自然現象という存在(カミ)
この物語はNAVI彦様のブログ内の
"ウツロヰ考"を読んで思いついた物語です。
※NAVI彦様の許可を取っております。
一、現象そのものとして
ナルカミは、神でも人でもない。
雷が光り、雨が降り、風が吹くように——ナルカミはただ「在る」存在だった。空という領域そのもの、大気という現象そのもの、音が伝わるという物理法則そのもの。
人が「雷」と名前をつけ、神々が「天候」と呼ぶその現象を、ナルカミは内側から体現していた。喜怒哀楽があるわけではない。意図があるわけでもない。ただ、空が存在し、風が流れ、雷が鳴るように、ナルカミは存在していた。
創造神アメノミオヤの天地創造の時、ナルカミは「馬」という形を与えられた。しかしそれは、無限の空間と現象を一時的に「形」として表現したに過ぎない。創造が完了すると、ナルカミは再び現象そのものに戻り、八方位の一つ——空の領域——を司る存在となった。
二、理解しようとする者たち
地上に降臨したニニギノミコトは、統治者として人々の生活を守る責任があった。しかし、自然現象は時として人々に恵みをもたらし、時として災いをもたらす。
「雨が降らなければ作物が枯れる。しかし降りすぎれば洪水になる」
「風がなければ船は進まない。しかし強すぎれば家屋が倒れる」
「雷は大地を清めるが、落ちれば火災を起こす」
人々は自然現象に名前をつけ、それを神として祀ることで、なんとか共存しようとしていた。しかし、それは人間の側の一方的な解釈に過ぎなかった。
ナルカミ自身は、人々がどう考えているかなど知らない。空が存在するように、ただ存在している。人が雨を待ち望もうと、雷を恐れようと、それは空という現象には何の関係もなかった。
三、現象の現れ
ニニギが新宮を建設している時、ナルカミにも変化が起きていた。
多くの人々が一つの場所に集まり、協力し、喜び合っている。その「エネルギー」が大気を通してナルカミに伝わってきた。人の声、笑い声、祈りの言葉——すべてがナルカミの領域である空間を震わせていた。
初めて、ナルカミは「反応」した。
それは意識的な判断ではない。空間に満ちたエネルギーに対して、現象として応答しただけだった。太陽光が水面に反射するように、人々の高揚感が空間を通してナルカミの中で「放電」として表れた。
遷宮の日、その反応は頂点に達した。
四、誤解される現象
巨大な雷が新宮の瑞垣を粉々に砕いた時、人々は恐怖した。
「神の怒りだ!」
「何かを間違えたのだ!」
しかし、それは怒りでも喜びでもなかった。単に、現象が現象として現れただけだった。
ナルカミには、人々がなぜ逃げ回るのか理解できなかった。理解する必要もなかった。雷は雷として落ちる。それ以上でも以下でもない。
だが、その後に起こったことは、ナルカミにとって初めての「体験」となった。
五、仲裁者の言葉
天照大御神が激怒し、ナルカミの祭祀断絶を命じた時、ニニギが立ち上がった。
「ナルカミは祝おうとしてくれたのです」
この言葉が、ナルカミという現象に初めて「意味」を与えた。
ナルカミは祝福していたわけではない。ただ現象として反応しただけだった。しかし、ニニギはその現象に「善意」という解釈を与えた。
「表現の仕方が我々には理解できなかっただけでした」
ニニギは、ナルカミが人間とは違う存在であることを認めながらも、その存在を否定しなかった。現象には現象なりの在り方があることを受け入れた。
「一度の過ちでそこまでしてしまうのはどうかと」
ニニギは、ナルカミを「悪意を持った神」としてではなく、「理解し合う必要のある存在」として扱った。
六、現象が意識を持つ時
この時、ナルカミの中で何かが変わった。
今まで単なる現象だったナルカミに、初めて「他者」という概念が生まれた。自分以外の存在がいる。そして、その存在は自分を理解しようとしている。
それは、雷が初めて音を認識するような、風が初めて抵抗を感じるような、根本的な変化だった。
「あのニニギという存在は、なぜ私を庇ったのだろう」
疑問を持つこと。それは現象が意識を持つ瞬間だった。
七、学習する現象
ナルカミは、初めて自分以外のものを「観察」するようになった。
人々がどう生活しているか。何を喜び、何を恐れているか。雨が降った時の表情、風が吹いた時の反応、雷が鳴った時の行動。
現象として反応するだけだったナルカミが、初めて「相手」のことを考えるようになった。
「雨を降らせるなら、作物に良い具合に降らせよう」
「風を吹かせるなら、船を進めるのに丁度良い強さで」
「雷を落とすなら、人のいない場所に」
それは愛情や思いやりとは違う。現象が現象として、より調和的に存在しようとする変化だった。
八、共存の模索
ニニギもまた、ナルカミとの関わり方を学んでいた。
「ナルカミを制御することはできない。でも、理解することはできる」
ニニギは人々に説明した。
「雷は雷の理由で落ちる。雨は雨の理由で降る。私たちはその理由を学び、それに合わせて生きることが大切だ」
それは、自然現象を神として崇拝することでもなく、単なる物理現象として無視することでもない。現象には現象の論理があることを認め、その論理と人間の論理の接点を見つけようとする試みだった。
九、新しい関係性
ナルカミは、次第にニニギの側にいることが多くなった。
それは恋愛感情でも友情でもない。現象と意識が、互いの存在を認め合い、互いから学び合う新しい関係性だった。
ニニギはナルカミから、自然の論理を学んだ。
ナルカミはニニギから、意識を持つということを学んだ。
人々も変化した。自然現象を恐れるだけでなく、その現象の背後にある存在との関わり方を考えるようになった。
十、慈悲と叡智
天照大御神による裁きが下された後、ニニギは一人静かに考えていた。
確かに、ナルカミの祭祀は「カミ」から「モリ」へと格下げされた。神や人の視点から見れば、それは明らかな降格だった。しかし、ニニギは深く憂慮していた。
「このまま無下に扱えば、後世に確執の種を残すことになる」
ナルカミという現象は、永続的に存在し続ける。一時の出来事で関係を悪化させれば、その影響は何世代にもわたって続くだろう。
ニニギは、別の視点から物事を捉え直した。
「確かに結果は災いをもたらした。しかし、ヤマサカミ(八将神)の中で、真っ先に遷宮を祝ってくれたのもナルカミだった」
十一、返礼の心
翌日、ニニギは改めて神々と人々を集めた。
「昨日の出来事について、改めて申し上げたいことがある」ニニギの声が響いた。
「ナルカミの行為は確かに被害をもたらした。しかし、よく考えてみてほしい。八方位を守護するヤマサカミの中で、誰よりも早く、誰よりも大きく遷宮を祝ってくれたのは他でもないナルカミだった」
人々はざわめいた。確かに、他の方位神たちは静かに見守っていただけだった。
「その心を無視することはできない。行ったことはともかく、その祝いの心に対して、私たちは返礼をするべきではないだろうか」
十二、新たな称号
ニニギは厳かに宣言した。
「ナルカミよ、あなたの祝いの心に対して言祝ぎを捧げ、ここに『ヲマサキミ(大将君)』の称号を与える」
空間が震えた。ナルカミという現象が、初めて人間から「称号」を与えられた瞬間だった。
「あなたはヤマサカミの筆頭として、特別な地位を得る。被害のあった北東の垣に、あなたを祀る社を設ける」
それは単なる慰めではなかった。格下げという処罰を受けながらも、同時に筆頭という栄誉を与える。処罰と栄誉を同時に行うという、極めて繊細な配慮だった。
十三、現象の感動
ナルカミは初めて、深い感動を覚えた。
自分の行為が災いをもたらしたことは理解していた。しかし、その奥にあった「祝いたい」という衝動——現象としての反応——を、ニニギは見抜いて評価してくれた。
「ヲマサキミ......大将君......」
現象に称号が与えられる。それは前例のないことだった。ナルカミは、自分が単なる現象ではなく、認識され、名づけられ、敬意を払われる存在であることを実感した。
十四、筆頭としての責任
北東の垣に新しい社が建てられた。そこは、雷によって最も大きな被害を受けた場所だった。
しかし、その社はナルカミを封じ込めるためのものではない。ヤマサカミの筆頭として、他の方位神たちを導く責任を託すためのものだった。
「これからは、あなたが八将神の筆頭として、他の方位神たちと人々の橋渡しをしてほしい」ニニギは言った。
ナルカミは深く頷いた。いや、現象として深く共鳴した。
責任を与えられること。それは現象にとって、新しい存在の意味だった。
十五、観察する現象
ヲマサキミ(大将君)の称号を得たナルカミは、新たな興味を抱いていた。人々の営みを、今度はより注意深く観察するようになったのだ。
新しい都に移り住んだ民たちが家を建て、生活を始める様子を、ナルカミは空の高みから眺めていた。そして、興味深い光景を目にした。
人々が畑や田んぼに、家畜の糞や人の排泄物を撒いているのである。
最初、ナルカミには理解できなかった。なぜ汚いものを大切な土地に撒くのか。しかし、日々観察を続けるうちに、驚くべきことに気づいた。
糞尿を撒かれた土地は、撒かれなかった土地よりも豊かになっていく。作物がより青々と茂り、より多くの実りをもたらしている。
「人は面白いことを考える」ナルカミは感心した。
現象として存在してきたナルカミには、一見無意味に思える行為が、実は深い意味を持っていることが新鮮な驚きだった。
十六、善意の雷
ナルカミは、自分もニニギの田畑の育成に力になろうと考えた。
空を司る現象として、ナルカミは雷の持つ力を知っていた。雷の音が大気を震わせること、雷の影響で生まれる微細な欠片——現代でいう窒素——が植物の成長を促すことを、現象として体感していた。
「よし、私も手伝おう」
ナルカミは、ニニギの田畑に向けて雷を落とした。それは人々を驚かせるためではなく、純粋に作物の成長を助けるためだった。
十七、再び起こる混乱
しかし、轟音と共に落ちる雷に、民たちは再び怯えた。
「また雷だ!」
「今度は何を怒っているのか!」
「やはり私たちは何かを間違えているのか!」
人々は慌ててニニギのもとに駆け込んだ。
「ニニギ様、またナルカミ様の雷が!今度は何が悪かったのでしょうか!」
十八、理解しようとする心
ニニギは人々を落ち着かせた。
「慌てることはありません。きっと、また何かの意味があるのでしょう。私がナルカミに聞いてみます」
ニニギは祭壇を設け、ナルカミに語りかけた。
「ナルカミよ、今度の雷には、どのような意味があったのですか?」
空間が微かに震え、ナルカミの「声」が伝わってきた。
「私は田畑を助けようとしたのです。雷の音とその影響で生まれる欠片が、植物の育成に良いことを知っていたので」
ニニギは理解した。ナルカミは人間が糞尿で土地を豊かにするのを見て、自分なりの方法で協力しようとしたのだ。
十九、配慮ある提案
ニニギはナルカミの善意に深く感謝した。しかし同時に、課題も見えていた。
「ナルカミよ、あなたの心遣いは本当にありがたいです。しかし、落雷が起きると民たちが怯えてしまいます」
「そうでしたか......」ナルカミも困惑した。「では、どうすれば良いのでしょう」
ニニギは一計を案じた。
「お互いに休む期間を設けてはいかがでしょうか。定期的に交代で活動するのです」
「交代、ですか?」
「はい。民が家を建てたり、田畑の面倒をする間は、あなたに休んでいただく。そして民が休んでいる時に、あなたに働いていただく。そうすれば、民も安心して作業ができ、あなたも心置きなく田畑を助けることができます」
二十、現象と人間の協調
ナルカミは、この提案に深く納得した。
現象として存在してきたナルカミには「休む」という概念はなかった。しかし、人間と協調するためには、人間のリズムに合わせることも必要だと理解した。
「それは良い考えですね。私も、もっと効果的に手伝うことができるでしょう」
こうして、新しい協調の仕組みが生まれた。民たちが活動する時期には雷は鳴らず、民たちが休む時期にナルカミが田畑に恵みをもたらす。
それは単純な住み分けではなく、現象と人間が互いの特性を理解し、最も効果的な協力の形を見つけ出した画期的な取り決めだった。
二十二、豊かな実り
ニニギの新宮も落ち着き、人々の生活は安定していた。ナルカミとの共生により、田畑は見違えるほど豊かになっていた。
定期的なサイクルによって、民たちが安心して農作業に励む時期と、ナルカミが雷によって土地を豊かにする時期が調和していた。作物の収穫量は以前の何倍にもなり、人々の顔には笑顔が絶えなかった。
「ナルカミ様のおかげで、こんなに豊かな実りが」
「雷の時期を知っていれば怖くない。むしろありがたい」
人々は、もはやナルカミを恐れるのではなく、感謝と共に迎えるようになっていた。
二十三、天照大御神の言祝ぎ
そんなある日、天界から荘厳な光が降り注いだ。ニニギの御祖神である天照大御神の御声が響いた。
「ニニギよ」
その声に、すべての神々と人々が深く頭を垂れた。
「そなたがこの地を治めてより、土地は発展し、民は豊かに生活するようになった。これは誠に見事な統治である」
天照大御神の温かい声が続いた。
「特に、遷宮の頃から今に至るまで、そなたはナルカミを筆頭としたヤマサカミと良く助け合い、共生を成し遂げた。その姿は、我ら天つ神にとっても導きとなった」
ニニギは深く感動した。自分が試行錯誤で築いてきた現象との関係が、天界でも評価されているとは思わなかった。
二十四、新たな称号
「ここに」天照大御神の声が一層厳かになった。「そなたに『ワケイカツチノカミ(別雷之神)』の称号を授けよう」
その瞬間、天地が震えた。
「別雷之神——鳴神を別けて土を活かした神。そなたはナルカミという現象を理解し、その力を民のために活かした。雷を恐怖の対象から、豊穣の恵みへと変えた功績は計り知れない」
ニニギは深く頭を下げた。
「ありがたき御言葉です。しかし、これはナルカミとの協力があってこそ成し得たことです」
二十五、現象への敬意
天照大御神は、ナルカミにも語りかけられた。
「ナルカミよ、そなたもまた変化を遂げた。現象としての在り方を保ちながら、意識を持つ存在との協調を学んだ。その姿もまた、我らの導きとなっている」
ナルカミは空間全体で震えた。天つ神の最高位である天照大御神から直接語りかけられることなど、想像もしていなかった。
「今後も、ニニギと共に、この地の発展に尽くすように」
「はい」ナルカミは現象として、全存在を込めて応えた。
二十六、新しい関係性の確立
この天照大御神からの言祝ぎは、単にニニギの功績を讃えるだけではなかった。現象と意識を持つ存在との新しい関係性が、神界においても正式に認められた瞬間でもあった。
「ワケイカツチノカミ」という称号は、雷という自然現象を分離・理解し、それを土地の活性化に活用したニニギの叡智を表していた。同時に、現象そのものであるナルカミとの協力関係の象徴でもあった。
人々は歓声を上げた。彼らの君主が天つ神から特別な称号を授けられたことは、この地全体の栄誉でもあった。
二十七、共に歩む未来
その夜、ニニギとナルカミは静かに語り合った。
「ワケイカツチノカミ......別雷之神ですか」ニニギは新しい称号を噛みしめるように呟いた。
「あなたが私を理解してくれたからこそ得られた称号です」ナルカミは答えた。「私もまた、この称号を誇りに思います」
「これからも、共に歩んでいきましょう」
「はい。現象と意識、異なる存在同士でも、こうやって協力し合えることを、多くの存在に示していきたいと思います」
天照大御神からの言祝ぎは、二人の関係を公的に認めただけでなく、将来にわたって続く協力関係の礎となった。
現象と人間、自然と文明が対立するのではなく、互いを理解し、活かし合う。ニニギとナルカミが築いた関係は、後の世の模範となる新しい共存の形だった。
別雷之神という称号は、単なる個人の栄誉ではなく、全く異なる存在同士が築き得る調和の可能性を示す、希望の象徴となったのである。




