第六十一話 さらに裏に
港町セイルハルトにある宿屋《カモメ亭》は、夕刻になると一層の賑わいを見せる。
酒場のような食堂には、木造の温もりある長机と丸椅子が並び、船乗り風の男たちや旅の商人、地元の老若男女が一堂に会して食事を楽しんでいた。
笑い声が飛び交い、陽気な音楽がどこかのテーブルから聞こえてくる。隣の席同士で肩を組み歌い始める者もいれば、大皿の料理を分け合う者もいる。
この町が中立地帯であることを、まるで誰もが誇っているかのように、宿屋の空気は平和で、あたたかだった。
そんな中、隅のテーブルに静かに腰掛けているのは、エルリナとユナ、そして薄紫色の髪の幼い少女──ノアリスだった。
「賑やかで……良いですね」
食堂内を見回しながら、ノアリスがぽつりと呟く。
「そうね」
エルリナも、周囲を一瞥して小さく微笑んだ。
久しぶりに、争いのない平和な場所に身を置けていることに、どこか肩の力が抜けた気がした。
だが──その微笑みはすぐに消えた。
テーブルの向かいに座るノアリスの表情は、どこか真剣だった。
それを察したエルリナも姿勢を正し、静かに問いかける。
「それで……わたしに会いに来たってことなのよね?」
ノアリスはこくりと頷いた。
その瞳は、年齢にそぐわぬ静謐な光をたたえている。
「……わたくしは、見たのです。エルリナさん……あなたが、この世界を支配しようとする者と、戦う未来を──」
あまりに唐突な言葉に、エルリナは思わず息を呑んだ。
視線が揺れ、隣のユナが小さく眉を動かす。
「それって……魔王と、ってことかしら?」
ノアリスは少しだけ間を置き、首を横に振った。
「……いいえ。“魔王”と言いたいところですが、それは……正確ではないかもしれません」
「どういうこと?」
エルリナが眉を寄せて尋ねると、ノアリスはほんのわずかに表情を曇らせた。
「……真の敵は、魔王の“さらに裏”にいる存在かもしれません。世界を破滅に導こうとしている……そんな存在がいるのですが……未だに、姿を見たことがないのです」
「そんな……魔王よりも強い敵? 考えたことなかった……あ──」
そこでエルリナの瞳が大きく見開かれる。
「そういえば……前に、シュウが言っていたわ。魔王を復活させたグラディウスたちの“さらに後ろ”に、誰かがいるかもしれないって……」
言いながら、自分でもその言葉を改めて思い出していたようだった。
「……シュウ様がそんなことをおっしゃっていたのですね」
ユナが静かに反応する。その横顔には、いつもの冷静な光があった。
「黒髪のお仲間……ですよね?」
ノアリスの問いに、エルリナは頷く。
「そうよ。……なんだか、不思議な気分だわ。予言の力を持つ人と話すと、まるで……頭の中を読まれているような錯覚を覚えるわ」
「すみません」
苦笑しながら謝るノアリス。
「それで。わたしがその敵と戦うことになる未来を見たってことだけど……具体的には、わたしは何をすればいいの?」
問いかけるエルリナに、ノアリスは首を振った。
「いえ、今は何かをしてもらう必要はありません。……わたくしが、あなたに出会うこと──それが未来において重要なのですわ」
「……どういうこと?」
「未来というのは、少しでも違えば別の道へと進んでしまいます。“何かをしてください”と伝えるのは、未来を乱す大きなリスクになるのです」
その言葉に、エルリナは少しばかり肩透かしを食らったような顔をした。
「ふぅん……そういうものなのね」
納得したような、していないような曖昧な返事を返すエルリナ。
ノアリスはそっと視線を遠くに移し、言った。
「本当は……黒髪のお仲間にもお会いしたかったのですが、どうやら時間のようです」
その瞬間だった。
ノアリスの背後に気配が立つ。
そこには、黄緑色の髪を後ろで結った、長身のエルフの男が立っていた。
涼やかな目元、しかしその瞳には冷たく澄んだ光があり、どこかを見据えるようにテーブルを見下ろしている。
「父の、エルヴァです」
ノアリスが紹介する。
「……」
男は無言だった。
「すみません、父は無口でして……」
エルリナが視線を横に移すと──隣のユナが、密かに懐へと手を伸ばしていた。
細身の指が、短剣の柄に触れている。
「では、わたくしはこれにて。……お話できて、嬉しかったですわ」
ノアリスが礼儀正しく一礼すると、エルヴァのもとへ歩み寄り、そのまま二人で食堂の出口へと向かう。
食堂の扉の前で振り返ったノアリスは、にこっと笑って手を振った。
その姿が扉の向こうに消えるまで、エルリナは黙って見送っていた。
「ユナ。警戒しすぎよ」
「……シュウ様がいない時に、何かあっては困りますので」
静かに、しかし揺るぎない声で答えるユナ。
その言葉に、エルリナはため息を吐いた。
(まあ、確かに。あのエルフの剣士……隙がまったくなかった。あたしよりも、ずっと強そう……)
その思考の先で、ふとこんな疑問が湧いてくる。
(……なら、彼らだけで世界を救えるんじゃ……?)
胸に去来する疑念を、エルリナは小さく首を振って追い払った。
(はぁ……こういうの、全部シュウに任せたい。わたし、頭使うの苦手なのよ……)
彼女は、未だ戻らぬ黒髪の男に向けて、心の中でぼやくように“念”を飛ばしたのだった。
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