第一章 美女には毒と、甘い罠
初投稿です。温かい目でおねがいします。
ご都合主義、独自設定が多々あります。ゆるい気持ちでお楽しみください。
「――でな、エルマ。この金貨を指の間でこう、滑るように移動させるのが、一流の男の嗜みってやつで……あっ!」
ザインは、事務所のソファでだらしなく寝転がりながら、一枚の銅貨を相手に悪戦苦闘していた。指の関節を無視した銅貨は、カチャンと音を立てて床に転がる。
王都の裏街にある「ザイン探偵ギルド」。その主である元Sランク冒険者の威厳は、今や埃と共に床で輝いていた。
「はぁ……」
カウンターの奥から、事務員のエルマの深いため息が聞こえた。
「くだらない手品ごっこしてないで、少しは仕事探したらどうなのよ、この甲斐性なし! あんたが拾い損ねた銅貨一枚で、今日のパンが買えるっていうのに!」
「愛がないなあ、エルマ君は。これは未来への投資だぜ? いつか潜入捜査で、俺の華麗なコインマジックが役立つ時が――」
ザインの言い訳は、ギルドの扉が開く、上品な音で遮られた。
現れたのは、場違いなほど高価なクロークをまとった、一人の美しい女性だった。彼女は怯えた小動物のように周囲を見回し、ザインの姿を認めると、ほっとしたような、それでいて不安げな表情を浮かべた。
その瞬間、ザインの態度は一変した。
彼は電光石火の速さでソファから跳ね起き、寝癖のついた髪を手櫛で撫でつけ、シャツの皺を伸ばす。
「おやおや! これはこれは、美しきお嬢様!」
彼は床に落ちていた銅貨を素早く拾うと、芝居がかった仕草で胸ポケットにしまい、恭しくお辞儀をした。
「追放探偵ザイン、ただいま参上。して、か弱きあなたを悩ませる、どこのどいつですかな?」
女――リリアナと名乗った――は、その大げさな歓迎に少し戸惑いながらも、用意してきたであろう物語を、涙ながらに語り始めた。盗まれた家宝『女神の涙』。曰く付きで警備隊には頼れない事情。凶悪な盗賊団『黒蛇』の影。
ザインは、神妙な顔で何度も頷き、ハンカチまで差し出している。その瞳は、彼女の美貌に完全に心を奪われた男のそれだった。
「――まあ、素敵なお話じゃない。ねえ、ザイン?」
奥の部屋から、甘く、それでいて全てを見透かすような声がした。現れたのは、ザインの相棒、アステリアだ。彼女はしなやかな足取りでリリアナに近づくと、その肩にそっと手を置いた。
「大変でしたわね、お嬢様。でも、もう大丈夫。このギルドには、腕は三流だけど、美女の頼みだけは断れないお人好しの探偵がいますから」
「おい、アステリア。誰が三流だ」
「あら、違ったかしら?」
アステリアはザインに悪戯っぽく微笑むと、リリアナに向き直った。「それで、報酬はどれくらいお考えで?」
結局、ザインはアステリアの巧みな話術と、リリアナの潤んだ瞳の前に、二つ返事で依頼を引き受けることになった。リリアナが前金として置いていった金貨の袋は、エルマの目が丸くなるほど重かった。
「それじゃ、初動調査は私がやるわ」
アステリアは、さっそく立ち上がった。
「波止場の酒場にいるゴロツキ相手なら、私みたいなか弱い女の方が、口も懐も緩むものよ」
「おい、一人で行くのは危険だぜ?」
ザインが本気で心配そうな声を出すと、アステリアは心底楽しそうに笑った。
「あら、嬉しい。でも、大丈夫。危なくなったら、ちゃーんとあなたの名前を叫んで助けを呼んであげる」
彼女はザインの頬を指でつつくと、夜の闇へとヒラリと消えていった。
「……行っちまった」
ザインは、扉を名残惜しそうに見つめながら、だらしなく呟いた。
その甘ったるい光景に、エルマが我慢の限界といった様子で怒鳴る。
「いつまで見惚れてんのよ、この朴念仁! あんた、いつかあの女に身ぐるみ剥がされて、裏通りで野垂れ死ぬわよ!」
「はは、手厳しいな」
ザインはヘラヘラと笑いながら、ソファに再び倒れ込んだ。
しかし、その瞳から、先ほどまでの三枚目な光は消えていた。
鋭く、冷たい光。
Sランク冒険者として、数多の死線を越えてきた男の目が、事務所に残った二種類の香水の匂いの奥にある、嘘と危険の匂いを、確かに嗅ぎつけていた。
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