第六十七話 雨降って、固まる
雨は弱まりつつ、石畳の水たまりに波紋を描く。分厚い灰色の雲は、重く垂れこめて空を塞ぐ。
その空を映したように、宿屋の部屋にも沈んだ空気が漂っていた。
宿屋の二階、その一室。小さな窓から入り込む光は鈍く、木製の机と椅子、簡素なベッドが一つ。埃臭さはなく、整えられた室内はこの町の清潔さを物語っていた。
その部屋に、三人の人影があった。
一人は椅子に腰掛けた黒髪の青年――終。淡々とした表情で話を聞いている。
もう一人は、ベッドの脇に立つ少女。桃色の髪を背中に流した細身の剣士――エルリナ。思い詰めたように唇を噛み、視線は下を向いている。
そして、窓の傍に立つ剣士――エルヴァ。冷ややかな視線の奥に、今も怒りと焦燥を湛えながら、終とエルリナに海上での出来事を話す。
「……そっか。そこで見失ったと……」
静かに、終が言った。
「……ああ」
エルヴァが短く返す。
港を離れ、海竜に護られるようにして消えたその船の行方は、つかめていない。
重苦しい空気が部屋を満たす中、エルリナがふと何かに気付いたように口を開いた。
「……あ、そうだ。エルヴァさん、一応紹介しておくわね。この黒髪がシュウよ。わたし専属の薬師」
「……薬師?」
エルヴァが軽く眉を上げる。
「そうよ。それで、わたしは――リヴェルタ王国の第二王女エルリナよ。って、もしかしてノアリスちゃんから聞いてたりする?」
無理にでも空気を変えようと、エルリナが笑みを浮かべる。だがエルヴァの表情は変わらなかった。
「……いや。ノアリスは、あまり未来のことは話さないんだ。未来が変わってしまうとか……そんな理由で」
「そういえばそんなこと言ってたわね」
エルリナが思い出したように頷く。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
終が不意に問いかけた。
「そのノアリスって子……未来が見えるの?」
「ああ」
エルヴァが頷く。
「“予言の子”って呼ばれているらしいわ」
エルリナが補足するように付け加える。
(へえ。予言の子、ね……それは超常の力の一つかな)
終は微かに口元を歪めた。
と、そのとき。
部屋の扉がノックされる音が響いた。
宿の主人が告げる。「剣士様にお会いしたい方がいらしています」と。
終が扉を開けると、そこには上質な服に身を包んだ小柄な老人が立っていた。丸顔に白い髭、胸には金のバッジが光っている。
「お初にお目にかかります。私はこのセイルハルトの港長、レオネル・シスフォードと申します」
「……エルヴァだ」
「エルリナよ」
「シュウです」
三人がそれぞれ名乗ると、レオネルはエルリナの姿に目を見張った。
「……エルリナ様ではありませんか。まさか、ご無事だったとは」
「ええ、なんとかね。今は神聖国へ向かおうと思っていたんだけど、ちょっと事件に巻き込まれちゃってね」
苦笑いを浮かべるエルリナに、レオネルが深く頷く。
「……あの誘拐船ですね。我々としても手を焼いている人身売買組織です」
「人身売買?」
エルリナの目が大きく見開かれる。
「ええ。攫った人々を、奴隷として各国へ売り飛ばしているのです。決して小さな組織ではありません」
終は静かにその話を聞きながら思考を巡らせる。
(人身売買ね。ということは、狙いは“予言の力”かな)
黙って話を聞いていたエルヴァが口を開く。
「……たかが人買いが、海竜を従えているとでもいうのか?」
その言葉に、レオネルの顔が驚きに歪む。
「……それは本当ですか? しかし……いや、失礼。それは初耳です」
「船が見えなくなると、海竜も海へ戻っていった。……この港を襲ったのも奴等の仕業だろう」
淡々と告げるエルヴァの言葉に、レオネルは黙り込んだ。
災害と思われていた海竜の出現が、人の手によるものだった――その事実は、彼の重責を一層強くする。
(海竜を操る者が敵か。……いいね。面白いじゃないか)
終の口元が、静かに緩む。
「……レオネルだったか。船はこの港から北へ向かった。そこには何がある?」
エルヴァの問いに、レオネルは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。それはこの港町の航路図だった。
「北へ進めば共和国がございます。この港町、セイルハルトは半島の先端にあり、西に神聖国、北に共和国、そして南へ回って東へ進めば帝国に至ります」
(王国は内陸だから海からは行けないんだよね。ある意味ここが王国の港みたいなものだろうけど……。立場の弱い国は苦労しているんだね)
終は内心でそんな感想を洩らす。
腕を組んだエルヴァが小声で呟く。
「……共和国か」
「共和国といえば、ダンジョンが有名だったわね」
エルリナの解説に頷くレオネル。
(白色の思惑か。……まあいいや。今回はその流れに乗ってあげるよ)
こうして、終たちの次なる目的地が共和国に決定されたのだった。
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