第七十一話 酔わない漢
その酒場は、共和国のダンジョン管理区の外れに建っていた。
石造りの外観は年季が入り、木の扉にはいくつもの傷跡がある。だがそれこそが、この店が長年にわたり“探索者”を迎えてきた歴史を物語っていた。
探索者。
それはダンジョンという危険と隣り合わせの地に自ら足を踏み入れ、報酬と己の名声、そして何より“生”を証明する者たちの呼び名だ。
国家の外に立ち、ギルドの庇護下で活動する者もいれば、国に雇われ任務を受ける準騎士のような者もいる。
だがその根底にあるものは一つ──命を賭して何かを得るという、生き方そのものだ。
だからこそ、彼らは飲む。
酒場という名の聖域で、死を乗り越えた今日を讃え、明日を誓う。
この酒場もまた、そんな“戦士”たちの揺り籠であり、戦場だった。
歓声。
賭け事。
仲間との再会に沸き立つ声と、別れを惜しむ涙。
その中に、異物のように一人、静かに扉を開けて現れた者がいた。
エルヴァだった。
すらりとした長身。鋭い眼差しを湛える美丈夫。
黄緑の髪を無造作に後ろで束ねたポニーテール。精悍な顔立ちは感情を押し殺すように冷めていて、まるで誰にも心を許していない獣のような気配を纏っている。
誰もが視線を向ける中、エルヴァは真っ直ぐにカウンターへと歩いた。
「……おい。酒をくれ。一番きついのを頼む」
その言葉に、カウンターの奥でグラスを拭いていた店主の眉がピクリと動いた。
次の瞬間、まるで糸を断ち切ったかのように、酒場の喧噪が止んだ。
冗談を飛ばしていた若者、口論していた女探索者、歌っていた吟遊詩人──誰もが手を止め、エルヴァの方を見た。
沈黙。
そんな緊張を破ったのは、男だった。
「おいおい。兄ちゃん。威勢がいいねえ。どうだ? 俺と一緒に飲まねえか?」
現れたのは、一見して“只者ではない”と分かる風体の中年の大男。
大柄な体格、日焼けした褐色の肌、白い髭が口元に浮かび、額には歴戦の痣。
モヒカンの髪型に真っ黒なサングラスという威圧的な格好だが、不思議と人を引きつける陽気な雰囲気があった。
(……変わった奴だ)
エルヴァは一瞬だけ考えたが──
「……いいだろう」
静かに返し、隣の席へ腰を下ろした。
酒が注がれる。褐色の液体は透き通っていたが、その香りからして尋常ではない強さだとわかる。
隣の男──ゲンゾウと名乗ったその男が目で促す。
エルヴァはグラスを手に取り、一息に飲み干した。
舌が痺れるほどのアルコール。喉の奥が焼けるようで、鼻へと突き抜ける熱。
それでも彼は顔色一つ変えず、息を吐いた。
「……強いだけの酒かと思ったが、中々に深いな」
「ほう」
口角を上げるゲンゾウ。
そんなゲンゾウにエルヴァが言葉を返す。
「どうした? 一緒に飲むのだろう?」
エルヴァは空のグラスを二つ、指でコツコツと叩いた。
それを見たゲンゾウは破顔して言った。
「気に入った!!」
◇ ◇ ◇
酒場の中央。最も騒がしい輪の中に、エルヴァがいた。
彼の隣では、ひときわ目立つ大男──ゲンゾウが豪快に笑っている。
「だっはっは!! それこそが、漢だっ!!」
彼の声は雷鳴のように響き、周囲の笑い声をさらに盛り上げる。
エルヴァはその横で、静かに酒を口に含む。
騒がしいやつだなと思いつつも、不思議と不快ではなかった。
「熱い冒険! 仲間との絆! そして、お宝を見つけたときの興奮! ダンジョンこそ、漢のロマンだっ!!」
まるで演説のような語り口。
ゲンゾウの語る“ダンジョン論”に、周囲の冒険者たちも耳を傾け始めていた。
「ダンジョンってのはな、神が作った浪漫の塊だ。罠、魔物、未知の空間。そいつを乗り越えてこそ、一人前の漢になれるってもんよ」
グイッと酒を呷るゲンゾウ。エルヴァはその隙を突くように問いかけた。
「……最近、怪しい人物を見かけたことはあるか?」
「怪しい? ああ、そうだな……確かに、最近ちょっと変なのがいるって話は聞くな。低層階の方だ」
「……低層階?」
「漢が密かに修行してるのか、それとも別の何かか……まあ、オレにはわからん。低層階は広いからな。端から端まで回ったら、一月かかっても終わらねえぜ」
「……そうか。話を聞けて助かった」
エルヴァはグラスを置き、ゆっくりと席を立った。
背後でゲンゾウが「もう帰るのかー!?」と酔っ払いながら騒いでいたが、振り返ることなく歩き出す。
その足取りは驚くほどしっかりしていた。
エルヴァはゲンゾウよりも遥かに多くの酒を飲んでいたのだが、その顔はシラフのまま。そしてその目は次の目的地を定めていた。
(ダンジョンの低層階……)
エルヴァの瞳が、わずかに細められた。
(……一応、情報の共有だけはしておくか)
彼の足は共和国の中央区へと向けられた。
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