第六十八話 ゆらりゆらゆらよよいの酔い
空はどこまでも高く澄み渡り、雲ひとつない快晴。
陽光を受けてきらめく海面は、まるで宝石のように青く、どこまでも広がっていた。穏やかな波が魔導船の船体を優しく撫で、低い唸りと共に船は滑るように進んでいく。
金属製の船体は、帝国製の魔導船。黒鉄と銀の縁取りが重厚さと美しさを兼ね備えており、船体後部には魔鉱石を収めた炉が静かに唸っていた。
動力源となる魔鉱石は、主に魔導国の鉱山で産出されるものだが、各国のダンジョンや山岳地帯でも希に採れる貴重な資源だ。
その船の一室。そこは、まるで王宮の一角のようだった。
深紅の絨毯が床に敷き詰められ、磨き抜かれた木製の家具が整然と並ぶ。天井には控えめながらも美しい金細工のシャンデリアが吊るされ、窓際のカーテンは絹のように柔らかく光を弾いていた。
「王女殿下と英雄様を、一般のお客様と同じ部屋にご案内するわけにはいきませんから」
そう言って案内してくれたのは、セイルハルトの港長だった。
この豪華な部屋が、特別な待遇であることは明らかだった。
だが――室内の雰囲気は、決して優雅なものではなかった。
エルフの剣士こと――エルヴァが、ぐったりとソファに横たわっている。
「……うっ……く……」
顔は真っ青。呼吸も浅く、見るからに調子が悪い。
英雄と謳われる魔剣士が、今はただの船酔い患者と化している。
「あと、もう少し。耐えるのよ、エルヴァ」
エルリナが隣でハンカチをひらひらと扇ぎ、彼を懸命に介抱していた。
普段は勝ち気な第二王女の姿も、今ばかりは優しげな看護師のようにも見える。
そんな二人の様子を、終は椅子に座って静かに見ていた。
(ふうん。最強の剣士様ってわりに、弱点が船酔いとはね)
エルヴァは呻きながら、かすれた声を絞り出す。
「……くっ。……陸は……まだ……か……?」
「まだよ。でも、もう少しだから頑張りなさい!」
エルリナは励ますが、言葉がどこまで届いているのか怪しい。
(何を頑張るんだよ。……仕方ない。ちょっと手伝ってみるか)
終はゆっくりと立ち上がり、自分の鞄を開いた。調薬道具と数種の生薬を取り出し、卓上に並べていく。
(船酔いってのは、耳の内側の平衡感覚が狂うのが原因。そこを整えれば、少しはマシになるはず)
すり鉢で薬草をすり潰し、香料と混ぜ、熱を通す。
ほどなく、どろりとした土気色の液体が完成した。瓶に詰めたそれを手に、終は二人のもとへ戻る。
「やあ。剣士様。船酔いの薬、作ってみたんだけど、どうかな?とても苦いんだけどさ」
「……くっ。……なら、いらん」
エルヴァは顔をしかめ、拒否した。だが――
「つべこべ言わず、飲みなさい!」
エルリナが終の手から瓶を奪い、問答無用で彼の口元に押しつける。
「っうぐ……!」
むせ返りながらも、エルヴァは薬を飲み下した。
終はその様子に、くすりと笑いを漏らす。
「……はぁ、はぁ、はぁ……最悪だ……」
息を荒げながらそう呟くエルヴァだが、顔色は先ほどより明らかに良くなっていた。
「さすが、シュウね」
エルリナが感心したように呟く。
「……ねえ、ちょっと聞いてもいい?」
終が唐突に話を振った。
「……なんだ?」
半眼で睨むエルヴァ。
「君のお友達の風精とか雷精っていうのは、常に君をサポートしてくれるわけではないの?……いや、気になっちゃってさ。彼らに頼めば、何でもわかりそうだし、船に乗らなくても移動もできそうだからさ」
「……そこまで万能ではない。あいつらは気まぐれだ。協力してくれる時もあれば、全く動かない時もある。それに力を使いすぎると、しばらく何もできなくなる」
「ふうん。なるほどね。ありがとう、教えてくれて」
終は軽く頷く。
「……ああ。こっちも薬。……助かった」
ぶっきらぼうな声だったが、その言葉はしっかりとした礼だった。
終はにこりとしたまま、それを素直に受け取る。
隣でエルリナは、満足げに微笑んでいた。
船はゆるやかに波を切り裂き、共和国の大地を目指して進んでいく。
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