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第六十四話 風雷の剣士


 海鳴りが、怒れる咆哮のように響く。

 風が狂い、波が牙を剥く――。


 嵐に包まれた港町セイルハルトは、まるで世界の終焉を迎えたかのような騒然たる光景だった。

 砕けた波が岸を叩き、潮気混じりの風が市場の布を引き裂いて吹き抜けていく。

 停泊中の船は揺れ、舫い綱を軋ませながら呻き声のような音を上げていた。

 いつもなら飛び交う鳥達も怯えた様子で、町の頑丈な建物の屋根の下に避難している。


 その混沌の中心、波間から現れた巨大な海竜――。

 全長二十メートルを優に超えるその体躯は、漆黒の海を割って出現した神話の獣のごとく、恐怖と畏怖を伴って海を支配していた。

 鱗は濡れた鋼のように鈍く光り、長い首が港へと迫るたびに海水を撒き散らす。

 黄色く濁った両眼が、敵意を滾らせて眼下の人々を睨みつけ、雄叫びをあげる。


「……まったく、こんなものまで現れるとはな」


 エルヴァは、濡れた石畳の上に軽やかに立っていた。

 その足元から舞い上がる風が、彼の長い黄緑色の髪を後方へと流していく。

 腰に佩いた剣が風を纏い、彼の周囲を薄く震わせていた。


 次の瞬間、エルヴァの身体が風と共に消える。


 風走――。

 風精の加護を受けた者のみが可能とする、空間を切り裂くような疾走。

 地を蹴る音もなく、波の上を翔けるようにエルヴァの姿が海竜の横腹へと現れた。


 閃光。

 一太刀。

 その斬撃は、海竜の巨体に細く浅い傷を刻んだ。


(やはり……鱗が厚いな)


 すぐに間合いを取りながら、エルヴァは冷静に状況を測る。

 通常の剣では貫けぬと判断した彼は、次の一手として雷の精霊に語りかけた。


「応じよ、雷精――《雷槌らいつい》」


 指先から放たれた雷撃が、海竜の鱗の隙間を狙って焼き穿つ。

 だが、それでも致命傷には至らない。

 

 エルヴァはあくまで冷静だった。攻撃が通らないのなら、通すだけの術を講じる。それが彼の戦い方だ。


「ふっ、」


 発声と共に、彼は鱗を狙い、刃を滑らせるように鱗を削いでいく。

 雷の力で焦がし、剣で削る――まるで鱗を剥がす職人のように、効率的に急所を暴いていく。

 


 海竜が怒りを顕わに咆哮した。

 巨体を捩り、尾を振る。

 それだけで周囲の海水が爆ぜ、波が港を飲み込もうと襲いかかる。


 迫る尾。

 体当たり。

 咬みつき。

 怒涛の連撃を、エルヴァは寸前で躱し、あるいはいなし、あるいは雷を以って弾き返した。


 ひとたび距離を取り、波の上に立つ。

 彼の背には風が渦巻き、手には雷が煌めく。

 エルヴァの剣は濡れた空気を裂き、常に先を読むような動きで海竜を翻弄していた。


(あともう少しか……)


 確実に追い詰めている。海竜の息は荒く、片目は潰れている。

 胸元の鱗も半ば剥がれ、内部の柔らかい肉が赤く覗いていた。


 だが、海竜もまたこのままやられる気はないらしい。その瞳でエルヴァを睨み大口を開ける。


 ――咆哮。

 大気を揺らすような、耳を裂くほどの轟音。


「っ……!」


 一瞬、視界が揺らいだ。

 身体がわずかにバランスを崩す。


(しまった――)


 鞭のように振るわれた海竜の尾が、エルヴァへと迫る。


 その瞬間だった。


 ――ズン、と重い破裂音。


 尾が叩きつけられる寸前、何かがそれを逸らすように炸裂した。

 爆ぜた風圧と金属音。

 援護射撃――それは近くで戦う者にしかわからない、精密なタイミングと角度だった。


 エルヴァは一瞬だけ視線を港に向けた。


「……助太刀、感謝する」


 誰が援護したかはわからなかったが、素直に口を動かしたエルヴァは、自身のやるべきことを行う。


 空を蹴り、一直線に走る。

 風がエルヴァを包み、雷が剣を纏う。


 そして、斬閃。

 海竜の露出した喉元へと、雷刃が真っ直ぐに走る。


 一息。

 その太い首が、海に落ちる音がした。


 海竜の巨体が崩れ、海へ沈んでいく。


 エルヴァは濡れた石畳に軽く着地した。

 嵐は、なおも続いていた。




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