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1 シェフの試験

 広い建物内に響き渡る大理石を歩く二つの靴音。その冷たくさえ感じる音を聞きながら、アル=ヘイウッド──二十歳──はひとり残してきた母親の心配と、深い後悔の念に駆られていた。

(…くっそ…こんな事になるなら、あの時 店に入れなかったのによ……なんで入れちまったんだよ、俺は…)

 後悔したところでどうにもならないことは分かっている。分かってはいるが、それでももし一週間前に戻ることができたなら──

(今度は絶対に入れてやらないからな)

 アルは一週間前の事を思い出しながら、前を歩く男の背中にそんな言葉をぶつけていた。



 アルは父親が遺した小料理屋を母と二人で切り盛りしていた。

 料理の腕は確かで、父親の代で広まった 〝安くて美味い店〟 という評判は落とすどころか更に広まり、今や朝から晩まで忙しい毎日を送っている。

「ごっそうさん。また腕をあげたな、アル。これだけの腕があるなら、王家のシェフにでもなれるんじゃねーか?」

「だったら、値上げしても文句はねーんだよな、おっちゃん?」

「おほっ、そりゃ勘弁だぜ」

 客はそう言って豪快に笑うと、〝じゃ、またな〟 と言って帰って行った。

 王家のシェフ募集の紙が張り出されてからというもの、そんな冗談めいた褒め言葉を掛けてくれる客が増え──返す言葉はどうであれ──アルも心の中では素直に喜んでいた。──とはいえ、王家のシェフになれば住み込みになる為、応募する気持ちは全くなかったのだが。

 夜になり、ようやく最後の客を送り出したアルが、ふぅ~っと大きな息を吐き出した。

「やぁ~っと終わったー。──あ、母さんは先に休んでいいからな?」

「ありがとう、アル。でもまだ明日の準備が残ってるから──」

「いいって、そんなの。俺がやっとくから。今日は特に忙しくて、昼の休憩もまともにできなかっただろ。体弱いんだから無理すんなって、な?」

 〝ほら、行った、行った〟 と強引に母親の背中を押しやると、閉店したことを知らせるためにも、真っ先に立て看板をしまいにいった。

 外は凍るような冷たい風が吹きつけていて、アルは反射的にブルッと身を振るわせた。

「うぉ~、さみぃ~~! こりゃ、絶対降るよなぁ…」

 確かめるように空を見上げたものの、あまりの寒さにそんな余裕はなく… 〝とっとと片付けちまおう…〟 と立て看板に手を掛けた時だった。ふと人の気配を後ろに感じ振り向けば、両手をポケットに突っ込んだまま、ドアの前で立ち尽くしている長身の男が目に入った。

 頭から被ったフードコートはかなり薄汚れていて…なのに足元に見える服と靴はそれと釣り合わないほど高級なものだった。そのバランスが何となく 〝変だな…〟 と思いはしたが、今ここでそれを追求する必要性は全くなく、また アルもしようとは思わなかった。

「もしかして…メシ、食いに来たのか?」

 アルの呼びかけに、男が静かに振り向いた。すぐには 〝そうだ〟 とも 〝違う〟 とも返ってこなかったが、どう見てもここは店の前。それ以外に用はないだろう…と思えば、アルも返事は待たなかった。

「わりぃんだけど…今日はもう、店終わったんだ。明日、また来てくれねーか?」

 たとえ店が終わる時間でなくとも、客の要望に応えるだけの料理は残っていない。故にそう断ったのだが、男はアルの話を聞いてなかったようだ。

「食事をさせてください」

「…あ…いや…だから店が──」

「お願いします。温かいスープだけも頂きたいのです」

「…そう…言われてもよ…」

 困ったな…と息を付いた時、ふいに白い物が視界を舞い、ごく自然にアルの意識が空へと移った。

 …雪だ。

(やっぱ降り出したか…)

 落ちてくる雪を目で追いながら視線を落としていくと、その視界に男性の姿も一緒に写りこみ、一瞬ではあるが忘れていた事にハッとした。

「お願いします…」

 雪が舞う中、再度頭を下げられてはこのまま帰すわけにもいかず…スープだけなら一人分くらいは残ってたよな…と思い出せば、〝分かったよ〟 と溜め息混じりに頷くしかなかった。──が、一人前とはいえやはり残り物では具も少ない。代金を貰えるほどではなかった為、スープを差し出すと共に、〝残り物だから代金はいいからな〟 と付け足しておいた。

 男がスープを食している間、アルは翌日の準備に取りかかっていたのだが、しばらくして男が店を出ていくような音が聞こえた。

(タダとはいえ、やっぱ気に入らなかったか…)

 ──と思いつつ食器を片付けにテーブルに戻ると、そこには空になった容器と、〝いらない〟 と言った代金が置かれていた。しかも、スープ十杯分ほどの代金だ。慌てて返しに行こうと店を出たものの、既に男の姿は見当たらず…

(今度 店にきたら、何でも好きなもん食わせてやるか…)

 ──と心に決め、お金をしまったのだった。


 それから一週間後の今日、あの男が見た事のある正装に身を包んでやってきた。長い黒髪を後ろでひとつに結び、この前は掛けていなかった眼鏡まで掛けている。いわゆる仕事モードだ。ただその眼鏡の奥の瞳は、全てを見透かすような鋭さの中に、仕事とは別の優しさがあるように見える。

 その男が開口一番こう言った。

「迎えに来ました。あなたに決まりです」

 ──と。

 言っている意味が分からず──分かるのは襟元に刺繍された紋章から、その男が王家関係者であるという事だけで──故に、迎えに来られる理由も全く分からなかった。

 何も答えられないでいると、その男は一枚の紙をアルの目の前に差し出した。それは、王家のシェフに応募するという、いわゆる 〝応募用紙〟 で、シェフ希望者はアル=ヘイウッド、推薦者は……母親の名前だった。

「か…母さん…!?」

 どういうことかと母親に説明を求めれば、全てはアルの将来の為だと言われた。本人が嫌だと言ったところで、王家の決定は覆らない。そしてそれ以上に母親が望んだ為、納得はできなくとも、迎えに来たという男に従うしかなかったのだ。


「本当に美味しかったですよ、あのスープ」

 アルの視線に気付いたのか、男は一週間前には言えなかった感想を伝えた。普段なら素直に喜ぶ褒め言葉だが、今のアルには嬉しくないものだ。

「あんたがここの人間だと分かってたら絶対店に入れなかったし、シェフ選びの試験だと知ってたら、思いっきりマズくして、ゴキブリの一匹でも入れてたんだからな、俺は!」

 男が王家関係者だと分かってからも、アルは言葉遣いを変えなかった。どうせなら失礼極まりないくらいの言葉遣いで怒らせて、追い出されればいい…そう思ってさえいたからだ。

 フンッとそっぽを向くアルに、男は生意気な弟を見るような目をしてクスリと笑った。

「な、なんだよ!?」

「いいえ、何でも。でも もしそんな事をされても、私はあなたを選んでいましたけどね」

「はぁ?」

 まるで料理の腕は関係ないと言われたようで…いや、実際そう言ったのだろうが、ならば何を基準に選んだのだと疑問に思う。

 ワケが分からなくて、〝どういう意味だよ?〟 とさえ聞けないでいると、男が更に付け足した。

「あぁ、誤解しないでください。私はちゃんとあなたの料理の腕も認めているのですから」

「……………」

 それはフォローしたつもりなのだろうか…?

(結局、料理の腕は二の次ってことには変わりねーんじゃねーか…?)

 ──だとしたら、一番の選考基準は何なのか。

 アルの疑問はますます膨らんでいくのだった。

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