいように自分で形状を加工していたものだったんだが...」


その釣り針には、サクラギの長年の工夫と情熱が込められていた。病弱な体でもできる数少ない趣味であり、自分の技術と経験の結晶でもあった。


「本当にごめんなさい!別のいい針を漁師の人から譲ってもらえるよう頼んでみます」


ウツキネは必死に償おうとしたが、サクラギの心の傷は深かった。


「いや、彼らには毎日の糧を得る仕事がある。道具を譲ってはくれないよ」


「それなら、対価を出して作ってもらいます」


「加工した針を同じように作るのは難しいんだ」


ウツキネの善意は理解できたが、サクラギの心には諦めと失望が広がっていた。


その後も、何度も弁償を申し出るウツキネに対して、日頃のコンプレックスと重なり合って、感情の制御が効かなくなってしまった。


「自分の作った針は二度と返ってこない!それを失っておきながら、なぜ代替品で済ませようとする?そもそも、代替で何とかしようとする心が気に食わない。出来もしないことを、『別の方法を』なんて簡単に言うな。もしそれができるなら、俺のこの不自由な身体も治してみろ!」


サクラギの怒声が響いた瞬間、ウツキネの顔が青ざめた。


「僕は一体、何をしたかったんだろう...」


ウツキネはそう呟くと、その場から走り去ってしまった。


残されたサクラギも、自分の言葉にショックを受けていた。


「興奮しすぎて、心の奥に秘めていた思いまで弟にぶつけてしまった...」


## 第四章 海辺での出会い


キタのツの浜辺を、ウツキネは項垂れながらとぼとぼと歩いていた。潮風が頬を撫でていくが、心は重いままだった。


「サクラギ兄さんの大切なものを失くしておいて、代わりで済ませようなんて...それに、兄さんがあんなに身体のことで苦しんでいたなんて」


考えれば考えるほど、自分の軽率さと無神経さが身にしみた。サクラギが怒っていたのは、取り返しのつかないことへの嘆きだったのかもしれない。


そこに、一人の老人が近づいてきた。


「私はシオツツのヲチと申します。失礼ながら拝見していましたが、ずいぶんと落ち込んだ顔をなされていますね。どうかされましたか?」


その優しい声音に、ウツキネは救われた思いがした。藁にもすがる気持ちで、事情を話した。


シオツツのヲチは静かに聞いた後、穏やかに語りかけた。


「私の意見を申し上げますと、釣り針を失ってしまったことについては、貸された兄上様にも不注意があったと思います。漁師は道具を使う前に必ず点検します。糸の確認をせずに使えば、切れるのは当然のことです」


ウツキネの心に、わずかな光が差した。


「とはいえ、失くした釣り針が見つかれば、お互いが話すきっかけにはなりましょう。海に失くした釣り針を探すことについては、海の民を束ねるハテノカミ様なら良い知恵をお持ちかもしれません」


## 第五章 南の海への旅立ち


カモフネに乗ったウツキネは、一路ツクシ(九州)のウマシのハマを目指した。船が波を切って進む音を聞きながら、ウツキネは心の整理をしていた。


一方、キタのツに残されたサクラギは、ヤカタでウツキネの帰りを待っていた。


「あんなことを言われたら、帰りにくいに決まっている。私は何ということを言ってしまったのだろう...」


後悔の念が胸を締め付けた。せめて弟が帰ってくるまで、この地をしっかりと守らなければ。それが今の自分にできる唯一の償いだった。


大晦日、ウツキネはツクシのウト(鵜戸神宮)に到着した。ソヲ(霧島山)の麓にあるハテノカミのミヤは、立派な建物だった。ミツカキが巡らされ、ミヤの縁台も夕日に輝いて美しい。


しかし、年の瀬の忙しい時期に訪問するのは失礼だと考え、ウツキネは門外で夜明けを待つことにした。厳しい寒さの中、上等の衣服をまとった若者が佇んでいるのは異様な光景だった。


元旦の朝、若水を汲みに出てきた娘たちが、朝日に照らされたウツキネの姿に気づいた。その中の一人、ハテノカミの娘トヨタマヒメが急いで父母に知らせた。


「館の外に立派な方がいらっしゃいます」


ハテノカミはウツキネの身なりを見て、アマキミかそれに準じる位の人であることを理解した。八重の畳を敷いて、心からの歓迎で迎え入れた。


## 第六章 海の底の奇跡


ウツキネは事情を詳らかに語った。サクラギの病気のこと、兄弟の諍いのこと、そして釣り針を失ってしまったことを。


ハテノカミは深く頷きながら聞き入った後、海人あまたちを集めて対策を練った。様々な案が出される中、アカメという海人が「メナシアミ(目の細かい網)での漁」を強く主張した。


「この方法なら、きっと見つかります」


アカメの確信に満ちた声に、一同は希望を見出した。


キタのツの海で、アカメたちによるメナシアミ漁が行われた。多くの魚が網にかかる中、口に何かを咥えた大きな鯛が上がった。その口には、まさにサクラギの釣り針がかかっていた。


「見つかりました!」


アカメの声が海上に響いた時、ウツキネの目に涙が浮かんだ。


「釣り針を取り戻すことができたのは、アカメの功績です。アカメにはヨトヒメの讃え名を差し上げましょう。本当にありがとうございました」


## 第七章 仲裁の使者


釣り針を取り戻したウツキネは、サクラギへの返却方法を考えた。直接会うにはまだ心の準備が必要だった。そこで、ツクシ北部の有力者シガのカミに使者を依頼した。


シガのカミはヤマクイと共に、ワニフネでキタのツへ向かった。彼らがサクラギのミヤを訪れると、サクラギは緊張した面持ちで出迎えた。


「これは、ウツキネ様が貴方様からお借りした釣り針が海の魚に取られてしまった件です。釣り針を取り戻すことができましたので、名代として返却いたします」


シガのカミが恭しく釣り針を差し出すと、サクラギは驚いて受け取った。確かに自分の釣り針だった。形状を確認し、間違いないことを確認する。


だが、サクラギは複雑な気持ちだった。釣り針は戻ってきたが、本当に解決すべき問題は別のところにあることを、彼自身が一番よく理解していた。


「なぜ名代を立てて返却に来るのだ。この件は直接、弟と話をしたかったのに」


サクラギの声には失望が滲んでいた。


シガのカミは毅然として答えた。


「筋が違うと言われるのでしたら、そもそも初心者に道具を貸すのに点検を怠って糸を替えなかったのは、貸した側の落ち度です。まずはその事についてお詫びするべきではありませんか」


正論を突きつけられたサクラギは、返す言葉を失った。心の奥で、自分の非を認めざるを得なかった。黙って船を出し、釣りに向かおうとした。


しかし、シガのカミも船を出して追いかけた。潮の流れを知り尽くした彼は、すぐにサクラギに追いついた。


「逃げても何も解決しません」


追い詰められたサクラギは、ついに本音を吐露した。


「分かった...弟に会わせてほしい。直接話がしたいんだ」


## 第八章 兄弟再会


使者はすぐにウツキネのもとに向かった。知らせを受けたウツキネは、深い感謝の念を抱いた。


「ありがとうございます。皆様のお力添えで、ようやく兄弟で腹を割って話すことができそうです」


再会の場で、二人は向かい合った。長い沈黙の後、サクラギが口を開いた。


「すまなかった。私は自分の身体が弱いことで、周りに当たり散らしていた。お前の人付き合いの良さを羨んで怒鳴りつけ、釣り針の件では自分の失態を棚に上げて感情をぶつけた...本当にすまない」


サクラギの声は震えていた。長年抱え続けていた苦しみが、ようやく言葉となって流れ出していた。


「謝らないでください」


ウツキネも涙声になっていた。


「僕も兄上の身体への苦悩も知らず、のんきに自分のことばかり考えていました」


「今回のことで分かったんだ。私はその性格のために、民を導くことに向いていない。思いを理解し、不可能を可能にするような政治ができるお前の方が相応しい。私は部下として、お前の理想の政治を支えよう」


サクラギの言葉に、ウツキネは首を振った。


「そんなことはありません。兄上の薬学の知識も、細やかな心配りも、みんな必要なものです。一緒にやっていきましょう」


## 終章 父の温かな眼差し


ウカワのミヤで行われた仲直りの儀式の様子を聞き、ニニギは穏やかな笑顔で見守っていた。


「二人とも、良い仲直りができたな」


「ありがとうございます」


サクラギとウツキネが頭を下げると、ニニギは続けた。


「私と兄上のホノアカリは、お前たちのように腹を割って話すことができていない。それをお前たちは成し遂げた。これこそが、我が父オシホミミが言っていた『二人が並んで立つ』の意味だと思う。九州に行く前は厳しく言ってすまなかった」


三兄弟は声を揃えて答えた。


「父上は私たちのことを思い、成し遂げられることを信じて諫めてくださったことを理解しております」


ニニギは自分の子供たちを誇らしく思いながら、もう一度感謝の言葉を述べた。


「ありがとう」


そして、もう一つの気がかりについてサクラギに尋ねた。


「お前が自分の身体のことを気にしていたのは分かっていたが、自らキミを辞さなくてもいいと思うのだが...」


サクラギは、何かの憑き物が落ちたかのような清々しい表情で答えた。


「私のことを理解してくれる父や兄弟がいてくれれば、それ以上望むことはありません」


こうして兄弟は互いを理解し合い、力を合わせることの大切さを学んだ。そして彼らが治めるキタのツの地は、兄弟の絆と共に、ますます栄えていくのであった。


松原を渡る風は、もはや二人の心に影を落とすことはなかった。互いの痛みを理解し合った兄弟の心には、温かな光が宿っていたのである。

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