十三章 皇帝の贈り物と、知恵の逃走
ご都合主義、独自設定が多々あります。ゆるい気持ちでお楽しみください。
ザインが囚われてから、半日が過ぎた。
グートマン卿は、ザインからこれ以上情報を引き出すのは無駄だと判断し、彼を商館の地下牢へと移した。そこは、湿気とカビの匂いがする、完全な暗闇だった。
一方、その頃。王都の波止場では、アイラが単独で行動を起こしていた。第九章でザインから受けた指示通り、彼女は自身の持つ貴族街の情報網を駆使し、『海竜』号が今夜、古い灯台近くの密輸用の埠頭に、ごく短時間だけ接岸するという情報を掴んでいたのだ。
(ザインを出し抜いて、私が先に『女神の涙』を手に入れる…!)
彼女は、闇に紛れて灯台へと向かった。
その灯台の麓で、アイラは思いがけない人物と遭遇する。
警備隊長のゴードンだ。彼もまた、「ダーティハリー」的な執念深い捜査で『海竜』号の動きを察知し、部下を連れて張り込んでいたのだ。
「…てめえ、何しに来やがった」
「あなたこそ。ここは警備隊の管轄外のはずよ」
二人は互いに武器を構え、一触即発の空気が流れる。
その緊張を破ったのは、闇の中から現れた、一人の巨漢だった。南大陸の日に焼かれた肌、その背中には、女暗殺者ウィルの使う物と同じ、闇色の投げナイフが深々と突き刺さっている。男はふらつきながら、油紙と古い麻布で厳重に包まれた、ずっしりと重そうな木箱を抱えていた。
“海竜”号の船長、ヤコフだ。
「…あんたが、アイラか…?」
ヤコフ船長は、アイラの姿を認めると、最後の力を振り絞って喘いだ。
「アステリア嬢に…頼まれて…これを、あんたに…」
彼は、アイラがアステリアのパートナーであることを知っていたのだ。
「帝国の連中に…追いつかれた…。だが、品は…守った……ぞ…」
それが、彼の最後の言葉だった。ヤコフ船長は、アイラの腕の中で、静かに息絶えた。
「――動くな!」
ゴードンが、魔導弩をアイラに向けた。
「その箱を、こっちへ渡しな」
「断ると言ったら?」
「てめえは、密輸組織の仲間として、ここで射殺されることになる。これは事故だ」
ゴードンの目は、本気だった。
その時、誰も予想しなかった第三の勢力が現れる。
灯台の影から、音もなく姿を現したのは、妖術師ヨエルと、女暗殺者ウィルだった。
「おやおや」ヨエルは扇子で口元を隠した。「漁夫の利、とはこのことですかな」
ウィルは、闇色のナイフを構え、ゴードンの部下たちを牽制する。
状況は、アイラ、ゴードン、そして帝国の三つ巴となった。全員が、アイラの腕の中にある木箱――『女神の涙』――を狙っている。
アイラは瞬時に状況を判断した。非戦闘員の自分が、この二つの勢力から走って逃げ切ることなど不可能だ。彼女は、一つの賭けに出た。
彼女は近くに積まれていた古い漁網の山に目をやると、ゴードンが持つ魔導ランタンに向かって、懐に隠し持っていた小さな石を投げつけた。ランタンは甲高い音を立てて砕け散り、漏れ出した魔導燃料が漁網に燃え移る。古く、油を吸った網は、一瞬にして激しい炎と黒煙を吹き上げた。
「なっ…!?」
視界を奪われたゴードンたちが怯んだ、その一瞬。アイラはその煙を隠れ蓑に、埠頭に積まれた樽や木箱の影を縫うようにして、闇の中へと駆け出した。彼女が目指す先は、一つだけ。
ザインの探偵ギルドだった。
彼女は、裏口から事務所に転がり込むと、そこに誰かがいることに気づき、息を呑んだ。
「…エルマ?」
そこにいたのは、街から逃げたはずのエルマだった。彼女は、ザインの「逃げろ」という命令に背き、主人の帰りを待つことを選んだのだ。
「あなたこそ、なぜここに…!?」
「話は後よ!」
アイラは、ヤコフ船長の死体から奪い取った鍵束をエルマに投げつけた。
「この箱を、ギルドの地下にある秘密の保管庫に隠して! そして、絶対に開けないで!」
二人が慌ただしく動く中、事務所の扉が、再び乱暴に蹴破られる音がした。
追いついてきたのは、ゴードンか、それとも帝国の暗殺者か。
エルマとアイラは、覚悟を決めて、扉の向こうの闇を睨みつけた。
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