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祈りを繋ぐもの  作者: 和穂ゆう
11/34

天と地を結ぶものたち ~下~

上・中・下に分けて投稿します。

今回は後編となります。

第五章『名を交わす神々 〜祀りと分断〜』



豊かさは、人の心を試す。

分け合うことを忘れたとき、

祈りは神に届かなくなる。


名を交わすとは、ただ記すことにあらず。

その名に込めた願いを交わすこと。

分かち合い、助け合うために。


争いの火種は、土に埋もれて芽吹く。

神と人の知恵が、その芽を摘むことができるだろうか。



第一節『揺らぎ始めた祈り』


実りの季節が巡るたび、

田に立つ稲は黄金に染まり、

人々の歓声と笑顔が野に溢れた。


だが、それはすべての地に平等に訪れたものではなかった。


水の巡りが悪く、風の災いを受けた地では、穂は実らず、

収穫の桶を空のままに村に戻る者たちもいた。

その隣には、豊かに蓄えを積み上げた家々。

あまりの違いに、さざ波のような不満が起こり、

やがて、静かな疑念が人々の目に灯り始めた。


「なぜ、我らばかりが、こうも苦しまねばならぬのか」

「実りは神からの賜り物と言うが、誰に向けた祈りが通じているのか」

「豊かな村は、何かを隠しているのではないか」


声なき声が膨れ、やがて火種のように乾いた空気に漂い始めた。


ニニギはその兆しに、心を痛めていた。

天から与えられた稲穂を、人の地に根づかせる。

ただそれだけを願って降り立ったはずだった。

けれど今、神と人との間に芽生えつつある「差」は、

やがて「争い」に変わりかねないものだった。


「……私のなすべきことは、なんだったのだろう」


静かに座し、眼を閉じる。

懐に携えた、天照大御神から託された三種の神器が指先に触れる。

神々からの祈りと誓いの証——その意味を、いま一度問うように。


剣。

それは人を斬るためのものではなく、

正しき道を照らし進むための知恵と徳の象徴。


鏡。

そこに映るのは、他人ではない。

自身の未熟、慢心、見過ごしてきた声を、映し返すもの。


勾玉。

形を異にしながら対になる珠は、

異なる者が調和し、ともに在ることの願いを映す。


ニニギは息を吸い、静かに立ち上がった。


「サルタヒコ……ミヤビ、力を貸してほしい」


その言葉に、ふたりの神は真っすぐに応えた。


サルタヒコは、国津神たちの元を訪れた。

力強く、しかし誠実に言葉を尽くし、

争いを未然に防ぐ知恵を募るよう呼びかけた。


「違いがあればこそ、互いに学び合える」

「この地に生きる神として、共に在り続けよう」


その言葉は、険しさの奥にある信頼をすくい取り、

一人、また一人と頷く神々が現れた。


一方、ミヤビは人々の集う夜に舞台を設けた。


焚き火の光に照らされ、静かに舞い、

やがて歌を紡ぎ出す。


雨の道 風の調べ

皆ちがい 皆ひとつ


手をとりて わけあわば

穂はまた 明日も実る


声を聴け その涙

心に咲かせよ 祈りの花


その歌は静かに広がり、

やがて集落を越えて伝えられた。


涙を流す者もいた。

膝を抱えていた子が、そっと隣の手を握った。

人々は少しずつ、思い出していった。


この稲穂は、皆で育てるものだった。

祈りは、誰かひとりのためでなく、

ともに在るためのものだった、と。


そして夜が明ける頃、風が変わった。

それは、神々と人々の祈りが重なり始めた兆しだった。



第二節 鏡映しの心


人々のあいだに芽生えた争いと不和の兆し。その原因は、土地による収穫の差、蓄えの偏り、そして互いの生活様式の違いであった。ニニギはその現状を見つめ、胸の奥で痛むものを感じていた。


「なぜ、こうなってしまったのだろう……」


田のあぜに腰を下ろし、空を見上げる。すると、ふと腰の三種の神器が目に映った。


剣は、道を切り開くための武ではない。正しきを知るための智。

鏡は、他者ではなく己を映すもの。欺かず、奢らず、愚かさも見つめる心。

勾玉は、ちがうものを繋ぎ、重ね、和を生むもの。


託された意味が、今ようやく胸に降りてくるようだった。


「この思いを、どうすれば人々に伝えられるだろう……?」


悩むニニギのもとへ、サルタヒコとミヤビが静かに近づく。


「皆が見失っているものを、もう一度、思い出させる場が必要だ」と、ニニギは語る。


三種の神器は、天照大御神が託したただの神具ではない。その象徴にこめられた志を、誰もが感じ取れるように――

ニニギは、神器を誰もが拝し見つめることのできる祭祀の場に据えることを提案する。


そして、その場で語られるべきは、剣の正しさ、鏡の真心、勾玉の和の力。


各地の村の代表たちが集い、その教えを持ち帰り、人々に伝えていけるようにと願った。


ミヤビは言った。「それならば、私はその教えを舞と歌に託しましょう。誰もが心に響かせられるように。」


サルタヒコも頷く。「わたしは、国津神らの間にその志を説こう。名を交わし、志を交わし、忘れぬように。」


ニニギは二人に深く頭を下げ、こう告げた。


「言葉はいつか薄れてしまうかもしれない。だからこそ、何度でも伝え続けたい。正しき道を、共に示そう。」


第三節 誤解の影、祈りの種


祭祀の場は人々の注目を集め、次第に多くの者が訪れるようになった。神器の前で祈る者、教えを聞く者、思いを馳せる者。


だが、やがてそこに、誤解と曲解の影が差し始める。


「剣を手にした者が正しき者」

「鏡を持つ者が神に近い」

「勾玉を身につければ争いを避けられる」


象徴は、いつしか形だけの信仰となり、言葉だけが一人歩きしていく。ニニギの思いは、正しく伝わりきらなかった。


ニニギは深く息を吐き、再び祭祀の場に立つ。


「この剣は、強き者の証ではない。己の愚かさを知り、それでも進もうとする者の剣だ。

鏡は、他者ではなく自分自身を正直に映すもの。

勾玉は、ちがうものを受け入れ、繋ぐための願いなのだ。」


彼は繰り返し語った。ミヤビはその言葉を再び詩に織り、舞に重ねる。サルタヒコは再度、神々を集め、意図を正す。


「伝わらぬなら、また伝えよう。

誤って伝わったのなら、また正そう。

私たちは、人と神とが共にあるためにここへ来たのだから。」


それは容易な道ではない。しかし、祈りを紡ぎ続けること、それがニニギたちの選んだ道だった。




第六章『名を交わす神々 〜祀りと分断〜』


【導入】


風は、誰のものでもない。

けれど、誰かの名で呼ばれるようになったとき——それは境を生み、法を定め、信じる者と信じぬ者のあいだに、見えぬ線を引いた。


祀りとは、祈りであり、契りであり、そして、時に分断のはじまりでもあった。

誰の名を、誰の神を、誰の祭りを。

それはいつしか、人と人とを隔てる問いとなっていく。


されど、神は争わず。

名とは、人が神を呼ぶ声である。

ならば神々は、その声にどう応えるべきか。


ニニギの歩んだ道に、またひとつ、重い問いが立ちはだかる。


【第一節 交わる祀り、揺れる地】


あれから幾年かが過ぎ、天と地とを結ぶ祈りの道は、人々の暮らしの中に根づいていた。

田は耕され、水は分かち合われ、山は祈りとともに在った。国津神たちの知恵と天津神の志は、互いに交わり、新たな実りを生んでいた。


けれど、それと同時に、小さなひび割れもまた、静かに広がっていた。


ある村では、ニニギの祀りが始まった。稲穂と剣、鏡と勾玉を模した印が奉納され、その名は高く謳われた。

また別の地では、かつてからその地に在った神の名が掲げられ、外から来た神々の祀りに対して距離を置く者もいた。

祀りが重なれば、時に場をめぐっての争いも起こる。


「我らがこの地を守ってきたのだ」

「いや、天の神の導きあってこそだ」

「ならばどちらを祀る? どちらを“主”とする?」


祈りが、名が、優劣や力の象徴と見なされてしまうとき。

そこにあるのは、かつて神と人が誓った祈りの姿とは、あまりに違っていた。


そんなある日、ニニギのもとに、かつて山々を導いた神・オオヤマツミの使いが訪れた。


「ニニギよ、この地にも、おまえの名を刻むという話がある。

だが、長くこの地を守り祀ってきた神々と、その人々の思いもまた、軽んじてはならぬ。

神とは、名ではない。

名とは、信ずる者の声に応じて生まれるもの。

おまえは、その“声”を聴いているか?」


その問いに、ニニギは深く黙し、己が歩みを振り返る。


自らが「天津神の子」として祀られることが、もしかして誰かの信仰の場を奪い、争いの火種となっていないか。

三種の神器が示す心——正道を歩む剣、己を映す鏡、融和の勾玉。

それらが、ただの権威として見られるようになってはいないか。


そして、ニニギはまた、ミヤビの舞を思い出した。

誰かを排するためではなく、祈りを結ぶための芸。

名を誇るのではなく、名を交わし合うための言葉。


「……祀りとは、本来、誰かの名を奪うものではない。

ともに名を交わし、祈りを通わせるもののはずだ」


そう語るニニギの瞳に、決意が灯った。


神々の名が並び立ち、人々がそれぞれの祈りを交わしながらも、共に在れるように。

その道を、再び探り直そうと。




第二節 風が語るもの


かつて川の神と交わした言葉があった。

かつて森に棲むものに問われた意味があった。

忘れられた祠の前で、ひとつの声を拾い上げたこともあった。


ニニギは、それらすべてを思い出していた。

そして今、また一つの問いが、静かに彼の心を打っていた。


「神々の間には争いはなかった。だが、なぜ人々の間では名をめぐって剣が振るわれるのだろうか」


国津神の名を祀る村が、天津神を迎える隣村と対立する。

一方は「山の主」を、もう一方は「天より来たりし導き手」を。

いずれも、己が正しく、より強き加護を得ていると信じて疑わない。

信じるがゆえに、譲れず、祀りの場は分かたれ、

やがて境を越えた者に石が投げられるようになっていった。


「神とは、争わせるために名を持つものではないはずだ……」


そうつぶやいたニニギに、ミヤビはそっと寄り添い、

静かに風を受けるように舞いを始めた。

それは国津神の祭で見た舞でも、天津神の祝詞でもなかった。

風の音、草のそよぎ、土の湿りをうつすような、地の声の舞だった。


「この舞は、わたしが地上で得たものです」

「誰かの古い歌をなぞったものではなく、ここに吹く風から教わったのです」


ニニギは、舞い終えたミヤビを見て、目を閉じる。

その額に、祈りが浮かんだ。


――神の名は、争いの印ではなく、つなぐためにあるもの。

――人の祈りは、分けるためでなく、通じ合うためにあるもの。


そして、サルタヒコがまた、口を開いた。


「ならば、いま一度、交わそうではないか。神と人、人と人との約束を」

「そのためにこそ、我らは共にあるのだろう?」


ニニギはうなずいた。

それが、次なる祭祀の始まりであり、

名の本質を問い直すための、大いなる第一歩となるのだった。




第三節 名を分かち、祈りを編む


風が静まり、陽は大地を優しく照らしていた。

人々の争いが火種となりかけた村々に、ニニギとその仲間たちが歩を進める。

ミヤビは囃子も舞もなく、ただ静かに佇み、

サルタヒコはいつもの陽気を封じて、淡々と足跡を刻む。


「それぞれの村に、それぞれの神名がある」

「それは否定すべきものではなく、むしろ祝福すべきだ」


ニニギの言葉に、長老たちの目が細まる。

一部は懐疑の色を隠さず、一部はうつむきながらも耳を傾けていた。


「天より来たりし我ら天津神は、地に宿る名を奪うために降りたのではない」

「むしろ――その名に込められた祈りを、分かち合うためにこそ」


そこで、ミヤビが進み出た。

両手をひろげ、布を大地に広げる。

その布は、村々の若者たちが手を取り合い、

それぞれの祭で使われていた文様や色彩を一つに織り合わせたものだった。


「この布は、あの日、舞台に敷くものが足りぬと言って、皆で持ち寄って編んだものです」

「違う文様、違う色……でも、重ねれば、ひとつの風景になる」

「わたしは、それを信じています」


人々の間に、沈黙が流れる。

だがその中で、ひとりの子供が、そっとその布の上に自分の祀り札を置いた。


それを皮切りに、一枚、また一枚。

それぞれの名が、互いを否定せず、共に並び、重なり、祝詞のように連なっていく。


最後にニニギは、幼い頃に天照から託された稲穂を一束、布の中央にそっと置いた。


「これが、わたしの祈りです」

「天の稲が地に根を張るように――名も、祈りも、ここに根付いてほしい」


風がふわりと布を揺らす。

そのとき、村々にいた神官や巫女たちの中に、涙を浮かべる者がいた。


その布を囲み、人と神がともに祈りをささげたその日が、

やがて「名織なつむぎの祭」と呼ばれるようになることを、

そのときの彼らはまだ知らなかった。




終章『祈りを繋ぐもの 〜神と人の約束〜』


あれは、風の音も稲のそよぎも、すべてが祝詞のように響いていた日だった。

ひとつの神名が争いを呼び、ふたつの祭が背を向け合い、

それでもなお、人々は願い続けていた。


天の光は、地に降りた。

地の声は、天に届いた。


そして、その狭間で、誰かが祈っていた。


「これは――約束の場だ」


ニニギノミコトがその言葉を告げたとき、

彼の傍らには、ミヤビが静かに立ち、サルタヒコが頷いていた。

空の上ではない、大地の上で。

名を巡る争いではなく、名を交わす契りとして。


村々の神々、山の霊、水の主、風の導き手――

彼らは、それぞれの名を持ち寄り、

互いの名を否定することなく、

重ね合わせ、譲り合い、讃え合った。


天から名を授けるのではない。

地の名を受け取り、共に祈る。


それが、この地に根差すということだった。


「やがて人々は、私たちの名を忘れていくでしょう」


ミヤビが、柔らかく微笑みながら言った。

彼女の手は、ひとりの少女の肩にそっと触れていた。

その子は布を織る者の子で、今日の祭を笑顔で見守っていた。


「それでも、いいのです」

「祈りが残るなら、名は風に乗って、また巡る」


その日を最後に、ニニギは表に姿を見せることをやめた。


けれど、人々は語り継ぐ。

天より来たりし神が、大地に名を預けた日のことを。

祈りを繋ぐために、争いではなく、交わりを選んだ日のことを。


祭の夜、風が稲穂を揺らす。


それは、誰かの名を呼ぶ声にも似て。

また、誰かの願いを包む掌のようでもあった。


名は変わり、形は移ろい、時は流れゆく。


それでもなお、祈りは続く。

天と地と人のあいだで。


――祈りを繋ぐものよ、永遠に。




終章(後日譚):祈りを継ぐ道


高千穂の里に根を下ろし、稲穂は風にそよぎ、人々の笑い声が山間に満ちる頃。

ニニギは、祈りとまつりの地を見守りながら、ひとつの別れを迎えていた。


「では、行ってまいります。今度は、海風の吹く地に祈りを届けてきます。」


サルタヒコは静かに頭を下げた。

その声に、ミヤビは一歩前に出て、小さく唇を尖らせる。


「ふーん。不器用なくせに、一人で行くなんて。……心配ですわ。」


サルタヒコはむっとした顔をして、横目でニニギを見る。


「ニニギ様、止めていただけませんか。私は祈りを伝えに行くのであって、旅に行くのでは……」


だが、ニニギはにこやかに頷くだけだった。


「ミヤビが居れば安心だ。君の言葉と舞は、道を開き、心をほどく。サルタヒコにも必要だよ。」


「……うっ」


サルタヒコが言葉に詰まったすきに、ミヤビは朗らかに言った。


「それに、芸能の継承はちゃーんと済ませておりますから! 三代目アメノウズメには、布を織る家のあの子を。舞にも詞にも光るものがあるんですのよ。将来有望!」


そう言うミヤビの横顔は、どこか晴れやかだった。


「それに……伊勢の地でも祈りを継ぐ者は必要です。芸の根を張るには、神の導きと、そして――少しばかりの情、ね?」


サルタヒコが小さく首を傾げた。


「その“情”ってのは……?」


ミヤビはふわりと微笑んだだけで、何も答えなかった。


それから幾年かが過ぎ、

芸能の火を受け継いだ三代目アメノウズメが舞台に立ち、

ミヤビ自身は「猿女君さるめのきみ」と名乗り、祈りの舞台の陰に立つようになった。


人々の笑いの中に、祈りの詞が溶けていく。

舞の中に、天へ届ける願いが宿っていく。


かつて岩戸の前で神々を照らした光は、

今も、誰かの心に花のように咲いていた。


そしてその祈りは、風となって――

稲の波を揺らし、海のほとりへ、

未来の誰かのもとへと、静かに、確かに届いていった。

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