第六話 大根下ろし
王女エルリナの容態は、徐々に安定しつつあった。
終――“薬師シュウ”が持ち込んだ薬は、魔力の奔流を一時的に鎮め、彼女の呼吸を穏やかにした。
魔力過多による発熱、神経過敏、幻視――いずれも魔力制御障害に典型的な症状。
そしてこの病を治療できた者は、王国に一人もいなかった。
終が持ち込んだ知識と処置は、王宮にとって“奇跡”とすら受け取られ、結果、彼はしばらく宮廷内に滞在することを許されることとなった。
名目上は、症状の経過観察とさらなる治療のため。
だが実際のところ、終は王宮に静かに根を下ろし始めていた。
――今、終はエルリナの寝室にいた。
夕刻の柔らかな光が、薄絹のカーテン越しに部屋を照らす。
ベッドに横たわるエルリナは、以前より顔色も良くなり、起き上がれるほどに体調を戻していた。
とはいえ、彼女の態度が素直になったわけではない。
「……ジロジロ見ないでくれる?」
薄紅の髪が枕にふわりと広がる中、エルリナが視線を逸らしてぼそりと呟いた。
「これは診察です、診察。ジロジロじゃなくて、ちゃんと“じっくり”見てます」
終が平然と返すと、彼女は唇を尖らせてそっぽを向いた。
「じっくりのほうが悪質よ……」
「褒め言葉だと受け取っておくよ」
「受け取るな!」
そんな調子だ。
だが、その声にはもう以前のような辛そうな震えはなかった。
少なくとも、表面上は。
「……どうですか? 体の具合は」
「……まあまあよ。別に、あなたの薬が特別効いたとかじゃないわ。ただ、偶然よ。偶然」
「うんうん、偶然ってことにしとこうか」
終が微笑むと、エルリナの頬が少し赤くなる。
彼女は枕に顔を沈めながら、ぽつりと呟いた。
「……ありがとう」
「えっ? 今、何か言いました?」
わざとらしく耳を傾ける終に、彼女は一瞬だけ睨み、すぐに目を逸らした。
「うるさい! 黙れ! 私は寝る!」
「はいはい、おやすみなさい、エルリナさん」
「名前で呼ぶなっ!」
ベッドに潜り込んだエルリナの声は、最後には布団にかき消された。
終は部屋を出ると、廊下の影に溶けるように立ち止まり、静かに息をつく。
(……面倒な性格。でも、これが面白い)
王宮での滞在は、ただの治療では終わらない。
情報を探り、関係者の動きを見極め、必要があれば次の一手を打つ。
終は王女の病の裏にあるものをまだ探っていた。
それは彼にとって“興味”の対象であり、同時に――遊びでもある。
(臭うんだよね。隠し事の臭いがさ。そういうのワクワクするよね)
王宮の塔の窓から、茜色の光が廊下を照らしていた。
その中を、終は音もなく歩いてゆく。
「さて、明日は誰に話を聞こうかな」
それは魔王になる宿命を背負った男が、王国の中枢へと徐々に侵食していく、静かな一歩だった。
▼お読みいただきありがとうございます!
ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります!
感想や活動報告へのコメントも大歓迎です。
新連載につき、一挙20話(プロローグ含む)連続更新中。
毎日21時更新予定です。