十二章 動き出す駒と、廻る舞台
ご都合主義、独自設定が多々あります。ゆるい気持ちでお楽しみください。
【探偵ギルド】
ザインが囚われてから、一時間が経過した。
事務所の壊れた扉の前で、一人の伝令がエルマに仰々しい封蝋のついた手紙を手渡した。エルマはそれを受け取ると、緊張した面持ちで封を切る。
手紙に綴られていたのは、信じがたい内容だった。ザインがグートマン卿と手を組み、これまでの調査をすべて中止せよ、という命令。エルマの顔から、さっと血の気が引いた。ザインが、あのザインが、仲間を昏睡に追い込んだ連中に屈するはずがない。
(…脅迫されている!)
エルマは震える指で、手紙の最後にある署名に目を落とした。
『――ザイン』
一見、いつも通りの、少し癖のある彼のサイン。だが、エルマの目は、その僅かな違いを見逃さなかった。最後の一文字、『ン』のハネが、本来とは逆の方向に払われている。
間違いない。彼が追放される直前、最後に交わした約束。究極の危機を示す、絶望の合図。
エルマの表情から、恐怖と動揺が消えた。代わりに宿ったのは、鋼のような、冷たい決意だった。
彼女は手紙を、ランプの炎で躊躇なく焼き尽くす。そして、事務所の床下に隠された小さな金庫から、最低限の逃走資金と、数枚の偽造身分証を取り出した。感傷に浸る時間はない。合図の意味は、「俺はもうダメだ。お前は逃げろ」。
彼女は最後に一度だけ、誰もいない事務所を見回すと、裏口から静かに姿を消した。ザインの最も忠実な駒は、主人の命令通り、盤上からその姿を消したのだ。
【王都・貴族街】
アイラは、持ち前の美貌と知性を武器に、貴族街の情報屋たちから巧みに情報を引き出していた。帝国の連中が、何人かの闇商人や役人と接触していることまでは掴めた。だが、突如として情報の流れが止まる。さっきまで口の軽かった男たちが、一様に口を閉ざし始めたのだ。
(…何かあったわね)
アイラは危険を察知し、即座に撤退を決めた。彼女はギルドに戻り、ザインと情報を共有しようとした。しかし、事務所はもぬけの殻。扉には荒々しい板が打ち付けられ、中は人の気配がなかった。ザインに渡されていた緊急用の連絡水晶も、応答がない。
「…あの男、しくじったの?」
アイラは忌々しげに舌打ちすると、闇の中へと姿を消した。彼女もまた、自分自身の隠れ家で、次の一手を練る必要があった。
【警備隊・隊舎】
「――で、結局何も話さねえのか、お嬢ちゃん」
ゴードンは、独房にいるリリアナを前に、苛立ちを隠せずにいた。リリアナは、ただ怯えて泣くだけで、一向に口を割ろうとしない。
そこへ、部下の一人が報告に駆け込んできた。
「隊長! ザインの事務所を監視していた班から報告です! 先ほど、謎の伝令が事務所に入った後、事務員の女が荷物を持って逃走した模様!」
「…何?」
ゴードンの目が、鋭く光った。ザインの駒が、動き出した。これは、何かが起こる前触れだ。
「ザインの事務所への包囲網を厚くしろ!」ゴードンは怒鳴った。「それから、この女狐の独房の警備もだ! 何かデカいことが起ころうとしてる。絶対に乗り遅れるなよ!」
【帝国商館・一室】
ザインは、椅子に縛られたまま、静かに目を閉じていた。
目の前で、グートマン卿が優雅に異国の盤上遊戯を指している。
「あなたの助手は、実に優秀ですな」グートマンは、ザインに語りかけた。「我々の監視によれば、手紙を受け取るや否や、即座に行動を開始した。今頃、あなたの命令を忠実に実行していることでしょう」
グートマンは、エルマがザインの命令通りに、アイラや警備隊を攪乱するために動いていると、完璧に誤解していた。
ザインは、その言葉に何も答えなかった。
ただ、その口元に、誰にも気づかれないほどの、微かな笑みが浮かんでいた。
俺の駒は、あんたが思うより、ずっと優秀なんでね。
盤上の駒は、一斉に動き出した。だが、その動きは、もはや誰にも予測できない。ザインが仕掛けた盤外戦術は、今、始まったばかりだった。
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