11 愛の宣言
「────ッゥ!!」
アルは胸にひどい痛みを受けて目を覚ました。──と同時に両手首にも痛みを感じた。
薄暗さの中、まず目に映ったのは厨房にやってきた警護官二人。その手には少ししなるような木の棒が握られていて、さっきの痛みはそれによるものだというのが瞬時に分かった。骨に響くような痛みとヒリヒリする痛みに、思わず叩かれた所を手で触ろうとしたが、何かに引っ掛かった感覚と手首の痛みが増したため、ようやく両手を縛られ上に釣り上げられている事に気が付いた。
この状況と警護官の後ろに見える鉄格子、そして素足から伝わる石の冷たさから、初めて見る場所にも拘らず、そこが地下牢だというのは理解した。
胸に受けた痛みはアルの意識を戻すため。けれど、その後も容赦ない仕打ちが与えられた。最初こそ、〝俺は何もしてない…!〟 と訴えていたアルだが、その度に問答無用とばかりに顔を殴られ、口に広がる血の味が濃くなるに連れて、次第に喋れなくなっていった。
わけの分からぬまま棒で叩かれ続け、あまりの痛さに意識を失う事もできなかったが、その感覚が麻痺してくるとようやく意識の半分がなくなりつつあった。自分の体を叩きつける激しい音。その音だけがこの薄暗い地下牢に響き渡るのを、アルはまるで他人事のようにぼんやりした耳で聞いていた。
(…なん…か…耳が遠い……ひょっとして…鼓膜…いっちまったかな…俺…)
どうでもいい事ではないが、そんな事を考えている中、〝暗殺しようとした〟 と言われる理由を知ったのは、既に両目もまともに開けないくらい、顔も体も腫れ上がっている状態になってからだった。
(あ…いつ…自分の体のことは…自分が一番…知ってるはず…だろー…が……)
薄れ行く意識の中、アルは最後にそう心の中で突っ込んだ。
それからどれくらい経っただろうか。
アルは誰かの気配を感じふと意識を戻した。
「なん…て事を……」
思わずそう漏らした声はセロンのものだった。
(…はは…俺…自分の状態 見れなくて…正解だったかもな…)
腫れ上がったせいで視界は狭く、薄暗さと目に血が入っているのか人影しか見えない。それ故、口調だけでひどい状態だというのが伝わってきたのだ。
「彼を出してあげなさい」
セロンが見張りの警護官に命じた。が、警護官も凛とした態度で答える。
「申し訳ありませんが、それはセロン様のご命令でも無理です」
「暗殺は誤解です。ユアン様もこんな事は望んでいませんよ?」
「しかしながら、これは国王のご命令。それを覆す事ができるのは国王とユアン様本人だけです」
「そのユアン様の代わりに私が命じているのです」
「ご理解ください、セロン様」
警護官はそれだけ言って頭を下げた。それは何を言ってもムダだという意味だった。
直々の命令にのみ従うよう教育されている彼らに、〝代わり〟 が通用しないのは分かっていた。分かってはいたが、言わずにはいられなかったのだ。
せめて、アルがユアンにとって大事な人だという事さえ伝わっていれば……。
できるなら今、それを警護官に伝えたい所だが、結局はそれも 〝代弁者〟 の言葉ゆえ、意味のないことなのだろう。
そう思うと、次期国王の側近にも拘らず肝心な時に何もできない自分に、セロンは腹立たしさを覚えた。
そんな時だった──
「…な…ぁ…?」
弱々しくかすれたアルの声が聞こえた。
「アル…気が付いてましたか…」
(気を失っているほうがラクなのに…)
セロンはそんな言葉を胸の中で呟いた。
「…あいつ…大丈夫なのか…?」
「えぇ。ショック状態は脱しました。今は落ち着いて眠っていますよ」
セロンが優しくそう言うと、ユアンの口から全身の力が抜けていくような溜め息がもれた。
「あ~~~…そ…うか…よかったぁ……」
「アル…」
「…俺…知らなかったんだ…あいつが…ナッツのアレルギー持ってた…なんて……」
「もちろんです。知っているのは極一部の者だけでしたから…。私も先に言っておけば──」
「別に…そこを責めるつもりはねーけどよ……ただ………」
「ただ…?」
「嫌いだけならともかく…なんで最悪…死ぬかも知れねーってゆーのに食っちまうんだよ、あいつは…?」
「それは……」
「見ただけで…ナッツが入ってんの分かったはずだろ……?」
「それは、あなたが作ったものだからですよ」
「…………?」
「普段から食べ物を粗末にしないよう言ってきたあなたの言葉。その言葉に賛同していたのはもちろん、何よりあなたがユアン様の為に作ったものだからです。だからこそ、命を懸けてでも食べたかったのでしょう」
そう言われ、アルはすぐに言葉が出てこなかった。その代わり何か熱いものが込み上げてくると、胸の辺りに違う痛みが広がり、気付けば腫れ上がった瞼を温かい涙が押し上げていた。
「……ば…かやろ…何が命を懸けてだよ…。その結果が…これじゃねーか……」
「えぇ、本当に…」
〝いい迷惑だ〟 という意味を込めたが、そこに恨みはなかった。
こうなる事を望んでいないのはもちろん、普段のユアンならこの結果を予想しチョコレートは食べないはずだった。それが予想できずにバカな事をしてしまったのは、それだけ純粋にアルから貰ったチョコレートを食べてあげたいと思ったからで、それがアルにも分かったからだ。
「アル、できるだけ早く出してあげますから。もう少しだけ待っていてくださいね」
「……ん……」
とにかくベッドで寝たい…そんな思いと、ユアンが無事だという事に安心したのか、そう返事をすると、アルの意識は再び暗い世界へと落ちていったのだった。
地下牢を出たセロンは、そのまま国王の元へと向かった。無理だとは思ったが、直接 話をしてアルを地下牢から出してもらおうと思ったのだ。けれど、〝息子〟 というだけでなく、〝次期国王〟 の命を危険にさらしたというのは事実であり、結局、ユアン本人の意思に任せる、とだけ言われてしまった。
ユアンの部屋に戻ったセロンは、その傍らで彼が目を覚ますまでジッと待つことにした。彼の体を心配しながらも、アルを助けるには一刻も早く目覚めてもらいたいとも思う。
それから一時間ほどしただろうか。
祈るような形で手に額を乗せていると、ふとユアンが動く気配がして、セロンは顔を上げた。
「…気が付かれましたか、ユアン様」
「…あぁ…今、アルに呼ばれたような気がして……」
「でしたら、〝助けて欲しい〟 と言いたかったのでしょう」
その言葉に、半ばぼんやりとしていたユアンの顔つきが変わった。
「…どういう事だ…?」
「その前に体の調子は──」
「あぁ、大丈夫だ。それより 〝助けて欲しい〟 とはどういう事だ?」
その言葉から何かあったのかという不安が膨らみ、ユアンは体を起こすとセロンにその答えを急かした。
セロンは落ち着いて聞いてくださいとでも言うように、僅かな間ののちそれを口にした。
「アルが、地下牢に入れられてしまいました」
「何…だって…!?」
「ユアン様の暗殺を謀った罪人として、国王が命令を…」
「────!!」
その瞬間、ユアンは自分がしたことの結果を理解した。
「私も何とかアルを出そうと試みたのですが──」
「セロン、すぐにみんなを広間に集めておけ」
セロンの言葉を遮ってそれだけ言うと、ユアンは布団と一緒に掛けてあったガウンを引っ掴み部屋を飛び出していった。
(何をやってんだ、オレは…!? 立場上、オレに何かあればこうなる事くらい予想がついた。分かりきっていたことではないか!)
アルが作ったものだから、たとえどうなっても食べてやりたいと…ただそれだけの思いで招いてしまった結果に、ユアンは心から後悔し自分を責めた。
死の淵から戻ったばかりのユアンが走っているのを見かけた者が、心配と驚きで止めようとしたが、ユアンは近寄ってくる者全てを 〝邪魔だ、どけ!!〟 と蹴散らしていった。
地下への扉を開け、階段を下りていくユアン。その先で見たのは、ひどい傷と血に体が染まっているアルの姿だった。
(アル…!!)
入ってきたユアンに警護官が驚きの声をあげた。
「ユアン様!? 大丈夫なのですかお体は──」
「開けろ!」
「え…?」
そんなことはどうでもいいと、ユアンは警護官の言葉を遮って命令した。
「今すぐアルを出すのだ! 早くしろ!!」
「は、はい…!」
直々の命令はもちろんだが、ユアンの剣幕に、警護官は即 従った。
鍵を外すと、ユアンは警護官の短剣を奪い、先に扉を開けて入っていった。
「アル…アル、大丈夫か…?」
うな垂れた顔にそっと両手を添え持ち上げると、その酷さにユアンの胸が激しく痛んだ。
「アル…?」
それまで感覚が麻痺していた体に、ふと温かなものが触れたのを感じ、アルの意識がフッと戻る。
「…あ…ユ…アン…?」
「あぁ…そうだ、オレだ。済まなかったな、アル。オレが──」
「…は…はは…よかったな…元気になって……」
わざと言葉を遮ったのか、それとも元気な姿を目にして真っ先にそう思ったからか、アルはそう言った。
「アル…今すぐ外してやるからな」
ユアンは持ってきたガウンをアルに羽織らせると、手を縛っていたロープを切り、そのまま抱き上げた。自分では動けないものの、自由になったアルが少しホッとしたように呟いた。
「…ユアン…」
「あぁ?」
「…ベッドで眠りてぇ…」
消えそうなアルの声に、ユアンは小さく何度も頷いた。
「あぁ。すぐに連れていってやる」
部屋に戻る途中、ユアンはアルを抱きかかえたまま、集めておけと言った広間に寄った。
ユアンの姿と抱きかかえられているアルを目にし、それまでざわついていた部屋が一瞬にして静まり返る。そして広間にある壇上にユアンが立つと、彼は凛とした強さで言い放ったのだ。
「いいか、よく聞け! 私にどのような事が起ころうと、この者に指一本触れることは許さぬ! 我が命より大切な愛しき者と心得よ!!」
その言葉に、思わずどよめきそうになる空気を皆が飲み込むと、静まり返った広間をユアンが出て行く間も、誰一人として口を開かなかった。
状況があまりよく分からなかったアルも、何かとんでもないことをとんでもない場所で宣言した事だけは分かり、薄れゆく意識の中でボソリと呟いた。
(こ…いつ…声高らかに宣言しやがって…これじゃ逃げらんねーじゃねーか…)
部屋に戻ると、既に消毒液や包帯など、手当てに必要なものが揃っていた。
「では早速、傷の手当てを…」
ソファに寝かせたアルを手当てしようとしたセロンだったが、
「いや、それはオレがやろう」
ユアンに止められ、手に持っていた消毒液を渡すよう促された。
「でも、あなた様の体も──」
「いいんだ。オレにやらせてくれ」
それはアルに対するせめてもの罪滅ぼしなのだろう。そうせずにはいられない気持ちもセロンにはよく分かり、〝分かりました〟 と頷くと、あとの事はユアンに任せ部屋に戻ったのだった。