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第六十六話 風、奔る


 嵐が吹き荒れる港町に、剣士の勝利を称える歓声が響いた。

 暴れる海竜を打ち倒したその姿は、恐怖と混乱の中にあった人々に、一筋の光をもたらしたのだ。


「剣士さま! ありがとう!」

「助かったよ……まさか、本当に倒すなんて」


 雨に濡れながら、数人の町人たちがエルヴァに駆け寄る。だが、彼の顔に感謝を受け入れる余裕はない。


「すまない。通してくれ」


 静かに。だが確かな力をもってそう告げると、群がる人々の間をすり抜けていく。

 表情は険しく、足取りは速かった。


(くっ……だいぶ力を使ってしまった。……ノアリスは、どこだ)


 疲労が身体を重くする。だがそれ以上に、胸を突き上げる不安のほうが強かった。

 普段なら、ノアリスはエルヴァの目にすぐ届くところに立っている。まるで、「ここにいるわ」と囁くように。

 だが、今回は――いない。


(……なに?)


 突風のざわめきの中に混じって、風精の声が聞こえた。

 その言葉に、エルヴァの瞳が見開かれる。


(連れ去られただと……!?)


 咄嗟に風を纏い、エルヴァの身体が宙に舞った。嵐を切り裂き、一直線に空を駆ける。


 空を蹴り、町の屋根を飛び越え、一息で着地した。

 風精が示した場所――桟橋には、黒髪の青年と、桃色の長髪を持つ少女の姿があった。


「……ノアリスは?」


 尋ねた瞬間、少女が息を呑むように振り返った。


「あっちよ! あの船!」


「すまない」


 その言葉と同時に、エルヴァの身体は再び風と一体になり、視界から消えた。

 一瞬、黒髪の青年がこちらを見ていた気がしたが、今はそれに気を払っている余裕などない。


(何を考えているんだ、ノアリス……)


 エルヴァは、わかっていた。今起きていることは、全てノアリスの見た未来の中にいるということを。


「自分の身を犠牲にしてまで、何を狙っているというのだ……」


 その呟きは嵐の音に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。


 波を越え、嵐の中を進んでいく一隻の船。

 風をまとったエルヴァは、その後を追うように翔ける。


(……あともう少し)


 風が裂け、視界が開けた。

 船の甲板には、ノアリスの姿。隣には銀色の髪の少女が立っていた。


「ノアリスっ!!」


 エルヴァが叫んだその瞬間だった。


 ――海が割れた。


 音もなく、しかし確かな予兆とともに、海中から巨大な影が現れる。


「ちっ……!」


 それは海竜。

 先ほど討ち取った個体とは異なる、より巨大で、より暴力的な存在。


「くっ……何体いるんだ……!」


 次々と姿を現す海竜たち。その数は十を超え、まるで嵐そのものが海から這い出してきたかのようだった。


 吼え、暴れ、渦を巻く。

 波しぶきが空を打ち、轟音が水面に落ちる。

 エルヴァはその只中に身を投じ、剣を抜いた。


「ノアリス……っ!!」


 届かない声。

 進みゆく船。

 それを追えぬ現実。


(くそっ……。本当に、何を考えているんだ……)


 雷と風が弾ける。

 刃が閃き、海竜が唸りを上げる。

 仕方なく海竜の相手をするエルヴァだが、その意識は――甲板の上の少女のことから、ほんの一瞬たりとも離れることはなかった。


 やがて、船の姿は遠ざかり、嵐の帳に隠れてしまった。




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