8 アルの危機 ※
ユアンが公務に出掛けて二日目の夜、アルはセロンの部屋で一人時間を持て余していた。
食事を終えたのは数十分前。片付けをしようとした矢先にセロンが国王に呼ばれ、自分が戻ってくるまで部屋から出ないように、と言われてしまったのだ。しかも、理由は全く分からない。
(なんか…変なんだよな…)
アルはお盆の上に積み重ねられた食器を眺め、納得いかない溜め息をついた。
側近のセロンが公務についていかなかったのは、調べものがあるからだと聞かされていた。にも拘らず、この二日間セロンが何かを調べている様子はなく、改めて振り返ってみれば一日の大半を自分と過ごしていたことにようやく気付いた。
(ひょっとして…調べものは俺だったりして…? 自分が公務に行ってる間、俺がどうやって過ごしているのか報告しろ、とか何とか命じられてよ……)
──とそこまで考えて、アルはすぐに首を振った。
(はは…は…ありえねーよな、ストーカーじゃあるまいし。だいたい、普段の行動を見張るなら、本人に気付かれねーようにするのが当たり前だしよ。─ってか、時間経つとカピカピになって洗うの大変なんだけど…)
セロンの 〝変さ〟 を考えつつも、時間の経過と共にその事が気になってしょうがなかったアルは、とうとう我慢できなくなって仕事に戻る事にした。
(一昨日みたいにとっとと片付けて、セロンより早く戻ってきたらそれでいいよな?)
〝うん、そうしよう〟 と、アルは自問自答しながら食器を持って部屋を出たのだった。
厨房はアルの仕事──洗い物──が流しに残っているだけで、人は誰もいなかった。
(さぁ~てと、やるかぁ!)
腕をまくり、持ってきた食器を水の中に入れると、最初から浸かっていた他の食器を洗い始めた。水の中に浸かっていただけあって、汚れは簡単に落ちてくれる。そして、半分ほど洗った食器をすすごうと蛇口を捻った時だった。
「──ッ!?」
急に後ろから口を塞がれたと思ったら、みぞおち辺りにかなりの衝撃と痛みを受けたのだ。痛みの余り前のめりに倒れそうになれば、口を塞いでいた手がお腹をガッシリと支え、そのまま抱えられどこかに連れて行かれてしまった。
口は塞がれていないため助けを呼びたいのだが、息がうまく吸い込めず、声に出せなかった。意識さえ持っていかれそうになったものの、かろうじて保っていられたのは、アルの耳に聞き覚えのある声が届いていたからだ。
(…こ…いつら…一昨日の……! 何とかしねーと…っていうのが…こういう…ことかよ!?)
よく思ってない連中がいることは分かっていたし、そのうち何かあるとは思っていたが、その時はちゃんと言おうと思っていた。
〝別に、取り入ろうなんて思ってねーし、あんた達を抜こうなんて思ってない。どうせすぐ追い出されるつもりだから気にすんな〟
──と。けれどまさか、それを言う間も与えられず、ボコボコにされそうになるとは…。
(…くっそ…ちっとは俺の話を聞けってんだ…)
痛みを堪えつつそんな怒りを心の中で吐き出すと、同時に、まるで荷物を扱うように床に投げ落とされた。
「……ってぇ…」
声の主を確かめながら極自然に辺りを見渡せば、そこは厨房の隣にある食料保管庫だと気付く。声の主も一昨日の者と同じで、五年目の今年、ようやく王家の食事に携わる事ができた連中だった。
「大人しくしてろよ、アル?」
「だ…れが…大人しくボコボコになんかされるかよ…!」
「別にボコボコになんてしないさ、なぁ?」
アルを抱えてきたであろう一番図体のでかい男が他の二人に同意を求めれば、その二人からは意味ありげな笑みが返ってきた。
「これ以上、ユアン様に取り入ってもらっちゃ困るんだよなー、オレたち」
「まぁ、最初っから生意気で気に食わなかったってゆーのもあんだけど?」
「そうそう。この辺で一度締めとかないと…と思ってな」
「…だったら…十分だろ…?」
ボコボコにしないのなら、こうやって脅すだけでも十分だろ…とそう言えば、
「まさか、なぁ?」
──と返ってきた。
「だったら…何が望みなんだよ…?」
「最初は噂だけでもいいかなーって思ってたんだけどな、どうせなら既成事実を作ったほうが確実だって、そう思ったからよ」
「既成…事実…?」
噂が何の噂か分からなかったアルは、繰り返したその言葉の意図さえ分からなかった。けれど、それは次の言葉で理解する。
「傷モノになれば劣等感で近づこうとしないし、ユアン様も相手にしなくなるだろ?」
「────!!」
「それにオレたちは何年もご無沙汰だし、慰めるのは自分の手だけだからな。寂しい者どうしつったって、いくらなんでもこいつ等とはなぁ。その点、お前は可愛い顔してるし、この薄暗さなら、そう違和感もないだろうと思ってな」
「…っざけんなよ…そんなことされて──」
〝たまるか!〟 と同時に殴りかかろうとしたアル。──が、起き上がった途端、腕をつかまれそのまま後ろに捻り上げられてしまった。
「──ツゥ! …くっ…は、なせ…!!」
「大人しくしてろよ。力が入ってっと、痛い思いすんのはお前の方だぜ?」
そう言うと、奥にあるボックス型の冷凍庫──ちょうど、上半身を曲げられる高さのもの──にアルの体を押し付け、他の二人に押さえるよう命じた。その体勢は 〝まさしく〟 というもので、アルは身動きできないほどの力にゾッとした。
(…マ…ジでやべぇ…!)
今更ながらセロンの部屋で待っていればよかった…と後悔するアルだが、時既に遅しだ。
力では敵わないと分かっていても、アルは何とか抵抗を続けた。
「は…なせって言ってんだろ、この変態ヤロー…!」
後ろから迫ってくる図体のでかい男を目の端で睨みつけ、幾度となく足で蹴りつける。けれど男は動じない。蹴り上げたアルの足を掴むと、そのまま足を広げアルの股に入り込んだのだ。そしてポケットから用意していたタオルを取り出すと、〝突っ込んどけ〟 と押さえ付けている男に投げ渡した。
「泣き叫ぶ声も聞いてみたいが、今はそんな場合じゃねーからな」
受け取った男はそう言うや否やアルの髪を掴み上げ、その口の中にタオルを詰め込んだ。
「…ぅぐっ……!」
「さぁてと、調理と行くかぁ?」
獲物をさばくような口調が聞こえたかと思うと、図体のでかい男は更に光るものを取り出し、アルのズボンを切り裂いた…!
(────ッ!!)
露になったアルのお尻を、ごつい手が荒々しく撫でまわす。
(…や…めろっ…!!)
「はは、思ったとおり可愛いケツしてやがる。抵抗するその姿も意外とそそられるもんだな?」
(────!!)
その言葉に一瞬 アルの抵抗が止まれば、それに気付いた男がまた面白そうに笑った。
「──さて、次は早いとこここをほぐさねーと…」
そう言うと、男の指がアルの柔らかい部分を貫いた。
(…くぁっ…!!)
一本入ればまた一本…容赦ない荒々しさで押し広げようとする痛みに、アルは声にならない声で悲鳴を上げ、悔しさと怒りで涙が出てきた。
「おほっ、赤い血は処女の印か?」
(…うっ…く…くっそぉ…! こ…んなことなら…お前らにヤられるくらいなら……いっそまだあいつのほうが……ユアンにヤられたほうがマシだっ…! くっそぉ…!!)
そう思ってしまった事にハッとしたが、それも束の間、男の 〝モノ〟 が当たって血の気が引いた。
(い…やだ……いやだ、いやだ、いやだ…!! 誰か助けてくれ…! セロン…! ユアン──!!)
アルは、喉の奥が張り裂けんばかりに名前を呼んだ。その時だった──
あと一秒でも遅ければ、〝モノ〟 が貫いていただろうその時、バンッ…とドアが開けられ、男の動きが止まった。
「アル──!!」
声はセロンだった。反射的にその声がしたほうに顔を向けると、そんなアルの姿を目にしたセロンの表情が、驚きから冷血な表情へと一変した。
「お前たち……」
「あ…セ、セロン様──」
「全てにおいて、その手の使い方は間違っているな」
凍るような冷たい目でそう言い放つと、男たちは震え上がり動けなくなった。逃げようにも逃げられない、そんな状態だ。
セロンは崩れ落ちるアルを受け止めると、即座に羽織っていたコートを掛け、口の中のタオルを取り除いた。
「…ぐ…ごほっ…げほっ……はぁ…はぁ…」
「アル、大丈夫ですか…?」
「…………ぐっ…!!」
「あ、アル──!!」
助けてくれたことはありがたかったが、それ以上に我慢ならなくて、アルはその場から飛び出して行ってしまった。慌ててセロンも追いかけるが、その直前、ものの数秒で男たちを伸すのは忘れなかった。
「アル! アル、待ちなさい!」
(来るな…! 誰も来るなよ…!)
溢れてくる涙を拭うことすら忘れ、アルは一目散にある場所へと走っていた。
「アル…!」
(…くっ…そぉ……!!)
大声で叫びたいのを我慢して、アルが外へ出ようとドアに手を伸ばした時だった。
「──── !」
「アル!」
一瞬早くドアが開き、空を掴んだアルの手は、セロンの声と共に雪の地面へと体ごと転がっていった。
「…っく……!」
「…ア…ル?」
突然飛び出してきて驚いたのは、向こう側にいた者。しかも、セロンのコートを着ているにも拘らず、呼ばれた名前が 〝アル〟 とは。それがまたセロンの声だったから尚驚く。
語尾を上げて呼ばれた自分の名前に、アルが 〝え…?〟 と顔を上げれば、その顔にお互いが驚いた。
「────!!」
「アル!? いったいどうし──」
「ユアン様!?」
転んだアルを起こそうと肩に手を掛けようとしたところで、セロンが名前を呼んだのと、アルがその手を払いのけたのはほぼ同時だった。
「ユアン様、どうして──」
「さっさと話をまとめて帰ってきたのだ。それよりアルは──」
〝どうしたのだ〟 と言いかければ、またもやアルが堪らなくなって走り出した。
「アル…!」
「おい、セロ──」
「例の者たちがアルに乱暴したのです」
「な…に…!?」
「国王に呼ばれ私が目を離した隙に…事は成されませんでしたが酷い事をされて…」
「────ッ!!」
(…くっそ…何でだよ……何でこんな時に帰ってくるんだよ…!?)
「アル! アル、待つんだ!」
後ろから聞こえてきたのはユアンの声だった。その後ろからセロンの声も聞こえる。
「アル!」
「く…るな…!」
「アル──」
「来るなつってんだろ!?」
アルはそう叫ぶと、目指した場所まで走り続けた。そして、
「アル、何を──」
ユアンが思わず声にした時には、アルの体は中に舞い、次の瞬間には白い水しぶきが上がっていた。
「アル!」
「来るな! 誰も来るな!」
飛び込んだのは、あの噴水の中だ。
「…綺麗に…してもらうんだよ…あんなヤツに触られて……ここには神様がいるんだろ!?」
「…アル…そこから出てきなさい。いくら神様がいても、そのままでは凍え死んでしまいます!!」
夏ならともかく今は冬。雪の降るような真冬だ。肌を刺すような冷たさは、既に越している。けれど、アルにとって男の指が裂いた皮膚の痛みに比べれば、まだマシなほうなのだ。
「じょ、上等だ……っきっしょぉ……あんなヤツに…あんなヤツに……」
「アル…」
座れば胸の辺りまで水に浸かる。そこにきて、上から噴水の水が勢いよく降り注いで、アルの体を頭からずぶ濡れにしていた。
凍るような冷たさが体の中に染み込んでいく。アルの体はすぐにガタガタと震え出し、顔色まで悪くなってきた。
「アル、お願いですから──」
「セロン」
それまで黙っていたユアンがセロンの言葉を遮ると、とても落ち着いた声で続けた。
「──風呂の用意をしておけ」
そう言うや否や、〝え…?〟 と返す間もなく、ユアンが噴水の中に入っていったのだ。
(ユアン様…!)
セロンの顔も見ず、ユアンはアルの真正面に座った。それを見て、セロンも無言でその場を立ち去ったのだった。
「…な…に…やって…んだよ…?」
「お前が出るまで、オレもここにいる」
「…は…ぁ…?」
「お前がここで死んだら、オレもここで死ぬのだ」
「ば…言ってん…じゃねー……」
「あぁ、バカで結構。だがオレは、お前を失ったらこの先 生きてはいけないんでな」
「…次…期…国王…が…そ、そんな…ことで……」
「オレはお前の前では一人の人間だ」
「……………!」
自分が女なら、そしてユアンが好きなら抱きついていそうな言葉だが、余りにもその状況とは違いすぎる。ただ、アルの中では理解できない感情が湧きつつあるのも事実だった。
(…ってか……こいつ…ほんとに出ないつもりだ……)
言葉より何より、それは目を見れば分かるものだった。
(やっべぇ…ぞ……少なくとも…次期…国王…が……死んじまったら……)
こんな状況になりながらも…いや、こういう状況だからこそなのか、それだけは避けなければ…と思ったアルは、とりあえずここから出ようと心に決めた。──が。
(…あ…れ…? 体が動かねーや……ってか、冷たさも…感じなく…なって……れれ…? 何か頭までぼーっと……)
ユアンの顔が霞んでグラッと視界が揺れたかと思うと、ロウソクの炎が消えたかのように真っ暗になっていた。
「申し訳ありません…ユアン様…」
服ごとアルを抱きかかえるようにしてお風呂に入っていたユアンに、セロンが頭を下げた。
「…いや、お前が謝ることはない。アルに謝らなければならないのは、このオレだ。肝心な時にアルを守ってやれなかったからな…」
「ユアン様…」
「──セロン、例の者たちの処分はお前に任すぞ」
「…はい」
そう返事をすると、セロンは未だ食糧保管庫に眠る三人の男たちの元へと向かった。そして、浴室のドアが閉まった音に反応したのか、少し温まったアルの意識がフッと戻った。
(…ん…? なんか…あったけぇ…。あんなに冷たかったのに……)
──と、ぼんやりしていた視界が意識と共に鮮明になってくると、ようやく自分が置かれている状況を把握した。
「…な、なんで──」
湯船の中でユアンの胸に抱かれているこの状況──服を着ていることだけが幸いなのだが──に驚いて起き上がろうとすれば、即座に押しのけようとした手を掴まれ元の位置に戻されてしまった。
「ちょ…はな…せって…」
「まだしばらくここにいろ。体の中が冷え切っているんだぞ」
「そ…んなのもう、大丈──」
「頼むから──」
アルの言葉を敢えて遮ると同時に、抱きしめていた腕に僅かな力が入った。
「頼むから、まだここにいてくれ」
「……………!」
ユアンにしては珍しい 〝頼むから〟 という言葉。初めて聞いたアルはどうしていいか分からず、反抗する力が抜けていくようにユアンの胸に顔を埋めてしまった。そうしてしばらくすると、下から突き上げてくる力強い音が耳の奥まで伝わってきて、それが何か懐かしい感覚を思い起こさせていた。
(…な…んだ…これ…? 人の鼓動って…こんなに心地良かったけな…? っていうか、何か…こういうの前にも……)
そんな事を思っていると、アルの意識は再び遠くなっていった。
一方、力が抜けたアルの体重を体に感じたセロンは、唇にしたい衝動を抑え、額にそっと口付けを落とした。
(愛する者を守れない肩書きなど、オレには必要ない…)
今回の事で、ユアンはハッキリとそれを認識したのだった。