第五十九話 糸の距離
買い出し──その言葉が、どうにも釈然としない。
「……なんで、わたしがおつかいに行かなきゃいけないのよ」
セイルハルトの港を見渡しながら、エルリナは小さくため息をついた。
隣では、銀色のショートヘアが潮風に揺れる少女──ユナが、終始無表情のまま歩いている。
市場はすぐそこにあった。
終に言われた言葉を思い出す。
『市場は、けっこう面白いよ。見たことない物とか、たくさんあるし』
言ってから、彼はあっさりとユナと自分を置いて、どこかへ消えてしまったのだった。
「まったくもう……」
そう言いながらも、エルリナの目の前には、確かに“見たことのない”ものが溢れていた。
港に隣接した市場通りは活気に満ちている。屋台や露店がぎっしりと並び、焼いた魚介の香りが潮風と混じり合って鼻腔をくすぐる。香辛料の匂いと甘い果実酒の香りが交差し、色とりどりの絹織物が陽光を受けて波のように揺れていた。
「……わっ」
セイルハルトに来たことはあったが、市場をじっくりと見たことのなかったエルリナは思わず足を止めた。
細工の施された宝石付きの短剣が並ぶ店や、繊細な彫刻が施された骨董品の山、古びた魔導銃や、軽くて頑丈な鉄蜘蛛の鋼糸を使った軽装防具──そのすべてが物語のようだった。
ふと目に入ったのは、どう見ても防具とは思えない、露出の激しい下着のような装備。
「な、なによこれ……っ、誰が着るのよ……!」
小声でそう呟いて目をそらす。
だが、隣のユナは相変わらず無言で、ただ前を見ていた。
エルリナはその沈黙が少しだけ苦手だった。
何を考えているのかよくわからない。感情の起伏がほとんど見えない。だけど──
「……ねえ」
意を決して、エルリナは声をかけた。
「村の子供達がさ、シュウになんて言ったか知ってる?」
ユナは無表情のまま、首だけを少しだけ横に振った。
「わたしの口からは、お話できません」
「お願い、今ならシュウにバレないから大丈夫! ね、教えて」
エルリナが少し身を乗り出して言うと、ユナはほんのわずかに迷う素振りを見せた。言葉にはしないが、その沈黙が肯定か否定か迷っているように見える。
「……ね、わたし達、旅の仲間でしょ? あと、仲間なんだから、敬語とか使わなくて大丈夫だから」
エルリナがそう言うと、ユナはほんの少しだけ目を見開いた。
そして──小さくうなずいた。
「……わかった。いいよ。話してあげる」
「え、ほんとに!? やった!」
エルリナがぱっと笑顔を咲かせると、ユナは真顔のまま口を開いた。
「子供達がシュウ様に言ったのは……『どっちの女の人が好きなの?』……でした」
「えっ!?」
エルリナの頬が一気に赤く染まる。
足元がふらついたほどの衝撃。
「そ、それで……しゅ、シュウは、なんて答えたの……?」
問いながらも、視線はそわそわと宙を泳ぐ。
ユナは、ほんの一拍、ためらうような間を置いてから口を開いた。
「……本当に話していいの?」
その言葉に、エルリナは口を閉じ、そして俯いた。
数秒の沈黙のあと、そっと呟く。
「……ごめん。やっぱり……言わないで……」
情けない、と思った。
でもどうしても、怖かった。
その時、ユナがぽつりと問いかけた。
「エルリナ様は……シュウ様のこと、好きなの?」
「ぶっ……!」
エルリナは盛大に噴き出した。
顔がこれ以上ないほど真っ赤に染まり、両手で頬を押さえる。
「そう」
エルリナの反応を見たユナは冷静に判断したようだった。
「あなたの方こそ、どうなの? シュウとずっと一緒にいるし、あなただってシュウのことが好きなんじゃないの?」
顔が熱い。
そして自分でも何を言っているのかわからなかった。
どこかに逃げ道が欲しかったのかもしれない。
そんな混乱するエルリナとは正反対に、ユナは少しだけ視線を落として、静かに答えた。
「シュウ様のことは、尊敬しています。それは……好きとは違う気持ち」
「……え」
「それに……言われましたから。シュウ様に」
「な、なにを……!?」
食い気味に迫るエルリナ。だがユナは、
「……秘密」
とだけ言って、ふいっと視線をそらす。
その横顔は、どこか終の真似をしているようにも見えた。
「あーーーーっ! もう! なんなのよーっ!」
頭を抱えて叫ぶエルリナ。
だが、次の瞬間、くすっと小さな笑い声が聞こえた。
ユナが、笑っていた。
「……っ。まったくもう……」
エルリナはぷいっと横を向きながらも、その口元には自然と笑みが浮かんでいた。
二人の間に、ささやかな風が吹いたようだった。
その時、ふとユナが足を止め、武器屋のショーケースに目を奪われていた。
古びた銀色の魔導銃──使い込まれた傷と、どこか温かみを残した手入れ跡のある一丁。
ユナはほんの一瞬だけ頬を染めた。
けれど、隣のエルリナは、気づかずに先を歩いていた。
ふたりの距離は、まだ少しだけぎこちない。
けれど、確かに縮まっていた。
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