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第六十三話 波濤の咆哮


 空は澄みわたり、潮風は涼やかだった。港町セイルハルトの朝は、今日も穏やかなはずだった。


「まったく……帰ってきているなら、そう言ってくれれば良かったのに」


 そう言って、終の隣を走るエルリナが、むくれたように頬を膨らませる。


 昨夜、終が宿屋に戻ったのは、日付が変わる少し前だった。彼としては、夜更けに女性二人の部屋に顔を出すのは遠慮が必要だろうと考えたのだが――どうやら、その配慮は伝わらなかったようだった。エルリナとユナは終の帰りを待っていたらしく、結局、先に寝たのは終の方。朝は案の定、エルリナが起きられず、こんな時間になった。


「ユナも起こしてくれれば良かったのに……」


 文句を言いながらも足を止めないエルリナ。その横では、ユナが無表情で走り、終は小さく息を吐く。どこか遠くの風を追うように、淡々と。


 やがて三人は港へとたどり着いた。


 昨日のような賑わいはない。荷を運ぶ者も、網を巻く漁師もいるにはいるが、その数は明らかに少なかった。人影の間には、妙な静けさが流れている。


「……変だな」


 終が周囲を見回すと、近くで縄を巻いていた男に声をかけた。


「ねえ、聞いてもいい? 神聖国行きの船ってどこかな。まだ間に合うよね?」


「ああ、それがな……全部運休だとさ。神聖国行きも、隣町行きも、漁船もだ」


 男は肩をすくめると、日に焼けた顔に困ったような笑みを浮かべた。


「なんでも、どこだかの小さなお嬢ちゃんが、船を全部止めさせたらしくてな。詳しいことは知らんが……きっと、どっかのお偉いさんの子供だろう。金持ちの考えることはよくわからんさ、俺らには」


 三人は顔を見合わせる。


「お嬢ちゃん……?」


 ユナが小さくつぶやき、終も少しだけ目を細めた。


「なによ、それ……変なの」


 不満を隠さず、エルリナは唇を尖らせる。


 港の海は、変わらず穏やかに見えた。波は静かで、空にはまだ雲一つない。けれど、妙なざわつきだけが、港全体に漂っていた。


「とりあえず……昼にしようか」


 終の言葉に二人がうなずく。三人は踵を返し、宿屋へと向かって歩き出した。


◇ ◇ ◇


 昼食時、宿屋の食堂。


 机には、香ばしく焼かれた白身魚に、塩ゆでした野菜と柔らかなパン。香辛料の香りが食欲をそそる魚介のスープ。これがこの町の名物“お魚定食”だという。


「うわ、すごい。さすが港町ね」


 エルリナが目を輝かせて白身魚を口に運ぶ。その横で、終は静かにパンをかじり、ユナはスープをすする。


 外はまだ明るい。だが、終は時折、窓の外に視線を投げていた。


 すると、不意に風が変わる。


「……ん?」


 エルリナがスプーンを止めた。


 急に窓に影がさしたかと思うと、濃い雲が空を覆い始める。音を立てて風が吹き抜け、次の瞬間、激しい雨が屋根を叩いた。


「うそ……さっきまであんなに晴れてたのに?」


 驚くエルリナ。窓から見える空を見上げて、まるで誰かの悪戯かとでも言いたげだ。


「でも、これなら……船が出なかったのも納得だわ」


 スープを飲み干しながら、感心したように頷く。終は窓の外をぼんやりと眺め、ユナは無言で銃の分解、手入れをしていた。


 そのとき――。


 雷のような、だがどこか違う、地響きのような音が町中を揺らした。


「……!」


 三人の視線が、自然と港の方へ向けられる。


「行こう」


 言うが早いか、終は立ち上がっていた。

 


 雨の中、港へと向かう。途中で人々の悲鳴と、獣のような叫びが入り混じった音が耳に届く。


 港の先、沖の海。


 そこには、暴れる巨大な影と、それに相対する一人の剣士の姿があった。

 その背に風を纏い、雷の刃を振るう姿。それはまるで物語の英雄。


 嵐の中、海竜の咆哮が響いた。




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